救いの雌豚 3
秘密裏に行動するならば少人数で動く方が有利だ。
ここでシープスキンとそのシモベを仲間に加えれば、侵入の手間も増えるし、敵に見つかるリスクも上がる。どうしたって慎重にならざるを得ない。
「手伝うって、何をしてくれるの?」
モースリンはリスクに対する見返りを求めたが、シープスキンは怒りもせずにこやかに答えた。
「なんでもしてあげるって言いたいところだけど、そういうロマンチックな答えを求めているわけじゃないよね。そうだなあ、僕はハリエットが今現在どんな状態で、あの城のどこにいるのかを知っているって言ったら?」
「つまり、道案内ね」
「それにこの雌豚、使いようによってはあの黒い霧を完全に浄化できるかもって言われてるんだよね」
「『かも』ってことは、確実じゃないってことよね」
「その通りだよ、だから僕を連れて行っても、後は運次第みたいなところはあるし、『絶対に』役に立つとは言えないんだよね」
「それでも可能性はゼロじゃない……」
モースリンは強く眉間を揉んだ。
正直、この前見た予知夢はあまりに真っ黒くて、何もわからないものだった。ただただ暗くて何も見えない中を、ひたすら手探りで歩いてゆく夢――闇の奥底にハリエットの気配を感じるのに、自分が右を向いているのか左を向いているのかはたまた目を閉じてしまっているのかさえわからない深い深い、黒一色の夢だった。
太白を見遣れば、その夢を彷彿とさせる真っ黒い霧。
「そうね、灯りの役に立ってくれるだけでも全然違うわよね、わかった、連れていくわ」
これにコットンが異を唱えようとする。
「私は反対!」
「だったらあなたがここに残りなさい」
「ぐうっ」
しかし、コットンはそのくらいで黙り込むようなおとなしい女ではない。
「侵入経路はどうするのよ、私たち二人だけなら飛ぶでも泳ぐでもできるけれど、この二人を連れてとなると、ちょっと……」
「コットン、言い間違えちゃダメよ、一人と一匹よ」
「いや、こだわるとこそこじゃないと思うけど……」
「そもそも、忍び込もうと思うから難しいんじゃないかしら」
「えっ、まさか……」
「正面突破よ、正門を開かせるわ」
「待って、ほんと待って、こっそりひっそり目立たないようにするって約束じゃ……」
コットンの叫びも虚しく、モースリンは片手を大きく差し伸べて手の先に魔力を集めた。
「だあああああああああく、あろおおおおおおお!」
ゴッと鈍い音を立てて放たれた黒い魔力の弾は深い堀を軽々と超えて、黒い霧の中へと飛び込んだ。その後、ゴキンと金属の折れる音や、ゴッ、ガッと何かが砕けた音や、ジャララララッと太い鎖が擦れる音や、その他諸々いくつかの複雑な音がした後に闇色の霧を割るようにして大きな跳ね橋が降りてきた。
「ああ、やっちゃった、やっちゃったわ!」
コットンは頭を抱えているが、シープスキンは余裕の表情だ。
「隠密であるカルティエ家がことを大きくしたくないっていうのはわかるんだけどね、心配ないんじゃないかな」
「どういうことです?」
「おかしいと思わない?」
確かにおかしい。正門が攻撃されたのだからすぐにでも平氏が飛び出してくるかと思いきや、猫の子一匹出てくる気配はない。それどころか闇の向こうは全くの静寂があるだけで、およそ人の気配というものが全くないのだ。
「確かにおかしいですね、正門が強制的に開かれたのだから、普通ならば詰所にいる警備兵も急いで駆けつけてくるはず……」
それに、モースリンは黒い霧に満たされた城内に向かって先頭姿勢を崩さずにいる。
「コットン、構えて、くるわよ」
その声を待ち構えていたかのように、真っ黒い霧がゴウっと渦巻いて巨大な狼の姿に変容した。その狼は一直線にモースリンに飛びかかる。
牙と短剣のぶつかりあう高質な音が辺りに響いた。
「くっ!」
からくも牙の軌道をそらすことはできたが、短剣はモースリンの掌中から弾かれて大きく飛んだ。
「しまった!」
二本目の短剣を取り出そうと腰に手を伸ばすモースリンよりも早く、シープスキンが声を上げる。
「行け、雌豚!」
「ブヒイ!」
目隠しをかなぐり捨てたカエデは、躊躇うことなくオオカミの眼前に躍り出て平手を大きく振り上げた。いわゆるビンタの構えである。ただし普通のビンタではなく、光の魔力をたっぷりと込めた聖女のビンタだ。
「ブヒブヒィ!」
たった一撃で狼の体はサラリと解けて霧に戻り、そして霧散した。
「やるじゃないか、雌豚!」
「ふっふ〜ん、これでも聖女ですからね」
「人語で話していいとは言っていないぞ」
「ブヒィ!」
もはや雌豚根性がすっかり身に染みてはいるが、それでも一応は聖女というべきか。
「次、きます、右から三体!」
「ブヒイ!」
鋭く下から煽り上げるような聖女のビンタ。それ一振りで三体の狼があっという間に霧散する。
「右から二体!」
ビンタばかりでは芸がないと思ったのだろうか、カエデが拳を握る。その拳は二匹の狼の眉間に寸分の狂いなく食らい付き、その身を砕いた。
「聖女最強!」
モースリンとコットンが歓声を上げる。
正門から闇が大きく吐き出されて、見上げるほど大きなオオカミに姿を変えたけれど、カエデは慌てるそぶりすら見せなかった。
「雌豚バリア!」
カエデの足元から半径三メートル程度の円柱状に光が噴き上がる。天貫くように噴き上がる光の柱。
飛びかかろうとしていた狼は、その光に鼻先が触れた瞬間、焼き尽くされたかのように消えた。雌豚バリアなるそれは消えずに、光を放ち続けている。
「やだ、すごく便利。松明がわり程度かと思ってたのに、これ、嬉しい誤算」
はしゃぐモースリンに対して、シープスキンはあくまでも冷静だった。
「便利なんだけど、弱点があってね、ほら、あんなに光ると目立つだろ」
「目立ったって、問題ないんじゃない、霧から生まれた狼はあれに触れないんでしょ」
「うん、まあ、霧に対しては無敵だよね、だけど……」
シープスキンが声を顰める。
「来た、ほら、聞こえる?」




