第38話 後日談 めくる日を過ぎれば・・・6『意外な遭遇』
登山道を歩いていると、照りつける日差しに参った四人が、ふと森のほうにある傘のような大きな植物を目にする。そこには意外な人物が現れた・・・
登山道はずっと三十度程度の勾配で、頂上に近づくにつれ体力を根こそぎ奪われることはなかった。そして荒くれ者のイノシシ・ファリケンボーのお蔭で、熊やゴリラ等の森の動物に襲われることもなかった。小さなスナイパー(蚊)は、虫よけスプレーでばっちり防御していた四人の敵ではなかった。
だが唯一忘れていたことがあった。雲一つない晴天の中、日差しがとても強かったことである。帽子を持ってくるのを忘れた四人がどうしようかと思案していると、近くの道端に不思議な植物がひょっこり顔を出しているのを発見した。落ちそうで落ちない。垂れ下がっているその葉っぱは、まるで大きな傘のように見えた。静歌がふと葉っぱの裏を覗くと、強い日差しを避けるようにして、葉っぱの裏にくっついているてんとう虫を見つけた。ちょっと可愛らしいと思った静歌であった。静歌の前方の一十三は、空の強い日差しによって、頭がズキズキと痛み始めていた。イノシシとじゃれ合っている先頭の那奈子を余所に、飯子が葉っぱに害がないことを確認しようと傘のような葉っぱに近づいた。その時、彼女は現れた。
「およ?」
「わあ!?」
驚いてすっ転ぶ飯子に、三人は何だろうと飯子の視線を追った。すると大きな葉っぱが捲れあがって、奥から小学生くらいの大きさの少女が現れたのだ。そして驚くべきことに一十三はその人物を知っていた。全体的な黒い髪に、雷のような白い髪が前にかかっていて、眼鏡を付けた姿は、まさに【靉寿梃弧子】本人であった。
「梃弧子・・ちゃん?」
「はいそうです。私こそ自称天才科学者の卵、靉寿梃弧子ちゃんです。・・・で、そちらは何用で?」
何か話し方がおかしいような気がした一十三だったが、それよりも気になることを聞いてみた。
「私達は山を登ってお弁当を食べようってことになって。梃弧子ちゃんはどうしてここに?・・」
ふむふむと一十三の言葉を真剣に聞いた梃弧子は、コホンと咳払いをして説明を始めた。
「ずばりこの葉っぱを調べに。『モー・ドクドク草』の葉がどうしてこんなに大きいのかを、そしてどこに猛毒を持っていて、何故毒を持つことになったのかを調べに来ました」
「も、猛毒!?」
飯子の猛毒という言葉は他三人の耳にも入り、四人全員が「毒!?」と叫んだ。飯子は目の前の植物から、一十三の所まで逃げていった。梃弧子がモー・ドクドク草を素手で触ることに疑問を感じた那奈子は、即座に指摘した。
「どうして梃弧子さんは猛毒のあるドクドク草を触っているのですか?」
梃弧子は、イノシシの背に乗って、その場をグルグル回る那奈子に丁寧に答えた。
「この植物は秋頃にシャンデリアみたいな花が咲くんだけど、その花の雌蕊と雄蕊に致死率200パーセントの猛毒が付着してるんだ。モー・ドクドク草と名付けられてはいるけれど、梃弧子としては『モー・ドクドクフラワー』と改名してほしいくらいだよ」
梃弧子は不満げな顔で眼鏡をクイッと持ち上げる。
「どうして雌蕊と雄蕊に毒があるのか判りましたか?」
「うん。ただ単に「俺達・私達の受粉を邪魔したら死ぬぜ!」みたいな感じだね。この神螺儀の森は競争率高くて、動物や植物達は様々な進化を遂げていった。モー・ドクドク草もその進化した中の一つで、今では他の植物よりも受粉成功率は抜きんでて高いんだ。モー・ドクドク草の身はメロンよりも甘くて、その後からくる酸っぱさがまた美味しいから、三月・四月くらいに採りに行ってみるといいよ。その代わり身の付け根の部分にも猛毒あるから、気を付けて採ることだね。私はもう堪能したよ。それで・・・」
梃弧子は喋り出したら最低一時間は止まらない。一十三は前に、梃弧子の話から上手に逃げられなかったために、三時間も梃弧子の話を聞くことになり、大好きな犬太との時間を取られた経験があった。そんな一十三はこんなところで三時間も話されたら、お弁当の時間や、皆と遊ぶ時間がなくなってしまうのではないかと焦った。一十三は必死に頭の中を張り巡らせ、ようやく選んだ言葉を梃弧子に告げた。
「梃弧子ちゃん」
「それで・・・・・どうしたの?」
「ごめんなさい。私達頂上でやることがあるの」
