モースリン、ちょっとだけ壊れる 1
しかしこの噂を、モースリンは信じなかった。
「だって、ハリエット様は風邪ひとつひいたことがない人なのよ、おかしくない?」
他の誰も彼もが王子は『少しタチの悪い病気』にかかって療養中だと信じても、モースリンだけはあくまでも頑なにその噂を信じようとはしなかった。
つまりは隠密護衛たちはカルティエ家の執拗な追求にも口を割らなかったということで――そこは褒められて然るべきだろう。
ともかくそういうことで、モースリンは何一つとしてハリエットの動向を掴めずにいた。
「もしかして、本当にご病気……? どうしよう、お見舞いに行ったほうがいいのかしら」
大きなため息をつくモースリンに、コットンはいささか同情気味である。
「お気持ちはわかります、でも……」
「や、やだなあ、本当にお見舞いに行くわけじゃないわよ、婚約者じゃなくなったんだから、行く義理すらないもの!」
明るい声を出した後で、その表情にふっと翳りがさす。
「わかってる、もう、婚約者じゃないもんね……」
それを見たコットンは、袖口でこっそりと涙を拭った。
(お可哀想なお嬢様……本当は今だって、ハリエット様のことを想っていらっしゃるのに)
運命は残酷だ、まだ失恋の傷も癒えぬ乙女にさらなる艱難辛苦を与えるか。
「ああっ、愛する人の無事を確かめたい、しかし会いに行けない、引き裂かれた二人の運命はっ!」
「ちょっとコットン、芝居じゃないんだから」
コットンのお道化も、モースリンの表情から陰りを消しさるには届かなかった。
確かに死の運命からは逃れたけれど、彼女の表情はいつまでも曇ったままで……‥…………………………
「って、やめやめ!」
モースリンが目の前にある悩みを叩き潰すかのようにパン!と手を打った。それは父と母、そして使用人たちが控える夕食の席でのことだった。
父であるカルディア卿が頬張っていたパンを大慌てでもぐもぐもぐゴックンして娘に問う。
「えーと、どうした、モースリン」
モースリンの方は手にしていたナイフとフォークを投げ出し、ダンっと音がするほどテーブルをたたいて立ち上がる。
「どうもこうもありません! 国内の情報の全てを手にするカルディア家にありながら、ハリエット様の容体ひとつわからないなんて!」
居並ぶ使用人たちと母は、一同誰一人残らず「ん、ついに限界に達したのね」と思っただけだった。だから特に騒ぐこともなく、冷静ですらあった。
慌てているのはカルティエ卿ただ一人である。
「座れ、まずは座るんだ、モースリン、食事中に騒ぐなんてはしたないぞ」
「はしたなくて結構ですわ。礼儀正しく大人しくしていても、いいことなんてひとつもありませんもの!」
モースリン、やや暴走気味である。
「こうなったら私、直接王宮に忍び込んでやりますわ、そしてハリエット様のご無事な姿を眺めたり、ハリエット様の寝顔を眺めたり、ハリエット様のお着替えを眺めたりぐへへしてやるのですわ!」
それは、なんとも堂々としたストーカー宣言であった。