第一話 日常の終末
本日2話目です
「ふぁぁ…………」
昼下がりの教室。倦怠感に包まれた五限目の授業。
窓ガラスで和らいだ陽気を浴びながら、木崎優真は欠伸を漏らしていた。
科目は数学。大して面白みのない関数の問題をホログラムボードに並べながら、教師がのんびりとした口調で解説しているが、クラスの反応は芳しくない。
それもそのはず。
程良く腹が満たされ、午前の疲れも相まって瞼が重くなっているところに、この陽気である。
クラスの大半が眠そうな目をしていた。既に何人か、主に体育系部活の者は堂々と机に突っ伏して寝息を立てている。
どんな偶然か、クラスにはあ行の名前の人がおらず、「か」から始まる人が五人いる。
おかげで、出席番号6番の木崎は窓際一番後ろという特等席だ。彼もまたバレにくいのを良いことに、頬杖を付きながらうつらうつらと船を漕いでいた。
「……えーっと、それじゃ……ここ、解けた人はいますかね?」
遠慮がちな先生の問いかけ。しーん……とした沈黙が返ってくる。
少し待っても誰も手を上げず、先生はちょっと残念そうな顔をして、また解説を続ける。
二年に進級して一ヶ月。高校生活には既に慣れて、クラスの雰囲気もある程度掴めてきた。高校に入ってから二度目の五月を過ごす彼らは、絶賛中弛みの最中であった。
いつも通りの授業風景。代わり映えしない日常のひと時。
退屈さを感じながら、木崎は左腕に寄りかかってぼんやりと窓の外を眺める。
窓から見える空模様は曇りと晴れの中間程度。雲が多いが、その間からは眩しい青が覗いている。
「…………ふぁ」
木崎はまた欠伸する。
普通の空を眺めながら。
その上で何が起こっているのかも知らずに。
---
六限目。進路説明の学年集会が終わった。
木崎たちの通う県立新富津高等学校は、進学校を謳うだけあって入試対策に非常に熱心だ。未だイメージの固まりきっていない大学の話と受験の心構えを滔々と説かれた後、やっと解放された生徒たちは、途端に騒がしくなりながらぞろぞろと体育館を出て行く。
出口で渋滞しないため、木崎が自分のクラスが呼ばれる順番を待っていると、隣に立つ友人の小林拓真がぼやいた。
「ったく、話が長ぇんだよな。しげるんは」
「まったくだ」
ヘアワックスで立たせたツーブロに、剽軽なニヤけ面。高一からの仲である友人に、木崎は凝った腰を解しつつ相づちを打つ。
ちなみに“しげるん”とは、先ほどまで説明をしていた進路担当の先生のあだ名だ。
本名、最上茂という。名に反して薄くなってきた頭の最上部が特徴の先生だ。
溜まった鬱憤を晴らすように、拓真は愚痴っぽく言う。
「まだ二年も始まったばっかだぜ? なのに受験だ受験だって気が早えよ」
「もう対策始めてるやつはそこそこいるみたいだけどな」
「ばっかお前。高校二年といったら青春の黄金期じゃねえか。勉強してる暇なんかねえだろ」
青なのか金色なのかわからないが、今が高校生活を最も楽しめる時期ということには、木崎も同感だ。
だが、
「拓真、お前去年も同じ事言ってたよな」
「……気のせいだろ」
拓真は目を逸らす。気まずそうなニヤけ面。うやむやにしようとしてるときの表情だ。
案の定拓真は話題を逸らそうとする。
「そ、そういうお前は勉強してんのかよ」
「いや? してるわけないだろ」
「ほーら! 同類じゃねえか!」
「でも俺受験しないし」
木崎が答えると、拓真は怪訝そうな表情を浮かべた。
「……あぁ? そうなのか?」
「早く家出たいから。高校でたらそのまま就職するつもりだ」
「ああ……。そういえばお前ん家はそうだったな」
木崎家の事情を知る拓真は納得したように頷く。
気遣わしげな表情を浮かべた拓真に、気にするなと木崎は肩をすくめた。
「……ま、一人で抱え込んだりはすんなよ。なんかあれば俺ん家にでもこい」
「ありがとな。でも世話になるなら一樹ん家にしとくよ。お前の部屋汚いから」
「んだと!?」
ここにいないもう一人の友人の名前を出して木崎が茶化し、二人して笑いあった。
やっと順番が来て、移動するクラスの流れに混じって木崎たちは体育館を出た。
途端、もんわりとした空気が体を包み込む。まだ五月の半ばだというのに、外は30度を超える暑さだ。
体育館含め体育関連の設備は、校舎とは別の体育棟に集まっている。
その二つの建物を繋ぐ連絡路。そこだけはどうしても冷房の恩恵を得られない。
「暑ぃ、暑過ぎだろぉ……」
「ああ、30度超えてるらしいぞ」
「マジかよ。まだ五月だろ……」
後から出てきた者たちも、皆同じような反応を見せていた。
