暴走するカレと妄想するカノジョと⑨
さて、このミズノ=カエデなる人物、何者かと言われればまごうことなき『聖女』である。
そもそも彼女の召喚自体が神託によるものだった。南の村に現れた魔物の討伐を依頼された神殿に女神が降り、魔物に対して絶対的な脅威となる光の力を持つ『聖女』を異界より召喚せよとのたもうたとか。その神託を受けたのは現在の大神殿主であるキュプラ=ベンベルク――女神は彼が一人きりの時に降臨召されたとか、これ、何気に大事。
つまり、それが本当に神託だったのか、それともキュプラの虚言であるのかを知る人はいないということだ。
だが召喚されたカエデは実際に女神から光の魔力を授けられて南の村の魔物討伐に参加した。そして見事に魔物を退けたのだから、いまや神殿派はこれを『聖女』として崇め奉り、信仰のシンボルとしてこの世界にとどめおいているのである。
学校を終えて大神殿に帰ってきたカエデは、神殿の奥にある自分の居室にはいると、だらしなく鞄を投げ出した。
「ああ、つかれたぁ」
カエデがとがった声をあげれば、三人の若女が駆け寄ってきた。それぞれに侍女風のお仕着せを着せられてはいるが、彼女たちの本来のお勤めは神官である。だから、侍女のような濃やかなお世話には不慣れなのだが、カエデは容赦しない。
「ねえ、かばんは片づけておいてよね、あと、着替えもさせてちょうだい、っていうか、そのくらい、言われなくっても察しろっつうの」
「も、申し訳ございません!」
「ま、いっけど、今日は私、ご機嫌だしっ!」
「何か良いことがあったのですか?」
「あったけど、あんたたち『モブ』には関係ないでしょ、はやくオヤツの用意してよ!」
およそ『聖女』の名にふさわしくないわがままなふるまいに、世話係の女たちは陰で舌打ちした。彼女たちが聖職につく者として慈愛の心が足りないわけではない、カエデがワガママすぎるのだ。むしろ今日はマシな方。
カエデはここが『ゲーム』という物語の中の世界だと信じ切っており、そのせいで他人をことあるごとに『モブ』呼ばわりして自分の思い通りの言動を強要する。この大神殿の中で彼女とまともに会話ができるのはただ一人、キュプラ=ベンベルク大神殿主だけである。
カエデが着替えを終えてくつろぎモードに入ったころ合いを見計らって、そのキュプラ=ベンベルクが彼女の部屋に現れた。キュプラが世話係たちを下がらせたから、豪奢な部屋の中でキュプラとカエデは二人きりになったが、彼女は何も気にしない様子であった。
「今日も来たの? 猊下、本当にアタシが好きなのねぇ」
そう言いながらひらひらと手を振るカエデは、王権に比肩する権力者である大神殿主を迎えるにしては、あまりにもだらしない姿だ。
部屋の真ん中には天蓋の付いたバカでかい寝台が置かれているが、カエデはその真ん中に胡坐をかいて菓子を頬張っている。黄金色をした焼き菓子のカスがぽろぽろとこぼれてもまったくお構いなし。
そもそも着衣からしてだらしない。彼女が異界の部屋着だと言って神殿の針子に仕立てさせた『キャミソール』なるものを着ているのだが、これが輪に縫った布を肩ひもで吊っただけという、ほとんど裸に近いものなのだ。
なんでも聖女曰く「ここにはくーらーがないから暑くって~」だそうだが、この世界の女ならば花も恥じらう盛りを過ぎた年まであっても、こんな破廉恥な格好で恋人以外の男の前に立つことはないだろう。
つまりカエデはこの世界の若い女性としての常識を一つも持ち合わせていない。ひるがえってこれは、キュプラによる情報操作がうまくいっている証拠でもあるが。
『聖なる御身に世俗の垢の着かないように』なんて言うのはあくまでも表向きの理由、キュプラは己の野心のためにカエデをここで『飼って』いる。
カエデに何人かつけられている世話係は、キュプラの意のままに動く子飼いの者たちである。むしろ侍女に扮した監視役という方が正解であろう。
彼女たちは聖女に傅き、細やかに身の回りの世話を焼くと同時に聖女をここから出さず、誰も立ち入らせないように目を配っているわけだ。その甲斐あって、カエデはこの世界の常識をほとんど知らない。それこそがキュプラの狙いであった。
キュプラは、まるで目の前にあるのが玉座であるかのように恭しく、カエデがだらしなく身を投げた寝台の前に跪いた。
「聖女様におかれましては本日もご機嫌麗しく……」
カエデがキャーッと恥じらいも慎みもない悲鳴をあげる。
「やばやば、めっちゃ顔がいい!」
「お褒めに預かり光栄にございます」
「あ、やば、これ、スチルで見たかも」
「『すちる』ですか、それは、どのようなものなのです?」
キュプラはカエデが話す異界の言葉を否定したりせず、「なるほど、なるほど」と相槌を打ちながらその意味を説明させる。
