第ニ話 巨人と怪物
本日3話目になります
暗濁に沈んだ意識が急速に浮上していく。
瞼の隙間から光が差し込むのを感じ、掠れた呻きを漏らしながら、木崎は目を覚ました。
土煙舞う瓦礫の中、彼はうつ伏せに倒れていた。激しく打ち付けた体のあちこちがズキズキと痛む。起き上がろうとするが、節々が油の切れた機械みたいに軋んで、上手く力が入らない。
「(痛ってぇなあ…………)」
どうやら助かったらしい。
混濁した意識がはっきりしてくると、木崎はその事実を認識する。変わらず酷い痛みだが、自分はまだ生きているようだ。
ここが体育館だったのが、不幸中の幸いだったのだろう。上には屋根しかなく、瓦礫になるものが少なかったのだ。もし校舎にいたのであれば、確実に生き埋めとなっていた。
「(すごくラッキーだったみたいだな……)」
息苦しくてごろりと仰向けになると、視界にぽっかり開けた青空が飛び込んできた。土煙が薄く舞う宙空の奥、流れる雲が見える。さっきまでそこにあった天井は、今では瓦礫となって木崎の周りに転がっている。どうやら随分と開放的な造りになってしまったようだ。
全身の痛みはまだ治まらない。深く息を吐き出すと、ズキリと貫くような刺激が神経を遡っていく。
起き上がるには少し時間がかかりそうだ。
痛みが引くのを待ち、木崎はしばらく寝転がっていた。
「(…………それにしても静か過ぎないか?)」
十分ほどそうしていただろうか、ふと気付く。
耳を澄ましても、自動車が走る音一つすらしない。体育館の崩落なんて大事、野次馬がごった返していても不思議はないのに、自分の荒れた呼吸以外なにも聞こえないのだ。
おかしい。
一抹の不安と違和感を覚えた木崎は、鉛のように重い体を持ち上げる。
「うぐっ……! はぁ……」
辺りは酷い有り様だった。
ヒビ割れ砕け散った瓦礫の山、山、山。
コンクリート製の壁は完全に倒壊し、断熱材や鉄筋が露出してしまっている。割れた窓ガラスやら、屋根の破片やらが無数にちらばり、一歩踏み出せばすぐにでも崩れてしまいそうだ。
無残な光景だった。数年前に建て直したばかりという、さっきまでの体育棟の清潔な外見はすでになく、見える景色にはただ破壊の惨状が広がっている。
「これは酷いな……」
よくこれで生きていたなと、改めて自分の幸運さを実感する。もし瓦礫が真上に降ってきていたら、衝撃で足元が崩れていたら、そんな可能性はいくらでもあった。自分が無事なのは本当に奇跡だったのだろう。
けれど、安堵している余裕はない。
ここは安全ではないし、先程から妙に静かなのも気になる。
なぜか嫌な予感がするのだ。逸る心音が聞こえそうなほどの静寂は、説明のしようがない不安感を掻き立てる。むずむずと首筋にまとわりついて、消えない。
とにかく、すぐにでもこの場から離れたかった。
埃を払って木崎は立ち上がる。
たしか出入り口はすぐ近くだったはずだ。 そう思い辺りを見渡すと、体育館の様相は変わり果てていて、ものを判別するのに苦労する。それでもなんとか、記憶と合致する出入り口の形状を見つけ出したが、
「やっぱダメかぁ……」
出入り口は完全に崩壊していた。扉はひしゃげて瓦礫に埋もれており、開くのはおろか近づくこともできないような状態だ。
これでは他に出口を探すしかない。
木崎は落胆のため息をつきつつ、別の方法を探し始める。
と、ふと中央へ向いた彼の目が、とあるものを見咎めた。
「なんだあれ……?」
一段と濃い土煙の中、何やら白い角のようなものが見え隠れしていた。面が鉄板のように平たく滑らかな、綺麗な角度をした角。
以前の体育館にはなかったものだ。一瞬瓦礫の一部かと思ったが、それにしては形状が洗練されている。
