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婚約破棄への道④

 翌朝、ハリエットはミラルク学園の校門前でモースリンを待ち構えていた。

 ミラルク学園は『学問の前に貴賎なし』を教育理念として掲げており、身分に関係なく優秀なものに門戸を開いた、いわゆる名門校である。いろんな身分の者が通うからこそ制服の着用が義務付けられており、もちろんハリエットも、学園の制服である紺色のスーツをピシッと着込んでいた。

 どこにでもありがちな学生用のシンプルなスーツも、端正な顔立ちのハリエットが着ればかっちりとフォーマルな雰囲気が漂う。しかもハリエット、今日は気合を入れて髪をかっちりと撫でつけてあるのだから、まるで紳士の正装のようないでたちである。

 その手には両手でやっと抱えられるくらいの大きなバラの花束――登校してきた生徒たちは、そんなハリエット王子の横を通りながら心の内で思った。

(あれ、たぶん百本あるよね)

(ああ、『百パーセントの愛情を捧げます』の百本だよね)

(プロポーズの定番だよね)

 この学園の生徒たちは、こうしたハリエットの『奇行』に慣れている。

 何しろこの王子、普段は王族として十分な優雅な身のこなしと為政者として信頼に足る優秀さを持つ好青年であるのに、ことモースリンのことになると全力が過ぎる。

 今までもギター片手に愛の歌をうるさいくらいの声量で何度も歌ったり、愛しい日々を魔録石に記録しようと115万個の記録魔石を用意して自主映画を撮ったり、そういった『奇行』がほぼ日常茶飯事。

 それでも国の顔であるロイヤルカップルが仲睦まじいのは平和である証拠、ゆえに生徒たちは皆、この王子の恋を生暖かく見守っているのである。

(にしても、あの色は……)

(ちょっと重いでしょ)

 ハリエットが抱えている花束は黒いバラだ。たぶんハリエットは「モースリンの髪が黒いから~」くらいの気楽さで選んだんだと思うが、そう思いたいが……黒いバラの花言葉は『あなたはあくまでも私のモノ』である。それが百本とは、ちょっとメンヘラじみている。

(いや、あの悋気の強い王子なら、知ってて選んだ可能性も……)

(いや、無意識でチョイスしたとしても、ちょっと天然すぎて怖いわ)

 周囲が心の内でざわめく中、当のハリエットは肩が張るほどに緊張しきっていた。何しろこの花束には、昨日渡せなかった指輪が仕込んであるのだ。

 ぶつぶつとつぶやき声で練習しているのは、昨日言えなかったプロポーズの言葉だ。

「ぼ、ぼきゅ……僕は君しゃ、さ……さえいれば……」

 無惨な噛みっぷりに、今日も王子の背後についている護衛の兵たちは心の中で声援を送る。

(落ち着け、落ち着くんだ)

(ゆっくりで良いから……あ、また噛んだ)

 まあいうてハリエットとモースリンは王国公認の『目のやり場に困るロイヤルカップル(ただし両片思い)』である。モースリンがハリエットからの求愛を断ることなどないだろうと、この時は、誰もがそう思っていた。居並ぶ護衛の兵たちも、ヘタレ王子の一世一代の大告白を見届けようと集まってきた野次馬生徒たちも。

 ハリエット自身でさえ、「婚約してるんだしなあ、フラれることはないでしょ」と思っていた節がある。

 やがて、カルティエ家の馬車が校門の前に止まった。たとえ王族であろうと庶民であろうと平等に扱われる学校内には、侯爵家の馬車であろうとも立ち入ることはできない。ここからは、たとえ王侯貴族であろうとも徒歩だ。

 黒い髪をなびかせて、モースリンが馬車から降りた。その姿を一目見ただけで、ハリエットは思った。

「なにががおかしい……」

 陽気さす暖かい日だというのに、彼女はなぜか冬用の制服をキッチリと着こんでいる。それでもなお寒さを感じるのか、モースリンは腕をさすった。

 ハリエットが声をあげる。

「モースリン!」

 ふっと顔をあげた彼女の瞳の奥にあったのは、怯えの色--何が怖いというのだろうか。ハリエットが抱えたメンヘラ丸出しの花束か?

 しかし、ハリエットのこうした奇行は日常茶飯事だし、何より、モースリンの視線はバラの花束など一つも見ていない。

「殿下……」

 何事か言葉をためらいながらハリエットを見つめて立ち尽くしている。その唇は渇ききって、顔色は青ざめていた。

 ハリエットが心配そうに歩み寄る。

「どうした? 具合でも悪いのか?」

 心底心配そうに眉根を寄せたハリエットの声音は優しかったが、それでもモースリンは何におびえたのか後ろに引いて彼から離れた。

「ちっ! 近寄らないでっ!」

 愛しの婚約者から強い拒否の言葉は刃のようにハリエットの心を切り刻む。とてつもない精神的ダメージを受けて、彼はその場に崩れ落ちた。ズシャッと地に膝を落とし、両手をついて四つん這いになる。

「な……なぜだ」

 黒バラの花束は虚しく土の上に投げ出された。

「モースリン……」

 ハリエットが弱々しく片手を伸べるも、モースリンは台所を這いまわる黒い害虫を見たときのような恐怖に塗れた表情で後ろに飛び退く。

 さらに深く精神的をえぐられて、ハリエットは「ううっ」と呻いた。

「なぜだモースリン! もしも僕が君を怒らせるようなことをしたのなら言ってくれ! どんなことだって謝るから!」

 二人の恋の成り行きを遠巻きに眺めていた野次馬たちも、この異変に(もちろん心の中で)ざわめいた。

 確かに『あなたは私のモノ』の花言葉を持つ黒薔薇を、しかも百本の花束にして待ち構えているハリエットのメンヘラっぷりは恐ろしいが、王子と幼いころから婚約を結んでいるモースリンは誰よりもそうした奇行に慣れている。いつもならば少しだけはにかんで、王子の腕からバカでかいバラの花束を受け取るだろうに、今日に限ってはGを見るような目でハリエットを見下したまま震えているのだから、これは非常事態だ。

(お、おい、まさか! 王子がフラれたぞ!)

(何をやらかしたんだ、あの王子、まさか浮気か!)

(いや、あの王子に限って、それはないだろうよ)

 心のざわめきを割るように、モースリンがしっかりした声をあげた。

「おそれながらハリエット=ベンベルク王太子殿下に申し上げます、当カルティエ家は私たちの婚約を白紙に戻すための婚約解消を希望いたします」

 この瞬間、ハリエットの失恋が確定した。彼は喉が裂けるほどの大声で叫んだ。

「なぜだ、なぜだああああああ! モースリンっ!」


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