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幸せすぎる後日譚

 さて、これは全ての脅威が去った後の幸せな日々の話――。

 ハリエットは廃嫡扱いとなった。幸いにも王位を継承させても問題ない優秀な親戚が何人かいたおかげで国が荒れることもなく。

 ハリエット自身の身柄は、まさか王家の血筋を市井に放つわけには行かないと言う理由から適当な爵位を与えられ、婿入り修行と称してカルティエ家の預かりにされた。

 普通の王子が同じ処遇であれば身分を失ったイジイジとか、継承権を奪還するためのどろどろとかあってもおかしくはないのだが、ハリエットにとってはむしろこの措置はご褒美だったようで……彼は今、モースリンの婿としてふさわしい男になるために、まだ年端も行かぬ訓練生に混じって隠密修行に精を出している。

 今日もハリエットは、自分の腰くらいの背丈しかない幼い子供に混じって、訓練場で木剣の素振りに励んでいた。

 子供というのは容赦がない。ここでのハリエットのあだ名は『元王子』だ。

「ダメだよ、元王子、もっと腰を落として」

「剣先がブレているよ、元王子」

 周りの子供たちがやんややんやと囃し立てるが、それは決して意地悪ではない。むしろほのぼのしたじゃれあいの雰囲気がある。そのぐらいにハリエットは子供たちに懐かれていた。

 実はこれはすごいことである。なにしろここにいるのは隠密として育てるために連れてこられた素性の知れない子供ばかりで、中には人買いのところから救い出されて保護された心に傷を負った子供だっている。ハリエットはそういった子供たちにも惜しむことなく笑顔を向けてその心を癒してしまう。まあ、天然だと言えばそれまでだが、そうした人心掌握術がカルティエ家では高く評価されているので、妻の実家との関係も良好だ。

 そろそろ昼食どき、遠くからハリエットを呼ぶ声がした。

「殿下ー! そろそろ休憩にしませんかー!」

 モースリンだ。彼女は大きなバスケットを抱えてハリエットに駆け寄る。

 と、ハリエットの周りにいる子供たちの雰囲気が変わった。木剣を投げ捨て、各々懐に隠していた暗器を構える。その目は殺気でギラギラしている。

 モースリンは子供たちの手前で足を止めた。

「ふふふ、いい面構えじゃあないの、かかってらっしゃい」

 これは子供たちに対する指導の一環だ。もはや王家に嫁ぐ必要も無くなったモースリンは、ここで己の隠密術を継ぐ後進を育てるために師範代となった。二十四時間いつでも襲撃してよし、ただし返り討ちにしますわよという、超スパルタ方式である。

 ジリッと包囲の輪を詰める子供たちに向かって、モースリンは殊更優しげに微笑んだ。

「なるほど、数で押す作戦ね、悪くないわ。でも、それはきちんと連携が取れていてこそ……」

 モースリンはバスケットを空高く放り投げる。

 その後、彼女はただ両腕を静かに一振りしただけだ。少なくとも子供たちには、ゆっくりとした腕の動きしか見えなかった。

 もちろん、それだけであるはずがない。子供たちは、自分がいつの間にか暗器を手の中から叩き落とされていることに気づいた。空になった手元をにぎにぎして悔しがる。

「くっそ! いい作戦だと思ったのに!」

 モースリンの方は空から落ちてきたバスケットを軽やかに受け止めて、何の裏もない優しげな笑い顔を見せた。

「さ、ごはんにしましょ、手を洗ってらっしゃい」

「はい、師範代、ご指導ありがとうございました!」

 揃って頭を下げる、そのしつけの良さはハリエットの指導の賜物だ。

 モースリンは訓練場の脇にあるベンチにハリエットと並んで座り、バスケットから取り出したサンドイッチの包みを手渡した。

「はい、殿下」

「モースリン、俺はもう『殿下』じゃないって教えただろ」

「あ、そうだったわね、え、えっと……は、ハリー」

「うっわ、未だに恥じらいながらそれ言うの、やばい、かなりクルもんがあるな」

 恥じらいに頬染めながら寄り添い合う二人を、子供達が囃し立てる。

「あ、イチャイチャしてるぜ!」

「イチャイチャだ、イチャイチャ!」

 モースリンが真っ赤になってバスケットを子供達に突きつける。

「も、もう! いいから、お昼ご飯を食べてきなさい!」

「はーい、師範代〜」

 子供たちがはしゃぎながらかけてゆくのを眺めて、ハリエットがポツリとつぶやいた。

「平和だな」

 そう言いながらそっとモースリンの手を握る。

「ええ、平和ね」

 モースリンもそっとその手を握り返す。

 空は青く、どこかでヒバリの鳴く声が聞こえた。

「そういえばね、シープスキンから手紙が来たのよ」

 ヒバリの鳴き声をバックに話す彼女の声はのどかで、それが良い知らせであることを言外に伝えていた。

「そうか」

 ハリエットはふっと笑いを浮かべて続きを待つ。

 実はあの時逆召喚陣でカエデと一緒に飛ばされたシープスキンは、どうやらあちらの世界が気に入ったらしく、「ちょっと変わったところに留学したってことにしておけばいいじゃん」という理屈であちらにとどまっている。その気になればいつでもこちらに帰ってくることはできるはずなのだが、どうやら彼自身も兄弟との権力争いに倦んでいたらしく、一向に帰ってくる気配がない。が、便りは定期的に届く。

「あっちの世界は、とても平和なんですって」

「それは何よりだ」

「それにね、養豚のお仕事を始めたらしくって、それが忙しいって」

「ん?」

「新しい豚さんたちはまだまだ調教が必要で、目が離せないって書いてあったわ」

「ちょ……う……きょ……?」

「あ、そういえばお店を出すことになったって書いてあったわ、何でも、豚さんを見ながらお酒を飲める酒場を作るんですって」

「ンンンンンンン?」

 きっと今、モースリンは牧場で豚を眺めながらビアジョッキを掲げる素朴な農夫風の男を思い浮かべているだろうけど……流石に男であるハリエットは「多分違うぞ」と心の中でツッコミを入れるにとどめておいた。

「まあ、あちらも平和そうで何よりだ」

「そうね、平和すぎて怖いぐらい」

 モースリンがハリエットの腕に身を寄せる。ハリエットは彼女の肩をそっと抱き寄せて囁いた。

「あれから、予知夢は見た?」

 モースリンが静かに首を横に振る。穏やかに、幸せそうな微笑みを浮かべて。

「そっか」

 ここ先は、きっとこのまま、特に何も起きない平和な日々が積み重なってゆくのだろう。それは何よりも幸せなことじゃあないか――ハリエットは穏やかな気持ちでモースリンの肩を抱いたまま、ヒバリの声を聞いていた。


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