第三話 五分間
今起きました
遅くなって申し訳ないです
それと、今回は四ノ宮目線です
西暦2078年12月25日。
今から24年前のその日、世界から平和は消え去った。
各国の主要都市を同時多発的に襲った謎の襲撃者、エネミス。異形の巨躯を持つバケモノどもは、突如としてクリスマスを過ごす人々の前に現れ、そして破壊を撒き散らした。
街が焼かれ、建物が崩れ、人が死んだ。倒壊音に混じって、人々の恐怖に駆られた絶叫と、家族を呼ぶ悲鳴が夜をとして響き続けた。繰り広げられた惨禍により、一夜の内に数百万もの命が失われた。
エネミスは強大だった。戦車砲すら弾く身体、戦闘ヘリを翻弄する俊敏性。現代兵器の尽くが歯が立たず、出動した軍隊は敗戦を強いられた。
《惨劇の聖夜》と呼ばれた悲劇の後もエネミスは散発的に出現した。奴らは現れるたび、災害の如く被害を刻んでいった。パリ、シドニー、名古屋など、壊滅し廃墟となった都市は数しれない。IGの登場によって、人類もなんとか対抗できるようになったものの、エネミスという存在が依然として脅威であることに変わりはない。
それ程の力を持つ物が、一体どこで生まれたのか。どこから来ているのか。そもそも人が生み出した物なのか。
その正体は未だに分からない。憶測は憶測を呼び、人々の注目を集めている。
そして今……。
エネミスはこの街へとやってきた。
ーーーーーー
ーーー
ー
エネミスが地に降り立つ。
赤い鱗光を散らし不快な羽音を響かせる敵の登場に、四ノ宮は激しく舌打ちをついた。
エネミス。それは正体不明の襲撃者。
IGと同等の巨躯に、禍々しい形状を持つ、皮肉にも人型をした人類の天敵。
おそらく上空で襲いかかってきた奴らのうちの一体だ。
あの後、結局四ノ宮は追いつかれ、戦闘になったのだ。なんとか一体を撃墜したものの、多勢に無勢で、フライトユニットを破壊されここへ墜落した。
あれからずっとこの機体を探していたのだとしたら、なんというしつこさだろうか。
「よりによってこんなときに……ッ!」
状況はおよそ最悪に近い。
損傷した機体。自身の疲弊。保護した一般人の存在。
……そして、味方のいない孤立した現状。
誰だってわかる。万事休すのこの状況を、
──……一人で切り抜けるのは無理だ。
そう判断した四ノ宮は、すぐさま通信機のスイッチを入れた。
「……レグルス8より本部。応答を求めます」
本部にはすぐに繋がった。ノータイムで応答が返ってくる。
『こちら本部。状況を説明せよ』
「小隊は壊滅。現在、富津市内にて追ってきたエネミス一体と遭遇。また、一般人1名を保護中です」
『了解した、直ちに増援を送る。5分間しのげ』
「レグルス8、了解」
とは答えたものの、5分間か。
油断なくエネミスを見据えたまま、四ノ宮は思案する。
はたして今の機体状態でしのぎきれるだろうか。
機体が戦闘を継続できるか確かめるべく、サッとMFDに目を落とす。
「(機体損傷率42%。左肩の駆動に難有り。残ってる武装は肩部ガトリング砲と腕部ヒートブレード、グレネード類だけか)」
基本的に危険域とされる損傷率が60%。セーフティが働いて機体が強制停止するのが80%。
落下時の衝撃が思っていたより大きかった。一撃食らった瞬間にこの機体は終わりだ。
武装も心もとない。主武装は空中で手放してしまっている。これではエネミスに有効打が与えられない。
……いや、そもそも。
視線をメインモニターに戻す。その画面の端に映る小さな人影。
先程保護……いや、巻き込んでしまった青年だ。機体の指にしがみつきながら、驚愕した表情でエネミスを見ている。
彼を抱えたまま戦闘などできない。15mものサイズを持つ巨人同士が争うなかで、生身の人間が耐えられるはずがない。
「巻き込んでごめんね……」
