婚約破棄への道③
意を決して、ハリエットがポケットから指輪を取り出そうとしたその時、モースリンがふっとハリエットを見上げた。
「どうなさいました? 今日はなんだか、ずっと怒っていらっしゃるみたい」
美しいまなじりを不安そうに下げて上目遣いで見上げられては、ハリエットの方がときめきが限界値を越えてしまう。
(くっ、これのどこがクールビューティだ!)
甘味を食べ終えて緊張が緩んだのだろうか、まるで構って欲しがりの子猫が飼い主のご機嫌を伺おうと見上げる時に似た甘え顔--彼女は気を許した相手には時に油断しきった表情を見せる。そのあまりの可愛さに、ハリエットの意識が飛ぶ……
「ねえ、何か殿下のご気分を害するようなこと、私、してしまいました?」
そう言われてハリエットは、ハッと正気を取り戻した。
「ち、違うんだ、モースリン、実は……」
いつどうやってプロポーズしようかと緊張しっぱなしだったとは、ちょっと恥ずかしくて言えない。そこでハリエットはポケットから空手を抜いて、いくつか咳払いをした。
「え、あー、こほん。実は、なぜカルティエ家では17歳の誕生日だけを祝わないのか、気になってね」
モースリンはハリエットが不機嫌ではないことが嬉しかったのか、「ふふっ」と小さく笑った。
「そんなことを気になさいますのね」
「それは、だって……珍しい慣習じゃないか。普通ならば17歳の誕生日といえば、社交界への顔繋ぎも兼ねて、大々的な誕生パーティーが開かれるものだろう?」
「そうですわね。でも、カルティエ家の、それも女子にとっては17歳の誕生日は少し特別なのです、パーティーなんて開いていられないくらいに、ね」
「んん? どういうことだい?」
「詳しくお話ししたいのはやまやまなのですが、これはカルティエ家に与えられた女神の加護についてのお話なので、ここではちょっと……」
魔法があれば、当然その範疇に入らぬ不思議もある。この国ではそうした不可思議なものを『女神の加護』と呼ぶ風習がある。
それは富くじが当たったとか、ちょっと百オネスくらいの小銭を拾ったみたいな日常的な「ちょっとラッキー」を表すときにも使う言葉だが、実際の女神の加護はもっと超自然現象的なものである。
例えばとある辺境伯の血縁は『剣によって命を落とすことはない』という加護を受けている。針で付けば血も出るし、包丁ならばうっかり指を切ることもあるが、剣で切り付けたときだけは肌に傷一つつかず、血の一滴も出ない。それが女神の加護。
尤も加護持ちがみんな加護の内容を公開しているわけではない。モノによっては他人に利用されたり、あらぬ疑いを招くようなものもあるため、たいていは秘匿される。それゆえ他家の加護の内容を詳しく詮索するのははしたない行為だとされている。たとえていうならば今はいている下着の色を尋ねるのと同じぐらいにはしたない。
だからハリエット王子も、それ以上深く追求しようとは思わなかった。
「わかったよ、そういうことなら仕方ない。後日、誕生祝いの代わりに花を贈らせてくれないか、そのくらいは許されるだろう?」
「ええ、そのくらいなら……」
はにかみながら微笑むモースリンを見て、ハリエット王子は強く心に決めた。
(はー、可愛すぎる。対面で指輪を渡すなんて無理。花束に愛の言葉と指輪を添えて贈ろう)
それが果たせぬ夢となることも知らずに……