一目でわかる消費鈍化=人口減少説の馬鹿らしさ
財政破綻論者は、人々の消費活動の鈍化について、若者の草食化~だの、人口減少が原因だ~とか言っておるが、人々の消費活動が実際にはどう推移しているのかなんてちっとも見ていない。それを見ると馬鹿らしさが極まるだろう、彼らの誤りが一目で判るからだ。内閣府が公表している統計一覧に載っている家計の実質消費をグラフ化したのがコレだ。
人口現象だ~とか言ってる人の世界では、1997年にパンデミックでも起こって、2019年にまたパンデミックでも起きて、日本人がバタバタ死んだというような現象でもあったのだろうか? 彼らの主張を鑑みるに別世界から来ているとしか思えない。消費の伸びが鈍化しているのはあからさまに増税後だ。しかし、財政破綻論者は”人口が~”とここまではっきりと相関している要素は見ない事にしている。
彼らの脳内では、増税されると消費が増えるという事になっているのだ。
しかし、そんなことはあり得ない事など、小学生でも分かる。
使えるカネの量が減るのに、どうして消費が伸びると期待できるのか?
こういう至極当たり前の現実に対して、彼らは”長期的には”良くなるみたいな事を言っているが、そんな自分の人生範囲を超えた範疇で良くなるなどと言われて「そっか~じゃあ安心だねえ~」とか言って消費を増やす人間がいると本気で思っているのだろうか?
現実の推移は決定的だ。1997年4月に消費税を5%に引き上げた同年11月の終わりに金融危機が起こる。銀行が資金繰りに困って倒産した。原因はバブル崩壊後の余波? 2%の増税に耐えれないなんて死んでいるのと変わらない~と、とても恐ろしい事に、徹底して増税の影響は”存在しないモノ”として扱われているのだ。同じくバブル崩壊で日本のモノより遥かにハードランディングだったリーマンショックではそのような事は起きておらず、仮に起きていたとして、その影響はここまで巨大化していないという現実は全く見ようともしない。
彼らは、財政政策批判で無駄な公共事業だのバラマキだのという言葉を好んで使う。無駄の定義もバラマキの定義も実態としては存在していないようだが。そもそも、いわゆる公共事業予算の推移は公的資本形成をみれば分かるが、それはこのように推移している。
見事に右斜め下である。健全財政論者の脳内では、バブル崩壊後も無駄な公共事業とやらが拡大し続けたが景気は良くなっていないのでケインズ政策は日本では成立しないんだ~とか言っているが、何のことは無い、はなから何もしていなかっただけである。人口36万以上の大都市で水道老朽化が原因の大規模断水が危惧されるという事態をどう認識しているのだろうか? まぁ、何も認識などしていないのだろう。
財政破綻論者という連中は、何処までも自分たちには激アマなのだろう。ケインズ的政策には5年の時間も与えていない癖に、自分たちには四半世紀近くも与えている訳である。何の成果も得られていないのはどちらなのか? この世でもっとも成果主義が程遠い思想が、財政破綻論や健全財政主義である。
何の成果も持たない財政破綻論者たちは、自分たちの誤りを認識しないように屁理屈を捏ねる事ばかりしている。たとえば、彼らの脳内設定では今はデフレでは無い事になっている。0.1とか0.4とかいうしょうもない数字を出してどうのと言っている訳だ。マイナス0.1とプラス0.1の差など、0.2しかない事も解っていないのだろう。政策決定的な意味でのデフレとは、再びデフレに突入する可能性が無い状態を指しているというのは、当然抑えていなければならない事実だ。
インフレ目標2%なんてのは、過度のインフレ恐怖症患者を考えて設定した最低限度の設定である。それすら達成出来ていないのに、デフレは脱却したんだ~とか騒いでいるのは、完全に結論ありきの態度と言えよう。
あるいは、GDPデフレーターはゼロ付近だ~とか、如何にも付け焼刃な事を言ったりしている。需給ギャップは「現実GDP-潜在GDP」と定義されている。さて、ここでとても不思議な日本語の問題をしよう。『潜在』ってどういう意味?
辞書で調べると、”表面には表れず内にひそんで存在すること”などと出てくる。まぁこの場合は、生産能力の意味で使われているのだから、最大生産能力という意味になるだろう。だがしかし、経済指標においては、全く違う意味であり一般用法に掠りもしない。
~GDPギャップ/潜在GDPの改定について~
内閣府政策統括官(経済財政分析担当)付
という内閣府に掲載された、国会議員に対する説明資料には何と載っているか?
《本稿における用語の定義》にはこうある。
潜在:経済の過去のトレンドからみて平均的な水準
みなさ~ん、我が国では潜在(potential)とは平均(average)を意味するんですよ~
2001年の小泉政権の時に、経済財政政策担当大臣に就いておった竹中平蔵”大先生”がそのように言葉の定義を変更されたのだ。まぁ~こんな風に、財政破綻論者は自分の主張の為には平気でデーターの変造を行う。
今、コロナウイルスとデマの影響でトイレットペーパーが無くなっているそうだが、工場は機能的に生産量を増やす事が出来ている。今時は何処の工場も生産力過剰気味で、本気の本気、100%中の100%で工場を動かしたことなど無いだろう。工場の煙突から水蒸気がモクモク挙がっていないのは、環境政策とやらの結果ではない。単に煙突の性能をまるで使っていなかっただけの話である。
しかし、この不思議な指標化では、そういう能力が失われている事になっているのだ。竹中平蔵などの人間が利用している経済学は、思考実験の為の経済学だ。そういう前提をワザと隠して人々を詐欺に嵌めているのである。経済学的な意味での”長期”の世界とは、バスが利用者の数に合わせて大きくなったり小さくなったりする世界の事である。
時間的な意味でも、経済学的な意味でも、長期的には~とホニャララ言っているのは、詐欺師か重要な事柄が抜けているかのどちらかでしかない。