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救いの雌豚 8

 途端に思い出の光景はかき消え、モースリンの目の前には幼い姿のハリエットだけが取り残された。

「ここは……」

 いきなり夢の中から引き摺り出されたハリエットは、戸惑いの眼差しでモースリンを見上げる。

「これも妄想?」

 モースリンはハリエットを見下ろしてにっこりと笑った。

「妄想じゃありませんわよ、『ハニー』」

 目の前に立っているのが妄想ではないことに気付いたハリエットは、大きく目を見開いてあからさまに狼狽えはじめた。

「わ、うううわ、も、もしかして、見た?」

「何を? ああ、この辺に浮かんでいる妄想をですか?」

「なんか、本当にこう、申し訳ないです……」

「やだわ、見た目は可愛らしい子供なのに、裸エプロンだの、監禁拘束だの、赤ちゃんプレイだの……ああ、スライム姦なんていうのもありましたわね」

「ごめんなさい、ほんと、ごめんなさい、お願いだから、俺の性癖を口に出して言わないで、そっと心にしまっておいて」

「いいですよ、誰かに言いふらすようなことでもないし、心の中にしまっておきますね。その代わり、一つだけ私のお願いを聞いてください」

 モースリンはハリエットに向かって片手を差し出した。

「ここから出てください」

「出る?」

 ハリエットの顔に強い戸惑いが浮かぶ。

「いや、出られないんじゃないかな、だってこれ、呪いだよね、だから俺がどう思おうと出られるもんじゃないでしょ」

「ああ、呪いに関してはご心配なく。『聖女』を連れてきてありますので、呪いが殿下の体から引き剥がされた瞬間に彼女の光魔法でジュッと焼いてしまう予定です」

「焼くのか」

「ただし、殿下がここにいては、呪いと一緒に焼かれてしまうんです、ジュッと」

「ジュッと……」

「だから殿下、ここから出ましょう」

「だから、どうやって」

「私の言うとおりにしてください」

「嫌だ」

 モースリンが差し出した手をパシリと打ち払って、ハリエットが拒絶の意を告げた。

「君こそ、ここから出ろ、モースリン」

 妄想がアレだったり、モースリンがからむと言動がアレだったりするせいで誤解されがちだが、ハリエットは実は頭の切れる男である。

「君はさっきから一度も『一緒に』ここを出ようとは言わない。僕だけをここから逃して、自分は残るつもりだろう」

 モースリンは首肯の代わりに曖昧に微笑む。頭のいいこの男は、それだけで大概のことを理解した様子であった。

「そもそも、婚約を白紙に戻そうとしたあたりから、おかしいと思っていたんだよ、ねえ、一体何を隠しているの?」

 モースリンは自分の手首を見せようかと一瞬だけみじろぎしたが、すぐに動きを止めた。代わりに、曖昧な笑みを消して真顔になる。

「あれはあなたのことが好きじゃなくなったから、って話では納得してくれないのよね」

「当たり前だよ、もしそうだとしたら、こんなところまで俺を迎えにきた行動と矛盾する」

「そっか、じゃあ、あなたのことが好きだからって言ったら?」

「そっちの方が納得できる」

「納得はしてくれるんだ」

「あ、違うからな、納得するのは君がこんなところまできた理由の方であって、ここに残ろうとしていることについてはちっとも納得していないからな!」

「私があなたのことを好きだっていうのは? 納得してくれるの?」

「そっ、それは!」

 ハリエットが頬を真っ赤に染めてぷいと横を向く。

「婚約者なんだから、嫌われてはいないだろうとは思っていたけどっ!」

「嫌ってなんかいないわ、ずっと、小さい頃から、ずっと好きだった」

「それは俺もなんですけどっ!」

「でも多分、あなたの好きと、私の好きはちょっと違うと思うのよ」

 ハリエットが不機嫌そうに片眉を跳ね上げる。今は子供の姿だから、そんな姿も可愛らしくあるが。

