2 やりすぎな撃退
二時間に及ぶ説教を受けたレイアは、酒場の自分の定位置と化している厨房に近い席に座り、テーブルに突っ伏している。ぐったりとしている為、密かなレイアファンたちは何があったのだろうと、聞かれないように話している。
こうもぐったりしているのは、単にルミアが恐ろしく怖かったからだ。ルミアは終始笑顔だったが、背後に何か化け物が見えるくらいの威圧感を放っていた。それに、ずっと面と面を向かって話していたのではなく、立ち上がって背後に移動し、後ろから言い聞かせるように語りかけたり、肩に手を置き顔を耳元に持っていったりしていた。
それが二時間ずっと続いたのだ。ぐったりしないはずがない。なお、ベルもその場にいたのだが、そのベルですらも恐怖を感じて、応接室のソファーのクッションとクッションの間に入り込み、耳を塞いで震えていたほど。今は、レイアの左側に浮かんでいる。
「だ、大丈夫……?」
酒場にふらふらと歩いて行き、突っ伏してから三分間身動きが無いので、心配になって声を掛けるベル。そこでようやく、レイアが動く。顔だけを左側に向け、恨めしそうにベルを見る。
「……裏切者」
「ちょっ、いきなりそれは無いんじゃない!?」
やっと動いたと思ったら、いきなりそう言われて言い返すベル。
「……ベルだけ、ルミアさんの説教から逃げた」
「あ、あれはレイアの自業自得じゃない! 散々ルミアからダンジョンにはまだ潜るなって言われてたのに、その言いつけ破って潜ったんだし。あんたの責任じゃない!」
ベルもそうだが、ルミアもレイアのことを可愛い妹のように思っている。実際彼女には、レイアと年の近い妹がいる。性格がよく似ている為、ついつい重ねてしまうのだ。
妹思いの良い姉なので、自分から危険に飛び込んでいくレイアが、気が気でならないのだ。それに、将来有望なのは間違いないのだ。幸せに元気に暮らしてほしいとも願っている為、せめて中級魔術や騎士精霊の多重召喚で、五体同時召喚出来るようになるまで、ダンジョンに潜ってはいけないと口酸っぱく言っている。その言いつけを破ったので、ベルの言う通り自業自得だ。
「……確かにそうかもだけど、せめてルミアさんを宥めるか何かしてほしかった」
「む、無理よ……。わたしですらも、恐怖を感じたもの。あそこで何か言ったら、わたしまで説教受けるじゃない」
「……薄情者」
「ぐっ……」
否定したいが本当のことなので、全く反論出来ないベル。二人の間に、微妙な空気が流れる。
「……ごめん」
先に謝罪の言葉を口にしたのは、ベルの方だった。今は契約上主従関係にあるが、それでも自分は頼られる姉で、レイアは可愛い妹のようなものなのだ。妹を守るのが姉の役割なのだから、せめて少しでも庇っておけばよかったと、反省する。
「……こっちもごめん。変に八つ当たりして」
続いてレイアも謝罪する。ベルの言う通り、全て自業自得なのだから、八つ当たりするのは筋違いだ。お互いに謝罪をしたからか、流れていた微妙な空気は消え去っていた。
レイアは突っ伏していた上体を起こし、椅子の背凭れに凭れ掛かり、床についていない足をぶらぶらさせる。今日はもう疲れたので、街の外に出て魔物を狩ったりはしない。残りの時間は街を散策することにした。
とりあえず散策する前に、喉が渇いたので牛乳を一杯と、クッキーを頼む。冒険者になる前に住んでいた村は、酪農が非常に盛んなところだ。それこそ、食卓に乳製品が出てこない日はないほどに。なので、時折果物のジュースを飲んだりするが、基本牛乳を飲む。あと、チーズもよく食べるし、甘いお菓子も好きだ。
「レイアちゃんって、よく牛乳飲むよね」
女性ウェイトレスが牛乳の注がれた大きなコップと、クッキーの盛られたお皿を持ってくる。名前はシルエラ・ソリスティア。よく酒場に足を運ぶレイアとは、そこそこ仲がいい。
「住んでた村が、酪農が盛んなところだったから、毎日飲んでたよ。美味しいし、一番好きな飲み物かも」
「毎日……。それでなのかしら……?」
