厄災なるヒロイン、その名はカエデ! ②
その日の夜、ハリエットは親友であるシープスキンを城に招いた。
仮にも王子の身分にある者が他国の王子を招くというのだから、本来なら国交上のあれやこれやでごたごたするものだが……今回に限って言うと、どこの国の貴族もどこの隠密も「ああ、あの王子失恋したもんね、親友に愚痴聞いてもらおうってことか」と納得した。何しろ今回の婚約破棄騒動はいやというほど衆目ある昼時の食堂で行われたのだから、ハリエットが失恋したことはすでに国内のみにとどまらず国外にまで知れている。だから、ハリエットは気兼ねなくベソベソ、ベソベソと思う存分にヘタレまくっていた。
「うっ、うっ、うっ、婚約破棄なんて……破婚確定ってことじゃんよ」
婚約解消ならば話し合いの余地もまだあろうが、婚約破棄となれば「ゴネるつもりなら出るとこ出ましょうか」と言われたも同然。
「いやだああああああ、わかれたくないいいいいいい」
身もだえるハリエットの体面に座ったシープスキンは、優雅な仕草で紅茶のカップから口を離した。
「でも、婚約破棄となればさ、それなりにきちんとした証拠を求められるじゃん? ギャンブルの借金とか不貞とか。なんかそういうの、あるワケ?」
「そんなもの、あるワケがない! 俺はモースリン一筋なんだから!」
と、力強く答えたすぐ後で、ハリエットはがっくりと肩を落とした。
「……って言えたらよかったんだけどなぁ」
シープスキンが静かにカップを置く。
「何か身に覚えが?」
「逆だ、『身に覚えのないこと』が多いんだ」
「ふうん、詳しく?」
「カエデ嬢だよ、例えばカエデ嬢があまりに馴れ馴れしいから叱っていたはずが、気が付いたら彼女を抱きしめていたりとかさ、ほんの数分間の記憶が飛んでいることがちょくちょくあって、だから正直、自分の行動に自信がないんだ」
「ふうん、あの女がおかしいってことに、うすうす気づいてはいるんだ?」
シープスキンはニヤリと笑った。それは少年のようなあどけない容姿に似合わぬ老獪な笑みであった。
「君はさ、ちょっと平和ボケしすぎなんだよ」
シープスキンが指をパチンと鳴らす、天井の羽目板が外されて一人の隠密がさっと下りてくる。細身でマッチョな肉体をぴっちりした黒装束に包んだ、ザ・隠密って感じの男だ。
「兄様が僕につけた隠密さ。他の隠密護衛と違って少し遠くから僕を監視しているから、あの女の術にかからなかったらしい」
可愛い顔をしていてもさすが王族、自分を監視するためにつけられていた隠密さえも利用するしたたかさたるや!
「他の護衛は僕らと同じく記憶の欠落が発生している様だからね、だからこいつを買収した。さ、こっちの王子さまにも、僕らが記憶を失くしている間に何が起こったのか、話してあげてよ」
マッチョな隠密はひそやかな装束に似合わぬ力強い声で話しはじめた。
「おそれながら! あのミズノ=カエデなる少女が接近いたしますと、シープスキン殿下のご様子がおかしくなられます!」
「どんな風に?」
「かの小娘を急に抱き寄せたり、甘い言葉を囁いたりでアリマス!」
シープスキンはハリエットを振り返って「ね」と言う。
「これでわかっただろ、カエデ嬢は君だけじゃなく、僕のことも狙っているわけだ」
ハリエットが戸惑いの声をあげる。
「待って、もしかして、俺も……」
マッチョな隠密が「おそれながら!」と声をあげた。
「カエデ嬢に操られて、キスをしておりました!」
「キ……」
ハリエットが手の甲で唇をごしごしとぬぐう。
「嘘だろ、冗談じゃない! 初めてのキスはモースリンとって決めてたのに!」
「おそれながら、ディープでアリマシタ!」
「ぐ、おええええっ!」
ハリエットは怒りに身を震わせた。
「ひどい! 俺の純情を弄びやがって!」
「おそれながら! めっちゃノリノリでディープキスしてオリマシタ!」
「ノリノリじゃないんだよ! 弄ばれてんだよ! もういい、これ以上聞きたくない!」
「了解、もう話さないでアリマス!」
「ああ、ああああっ、ホントマジ嘘だろ! 俺のファーストキッス!」
ハリエットは何度も何度も、ごしごしと強く唇をぬぐった。そんなことでカエデとキスしたことが帳消しになったりはしないけれど、そうせずにはいられなかった。