渡り廊下の10mちょっとの距離を抜けると、ようやく涼しい屋内にはいれる。ひんやりとした空気に、上気した肌から汗が引いていくのがわかる。
たわいもない会話を交わしていると、教室にはすぐに着いた。
そして、木崎は何気なくポケットに手をやって、気付いた。
「やっべ!」
突然大声をあげた木崎に、席に着こうとしていた拓真がびくりとする。
「ど、どした?」
「体育館にケータイ忘れた……!」
ポケットに手を当て、やっちまった……とぼやく木崎に、拓真がしらーっとした視線を送る。
「うーわ、アホがいるよ」
「ぐぅ……」
拓真は肩をすくめ、やれやれと首を振る。大変ムカつく仕草だが、何も言い返せない。
「集会中にこっそり見てるからだアホ優真。今すぐとってこい。先生には言っといてやるから」
「頼むわ……。はぁ……」
面倒だな……と思いつつも、無いと困るので仕方なく重い腰を上げる。
先生に回収されると取り戻すのが厄介だ。
木崎は駆け足で再び体育棟へと向かった。
ーーー
活気に満ちていた体育館は、人がいなくなるだけで急にその様子を変える。
がらんとしていた空間は、心なしか先ほどよりも広くなっているように感じた。普段は気にも止めない自分の足音が、空々と反響してよく聞こえる。
木崎はキュキュッとゴム底の足音を鳴らし、先ほど自分たちが並んでいた辺りまでやってくる。
しかし、彼のケータイはそこには無かった。
「あれ、ないな……」
既に遅かったか。
体育館系部活が頑張ってワックスがけしているおかげでピカピカの床には、埃一つ落ちてない。一応ぐるりと回って、ステージの上なども確認したが、それらしきものは見つからなかった。
流石に誰かが拾ったかと、諦めて戻ろうとした────その時だった。
突如として静寂を切り裂くように、サイレンの音が響き渡った。
「わわっ、なんだ!?」
ビクッと木崎の肩が震える。
聞き慣れない音だった。甲高い産声のような電子音が、危機感と焦燥感を掻き立てるように体育館に木霊している。
「………避難訓練?」
今日やるなんて話は聞いてないが。いつもなら朝のHRで通達されるのにと、木崎は首を傾げる。
時間的にもおかしい。他学年や早いクラスは既にホームルームが終わっているところもある。校内に人が散らばっていれば、集合させるのも一苦労だろう。
「とにかく一旦出よう」
ケータイは無かったし、ここでは何も分からない。ひとまずみんなと合流しなければ。そう考え、出口へ駆け出す。
だが、木崎は出入口の手前でその足を止めてしまった。
とあることに気が付いたからだ。
サイレンの中に別の音が混じっているのだ。
ヒュルヒュルと甲高い、まるで花火が打ち上げられたかのような音。音は段々と大きくなる。近づいてくるように思えるのは気のせいだろうか。
なんだ……?
訝しんだ木崎が天井を見上げ──
直後、天井が崩壊した。
「なっ……!?」
あまりに突然の出来事だった。
爆音とともに、天井がひび割れ、砕け散り、落下する。
降り注ぐ瓦礫の雨。メリメリと生々しい破壊音が鳴り響き、千切れた断熱材が、へし折れた鉄骨が、次々と床へ迫っていく。
木崎はなにも反応できなかった。
逃げ出すことも、悲鳴を上げることも。ただ崩れ落ちていく天井の様子が、最初から最後まで、スローモーション映像のように視界を流れていく。
そして、遅れてやってきた横殴りの衝撃に、為すすべなく木崎は吹っ飛ばされた。視界がぐるりと反転し、次の瞬間背中から床へ激突する。
「ぐはっ!」
一気に肺から空気が吐き出される。
二転三転。受け身もとれず、ボールのような勢いで床を転がる木崎。数メートル転がってようやく止まった時、既に彼の意識は朦朧としていた。
うめき声一つすら出せず、瓦礫が散らばる中に木崎は横たわる。
霞む視界。指一つ動かせない。身体の感覚が遠い。そのくせ痛みだけは鮮明だった。
────俺、死ぬのかな……。
薄れていく思考でふと思った。
あっけないものだった。三途の川も走馬灯も見えやしない。
家族のことも、友達のことも、思い起こす余裕すらなく、意識が闇に塗りつぶされていく。
木崎はどうすることもできなかった。彼には抗う力がなかった。
全てが染まりきる直前。ただ一つだけ、溺れるように、
────……死にたくないな。
磨りグラスを通したような視界の中、最後にそう思った。
瞼が落ちる。そして、木崎の意識は途切れた。
次話は本日21時に投稿します
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