「? 何が?」
「何でもないわ。はい、どうぞ」
一瞬視線が顔から少し下がったが、それに気付くことは無かった。シルエラはコップとお皿をテーブルに置くと、またほんの一瞬だけ視線を下に落とし、むっとした表情になってからその場から立ち去って行った。
レイアはシルエラが立ち去った後、コップを両手で持って牛乳を少しだけ飲み、焼き菓子もポリポリと美味しそうに食べる。ベルも、人間の食べ物が意外と好きなので、四等分に割られたクッキーを、両手で持ちながらハムスターのようにポリポリ食べていく。
さっき少しだけ流れていた微妙な空気は一切流れておらず、美味しいお菓子にありつけて喜んでいる女の子の構図が出来上がり、周囲から温かい目で見られている。
レイアとベルは、クッキーを食べながら昔の懐かしい思い出や恥ずかしい思い出を話したり、唐突に今日の反省会となったり、明日の予定を話したりと、コロコロ話題が変わって行った。明日の予定のことを話しているときに、今日の反省点を活かすためにはどうするべきかと、真剣な表情になると、ベルと周囲にいるレイアを見守っている冒険者たちが、胸を押さえて蹲った。
しかしベルは、レイアと明日のことを話し合っているので、内心で全力で悶えながら話を続けた。
「……明日は、大体こんな感じでいいでしょうね。ただ、問題は……」
「ボクの魔術、だよね。まだ中級まで覚えてないからなぁ」
魔術は、魔術書専門店に売られている、魔術書を読んで術式を覚えなければいけない。レイアは、一応土、水、炎、風、氷、雷、闇、光の基本八属性の初級魔術を、それなりに多く覚えている。母親が昔、魔術師を目指していたらしく、家に大量の初級魔術の魔術書があったのだ。ただ、才能がなかったらしく、母親は魔術を全く使えない。
代わりにレイアは魔術師としての才能もあったため、絵本を読む感覚で術式を覚えて、何となく詠唱を唱えたら魔術が発動し、部屋の壁をぶち抜いたという出来事がある。そこから毎日魔術書を読み漁り続けていたが、初級魔術は数がとても多い。全部暗記し切ることが出来ず、結局風、水、炎、雷、光、の五属性は初級上位まで、残り三属性は中位まで覚えている。
新人冒険者の魔術師としては、覚えている魔術の数はかなり多い方だ。しかし、ダンジョンにいる魔物を倒すには、まだレイアの腕は未熟だ。キラーサーペントに向かって放った【魔術:雷槍】は、雷初級上位魔術で、手持ちの魔術では一番殺傷能力が高い。それでも、奴には効かなかった。
召喚術であれば、ベルであればキラーサーペントは相性が悪い為時間がかかるが、他の魔物であれば割と簡単に倒せる。シャドウナイトやアークナイトは、持っている武器が恐ろしいものなので、キラーサーペントならある程度楽に倒せる。もっと実力を上げれば、一体だけで今日潜っていたダンジョンを攻略出来るだろう。
「奮発して、魔術書でも買う?」
「ん~……、もう少しお金を貯めてからかな。それまでは、図書館に行って初級魔術を覚えるよ」
「ま、そう言うと思ったわよ。初級のでも、使いようによっちゃ使えるのが多いって聞くし」
「流石に全部覚えるってバカなことはしないけどね。得意な属性の魔術を覚えるつもりだから」
レイアが得意としている属性魔術は、水、風、炎、光、雷の五属性だ。五つも得意としているのは、ある意味才能だ。しかも光属性魔術は、術式が非常に複雑で覚えるのも使うのも難しい属性だ。それを、レイアはまだ初級だが、得意属性の一つとなっている。
それでも、五つの属性の初級魔術を全て覚えるつもりはない。戦いに使えそうなものや、戦いのとき以外にも使えそうなものだけを優先して覚えるつもりでいる。それでも、かなりの数になると思うが。
とりあえず、今日はもう街の外に出るつもりはないので、明日の予定を話し終えた後、まだベルとの談笑に戻り、クッキーと牛乳を平らげる。
