暴走するカレと妄想するカノジョと⑫
翌日、ハリエット王子の方は……友人になったばかりの少女に、早くも嫌気がさしていた。
この少女、あまりにも無礼がすぎる。
まずはハリエット王子に付き従う何人かの護衛を『モブ』と呼んで軽んじる。モブという言葉の意味はわからなかったが、少女の態度を見る限り、あまりいい意味の言葉でないことは確かだった。
それだけではない。ハリエットは転校生に校舎内を案内するという名目で彼女を連れ回しているのだが、自分に話しかけてくる生徒のほとんどを、この少女は『モブ』扱いするのだ。
「おはようございます、殿下、今日はモースリン様とご一緒じゃないんですね、そちらはどなたです?」
明るく話しかけてくる生徒がいても、値踏みするような目でジロリと一瞥して返事も返さない。さらには相手が庶民である証の膝までしかないスカートを履いているのを見ると、これ見よがしに「ふん、モブが話しかけてるんじゃねーよ」と言い捨てる。
それでいながら見目麗しい貴族の子息にだけは、甲高い声で「ウソッ、マジデイケメン」という謎の言葉を発して秋波をおくる。
特にラノリン家の子息であるシープスキンに出会った時はひどいものだった。
「やあ、ハリエット、モースリンと一緒じゃないなんて珍しいね、ついに捨てられたのかい?」
シープスキンはふわふわ金髪に童顔という、見た目だけならどこの美少年かと思うような外見をしているのに、お口のほうは少々辛辣--ちなみに留学生としてこの学園に在籍している隣国の王子であり、この学園で唯一ハリエットと身分的にも対等な『王子』である。
しかし白い髪の少女は、もちろん、そんなことはお構いなし、しょっぱなからタメグチだ。
「見た目はショタなのに毒舌、シープスキンくんね」
無遠慮に『くん付け』で呼ばれた彼の方は不機嫌になる。
「なんで初対面なのにファーストネームで呼ぶわけ? 僕、そんなこと許可した覚えはないんだけど?」
「こら、私は君より上級生だゾ、そんな生意気な口聞いちゃいけないんだゾ!」
「うわあ、痛々しい……ハリエットさあ、なんでこんなのを連れて歩いてんのさ」
ハリエットは困りきって小さくうなる。
「うう~ん、なんでって、いや、彼女、転校生らしくてさ、校内を案内してるんだよ」
「ふう~ん、随分と親切だね、なに、モースリンからこの子に乗り換えようってわけ?」
「そんなわけあるか!」
「あ~、はいはい、そうだと思った。それにしても野猿みたいな子だねえ、君、名前は?」
シープスキン的には「礼儀知らず過ぎて人間とは思えないよね」という嫌味を込めたつもりだったが、少女にはやっぱり通じない。
「ええー、ちゃんとゲーム通りのセリフ言ってよ~、ここではね、『君が噂の転校生か』って言うのよ」
「いや、言わないから」
「それにね、職員室でうわさを聞いて、もう私の名前も知ってるはずなの」
「いや、知らないから」
「いいもん、アタシ絶対に名乗らないから! アタシの名前を当てるまでは、くちきいてあげなーい」
「これは、かなり礼儀知らずなお嬢さんだね、野猿の方がまだ礼儀を知っているだろうね」
「あ~、生意気だゾ、この~」
少女がおどけて腕を絡めようとするから、シープスキンは心底不快そうに顔をゆがめた。
「触るな」
嫌味も、ひねりもない、心からの拒絶だった。
しかし、それさえも、この少女には通じない。
「うふ、私は心が広いから、君の無礼も許しちゃう。なんといっても君も攻略対象だもんね」
「コーリャクタイショー?」
「あ、いいのいいの、気にしないで」
貴族子爵であるシープスキンにはこのくだけた態度を越えて無礼なふるまい。
さらに彼女は、その後で連れて行った職員室でも、どこか小バカにしたような目で周りを眺めては、「あれはモブ、あれもモブ」と謎の言葉で教師さえ愚弄する。
見かねたハリエットは、彼女を生徒会室に連れて行った。深い意味や下心はなく、ただ、どれほど無礼であろうと同学年の女生徒を人前で叱りつけるのははしたないと思ったからだ。もちろん二人きりになるつもりは無く、護衛の兵たちを近くに置いている。
ハリエットは最初に、人を身分の貴賤で判断してはいけないということを諭そうとした。
「君さあ、他人のことを『モブ』とか呼んで、バカにするのは良くないよ」
「ええ~、バカになんかしてません~」
「あと、なんだっけ、コーリャクタイショー、そういう呼び方で馴れ馴れしくするのも良くない」
「あ、やきもち? もしかしてやきもち?」
「ふざけているわけじゃないんだよ、ちゃんと聞きなさい」
「聞いてます~、っていうか、そんな回りくどいことしなくっても、素直にアタシが好きって言っていいんだよ?」
少女は、突然ハリエットに体を寄せて、その耳にささやきを吹き込んだ。
「ねえ、いま、アタシにキスしたいでしょ」
ハリエットが不快そうに呻く。
「どうしてそういう話になるんだ、今は君の品行についての話をしているんだぞ」
「だって、ゲームでこの場面、あったもん。生徒会室で二人っきり……ここであなたはアタシを守るって誓って、キスしてくれるの」
「二人っきりじゃない、護衛の兵士たちがいるだろう。君が僕に不埒なことをしようとしたら、彼らが黙っていないぞ」
「あんなの、モブじゃん」
「またそうやって、人を馬鹿にする!」
「でも、そうね、モブごときに二人っきりの甘い時間を邪魔されるのも腹たつよね」
少女は兵士たちに向かって片手を掲げ、そして呪文をつぶやいた。
「眠れ、深き夜の誘い」
兵士たちが、崩れ落ちるように膝をつく。あっという間に、いくつものいびきが鳴り響いた。
「やっぱ、眠りの呪文っていったらラ○ホーよね、いっぺんやってみたかったのよね、ラ○ホー」
さらに少女は、ハリエットに向けて手をかざした。
「キスしやすいように、ちょっとだけ麻痺っててね、麻痺の魔法って何があったっけ……あ、パラ○イズ!」
とたんに、体中の筋肉がこわばるのを感じて、ハリエットは身もだえた。
「くっ! なにをする気だ!」
「大丈夫、キスするだけだから」
「やめろ! 俺の唇はこの世でたった一人、妻になる女だけに捧げると決めているんだ!」
「だからそれ、アタシっしょ」
「やめろ、やめてくれ! 近寄るんじゃない!」
じたばたと手足を振るが、麻痺した体は自由に動いてはくれない。その間に少女はハリエットの胸板を不埒な手つきで撫でて、そのまま、その唇に指を這わせた。
「ほんと、顔がいい……安心して、アタシ、キスは得意だから」
「頼むから、やめてくれ……」
「だ~め」
少女が「ん~」と唇を突き出して迫ってくる。二人の唇は、今まさに触れ合う寸前……