真剣な眼差しの一十三に、梃弧子はふと一十三や飯子達の背中にあるリュックを見て、ようやく一十三の言っていることの意味を理解した。
「自分の事しか考えてなかった。(腕時計を見て)確かに今十二時前だから、今から急げば十二時丁度に着けるね。そういえば私もまだモー・ドクドク草について調べなきゃいけないことがあるから・・」
梃弧子はへたり込んでいる飯子に近づいた。そして背中の方に手を回して麦わら帽子を取り出すと、「ほれ」と言って飯子に渡したのだった。梃弧子の麦わら帽子は新品のような滑らかさ、そしてツンと鼻に付くような素材の薫りは飯子の方から那奈子、一十三、静歌に伝わってきた。その上で梃弧子は一十三達を見渡すと、手を合わせて謝罪した。
「こんな暑い日に長話は体に響いちゃうよね。私の方こそごめんなさい。お礼にその麦わら帽子をあげる。熱い日光には最適なアイテムだから、是非使ってよ。余計に五人分も作っちゃって持て余していたんだ」
「ありがとう。・・良い匂い」
実は飯子は初めて麦わら帽子を見た。麦わら帽子の素材から漂う薫りは、飯子にとって心がマシュマロのように心が柔らかくなっていく気分になった。梃弧子は静歌の方を見て、思わず「あ」と言った。朧げな梃弧子の記憶の中から、グランド上で戦っていた少女の容姿が段々と思い出してきた。ホワイトクリームのような髪の色と、スーツ姿、身長は低いが雰囲気から彼女であると断定できた。
「よかったあ。生きてたんだね。えー・・・っと」
「静歌だ。よろしく」
静歌は出来るだけ感じ悪くならないように、梃弧子に握手を求めようと手を差し伸べた。だが梃弧子は静歌に近づいて、最初に行った行為は握手ではなかった。
「ハイタッチ?知らない?」
梃弧子は手を真っ直ぐ伸ばすと、顔の方まで近づけた。静歌は「いや・・」と驚きつつも、梃弧子の手を真似るように手を顔の方まで近づけた。梃弧子は丁度良い高さに伸ばした手を見て、「よし!」と言うと、勢いよく静歌の手のひらに自分の手のひらを「パァン」と音を鳴らして叩いた。だがそこに痛みはなかった。
「これがハイタッチ。お友達にやってみてよ。きっと楽しいよ?」
「え・・あ・・・ああ」
梃弧子の満面の笑顔に動揺する静歌の心は、どことなく嫌な気持ちに変わることはなかった。寧ろこちらまで明るくしてしまいそうなオーラが梃弧子にはあった。梃弧子の近くにいることは、周りの心がすっきりと晴れるようになるということと同義である。それが梃弧子の良い所であり、研究のことになると自分をコントロールできない欠点も、梃弧子の良さであった。梃弧子は静歌とハイタッチした後、そのまま静歌の手を握り締めて、ゆさゆさと重なり合った手を揺らし続けた。
「あなたが命を懸けて戦ってくれたお蔭で、梃弧子はこうして研究していられる。梃弧子にとってあなたは命の恩人だよ」
「恩人・・・私が・・?」
「うん」
『恩人』。静歌はずっと前に、【桜統一郎】に対して想っていたことである。自分の体を奪おうとする者から逃げ続けた静歌を、統一郎は絶対的権力を以て救い出した。そしてこうして一十三の護衛として生きていることの全てが軌跡であり、静歌は統一郎に対して深い慈しみの恩を抱いている。他人に対する強い想い。ずっと静歌から発信してきた想いを、初めて他人から『恩人』という形で想われていたこと。これが・・この胸が張り裂けんばかりに、輝く太陽のような気持ちなのだろうか。
でも私は・・・静歌はあくまで足止め。ほとんどが一十三であり、杏という不思議な存在のお蔭なのだ。決して私が恩人というわけでは・・・
静歌は胸の中に輝く太陽と、もやもやと心を曇らせようとする罪悪感が鬩ぎ合っていた。その中で那奈子は、梃弧子が自分と葉奈子が巻き込んでしまった被害者であることを思い出した。那奈子は一旦イノシシを自分の後ろで静かにさせてから、梃弧子の前に近づいて深く頭を下げた。
「!・・誰?」
「京間那奈子。あなたを誘拐し、葉奈子の世界に閉じ込めていた張本人です。そして・・・」