牛乳は先に飲み終え、クッキーはゆっくりと食べ、お皿にあったクッキーが全部平らげられたところで、レイアは椅子から立ち上がろうとする。そこに、一人の年上の男性が歩み寄ってくる。恐らく二十代前半だろう大人の雰囲気を纏っているが、まだまだ若い。
何だろうと思っていると、その男性はレイアの前で立ち止まる。
「君が、召喚術師のレイアちゃんだね?」
少し緊張しているようで、やや早口気味にそう訊ねてくる。
「そう、ですけど?」
「俺はレオン・ウォーリア。Eランク冒険者だ」
Eランクとは、冒険者ランクというものを示している。冒険者ランクは、最低でGで、そこから、F、E、D、C、B、A、Sと上がって行く。レイアは現在、Fランクにいる。一ヶ月かけて、昇格したのだ。平均は一ヶ月半から二ヶ月なので、少しだけ早い。
「じゃあ、先輩、ですか?」
こてんと首をかしげながら、そう質問する。それを見たレオンは、頬を少しだけ赤くする。そしてそれを見たベルは、その男に向けてやや冷めた目を向けている。
「君は確か、三ヶ月前に登録したんだってね。だと、俺は二ヶ月くらい先輩になるかな。まあ、そこは気にしなくていいよ。それで、俺は君に話があって声をかけたんだ」
そう言いながら、レオンの視線が一瞬顔より下に移動する。レイアは気付かなかったが、ベルはその視線に気付き、更に冷めた目を向ける。対して、レイアはどんな用があって声を掛けたのだろうと、不思議に思っている。
だが、すぐにその答えが分かる。
「レイアちゃん。俺とパーティーを組んでくれないかな? 組んでくれれば、見返りに何か好きなものをいくらでも買ってあげるからさ」
レオンは、パーティーに誘うために声を掛けたのだ。そう理解したレイアは、誘ってくれたことに感謝の気持ちを抱いたが、物で釣ろうともしているとも理解し、少しだけ身構えて警戒する。もども扱いされている気がしてならないのだ。実際、まだ十四歳の子供だが。
「気持ちは嬉しいんですけど、大丈夫です。ボクにはベルがいますし。まだ一人で苦戦するほどではないので」
母親に教えられたテクニックで、やんわりとその誘いを断る。
「確かに、召喚術師は数の不利を補うことが出来る。けど、君みたいな可愛い女の子を、一人で戦わせるわけにはいかない。例え苦戦していなくとも、パーティーは組んでいた方がいいと思うよ」
それでも、レオンは諦めずに食い下がる。よくルミアからも、パーティーを組むべきだと言われるが、年上の女性冒険者だと謎に妹扱いしてくるし、男性冒険者だと直感的に危ないと思っている。同世代の女の子と組めれば一番いいのだが、十四歳で冒険者をしているのは、男の方が圧倒的に多い。というか、冒険者をしているのが、男性の方が圧倒的に多い。
何より、そう簡単に赤の他人を信用するわけにはいかない。表面上パーティを組むことだけを考えているように見せかけ、内心では別のことを考えているかもしれない。特に男性は。
そう思い、少しだけ警戒心を高める。なるべく目をじっと見ていると、一瞬だけ視線が下に降りる。意識して見ていないと、分からない程一瞬だったが、間違いなく下に降りた。そこにあるのは、ぶかぶかのローブに隠れているが、それでもなお分かるほど膨らんだ双丘だ。
それで確信する。レオンは、表面上パーティーに誘うことだけを考えているように見せ、本当は体目的であることを。冒険者になると決めた時、母親に散々言い聞かせられていた男性冒険者は、優しそうに見えてもすぐに信用するな、と。すぐに信用してついて行くと、酷い目に遭うとも言われた。いくつかの具体例を挙げて。おかげで、そっち方面の知識は、少し豊富だ。
とにかく、体目的であると理解したレイアは、警戒心を最大限まで引き上げる。頭の上に座っているベルも、冷めた目から殺気の篭った目に代わっている。
レオンは、自分が誘えば簡単に信用してついてくると思っていたらしく、目に見えて警戒しているレイアを見て、頬を引き攣らせる。周囲の冒険者たちが、ひそひそと何かを話している。その中から、「ロリコン」という単語も聞こえてくる。
