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婚約破棄への道②

 例えばモースリンなど、見目麗しいのだから夜会に出ればやたらとモテる。もちろん王子と婚約していることは知れ渡っているのだから、略奪を目論んでのことではない。ただ少し冷たい感じのする美貌と、きゅっと細身なのに出るところがぼいーんと張り詰めたダイナマイトボディに一曲を踊る間だけでも触れてみたいと思うのか、ダンスを申し込む手合いが後を絶たないのだ。ありていに言えば「オッパイや腰のあたりをちょっとスリスリしてもダンスだってことでばれないだろ」というセクハラ親父思想……これが国内の者であればまさか悋気の虫であるハリエットを押しのけてまでそんな些細なセクハラを働こうとは絶対に想わないのだが、問題は国外から招いた貴賓の中にこういったセクハラ親父がまぎれていた場合――国交に波風を立てぬようにと考えれば、ダンスを申し込んでくる脂下がったセクハラ親父貴族をすげなく断るわけにはいかない。それは見た目だけで「お前、セクハラする気やろ!」と決めつける行為である。

 さすがのハリエットもにこやかな笑顔で「では一曲お相手差し上げなさい、モースリン嬢」と言わざるを得ない。ただし、言うだけだ。

 ハリエット曰く、視線だけならば不敬に当たらないと――ハリエットも適当な令嬢とダンスを踊りながら、モースリンと踊る親父のあとをずっとついて回る。もしも親父貴族が不埒なことをしようとすれば、眼光鋭く睨み付けて無言の圧をかける。

 例えば親父貴族がモースリンの肩に手を置くふりをして肩を撫でようものなら、「ほう、その手つきは何事かな?」みたいな顔で睨む。モースリンの背に回った手がするりと腰に向かって撫でおろされようものなら、ダンスパートナーを引きずってまで親父貴族に近づき、「可能ならばその腕、斬り落としてくれようぞ」みたいな顔でにらみつける。

 一度だけ、モースリンの腰を引き寄せて自分の腰をこすりつけるような不埒な真似をした親父貴族がいたが、その時のハリエットはすさまじかった。すべての表情も、顔色さえもスンッと抜け落ちた冷たい顔で、「今すぐ、この場で、『男性として』の人生を終わらせたいようだな」みたいな顔をした。刃のような冷たい視線が深く突き刺さるようにと、もうダンスパートナーなど手放して、セクハラ貴族の背後に身を寄せて。怒気を含んだ荒い呼吸を耳の裏に吹きかけられたセクハラ親父貴族が震えあがったのは言うまでもない。

 ただしこれ、傍目で見ている分にはとても面白い。

 何が面白いって時にはパートナーを無理に引きずり、時にあからさまにセクハラ貴族に顔を寄せ、もうダンスなんて踊ってるんだか踊っていないんだかわからないくらいむっちゃくちゃなことをしている当の王子が、自分は優雅に踊りながら視線だけでスマートかつさりげなくセクハラ貴族を制していると思い込んでいるのがたまらなく面白い。

 さらに面白いことに、その悋気と独占欲を一身に受けているモースリンのほうは、ハリエットの気持ちにまったく気づかずクソまじめに『婚約者としての義務』を果たそうとする。そもそもがダンスを穏便に断る理由なんて「腹が痛い」でも「足をくじいた」でも、いくらだってあるのに、ハリエットに「踊っておいで」と言われると「ああ、婚約者の義務として貴賓をもてなせっていうことね」と思い込んで、どんなセクハラ親父のダンスも断らない。踊っている最中も「ああ、私なんて、ハリエット様にとっては、所詮国交の道具なのね」みたいな勘違いをしているから、ハリエットが国の二つぐらい滅ぼしそうな怖い顔で自分のダンスパートナーをにらみつけていることにも気が付かない。