那奈子はグッと手を握りしめて目を瞑る。すると那奈子の体から雲のような白い靄が生まれたかと思えば、その靄は那奈子の隣に集まっていった。靄は段々と那奈子くらいの大きさまで広がり、いつしかもう一人の那奈子を生み出していった。だが那奈子と違う所はサイドテールの髪形と、目じりが少しだけつり上がった彼女の名は【葉奈子】。那奈子の心の一部であり、【貴神高鬼】の持つカメラの力によって暴走させられた結果、那奈子のもう一つの人格として生まれ変わったのだ。那奈子の【氛之从】という分身の力で器を作ってその中に葉奈子の人格を移せば、もう一人の人間の完成である。忍者のように現れた葉奈子に、梃弧子はあっけらかんとした顔で眺めていた。だがすぐに我に返ると、目をキラキラと輝かせて、那奈子と葉奈子の周りをピョンピョンと飛び回って喜んだ。
「すっごーい!那奈子ちゃんって、魔法使いみたい!ねえねえ触っていい?」
「え?・・・えっと・・・」
「ちょっと那奈子・・どうしよう・・・話聞いてない」
ウサギの様に自分の周りを飛び跳ねる梃弧子に、那奈子と葉奈子は互いに顔を見合わせながら一体どうしたいいかとめっちゃ焦った。そして梃弧子に言われるがまま、葉奈子はペタペタと色んな所を触られた挙句、体中がムズムズとこそばゆい感情に襲われた。一通り触り終わった後、梃弧子は改めて那奈子と葉奈子の謝罪を再開した。
「今まで葉奈子のせいで迷惑かけてごめんなさい、梃弧子さん。もう酷いことしないから・・・えっと・・・」
葉奈子はいまだにどう謝ったらいいか決めていなかったからか、最後の言葉に詰まってしまった。相手にしてしまった行為の恐ろしさと自分の底知れない怖さに怯え、葉奈子の体はブルブルと震え始めた。だが梃弧子は静歌と同じように手を伸ばして、胸の方で止めるとこう言った。
「ハイタッチ。してくれる?」
「?・・こ、こう?」
葉奈子は戸惑いつつも、梃弧子の動作を真似るように手を胸の方に持っていった。梃弧子はニコリと笑うと、「パァン」と音を鳴らして手と手を叩いた。そこに痛みはなく、葉奈子の震えは一瞬で止まり、梃弧子の笑顔につられるように葉奈子の頬が緩んだ。
「友達の証、ハイタッチ。もうあなたは私のお友達。だからそんな顔しないで、元気出そう?あの夜の学校の体験は、きっと今の私を、今のあなたを強くするから。謝る気持ちも大切だけど、あの体験を忘れないように、次の自分に繋げることも大切だよ?葉奈子」
梃弧子の話を聞き終わると、いつしか葉奈子の目から涙がぽつぽつと、頬を伝って流れていた。そして梃弧子は笑顔のまま首を傾げると同時に、葉奈子は喉の奥から必死に押し上げるように、手を伸ばすようにして唇から梃弧子に達した。
「うん・・・・ありがとう。私を友達にしてくれて・・・」
「お礼なんていいからさ・・・・あなたの体、調べさせて!」
「え!」
梃弧子の眼が星の流星群に変わると、葉奈子の手を自分の手で覆い隠して逃げられないようにした。今梃弧子の心の中の研究魂に火が付いたようだ。葉奈子は言葉にならない声で狼狽えながら、那奈子に目線を向けて心の中で訴えた。
(どうしよう・・・那奈子)
(うー・・ん。あ、そうだ)
那奈子はいいことを思い出したような顔を見せて、梃弧子にこう言った。
「梃弧子さん」
「ねえねえもっと触らせてよ~」
だが葉奈子に夢中で那奈子の言葉が伝わらない。那奈子は三段階大きな声で言った。
「・・・梃弧子さん!」
「ふぇ!?・・どうしたの那奈子ちゃん」
葉菜子は、やっと梃弧子の猛烈ラブコールが治まって心底ホッとした。
「良ければ・・私達と一緒にお弁当を食べませんか?」
「「「「ええええ!!!???」」」」
一十三、静歌、飯子、葉奈子は一斉に驚いた。そして梃弧子もすぐに・・・
「いいよ」
と即答して更に四人は驚いた。飯子は声を荒げて言った。
「モー・ドクドク草はどうなるの?」
「今は葉菜子ちゃんが気になるから後回し!」
「え・・・・」
梃弧子はモー・ドクドク草への未練はなく、すっかり葉奈子に興味が変わっていた。飯子は切り替えの早い梃弧子に呆れながらも、一十三はまた仲間が増えたことに喜んだ。静歌は恩人という言葉が心に引っ掛かりながらも、葉奈子と梃弧子の和解に心から安堵した。そして四人から六人に変わり、イノシシを那奈子の隣に据え、全員が麦わら帽子を被ると、一行は梃弧子の宣言通り、昼の十二時に無事登頂することが出来た。
梃弧子は杏を見たことがない。でも静歌も梃弧子にとって命の恩人である。静歌の罪悪感は無力な自分ではなく、杏こそ命の恩人に相応しいのではないかという懸念からくるものである。そして一行はようやく山頂に到着する。そこで目にするものとは・・そしてまた意外な出会いが・・・?次回最終回。