レオンはレイアの召喚術師としての希少性を見出し、誰かに取られる前に自分の物にしてしまおうと考えた。例え召喚術師でなくとも、レイアは誰もが振り返るほどの美少女だ。男なら、そんな女の子を自分の物にしたいと考えても、おかしくはない。問題は、年齢にあった。
レオンの年齢は二十四歳。対してレイアは十四歳。十歳も離れている。貴族であれば、十歳、二十歳は離れいても婚姻を結ぶことはあるが、一般人でそれだけ離れていると確実にロリコン扱いされる。特にレイアは背が低く、容姿は一部を除いて幼女と少女の境界線を彷徨っている。
それだけ幼く見えるレイアに、体目的で声を掛ける。もう、レイアの中では幼女趣味の変態と認定されている。自分で幼女というのは、甚だ不本意だが、見た目がそう見えるので仕方がない。ここは少し受け入れることとする。
「そ、そんなに警戒しなくてもいいんじゃないかな……?」
「でも、そう言う目的で声掛けてきたんですよね?」
少しだけ椅子を後ろに移動させながら言う。
「な、なに言ってるんだい。そんなわけ―――」
「目の動きで分かります。何回か、視線が胸に移動してます」
「間違いなく、こいつはロリコンね。さっさと視界から消えてよ、この変態!」
レオンの言葉を遮り、更に警戒心を上げてそう言い、ベルは汚物を見るような目を向けている。レイアのような女の子に物凄く警戒されているのがショックだったのか、レオンは肩をガクリと落とす。
諦めたのかと思ったが、立ち去るまで警戒心は解かないでおくことにする。すると、ゆらりと動き出す。彼の右手が、レイアの左肩の上に乗る。そして腰を曲げて、顔が耳元までやってくる。
ここで、色んな意味で身の危険を感じる。
「ぶぇ!?」
直後、後方に吹っ飛ぶレオン。彼の顔のあった場所には、代わりに魔術法陣と黒い大きな拳があった。シャドウナイトの物だ。
シャドウナイトは、契約者が本気で危険に晒されている時に、自動的にその危険を排除しようとする。キラーサーペントの時は、全力で逃げていたので出てこなかったが、もしその場で立ち止まっていたら、勝手に出てきて撃退していただろう。
今回は、レイアは色んな意味で身の危険を本能レベルで感じた。それに呼応して、シャドウナイトがその危険を感じさせる原因となったレオンを、殴り飛ばしたのだ。
殴り飛ばした後、魔術法陣が巨大化し、そこから幽鬼の如くシャドウナイトが目を赤く光らせて出てくる。その手には、既に自身の身長に迫るほどの大剣が握られている。いきなりのことでレイアは硬直していたが、斬り殺そうとしているのかゆっくりと大剣を上段に構え始めたところで、即座に送還させる。シャドウナイトは、魔術法陣に吸い込まれるように姿を消していった。
いきなり巨大な黒騎士が現れたと思ったら、今度はそれが消えた。いきなりすぎて、誰もついてこれていない。
「代わりにわたしがやっておくわ」
頭の上に座っていたベルがふわりと飛び、レオンの前で止まる。
「えいっ」
「うぉわあああああああああああ!?」
そして両手を前に突き出すと、そこから突風が放たれる。それをもろに受けたレオンは、錐揉みしながら酒場の外まで吹っ飛ばされていく。
「今回はこれで許すけど、次今みたいな劣情抱いてきたら、本気で吹っ飛ばすから、覚悟しておきなさい」
一度地面に倒れているレオンの所まで飛び、そう言い捨ててからレイアの下に戻り、頭の上に座る。
「流石に今のはやりすぎじゃない?」
「あれでもまだ温いわよ。わたしの妹同然のレイアに、手を出そうとしたんだから」
「まあ、気持ち悪かったから、ちょっとスカッとしたけどね」
そう言ってから椅子から立ち上がると、周囲から滅茶苦茶注目されているのに気付き、顔を赤くして会計の所まで移動し、手早く料金を払って組合を後にした。その後、閉館時間になるまで図書館にこもり、初級魔術を頑張って覚えようとしていた。
余談だが、レオンは他の冒険者からも組合からもロリコン認定されてしまい、組合に来るたびに冷ややかな目で見られることとなる。