暴走するカレと妄想するカノジョと⑦
彼が放った隠密護衛はほどなくして身上書を手に入れてきた。ハリエットは人気のない空き教室でそれを受け取り、まずは名前を確認した。
「ふうん、ミズ=ノカエデと読むのかな」
ハリエットは、隠密護衛が持ってきた身上書を読みながら、実につまらなさそうに言った。
隠密護衛の方はピシッと背筋を伸ばしてそれを訂正する。
「いいえ、ミズノ=カエデだそうです」
「変わった名前だね」
「彼女は異界人ですから」
「ああ、なるほどね」
ハリエットは急ぎ身上書にざっと目を通した。
「なるほど、大神殿の、ほう、異世界人なのか」
どうやら彼女は大神殿が信仰の象徴として異世界から召喚した少女であるらしい。
異世界から人を召喚することはさして難しいことではない。召喚原理は数百年も前にきちんと確立されているし、危険な魔法ではないため、禁術指定もされていない。それでも召喚には膨大な魔力が必要になることと、あとは「別に異世界から人を喚ぶ必要ってなくね?」ということで、めったに召喚など行われないのだが。
「ふうん、南部地域に現れた魔獣を討伐するために召喚したのか、でもま、それは表向きであって、どうせ大神殿の広告塔だろ」
「そうですね、大神殿は信仰の象徴として彼女を擁し、『聖女』という称号を与えているらしいですし」
「それがどうして学園に?」
「本人の希望と、あとはこの世界での常識を学ばせるためだということです」
「なるほどなるほど、確かに彼女、非常識極まりないもんね」
その非常識も、異世界で育ったせいだと思えば納得できる。そしてそれはそのまま、ハリエットがかの少女を手元に置く理由にも使える。つまり、王族の務めとして異世界からの客人に『この世界での常識を教える』という言い訳が立つ。
「ふふふ、彼女には申し訳ないが、実に都合がいい……せいぜい利用させてもらおう、ふふふ、ふはははは!」
こうしてハリエットがかわいらしい悪だくみを考えているその頃、モースリンの方もミズノカエデなる人物の身上書を手に入れていた。
それを持ち帰ってきたのは、もちろんコットンである。城の隠密護衛より数段格上の彼女は、密室でいかにも調査してきましたーみたいな報告の仕方はしなかった。学園の制服を着て、顔の大部分を隠す大きな眼鏡をかけて、教室で休み時間を過ごすモースリンの隣に、何食わぬ顔でストンと座ったのである。
「お嬢様、遅くなりました」
細く絞った囁き声は他の生徒には聞こえないだろう。なにしろこれは声ではなく魔力で空気を振動させる隠密の技――魔道通伝法なのだから。
そして言葉を返すモースリンの方も、もちろんこの技を会得している。
「無事でよかったわ、コットン」
他の生徒たちは、お互い顔も合わせず座っているこの二人が、まさか会話を交わしているとは思わないだろう。
「まずはご報告を」
手が滑ったふりをして、バサバサと紙束を落とす。モースリンは親切にそれを拾ってやるふりをしながら、その中の一枚を手元に引き寄せた。それはもちろんミズノカエデなる少女の身上書なのだが、その身上書の出来からして城の隠密護衛が調べてきたものより数段上だ。
「すでに、かの少女との接触があったと聞きましたが、どうでした?」
紙束を抱えて座り直したコットンは、魔道通伝で聞いた。モースリンは自分のノートを広げて予習するふりをしながら、その身上書に目を通している。
「それがね、聞いてよ、あの子、ハリエット様のことを愛称で呼ぶわ抱きつくわ……無茶苦茶なのよ」
「ああ、それでイライラしているんですね」
「イライラなんてしていないわ!」
「はいはい」
茶番劇はここまでだ。モースリンの声音がわずかに低くなる。
「それで、この情報が今日まで出てこなかった理由は?」
「彼女の庇護者である大神殿主が意図的に伏せていたようです。表向きは世俗の垢を避けるためと称して、信者にも会わせず大神殿の奥に囲いこんでいるそうで」
職員室から入学書類の写しを入手してきただけの隠密護衛とは違い、コットンのそれはきちんと大神殿まで赴いて裏を取ってきた確かな情報だ。しかも隠密として超一流のコットンがこれだけの時間をかけて調べてきたのだから、大神殿の中でも上層部の者しか知らないような、超ディープな情報に違いない。
モースリンは指先でコツコツ、コツコツと机をたたいた。コットンはこれがモースリンの考え事をするときの癖であることを心得ている。
「まだご不明な点がございますか?」
コットンの問いかけに答えるモースリンの表情は、推理物の探偵さながら、眉間にすっと皺が寄っている。
「あるわ、そんな大事にされている『聖女』が、どうしてあんなに粗暴なのかしら」
「粗暴ですか」
「ええ、もっとはっきり言ってしまうと『はしたない』わよね能力のほどはさておき、信仰の象徴としてこの世界に置くのならば、しかるべき振る舞いをさせるべきじゃなくて?」
「さすがですね、そこにお気づきになるとは。大神殿主の真の意図は、『世俗の垢をつけない事』ではなく、『この世界の常識から隔離すること』であったようです。それゆえに彼女は、この世界が『ワタシガアソンデイタオトメゲームノナカ』だと信じている様子です」
「何その『ワタシガアソンデイタオトメゲームノナカ』って」
「詳しいことは調査中ですが、彼女は自分がゲームの中の世界に入り込んでしまったと思い込んでいるらしいのです」
