暴走するカレと妄想するカノジョと①
それから一週間、王家直属の優秀な隠密たちがどんなに手を尽くしても、カルティエ家に与えられた『女神の加護』がどのようなものなのか、まったく知ることはできなかった。
しかし、モースリンの変心に『女神の加護』が関係しているに違いないと考えたハリエットの慧眼だけはさすがといえるだろう。いや、さすが学園一の秀才とか、さすが為政者の慧眼とかという褒め言葉ではなくて、さすがは幼いころから一途にモースリンだけを想ってきた粘着質、という意味で。
実際にカルティエ家が婚約解消のために動き出したのは、モースリンが17歳の誕生日に受けた女神の加護のせいである。その加護の内容は予知夢――とはいっても国の大局や遠い未来を見通すような壮大なものではなく、夢を見る本人の18歳までの一年間の運命を夢に見るという、めちゃくちゃ局所的な予知夢なのだけれど。
もともとがカルティエ家は建国の際に魔王を封じた勇者の家系であり、その時に魔王から呪いを受けたのだという言い伝えが残されている。その呪いのせいで、カルティエ家に生まれた女子は18歳の誕生日を迎える前に死を迎える運命にある。ありていに言えば「末代まで呪ってやるぞ、お前の血をひく娘は成人まで生きられないだろう」という呪いがかかっているのだと。これを憐れんだ女神は、カルティエ家の女子を死の運命から守るべく、十七歳から十八歳に上がるまでの一年間だけ予知夢を見る能力を与えてくれたのだとか……これも言い伝えではあるが。
ありていに言えば……17歳から18歳の間に起きる『死の運命』を夢で見せてあげるよ、それをヒントに頑張って死の運命を回避してね、ということである。
だからこの加護の日から一年間、カルティエ家は一家をあげてその財力人脈権謀術数の全てを使って息女を死の運命から守ると、そういうことだ。もちろん回避に失敗すれば待ち受けているのは予知夢通りの死――。
ではここで、モースリンが見た予知夢の内容をざっとさらっておこう。それは夢としては実にありきたりな、市井に数多ありふれた恋愛小説を見ているような夢であった。
舞台は卒業式後の謝恩パーティの席上――ミラルク学園は身分の別なく生徒が集まる学校であるがゆえ、謝恩パーティという建前で、貴族の子息女たちがポケットマネーを出し合って気安いパーティを主催するという伝統がある。建前上は恩師を招待するためのパーティだが、学園に在籍する生徒たちにも招待状が配られる。それはそうだろう、恩師に感謝の言葉を述べる生徒たちがいなければパーティは盛り上がらないのだから。
この日だけはパーティなどとは無縁な一般生徒たちも、貸し衣装で盛装をして貴族御用達のダンスホールなどに招かれる。慣れないダンスを楽しんだり見たこともない高級珍味に舌鼓を打ったり、学生ゆえの若さと無礼に満ちた、まさに無礼講方式でのパーティである。
それ故に、礼儀や腹芸に満ちた正式なパーティに飽いている貴族の令嬢令息も、実はこのパーティを楽しみにしていたりする。
そんな大盛況の真っただ中で、ハリエットはモースリンに向かって声高らかに言い放った。
「モースリン=カルティエ嬢、君に婚約破棄を言い渡す!」
当然のように会場中がざわめき、ハリエットに注目が集まる。何しろ婚約破棄とは穏やかではない。
婚約解消が穏やかに話し合いで条件を詰めてゆく、いわゆる協議離婚的なものであるのに対し、婚約破棄とは破棄に至る正当な『罪』をあからさまにして広く知らしめることも厭わないという、いわゆる調停離婚さえすっ飛ばして離婚裁判に持ち込むようなものだ。
ありていに言えば「裁判をするに値するだけの明らかな過失がお前にはある!」と言い渡すのと同義である。
それでもまあ、離婚裁判ごときで死刑を言い渡されることはない。所詮は民事の範疇である。
モースリンを死に追いやる要因はここから先にある。ハリエットは片手をあげて『誰か』を呼んだ。
「カエデ、こちらへおいで」
呼ばれて人ごみから出てきたのは、美しい白色の髪をツインテールにまとめた快活そうな少女であった。
黒い髪のモースリンが闇の魔力もちであるのと同様に、この少女は体内に膨大な光の魔力を宿しているという証拠だ。絵面的には対峙する光と闇――いかにも物語の中で好んで描かれる『正反対の存在』の構図である。そして、そうした場面で悪役として描かれるのは闇の方――
白い髪の少女はくねっと腰から擦りつくような勢いでハリエットに抱き着いた。
「怖いですぅ、殺されちゃうぅ」
ハリエットは少女の腰に片手を回して抱き寄せると、優しく微笑んだ。
「安心するがいい、君にこれ以上の危害が及ばぬよう、策は尽くしてある」
「えええ~、ほんとに~、わあ、さすがハリー♡」
愛称で呼ばれたハリエットは、少し照れたみたいに笑って、彼女の額にキスを落とした。
「ああ、カエデ、愛しい、私の『真実の愛』」
モースリンは、その『真実の愛』とやらに見覚えはなかったが、これは予知夢なのだから近い将来に出会う相手なのだろうと納得した。長年側にいた愛しい婚約者が他の女と目の前でいちゃつく様子を見せつけられるのは確かにつらいが、彼にそれほど思いあう相手ができるのならば自分は大人しく身を引こう、とも思った。
(修道院にでも入ればいいわ)
愛する男がどうか幸せでありますようにと一生を祈りに捧げる、そういう生き方も悪くない。
そんなモースリンの想いを、ハリエットの冷たい声が切り裂いた。
「モースリン嬢、貴様はカエデの胎に私の子がいることを知っていながら、彼女を弑しようと刺客を放ったな、これはいずれ王族となる私の子に殺意をむけたと同意であり、国家反逆罪である」
「は? なに?」
夢の中だというのに、モースリンは思わず素のままで聞き返してしまった。そのぐらいの衝撃だった。
「待って、何ておっしゃいました?」
「だから、彼女を弑しようと……」
「そちらではなく、ええと……そちらのお嬢さんのお腹に……」
「ああ、私の子がいる」
「嘘でしょう……」
ここまでの流れですでに、モースリンは自分の死の理由を知った。国家反逆罪で、しかも王族の子を殺そうとしたということは殺人未遂罪である。裁判も民事ではなく刑事になるのだから、死刑を言い渡される可能性は十分にある。
だが、自分の死の理由を知ったことよりも、むしろハリエットが『子作りの方法』を知っていたことの方が、モースリンにはショックであった。
「だって、あなた、私とは手をつなぐのもやっとやっとな純情王子だったじゃないの!」
しかし夢の中のこと、ハリエットはもう何も答えない。
「今まで私に優しくしてくれたのは、全部、愛じゃなかったってことなの、ねえ!」
けだるい覚醒の感覚に、今まで鮮明だった夢がぼやけてゆく――
という予知夢を見たのが一週間前の事。
この夢の内容を聞いたカルティエ家は、さっそく婚約の解消を王家に申し出た。つまり婚約破棄されるよりも先に『婚約者』じゃなくなれば運命は変わるよね、という作戦である。
ところがこれに対し、王家(主にハリエット)が首を立てには振らない。それはそうだろう、予知夢のことを伏せたまま、とりあえず婚約解消してくれと言われたって、主にハリエットが納得するわけがない。
王家との話し合いが平行線をたどるなか、モースリンは二度目の予知夢を見た。