表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

私の頭を乱雑に撫でる大きな手が好きだった。にやりと笑う悪人面のそれが優し気なものでなくても、それでも一目見ることができたなら、安心できた。

私を呼ぶ低くて少し掠れた声が好きだった。私の名前をくれたその人の声で、呼ばれる名が好きだった。











両手が真っ赤に染まっている。遠くからは複数の足音がまばらに聞こえてくる。私の腕の中には、荒い呼吸を繰り返し、真っ青な顔で止めどなく血を流すその人がいる。

逃げろ、と言われた。生きろ、と髪を乱雑に撫でられた。いつもは嬉しいはずのその行為が只々悲しくて、頭の上に乗せられた手を掴み、ぎゅっと握る。その手は冷たくしっとりと湿っていて、握り返されることなく、するりと手の中から引き抜かれてしまった。


逃げろ、ともう一度言われる。掠れた声に覇気はなく、荒い呼吸に交じって咳き込む異音が混ざりこんでそのままぱっと床に鮮血が広がる。彼の喉からヒュウと音が鳴った。角笛だ。死へと誘う角笛だ。それでもまっすぐな瞳でひたと見据えられれば目をそらすことはできなかった。初めて見るような、一切のごまかしの利かない真摯なまなざしだった。


「行け、俺はもう持たない……。分かるだろう?」


いっそ優し気な声でもあった。けれど聞きたい言葉ではなかったので、首を横に振った。慌ただしい足音が先ほどよりも近くに聞こえる。暗い下水路の中で正しい位置なんてわからないけれど、それ等に見つかれば命はないことは分かりきっていた。


「もう近い。時間もない。お前が行かねえなら、俺はただの犬死だぞ?どうしてくれる。」


恨みがましい言葉に困惑して瞳を見つめ返すと言葉とは裏腹に、にやりと笑う顔があった。

でも、と言った。そのあと続ける言葉がどれも間違いだとわかっていても、傍にいたかった。


「でもどこにいっても、一人。----がいないと、わたしは、一人」


「一緒にいてやるよ。だからお前はもう行け」


なんて矛盾したことをいうのだ。彼を置いていけば、それはもう二度と、再びなんてないというのに。私は下唇をかみしめる。


「……うそつき」


「嘘じゃねえさ。どんな時もお前の近くにいてやる。ずっとだ。お前が俺を忘れたって、ちゃんと見ててやる」


「なんで、っ」


なんでそんなことをいうのだ。私が子供だからとバカにしているのか。これが魔法使いの出てくる最後はハッピーエンドのおとぎ話じゃないことぐらいは、もうとっくに知っているのだ。

きっとどんな選択をしたところで幸福なんて程遠い。彼を一人にすることも、私だけ逃げることも、共に死を待つことも。だからそのうちで最善を選びたかった。私は最後の時を、この人と共に迎えたかった。けれど、それすら分かったというように彼が不敵に笑うから。


「……っ、ふ」


「珍しくガキらしく泣きやがったと思ったら、こんなところでかよ……。そういうのは大事な時にとって置けっつうのに」


彼の腕が私の方に伸ばされて、小さく震えて力尽きるように、諦めたようにパタリとその場に落ちる。絶望的な気持ちでその行方を見守る私の目の前で、血の気の感じられない顔色をした彼が緩慢な動きで身を寄せた。


「お前を笑わせたかった。喜ばせてやりたかった。この世界には、お前が見たこともねえもんが山ほどあるんだって……教えてやりたかった」


ふぅ、と小さく息を吐きだした彼の蒼白な横顔を見る。瞳を閉じたその顔は見たことがないほど穏やかに微笑んでいた。


「まだ、見せてねえもんが、山ほどあるんだ。なぁ、‐‐‐お前は、」


バタバタバタ……すぐ傍を通り抜ける足音に無意識に体が縮こまる。彼がどこかに連れていかれてしまわないよう、その大きな体にぎゅっとしがみついた。首元にほほを摺り寄せると彼が低く笑う。その音が心地よくて、私は静かに目を閉じた。


「お前は、生きろよ。‐‐‐」



それが、私と彼の最後の時間。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