見つめていたい
もうすぐ死ぬという今頃になってこんなにも周りの事が見えていなかったと痛感する。病床だからだろうか?
私の心臓は小さな時から悪さばかりしてくれた。大人になれるかどうかも分からないから、両親は昔から色んな物を買い与えてくれて、母は常に私に付き添っていた。
だから1歳下の弟にはきっと悲しい思いをさせてきたし、弟が我儘を言ったりする事は1度もなかったように思う。
そして18歳の時婚約者が現れた。22歳でエリートサラリーマンらしい世間知らずの私には分からない事ばかりで、何度デートに出かけても話は弾まず苦笑いばかり浮かべていた。
「姉さん具合はどう?」
「うん、昨日よりはいいわ。」
「そっか良かった。花瓶の水を変えてくるね。」
「ええありがとう。」
あの弟は本当に優しい。忙しいだろうに母と交代で私に会いに来てくれる。今も新しい花を買ってきてくれてあまり食べられなくなった私にゼリーを食べさせてくれた。
今日は金曜日だから確かめよう。もし私の考えが当たっていたら……。
「こんにちは、いやもうこんばんはかな。今日は少し顔色がいいですね。」
弟と入れ違いで婚約者がノックをして入ってくる。ベッドの近くの椅子に婚約者が座る。何度見ても死にゆく私には勿体ない程素敵な人だ。眉一つ動かす事無く手を握ってくれる。
「姉さん!水を変えてきたょ……。こんばんは。」
勢いよく戻ってきたのに彼を見た途端頬を赤らめている。彼は弟の手元を見て。
「こんばんは。花瓶はここだよね。私が置くよ。」
花瓶はいつもベッドそばの机に置く。彼がその隣にいるので気をつかってくれたのだろう。私の手を離し布団の中に手を入れてくれる。
弟から花瓶が受け渡された時少しだけ手が触れ合った。弟はまた頬を赤らめ潤んだ瞳で彼を見た。その時微かに彼も弟の目を見た後手を握ってから花瓶を受け取った。
ああ、やっぱりそうだったか。私の心の中で何かが音を立てて崩れていく。
「綺麗だね。君が買ってきてくれたのだろう。ありがとう私の大事な婚約者の為に。」
こんな時に作った笑顔でこんな事を言うのはきっと、自分に言い聞かせているのでしょう、言葉にして私の婚約者だと言っておかないと揺らぎそうなのでしょう。婚約者という言葉に弟の頬はもう赤らんでいなかった。
「ねえ、本当の事を言ってくださりません?」
静かな病室に私の声だけが響く。声を出さな過ぎて声量がおかしくなっているらしい。
「どうしたんだい?何か怒っているのかな?」
笑顔の彼。もうどうしようもなくその顔を崩してやりたい。
「えっ姉さん、怒ってるの?ごめんね。」
何も分からず謝る弟に少し腹が立った。
「貴方たち愛し合ってるんでしょう。」
彼と弟の強ばった顔。
「急に何を言い出すんだ私の婚約者は!私は君をあい。」
「やめて!」
彼の言葉を遮る。嘘でもそんな事言わないで。
「姉さん何を言ってるの?姉さんの婚約者だし、それに僕は男だよ。」
「ねえ姉さんが全てを許すって言ったら?言ったら貴方はどうする?」
弟の目を真っ直ぐに見つめて話す。弟は一瞬目を見開いて呟いた。
「僕はそんな事望んではいけない。」
「それが答えね。」
「ねえ私の婚約者さん、婚約破棄にしましょう。実はもうお父さんに言ってあるの。」
「えっ姉さん!」
「違うわ。婚約破棄にする事だけよ。だから私は貴方の答えを聞きたい。」
婚約者は俯いている。そして顔をあげて一言。
「婚約破棄してください。」
と言って弟の手を握った。
「ええ、それでいいわ。じゃあもう帰って。2人で話し合う事もあるでしょう。」
「でも、いやありがとう。じゃあ行こう。」
「えっでも姉さんが。」
「いいわよ、大丈夫帰って。」
弟は婚約者に手を引かれて病室から出ていった。さっき迄明るかった病室が急に暗くなった日が落ちたらしい。
「電気を付けなくちゃね。」
何だか自分の声があまりにも弱々しくて泣けてきてしまった。
愛していないあんな男。
あの笑顔も優しさも全て偽物だったんだ。入院してからいつも来てくれて差し入れをしてくれて両親も弟も気遣ってくれて、励ましてくれて、退院したら動物園に行こうと言ってくれて。
愛していないあんな男!
手を握ってくれた温かさも抱きしめてくれたら感じる安心さももう私のものでは無い。初めから私のものでは無かった。
初めて会った時のあの笑顔を私はきっと忘れない、あの瞬間恋に落ちて貴方をずっと、
「あいしてる。」
病室は静かでもうこの世界に1人になってしまったのかという錯覚を覚えた。