 この奇妙な光景は今やこの国の夜会の名物でさえある。

 閑話休題――そんな二人を『二人っきり』にしたところで、会話がかみ合うわけがない。

「あの……」

 モースリンは皿に取り分けたクラフティを金のフォークで優雅につついていたが、ハリエット王子の言葉に顔をあげた。もちろん心の内では(え、どうしよう、なに話せばいい、なに話せばいい!)とうろたえているが、それを隠して小さく微笑む。

「どうなさいました?」

 途端にハリエット王子が「ぴゃっ!」と奇声をあげて姿勢を正す。

「そ、その、なんだ。それ、おいしいかい?」

「ええ、とっても」とモースリンがほほ笑めば、「そうか、たくさん食べるがいいぞ」と冷静に答える。もちろん胸のうちでは(くっ、可愛いじゃないか)と悶えるというありさまだが。

 この王子はそれほどに、この美しい公爵令嬢を愛している。

 政略によって結ばれた婚約なのだから、愛などなくても正妃として迎えされすればその役は果たされる。王には世継ぎのための愛妾を迎え入れることが許されているし、実際にハリエット自身も妾腹の子だ。

 幸いにも正妃は病弱で子が成せぬ体であり、ハリエットの母も分不相応に自分が正妃の座におさまろうなどと考えるたちではなかったがゆえ、彼自身は市井の小娘が読む小説のような後宮の愛憎劇に巻き込まれることはなかったが。

 だがハリエットは、自分には父王のような器用な女の愛し方はできないだろうと自覚している。なにしろ、ただ正妃として迎えればいいだけの相手だけを、これほど強く愛しているのだから。

「あのさ、モースリン?」

 ハリエットは指輪を忍ばせた上着のポケットに手を突っ込んだ。が、言葉をためらう。

 この指輪はハリエットにとって『婚約指輪』だ。

 もちろん正式な婚約の指輪は王室名義ですでに贈られているが、それは見栄えばかり気にしたバカでかい宝石が嵌められたもので、とてもじゃないが普段つけて歩くようなものじゃない。

 なにしろバカでかい宝石を支えるための座金は太く丈夫でゴツゴツしており、つければグラスを持てばグラスにガチャガチャ当たる。その重さのせいで優雅で繊細な手元の動きが制限されるのだから、スプーンやフォークを持つにも邪魔だ。

 そういうわけで、その婚約指輪はモースリンの指に飾られることなく、家宝の一つとしてカルティエ家に置いてある。

 そうではなく、常にモースリンの左の薬指に嵌って婚約者の存在を誇示する、いわば『男よけ』としての婚約指輪を贈りたいと考えているのである。みっともない独占欲だという自覚はあるが、なにしろそうでもしないと安心できないほどにモースリンは美しい。

 まずは漆黒の夜闇に漬け込んで染め上げたかのような美しい黒髪。これは彼女が体内に膨大な闇の魔力を有している証――つまり美しいだけでなく、モースリンは国内でも他に類を見ないほどの闇魔法の使い手であるということだ。

 顔立ちも美しい。絹糸の如く繊細で豊かな黒髪とは対照的な白磁の肌に筆でスッと引いたような意志の強そうな目元が印象的な、とびきりの美人である。つまりクールビューティ。

 外見だけではない。幼い頃から王妃教育を受けて外国語は五ヶ国語をマスターしているし、礼法は完璧であるし、有事の際には王の代わりが務まるようにと政務についても一通りを叩き込まれている。つまり、とてつもないハイスペッククールビューティ。

 こんなハイスペッククールビューティ、男ならだれもが放っておかないはずだとハリエットは思っている。実際にはハリエットが見ただけでわかるほど悋気オーラを放っているせいで、他の男など怖気づいて寄っても来ないのだが。

 恋は盲目、ハリエットはいつかモースリンの心を奪うような男が現れて、モースリンのこともさらっと自分の元から奪い去っていくんじゃないかとヒヤヒヤして仕方ないのだ。だからこその『男よけの指輪』。

 これをプロポーズの言葉とともにモースリンに渡して二人の婚約関係をより強固なものにした上で、周囲にも明らかに見せつけてしまいたいと、ハリエットはそう考えている。


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