キュプラはこうした丁寧な聞き取りを行うことによって、カエデが話す異界の言葉の意味を噛み砕き、自分の知識として吸収するようにしてきた。今ではカエデが元いた世界には魔法が存在せず、こことは全く違う文明や常識を持つところなのだということもよく理解している。そこは魔法がない分、科学が発展していて、デンキというエネルギーで動く便利な道具に満ちた世界なのだと。
そして、そんな世界で育ったカエデから見れば、魔法があり、魔獣が存在するこの世界は、『物語の中で見たことがある』感覚を喚起させるものだということも、よーく理解している。
キュプラは立ち上がり、寝台の端にそっと座った。寝台は大きくて、それだけではカエデとの間に人一人分くらいの余裕があるのだが、そこに片腕をついて彼女に向けて身を傾ける。それでも拳一つ分の間は空いているが、これは貞操観念の壊れたカエデが飛びついてきたとしても咄嗟に身を引くことのできるギリギリの間合いだ。
それでもカエデから見れば、白皙の美青年が想い人に近づこうと精一杯身を乗り出しているように見えることだろう。それは娯楽小説の挿絵と同じ構図を真似たもの、つまりは計算なのだが。
「スチルとは挿絵のようなもの……つまり、聖女様はこれをお望みですか?」
下から見上げるようにして楓を見上げてやれば、彼女は忌々しくも甲高い声で喚く。
「いやぁあああ! 顔がいいー!!!!」
「ご満足いただけたようで何よりです」
「あ、でも、スチルでは手を握ってくれていたかも」
ニコニコしながら手を差し出すカエデに向かって、キュプラは心の中で悪態をつく。
(調子に乗りやがって、この売女が!)
しかしそんなことはおくびにも出さずに優しく微笑む。このくらいの演技ができなくては、聖職者の頂点である大神殿主など務まるわけがない。それに、こういう時に魔法のように使える言葉を、キュプラは心得ている。
「ピロン、『好感度』が下がりました」
途端に、カエデがパッと身をひいた。
「え、困る。無し、今のナシ」
キュプラはできるだけ無表情で答えた。
「ピロン、『好感度』が戻りました」
「あー、よかった」
これだ。彼女はやたらと『好感度』というものを気にする。だからこの言葉をうまく使えば、彼女を意のままに行動させることができるのだ。
実は学園にも取り巻きとして選び出した美少年たちを送り込み、王子とカエデが顔を合わせることがあれば、折に触れて「ピロン、『好感度』が上がりました」と囁くように伝えてある。その効果は、そろそろ出ているはずである。
「それで、王子サマの『攻略』の方はいかがな具合です?」
「めっちゃ順調! 今日だけで好感度爆上がり!」
キャイキャイとはしゃぐカエデに美しい微笑みを向けながら、キュプラは腹の中でニヤリとほくそ笑んだ。
「聖女様の恋が順調なようで何よりです」
「あ、でも……」
カエデの声音が沈んだのを聡く聞き取って、キュプラは眉をハの字に寄せて心配顔を作る。もちろん腹の中ではニヤリだ。
「どうかなさいましたか? なんでも私めにお話しください、このキュプラ、聖女様のためなら、どのようなことでもお手伝いいたしますゆえ」
「なんか、私が知っているストーリーとちょっと違うみたいなのよね、今日もオープニングシーンの歌が、なんか変なミュージカル調だったし」
こういう場合に効果的な言葉も、キュプラは心得ている。
「それは『バグ』でしょう」
「そっか、なるほどね」
カエデは満足したらしく、大きく頷いた。しかしその後で、再び不安そうな顔をする。
「あのね」
「なんですか?」
「あんたはそれでいいの? その……ヤキモチとか妬かない?」
「ああ、なるほど」
『オトメゲームの中の攻略対象者としての振る舞い』を求められているのだと、キュプラは気づいた。だから、娯楽小説の一場面を再現してやろうと、寂しそうに目を伏せて彼女の手を取った。
「聖職者である私はあなたを娶ることはできません。ですから、せめてあなたの幸せを願うくらい……」
「うわ、マジで顔がいい……」
「どうか、王子と幸せになってください、それが私の幸せなのです……」
「やべ、切ない、キュンとする。マジでいい!」
カエデがぎゅうっと手を握り返してくるから、キュプラは腹の中で盛大に舌打ちをした。それでも優しく美しい聖職者の顔を崩すわけにはいかない。
「す、すまない、女性の手を強く握るなんて、私としたことが……聖職者にあるまじき振る舞いだったな」
純情なふりをして彼女の手を振り払う。
「いやぁん! めっちゃピュア! 純愛っ!」
かなわぬ恋に身を焦がす男が女受けするのは、世界が異なったとしても共通らしい。
「どうぞ、お幸せに……」
名残惜しそうなフリをしながら、キュプラはその部屋を後にした。部屋を出てすぐの所には、腹心であるジョゼットが控えていた。