もっとよく見ようと木崎が目を凝らしたその時、突然強い風がぽっかり開けた体育館に吹き抜けた。立ち込めていた土煙が取り払われ、その中にあるものが露わになった。
そして目に飛び込んできた光景に、木崎は思わず息を呑む。
「っ!?」
瓦礫の山に鎮座していたモノ。
それは全てが巨大であった。
しなやかで、けれど力強さを感じさせる足や腕。
細く引き締まった腰。
がっしりとした肩に、分厚く盛り上がった胸。
そして……猛禽類を想わせる鋭い顔。
人を模し、人に仕えし、機械仕掛けの巨人。
あちこち傷ついているが、間違いない。
IG。
SF小説の中から飛び出してきたようなその巨大ロボットは、人類の英知の粋が詰め込まれた、全高15mもの巨大な人型の戦闘兵器。圧倒的機動性と火力をもち、戦車に代わって陸戦の主役の座に君臨する最強の兵器である。
「こいつが落ちてきたのか……」
その威容に木崎はただただ圧倒される。
全身を鎧う白亜の装甲。瓦礫に横たわる四肢。それらすべてが巨大だ。瓦礫の間からのぞく後腕だけでも、木崎の背丈以上もある。
しかし、なぜこんなものが。IGの迫力に気圧されながらも、木崎は首を傾げる。
崩落の原因はこれが降ってきたからでほぼ間違いないだろう。であれば気になるのは、なぜこんな市街地のど真ん中にIGが降ってきたかだ。
……そういえば崩落が起きる前、聞き覚えのないサイレンが鳴っていた。地震や火事の避難訓練で聞くものとは違う、本能的に危機感と焦燥感を煽るようなけたたましいサイレンだった。
「あれってもしかして…………」
思考が何か重要なことを導き出そうとしたその時。炭酸が抜けるような音とともに、アイロンガーディアンの胸部が小さく震えた。
「わっ……!?」
木崎が反応する間もなくIGの胸部が上下に開く。コクピットハッチのある部分だ。そして、スライドしたハッチが固定されると、中からよろめくように人影が現れた。
ぴっちりとした白地に青のラインのパイロットスーツ。機体の頭部と形状の似たヘルメットを被っている。
このIGのパイロットだろう。
なぜか自然と息を詰めながら、木崎は人影の動向に目を見張る。
ふらりと瓦礫の上に降り立ったパイロットが、ヘルメットに手を掛けた。流線形のそれがゆっくりと持ち上がっていき、脱ぎさられ。
そして、長い黒髪が流れ出てたなびいた。
「……ふあ」
少女だった。
均整のとれた面立ちに凜とした眼差し。雫を帯びた黒髪が陽光に反射しながら艶やかに舞う。
灰燼の中に立つその姿は、まるで砕けた宝石の切り立った断面のような、鋭い美しさを持った光景であった。
少女が息をつく。伏せられた顔は手元のヘルメットへと向けられ、その美しい面貌がどんな表情を湛えているのか、木崎の場所からは見通すことができない。
惚けたように木崎は不用意な一歩を踏み出した。
無意識の行動だった。そして不用意な行動だった。
木崎の一歩で瓦礫の一部が小さく崩れ、その音に鋭く反応した少女が振り向いた。
「……誰ッ!?」
気配を察した少女が咄嗟にハッチの裏に隠れた。そして流れるような動作でホルスターから武骨な拳銃を引き抜く。
撃鉄を起こした重厚な音。その昏い銃口が、真っ直ぐに木崎へと据えられる。
「動かないで」
凛として張り詰めた少女の声。
木崎と少女、二人の視線が交錯する。
自分を冷たく見つめている銃口を前に、木崎は自分の不注意さを呪った。迂闊にもほどがある。せっかく助かった命だというのに、こんなところで失くしてはお笑いにすらならない。
「あなたはここの生徒?」
「そ、そう……です」
