モースリン、ちょっとだけ壊れる 3
「お父様、私行くからっ!」
「待て、行ってどうするつもりだ!」
「そんなの……そんなの、行ってから考える!」
あまりに淑女らしからぬ行き当たりばったりっぷり!
モースリンは引き裂くようにドレスを脱ぎ捨てた。ドレスの下はぴっちりとボディラインに沿って張り付くような隠密服だった。
「止めても無駄なんだから!」
悲鳴のような叫びとともに跳ぶ。その先は豪奢な色ガラスをはめ込んだ大きな窓だ。
ガラスの割れる派手な音と、そして花火のように煌めきながら散るガラス片、黒い隠密服に身を包んだ彼女の姿は、窓の外の暗闇の中に溶け込んで消えた。
モースリンがああなってしまっては、それを追える手練れなど限られている。
「コットン、モースリンを追うんだ!」
「御意っ!」
メイド服をばさっと脱ぎ捨てたコットンも、漆黒の隠密服姿であった。割れ破れた窓から闇の中に飛び込む。しかし、モースリンの忠実な護衛であるコットンは、彼女を連れ戻すつもりなんかこれっぽっちもなかった。
闇に沈んだ森の中を走り、ようやくモースリンの背中を見つけたコットンは大声をあげた。
「止まってください、お嬢様!」
止まれと言われて止まるやつぁいない。モースリンは軽く振り向いてコットンの姿を認めると、懐に手を入れた。
「むっ!」
コットンが大きく跳躍する。果たして、モースリンが投げた煙玉が地面で爆ぜて、大きな煙の塊がコットンの足元に迫った。しかしコットンほどの手練れが煙玉如きで足止めされるはずがない、彼女は煙の上を軽々と飛び越えてモースリンに迫る。
「止まってくださいってば!」
モースリンは腰から短剣を抜き、身を翻してコットンに向き合った。完全に殺る気だ。
「私を止めようとしても無駄だから! 私、絶対にお城に行くから!」
身のこなしは一流の暗殺者をも凌ぐ手練れのそれだというのに、言っていることは、まるっきり幼い子供の駄々だ。コットンの中で『お姉ちゃんゴコロ』がむくむくと湧いた。
「いい加減にしなさい!」
頬を打つ乾いた音が響く。
「痛い……」
打たれた方のモースリンは頬を押さえて茫然自失。
コットンはそんなモースリンの両肩を掴んで諤々と揺すった。
「ちょっと落ち着きなさいよ、自分が何をしようとしているか、わかってるの?」
モースリンがちょっと唇を尖らせる。
「わかってるもん……お城に忍び込もうとしてるだけだもん」
「だから、あたしら隠密稼業はそういうことするとマジで信用問題に関わりますからね! カルティエ家を潰すつもりですか!」
「そんな大事にしないもん、ハリエット様が無事なの確かめるだけだもん」
「それなんですけどね……」
コットンが大きなため息をつく。
「言葉を濁しても仕方ないのではっきり言いますね、もしも王子殿下が既に身罷ってらっしゃったらどうするんです?」
「そんなこと……あり得ない……」
「あり得なくはないでしょう、王位継承権を持つ王子の動向がここまで秘匿されているってことはですよ、王位継承権の継続が難しい状態にあるってことですよね、つまり、死んでいる可能性だってある、と」
「う……」
「そう思ったから、どうしても無事を確かめたくなったんでしょう?」
「そうだけど、でも、だって、それでもさ……」
「で、ここからが本題、私、お城に行くことを止めに来たわけじゃないのよ」
「えっ、でも、お父様の命令じゃ?」
「あ〜、あ〜、旦那様は『追いかけろ』って言っただけで、別に止めろとも連れ戻せとも言わなかったし? だから、私はお城まであなたを追いかける義務はあるけど、それ以上のことは責任外なのよ」
「じゃあ、追いかける必要ないじゃない」
「そうはいかない、あなたが無茶しそうになったら止める、あなたの護衛なんだから、それが私の仕事なの」
実際、無茶をしかねないとコットンは思っている。
もしもハリエットが死んでいたら、それはそれで一件落着、モースリンは泣くだろうが、それ以上のことは起こらないはず。問題なのは王子が今現在進行形でピンチにある場合――例えば王位を狙われて命を脅かされているとか、モースリンが運命を変えたせいで命の危機にあるとか――そういう半死にの状態にあれば、モースリンはこれを救うために自分の命さえ投げ出しかねない。
「そうなったら、なんとしてでも止める、そのために私はついていくんだから」
主であるモースリンも大概頑固だが、それに使えるコットンも相当な頑固者である。だから、それを知っているモースリンは小さく肩をすくめて、それ以上の拒絶はしなかった。
「じゃあ、ついてくればいいわ、でも、私の邪魔はさせないからね」
「ご心配なく、勝手に邪魔させていただきますので」
「そ、まあ、できるもんならどうぞ」
モースリンは闇の中に向かって走り出す。コットンもその後を追った。
黒い隠密服を着た二人の姿は、漆黒の闇夜に紛れて、あっという間に見えなくなった。
次の更新、一章まとめて書き上げてからにしますね