自分とそう変わらない年であろう青年に、そう呟く。
彼だけは助けねばならない。巻き込んでしまった自分にはその責任がある。
散っていった仲間たちが生かしてくれたこの命は、誰かを守るためにあるのだから。
となれば、無茶は承知で逃げ切るしかないのだろう。
極力対面を避け、とにかく逃げ回って、援軍が到着するまでの時間を稼ぐ。エネミスの他の個体に関しては、やってこないのを祈るしかない。
覚悟を決めた四ノ宮は、機体の支援AIの〈ホープ〉に命じる。
「〈ホープ〉。機体モードを巡航から戦闘機動へ移行」
『了:了解。コンディションチェンジ、ミリタリー。カウントダウンを開始します』
支援AIの無機質な人工音声が答えた。
猛獣の如く唸りをあげる駆動音が、獰猛に高まっていく。
同時にMFDの端に増援到着までの残り時間が表示され、カウントを刻み始めた。
四ノ宮は操縦桿を握りなおし、大きく息を吐き出すと、グッと表情を引き締めた。
そして、
「いくわよ……っ!」
長い五分間が始まった。
ーーー
アスファルトを蹴りだし、前へ前へ。
目まぐるしく変わる建物の間を、巧みに機体を操りながら四ノ宮は駆けていく。
「ホープ! ヤツとの距離は!?」
『答:後方、約80m』
その後方には、黒い巨影が追従する。両腕の砲口を向け、翼から赤い鱗光を散らしながら、四ノ宮へと迫ってくる。
「くぅッ……! しつこいッ……!」
変則的な乱数機動を織り交ぜながら、道を縫うように、エネミスを振り切ることがなかなかできない。
距離を離そうと速度を上げても、必ず食らいついてくる。
ピッタリと背後に張り付いて離れないエネミス相手に、四ノ宮は苦戦を強いられていた。ガトリングの斉射やグレネードを織り交ぜて、なんとか距離を保っているものの、まるでエネミスから逃げ切れない。体感的には30分以上は駆け回っている気がするが、MFDのカウントを見ればまだ2分も経っていない。
そんな激しい攻防が繰り広げられているにも関わらず、街は相変わらず音がない。
IGの優れたショックアブソーバは、ほぼ完全な無音駆動を可能とする。陸上選手もかくやという疾走をしているにも関わらず、その足音は忍びのようにひそやかなものだ。
聞こえるとすれば、エネミスの不快な羽音と、ヤツがついでに街を破壊していく散発的な破砕音だけ。
住民の避難が完了しているのは幸いだった。街が無人であることは支援AIを通じて既に確認済みだ。でなければこれほど自由な戦闘機動は行えなかった。
四ノ宮とエネミスの逃走劇は続く。
『被捕捉警告』
「くっ……!」
ホープの警告があった直後、後ろから砲撃が頭部を掠めていった。エネミスの腕に仕込まれた砲からの一撃だ。
逸れた砲弾が前方にあった看板を跡形もなく消し飛ばす。
あとコンマ数秒反応が遅かったら、ああなっていたのはヴァイツの頭部だったかもしれない。
「危なかった……!」
漏れ出た声が震える。
機体の損傷が蓄積している今、一撃一撃が致命傷になりうる。僅かなミスでも命取りになりかねない。
続く二射、三射をジグザグに跳ぶことで回避し、四ノ宮は再び遁走する。
援軍到着まで残り2分47秒。
綱渡りをしているような危うい均衡状態の中、四ノ宮は必死に脳を回転させて打開策を探る。
操縦桿のレバーを操作し武装を選択。青年を乗せた手とは反対の手にスモークグレネードを握る。
「捕まってて!」
外部スピーカーを通じて鋭く青年に呼びかけると同時、振り向きざまにグレネードを投擲。グレネードが中空で炸裂し、エネミスと機体の間に濃密な白煙が広がる。
『うわっ!』
集音マイクから青年の短い悲鳴が聞こえた。申し訳ないことをしたが、しかし謝っている余裕はない。
すぐさま近くの路地に飛び込み、機体をビルの影に隠す。そして〈ホープ〉に素早く命じた。
「ホープ、CED作動!」