拳銃を向けたままの少女に、木崎は口調を慌てて敬語に直しながら答える。
銃口から目が離せず、背筋を大量の冷や汗が伝う。
「なんでこんなところに?」
「その、これが落ちてきた時に、巻き込まれて……」
「! そう、他に人は?」
「お、俺だけです」
木崎の答えを聞いて、一瞬少女はほっとしたような表情を浮かべた。
向けられていた拳銃が降ろされ、木崎もほっとする。
そしてちょっと欲が出た。
「それで、あの……俺、ここから降りられなくて、その…………」
遠慮がちに木崎が言うと、
「……わかったわ。ちょっと離れてて」
そう言って少女は素早くコクピットに潜り込んだ。
言われたとおりIGから離れると、ふと獣の唸り声のような低く重々しい音が聞こえてきた。
それは目の前で沈黙していた巨人の中から聞こえてくる。
そして……
「うお……!」
大山の如く、アイロンガーディアンが立ち上がった。
駆動音をあげて、瓦礫を押しわけながら。ガラガラと石塊が飛び散り、倒壊の轟音が響く。再び舞い上がった土煙を吸い込んでしまった木崎は激しく咳き込む。
『乗って』
ややくぐもった少女の声がして、アイロンガーディアンが木崎へと手を差し伸べた。どうやら地面へ降ろしてくれるようだ。
助かった。木崎は言われるがまま、巨大な掌へとよじ登る。
鉄とは違った感触の材質の掌からは、この機体の力強い胎動を感じた。
『地面に降ろすわ。掴まっていて』
少女が言うと、IGが動き出す。
しかし……
───その言葉は実行されることはなかった。
『ッ!!』
それは突然の出来事だった。
急に暗くなったかと思った次の瞬間、木崎は必死にアイロンガーディアンの指にしがみついていた。
強烈な遠心力に振り落とされそうになったからだ。アイロンガーディアンが突如その場から跳び下がったのだ。
「っぅあああああああああ!?」
木崎の悲鳴を置き去りに、鋼鉄の巨人は素早くバックステップを踏んで後退する。
直後、ついさっきまで彼らがいたその場所に、無数の閃光が矢の如く降り注いだ。一瞬、耳が潰れたのかと思うほどの衝撃音が、木崎の鼓膜をつんざく。
閃光は倒壊した体育棟へ更に襲いかかり、僅かに残していた建物の痕跡を完全に消し飛ばした。
「な、な、なんだこれ───!!」
木崎を庇う腕の隙間から見える光景に、木崎は限界まで身を見開き叫んだ。
朦々と巻き上がる土煙が、体育棟の悲劇を物語っていた。
『まさか、ここまで追いかけてきたっていうの!?』
焦燥を孕んだ声が頭上から聞こえてくる。少女も驚愕を隠せないようであった。
そして、とうとうそれは姿を現した。
ブーン……と低い羽音のような不快音が聞こえてきた。耳元を舐められるような嫌な音だ。
瓦礫の上に静かに、その両足がつけられる。鉤爪付きの足先が、転がった瓦礫を石塊へと変える。
まるで悪魔のようだ。
唇を戦慄かせながら木崎は思う。
凶悪な鉤爪を携えた腕。
巨大な体躯に不釣り合いなほど細い脚。
刺々しい形状の肩や胸。
赤い燐光を撒き散らす、蝙蝠のような翼。
禍々しく折れ曲がった角。
見る者全てを震え上がらせる、化け物じみた異形の顔。
その姿を見て、ようやく合点がいった。
サイレンの原因はコイツだ。あれはコイツがやってきた警報だったのだ。聞き覚えがなかったのは、今までコイツが来たことがなかったから。この街が、今日まで無事だったから。
そう。
それは、今木崎を持ち上げている存在の、対極ともいえる存在。
───エネミスが降り立った。
次話は明日の18時頃投稿します
ようやくの戦闘回です
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