「遊戯?」
「いえ、お嬢様が思うようなチェスやすごろくの類ではなく、彼女の言うゲームとは架空の物語に近い形なのだとか」
「つまり、私たちの感覚で言うならば、『物語の中の世界』ということね」
「そうです。それ故に物語の女主人公であるかのようなふるまいが多く、世話係としてつけられた者たちからの評判もすこぶる悪いようです」
「謀略の意図を感じるわね」
モースリンはいまの大神殿主であるキュプラ=ベンベルクの意図を勘ぐった。彼はやっと三十路に手が届こうかという年齢であり、野心や煩悩を捨てて聖道にはいるには若すぎる。
いままでこの国の政教分離の原則が守られていた尤も大きな理由は二つ、この国にいま現在おおきな災いや戦禍がなく平和であることと、いまひとつは『教』の側のトップである大神殿主がおだやかで人格的にも成熟したおじいちゃんばかりだったからである。
全ての信徒の崇拝の象徴である大神殿主は神託によって決められる。つまりは神託を受けることができるほどの信頼を神から得るために、長く聖道に身を置いてきた人格者であることが多い。いきおいおじいちゃんが選ばれるのは当然。
ところがキュプラという男、ある日突然神殿に現れ、祈りを捧げている最中に神託を受けたという異例の男であった。その若さと素性の知れなさゆえに反対する声も少なくはなかったが、神託を受けた者こそが大神殿主になるという通例通りに異例の若さでその職に就いたわけだ。
それ故にモースリンはこの男のことを胡散臭いと感じていた。国の祭祀などで何度か顔を合わせたこともあるが、年の割に若々しく美しい外見と、背中の真ん中まで長く髪を伸ばしたチャラさが胡散臭さをさらに倍増させていた。
「あんな顔のいい男、絶対悪人に決まっている」
「お嬢様、それはうがちすぎかと……ハリエット王子殿下もお顔だけはよろしいじゃありませんか」
「ハリエット様は顔がいいだけじゃなくて、中身も素晴らしいから例外よ」
「はいはい。で、どうするんです、あの女、厄介ごとを起こさないうちにサクッと殺っときますか?」
「まって、コットン、それはそれで厄介なことになるから」
確かにコットンであれば証拠も跡形もなく人ひとり始末することなど簡単だが、信仰の象徴として名を知られた人物が『行方不明』になったとあっては神殿側も黙ってはいないだろう。証拠がないゆえに憶測が憶測を呼び、王家が放った刺客の仕業だという誤解でも生まれては国が乱れる。王権と神権のバランスを崩さないように、出来るだけ穏便に事を済ませたいところ。
「とりあえず、この情報をお兄様に報告してちょうだい、もっと詳しい調査をしてくれると思うから。私はハリエット様の身辺警護にあたるわ」
モースリンはすぐにでも立ち上がろうとしたけれど、コットンが言葉でそれを押しとどめた。
「おまちください!」
コットンの言葉がいっきにくだけたものになる。それは主を心配する従者ではなく、子供のころから可愛がっている乳兄弟を心配する姉としての言葉だった
「いいの? 死の運命を遠ざけるなら、王子殿下から離れたほうがいいんじゃない?」
しかしモースリンは、表情一つ変えなかった。
「問題ないわ、だって、私が嫉妬しなければいいだけの話でしょ」
「嫉妬しないなんて、出来るの?」
「できるわよ!」
「どうかしら……まあ、いざとなったら私がサクッとして解決してあげるから、問題ないとは思うけど」
「サクッと解決じゃなくって、サクッとして解決しちゃうのね」
「当たり前でしょ、私にはあなた以上に大事なものなんてないんだから、なんならこの国ごとサクッとしちゃっても構わないんだけど」
本気だ……この侍女、かなり本気である。この先モースリンが立ち回りを間違えて己が身を危険にさらすようなことがあれば、サクッと物騒に解決する気満々に違いない。
「大丈夫よ、心配しないで、私だって死の運命を甘んじて受け入れるつもりは無いから」
「ふん、ならばいいけど」
コットンの方が先に席を立った。
「では私はビスコース様にこの調査結果をお届けに行きますので」
「あの、あの……コットン」
「なんです?」
「心配してくれて……ありがと……ね?」
こてんと首をかしげて上目遣いになったモースリンは、いつもより少しだけ幼く見える。いやむしろ普段が目力が強くてキツイ印象の美人であるだけに、こうした無垢な仕草の攻撃力は半端ない。
コットンは「はうっ」と胸を押さえた。もはや魔道通伝法も忘れて早口で囁く。
「何かあったらすぐに私を呼ぶのよ、いい?」
「うん」
「素直っ!」
鼻血が噴出しかけたのを片手で隠して、コットンは小走りで教室を出て行った。後に残されたモースリンは、しばらく首をかしげていた。
「どうしたのかしら、コットン……」
この令嬢サマ、自分のかわいらしさに無自覚なところが多すぎる。
「とりあえず、ハリエット様をさがさなくっちゃ。何を企んでいるのか知らないけれど、あんな女をハリエット様に近づけてなるものですか!」
モースリンは愛しのハリエット王子の時間割を完全に暗記している。彼は次の時間、実践魔法の実技の授業であるはずだ。
(いまなら、実技室にいるはず、行ってみよう)
モースリンは足取りも軽く教室を飛び出した。確かに自分の死の運命がかかった大事ではあるが、ハリエットに会えると思うと、それだけで心が少し浮き立つような気がした。