死んで当然の人が「いた」
実話です
とある中国人が死んでしまったという話を聞き、私はこう思った。
「ああ、その人は死んで当然だな」
と。
これは私の勤め先での話だ。
私の勤め先は韓国や中国などで工場を作っている会社に、とある機械を卸している。会社の機密情報や個人情報を含むので詳細は省くが、「高いところで使う機械である」とだけ理解しておいて欲しい。
くだんの死んだ人というのは、その中国の工場で仕事中に、7mの高所から墜落して死んだのだ。
人間は7mの高所から落下して生きていられるわけが無い。
つまり、「死んで当然」なのだ。
当たり前の話だが、仕事中に人が死んだのだから大惨事であり、大事件であり、日本にいる私たちにも緊急招集がかけられ会社からその情報が伝えられた。
会社が緊急招集を行うなど滅多にない話なので、呼ばれた時は「ああ、何かあったんだな」とは思っていたが、さすがに人が死んだというのは私の予想を大きく上回っていた。
なぜなら、「会社の仕事中に人が死ぬなど、普通はなりえない事」だったからだ。
日本の会社というのは事故を非常に嫌う。
だから厳しい安全基準を設け、それを従業員に徹底して教育し、そういった事故を未然に防ごうとする。
私自身、いくつかの危険作業資格を持っているが、そういった資格の無い人間には危険のある作業が出来ないように明確なルールが定められている。
これはどこの会社でも変わらない「常識」である。
では、なぜ事故で人が死んだのか?
答えは簡単だ。
ルールを一切守っていなかったからだ。
通常、高所作業にはいくつかの安全対策が定められている。
・ 安全帯(命綱)の使用
・ セーフネットの設置
・ 足場の端への落下防止柵柵の設置
命綱、安全帯は1mぐらいの長さのベルトを周囲に引っかけ、落下距離を減ずる装備だ。
これがあれば多少の怪我をする事はあっても、普通は死なない。落ちる時の衝撃で体に負荷がかかる事、ぶら下がった時に体が揺れて周囲にぶつかるというのが怪我の理由だが、少なくとも7m落下する事を考えれば危険度が全く違うのは言うまでも無い。
死んだ作業者は安全帯を装備していたが、命綱をどこにも引っかけなかったので全く意味が無かったのだが。
セーフネットは、落ちた先に敷いておく網の事だ。
命綱が無くともクッション性の高いネットの上に落ちれば怪我をしないのは道理であり、これがあれば人が死ぬ事はまず無い。
問題は設置するスペースが有るか無いかという話になるのだが、その工場には十分なスペースがあったようである。
落下防止柵はそもそも落下しないようにする、屋上のフェンスのようなものである。
実際の高さは1mぐらいになるので落下の危険性がゼロになるわけではないのだが、あったなら落下の危険性が大きく減ずる事は間違いない。
当たり前だが、これが設置できないという事は「あり得ない」。
これらのルールは珍しいものでは無い。
どこの会社でもやっている「常識」でしかなく、私もこれらのルールを違反した事は無い。
やらなければ死ぬのだから当たり前だ。
これらをやらずに高所作業を行うのは、「カイ○」の綱渡りを数百円の為にやれといわれるようなものだ。誰がやるか、そんな自殺行為。
だけどその人はやったんだよ、ド阿呆が。
控えめに言って、その人は大馬鹿である。
はっきり言うなら「死んで当然の人」でしかない。
たとえばだ。ゲームセンターで格闘ゲームをプレイするとして、「1ドットでもダメージを受けたら死ぬ。受けなくてもデメリットは無いが、クリアしても報酬は無い」と言われて「じゃあ挑戦します」と言うようなものだ。
たとえばだ。何のメリットも無いのに「高速道路でスマホを操作しながら時速200kmを出せ」と言われて挑戦するようなものだ。高速道路でも時速200kmは犯罪だし、ながら運転も犯罪だ。死んだ人はそういった犯罪行為を行ったのである。
セーフネットや落下防止柵はまだいい。いや、本来であれば良くは無いのだが。
作業者では無く現場の責任者が用意するものだから、一作業者が何も出来なくても仕方がない面はある。
しかし、安全帯のフックを引っかける事は誰にでも出来るし、装備していたのだからあとはほんの数秒だけ、フックを引っかけるという当然の行いをするだけで、死なずに済むのだ。しないという選択肢は無い。
なぜそれを怠るのか、私には理解できない。
残念な話の追加だが、その人は20代男性で結婚しており、子供が一人、居たそうである。
嫁と幼い子供を残して死んだのだ。
死ぬべき人では、無かった。
この話をした工場長は、血を吐くように私たちにこう言った。
「この会社に、死んでいい人など誰一人おりません。
私には、皆さんに、心身共に健やかなまま、家族の元に、家に帰っていただく義務があります。
このような事故など、起こってはいけないのです。
私たちは、仕事で死ねなどと一言も言っておりません。
ちゃんと安全に気を配り、ルールを守っていればこのような事故は起こっていないのです。
もしも危険な作業をしていたのなら、まわりの人は注意してあげてください。それが本当の仲間です。
もしも危険があると思えば、私に言ってください。私がどうにかします。信用してください。
このような悲しい事件が起きないよう、皆さん安全を意識してください。決められた事はちゃんと守ってください。守っていない人には注意してください。
このような事が二度と無いように、心からお願いします」
工場長は安全関係の指導者で、工場長になる前に私も海外の現場で安全指導を受けている。
安全担当20年以上のベテランで、この工場長が作った安全指導要綱は今も世界中の現場で使用されている。
その工場長にしてみれば、「聞きたくも無かった事件」である事は想像に難くない。許せないのだろう、届かなかった自分の言葉が。悲しいのだろう、届かなかった自分の想いが。
工場長が言った事を守っていれば、会社のルールが守られていれば、こんな事件は起こりようが無いのだから。
悲しい事だが、こういった「死んで当然の人」というのはどこにでも居る。
スピード違反にシートベルト未着用、ながらスマホといった危険運転をする車の運転手や。
たいした理由も無く弱そうに見える誰かに暴力を振るう若者など。
「これぐらいは構わないだろう」と軽い気持ちの人たちである。
残念ながら、どのような考えで何をしようが、人は死ぬ時は死ぬし、ルールを守らねば命の危険が増すのは事実である。
ルールは危険を遠ざける為のガイドラインなのだ。
軽い気持ちで、「死んで当然の人」にはならないで欲しい。