『了:了解。CED作動。欺瞞開始』
完全電子領域と呼ばれる、搭載された高性能な電子兵装が作動した。これは機体の周囲に電子的防護壁を作りだし、レーダー上から機体の存在を透明化させるというものだ。
こうすることで、少し時間が稼げると考えたのだが……
「ッ!」
咄嗟に四ノ宮は機体を横へ振った。
嫌な予感が背筋を伝ったのだ。それに四ノ宮は迷わず従った。積み重ねた経験から成る、戦士の勘ともいうべき反応だった。
そしてそれは正しかった。
爆発音。
先程まで機体のあった場所が、木っ端微塵に砕けた瓦礫によって埋め尽くされる。倒壊したビルの残骸の奥、土煙の中から現れたのは黒鉄色の影。
CEDを作動させたのにも関わらず、こちらの位置はバレていた。電子兵装の類は、エネミスには通用しない。
四ノ宮の頬を冷や汗が伝う。
こちらの策が全くと言っていいほど通用しない。ゆらりゆらりと近づくエネミスの影が途方もなく巨大に見えた。
カウントを見る。
援軍到着まで残り2分32秒。
一秒一秒が永遠のように感じられる。
最後の一つとなったグレネードを投げ込みつつ、四ノ宮はペダルを踏み込み後方へ大きく跳躍した。
が、その時。
『接近警報』
「ッ!!」
爆炎をものともせずに、エネミスが飛び出してきた。
一瞬のうちに距離を詰め、画面いっぱいに写った禍々しい姿に、四ノ宮は喉まで出かかった悲鳴を飲み込む。
エネミスの手には、その身体と同じ色をした曲刀が握られていた。陽光に照る、ギラギラとした残酷な輝き。
エネミスが動く。黒光りする刃面が翻り、四ノ宮目がけ振り下ろされる。
「しまっ……!」
咄嗟に操縦桿を引いた。
寸でのところで上体を逸らしたことで、曲刀は肩の装甲を浅く切り裂いた程度におさまる。
しかし体勢が崩れた。機体のいく方向が、予定していた着地地点から大きく逸れる。空中で修整……できない。
手の中の青年を庇い、機体は背中から5階建てのマンションに激突した。
殴りつけるような激しい衝撃がコクピットを襲う。
ガハっ、と肺から空気が押し出され、目の奥に火花が散った。内腑をかき乱す衝撃に四ノ宮は声も出せずに悶絶する。
『警告:損傷率が危険域に突入』
ホープの警告音が無情に響く。
ふらつく頭をおさえ、四ノ宮がメインモニターへ視線を戻すと、そこにはすぐ目前までエネミスの姿があった。
「ッ!」
跳ね起きようとした足も抑え込まれ、機体の胴体が完全に無防備になる。
やけくそにガトリング砲を斉射。しかし全て黒鉄色の身体に弾かれ、結局弾切れになって止まった。
陽光を背に立つエネミスに影が差す。禍禍しさという言葉を具現化したようなその姿。陰影が歪な面貌に残虐さに満ちた笑みのような表情を作り出す。闇夜に浮かぶ怪火のように、赤いスリットアイが明滅した。
それはまるで、四ノ宮の足掻きを嘲笑っているかのようだった。
カウントダウンは残り1分56秒。援軍も間に合わない。
四ノ宮には、もはや逃れるすべはなかった。
おもむろにエネミスが曲刀を振りかざす。
非情に、躊躇無く、切っ先が向けられる。
次の瞬間に襲い来るであろう、避けようのない致死の一撃を予期し、四ノ宮の表情が悲痛に歪む。
最後に思うことは、自分の不甲斐なさだった。
隊長の最後の命令を果たせなかった。
機体の手の中で蹲る青年を守り抜けなかった。
すべては自分に力がないせいで。
だから、仲間の敵に一矢報いることすら。
とうとう、曲刀が振り下ろされる。
引き伸ばされた意識は、その動作をスローモーション映像のようにゆっくりと捉えていた。
徐々に、徐々に、機体の胸部目がけ刃が突き進む様子を。
その中で、四ノ宮の加速した意識は、刃が到達する刹那に、
『────!』
青年の声と、機体の奥底でなにかが繋がる音を聞いた。
切っ先が装甲に触れる。そして、
視界が蒼く埋め尽くされた────