「それは、もしかして『男の人のいう好きってヤリたいって意味でしょ』みたいなことを言ってる? だとしたら心外だな、俺はもっと純粋な思いで君のことを愛しているのに」

「かっこいい言葉ね、裸エプロンとか夢想していた人の言葉じゃなかったらもっとよかったんだけど」

「う、いや、そりゃあ、したくないわけじゃないです」

「でもね、そういうのとも違うのよ、なんていうのかな、あなたはね、私の人生そのものなの」

「ずいぶん哲学的だな」

「そうでもないわ、例えばね、あなたがいない人生を歩んだ夢を見る、それだけでもう、自分の人生なんていらなくなってしまうくらいに、あなたのことが好きなの」

「やっぱり哲学的じゃないか」

「そうね、そうかも」

 モースリンは自分よりもはるかに背の低いハリエットの前に跪き、彼の両頬を挟み込むように手を伸ばした。

「とりあえず、私が好きなのよね?」

「ま、まあ、そうだが」

「ね、キスしてもいい?」

 ハリエットは少し逡巡した後で、ぎゅっと目を閉じて唇を突き出す。その顔は真っ赤に染まりきっていて、見た目の幼さも相まって愛くるしい。

 モースリンは小さな桜色の唇に唇を寄せて、そっと囁いた。

「ねえ、ハリエット、幸せになってね、誰よりも、幸せに」

 ロマンチックだったのはそこまで、モースリンはハリエットの小さな唇に吸い付くと、ぢゅるるるるるると音立てて彼の体内に溜まった闇の魔力を吸い上げた。

 むーむーとうめきながら身を捩ったハリエットは、ほんの一瞬唇が離れたすきに叫ぶ。

「ちょっと待て、キスってこんな激しいもんだっけ? なんか違わない?」

 モースリンは彼の後頭部を捉えて、その叫びごと容赦なく再び唇を吸う。

「んっ、む!」

 胸元を押すハリエットの腕を捉えて、さらにぢゅるるるるる!

 流石のハリエットも、これが普通のキスではないことに気がついたらしい。

「闇の魔力を吸い取っている……だと! そんなことが可能なのか!」

 もがき暴れて、時々息継ぎのようにモースリンの唇から逃れるけれど、小さな子供の姿ではどうしたって不利だ。その度に捕まっては引き戻され、ぢゅるるるるされる。

「やめろ、モースリン、これだけの魔力を吸い取ったら、君だって無事ではいられないぞ!」

「もとより覚悟の上!」

「覚悟の上! じゃあないんだよ! ほんと、やめろって!」

 ついにハリエットが反撃に転じた。逃げ回るのをやめてモースリンの首に手を回し、合わせた唇からぢゅるるるると魔力を吸い返したのだ。

 今度はモースリンの方が驚いてのけぞる。

「ん、いやぁ!」

「嫌じゃねえんだよ、口開けろよ」

「あ、だめ、闇の魔力が!」

 ぢゅるるるるぢゅるるるるじゅうじゅうと唇の間で闇の魔力を奪い合う。なんだろう、口と口はくっついてるし、お互いの首に腕を絡めて、めちゃくちゃディープなキスシーンなのに、ちっとも色っぽくない。二人して血走った目で見つめ合い、相手より少しでも多く闇の魔力を飲み込もうとフンスフンスと鼻息を鳴らしているからだろうか。

 それでもこの勝負、元から闇の魔力持ちであるモースリンにかなり分があった。闇の魔力はモースリンの魔力に引き寄せられてどんどん吸い上げられてゆく。

 二人を取り巻く霧が薄れて、石造りの壁がぼんやりと見え始めている。

「あと少し……」

 ハリエットの本体が見えるくらいまで霧を吸い込めば、あとはシープスキンが何とかしてくれるはずだ。

 モースリンはとびきり強くハリエットに唇を押し付けて、ぢゅるるるると大きな音を立てた。自分の限界魔力を超えた感覚があったが、後悔はなかった。

「モースリン、モースリンっ!」

 ハリエットが何度も自分を呼ぶ声を聞きながら、モースリンは意識を手放した。


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