第28話 救出作戦 ~叫び~
那奈子の残った僅かな存在を前に、葉奈子の怒りが向けられる中、ぎりぎりの戦いを強いられる静歌についに葉奈子の力が完全となって・・・?
那奈子の意識は今も尚葉奈子に浸食されながらも、ほんの僅かに残っていた。
(また・・・飯子ちゃんに会いたいよぉ・・・会って謝りたい)
泣きたい涙も今や葉奈子のもの。泣きたくても涙を流せる体はもうない。那奈子の心を突き動かすのは、ただ一人の親友への『後悔』。その後悔も刻一刻と葉奈子に浸食されていた。那奈子の半分は罪悪感から葉奈子に自分の体を明け渡すという罰を、もう半分は親友・飯子に会って謝りたいという気持ちが鬩ぎ合っていた。
―早くどいてよ。
葉奈子の声だ。未だに乗っ取り切れないもどかしさの余り、葉奈子は那奈子に問い詰めてきたのだ。那奈子の体を完全に乗っ取れば、世界と融合した葉奈子の前で、ゴキブリ並みに耐え続けている銀髪の女を簡単に屠ることができる。いや、そもそも現実の神螺儀小学校舎を自分のものにできる。それなのに何故未だに那奈子を奪いきれない?
―あなたはもう終わるの。私の気持ちを蔑ろにしたあなたのせいよ。
もっと多くの人とかくれんぼがしたい。葉奈子の根源はそこだ。でも私は・・・
(飯子さんともっと一緒に色んなことをしたかった。でもかくれんぼしかまだ出来ていない。もし飯子さんがかくれんぼしか興味がなかったらどうしようって思った。だからずっと・・・)
那奈子のそのうじうじする態度が、葉奈子にとってただ怒りを増幅させる行為でしかなかった。
―それで私の気持ちが収まるとでも?ふざけないで!あんな女子一人に何でそこまで執着するの?もっといっぱい友達作って遊んだ方が面白いに決まってる!
葉奈子の怒号は、那奈子の存在そのものを揺さぶるほど強かった。けれど。
(そうだよ!)
那奈子の正直な気持ちがやっと吐き出せた。溜りに溜まった自分の気持ちを、もう一人の自分ではなくなった自分にやっと言えた。そのお蔭か、那奈子の存在が一気に大きくなった。豆粒ほどの大きさだった心が、今は三倍くらいの大きさにまで膨らんだ。葉奈子は那奈子の気迫にビビる。
―!・・じぃ、じゃあ何でそうしないの?
今は明らかに私の方が優勢だ。那奈子はどうせもうすぐ私に食われるんだ。と、我に返って冷静に自己分析をして反論する葉奈子。だが那奈子は全く臆する気配も見せずに答えた。
(でも十人の友達よりも!百人の友達よりも!飯子ちゃんと遊んだ方がずっと楽しくて、嬉しくて、・・・もっといろんな遊びを覚えて、飯子ちゃんとずっと遊ぼうと思ったの!)
那奈子の答えに葉奈子は大きく溜息を付いて、呆れながら言った。
―話にならないわ。あんな女に現を抜かすなんて・・・ただ趣味が合っただけでそこまで深まるものなの?
(もう一人の私の心、葉奈子にもきっと分かる時が来るよ。私を、飯子ちゃんをしっかり見て。元は私の心なんだから分かるはずだよ?)
―わかるか!
(ぐっ苦しい!)
葉奈子は突然激高し、那奈子の心を黒い手のような強い力で思い切り握り潰し始めた。
―お前はそう言って、私をまた無視するつもりなんだ!きっとそうなんだ!
葉奈子は自分に言い聞かせるように、那奈子に向かって叫ぶ。那奈子は酷く苦しみながらも、必死で自分を保とうとする。まだ自分を保とうとする那奈子に、さらに葉奈子の感情が高ぶった。
―もう代わってよ!あなたなんか最低な人間よ!私を無視して、ただのブス何かに夢中になって!
ビクッ。一瞬那奈子の心が震えた。葉奈子は今だ!と思って握り潰そうとしたその時、那奈子の心から二つの目が生まれたかと思えば、大きく開いた瞳孔は真っ直ぐ葉奈子を睨んだ。そして言う。
(友達の侮辱は絶対に許さない)
冷たく鋭い那奈子の声色に、「ひぃ!」と怯えた葉奈子だった。だが葉奈子はすぐに、今の自分が優勢である状況を思い出した。そして那奈子がもう言い返せない様に、力を籠めて那奈子の心を両手で握り潰した。
―ぶちっ・・・・・・・・・
蚊を叩く。葉奈子にとってはその程度のことなのに、葉奈子の心は晴れなかった。だが葉奈子は無理やり満面の笑みを作り上げ、高笑いして驚嘆の声を上げた。
―ついに・・・私は・・・・完全体に・・・・なった!
そして葉奈子の世界では・・・
―ボォオオオオオオ!
学校が吠えた。いやこの世界全体が激しく振動したと同時に、七色の絵の具が白いキャンパスを塗ったくるように、世界をぐちゃぐちゃに混ぜ始めた。じっとその世界を見ると、思わず吐いてしまうほどの気持ち悪い空の下で、子供達は目を開けることもできなくなっていた。
「もう嫌・・・こんなとこ・・・」
「何で誰も助けに来てくれないの?」
「もう助けに来てる。そして今君らはその人に助けられているよ」
阿木斗は子供達を安全な森の中に移動させ、じっと静歌の戦いを傍観していた。だが学校が吠えたことと、七色の絵の具が世界を塗り始めたことにより、精神が大きく揺さぶられ、頭がズキズキと激しく金槌で打ち付けられるほどの痛みが子供達を、阿木斗や静歌を襲った。
「早くしないと・・・もう」
阿木斗の精神はもう限界だった。そして子供達の二、三人は耐えきれず気絶してしまった。もし隠れているのが暴かれ、葉奈子に攻撃されれば阿木斗一人ではどうすることもできない。だがその時、阿木斗の肩をポンと背後から優しく手が置く者が一人。
「まだだよ。私はまだこんなところで終わりたく・・・ない」
「お前は・・・」
その名は靉寿梃弧子。割れた眼鏡を掛け直すと、振り返る阿木斗にニコリと笑顔を見せた。
「私はこの状況をひっくり返せるほど天才じゃない。・・・けどまだ死ぬわけにはいかないくらいの気持ちはここの誰よりも負けてないと思う」
「でも・・静歌だけじゃ・・・」
「ふ~ん。あの子ってしずかっていうんだ・・・」
必死に子供達に向けられない様に戦う静歌を、遠目で見た梃弧子は、その目で静歌ともう一つの何かが、静歌をパワーアップさせていることを瞬時に見抜いた。
「やっぱ凄いや。・・科学の力じゃこの状況をひっくり返せない訳だ」
「そうさ。人間の小手先では到底ひっくり返せない。ただ見ていることしかできないんだ・・・」
阿木斗はもし静歌がやられるようなことがあれば、自分の力で子供達を元の世界に帰すつもりである。それが自分に出来る最善の答えなのだと言い聞かせるように、現実を梃弧子に伝えた。だが梃弧子は、歯を見せるように頬を上げて笑って見せた。
「それはどうかな。今は無理でも・・・いつかきっと、私の科学で皆を守って見せるよ。私は諦めないし、皆ここで死ぬことは絶対にない。断言する」
罅の入ったガラスの奥にある梃弧子の瞳は、曇りもない気持ちいいほどに綺麗な緑色であった。阿木斗は一瞬、梃弧子のその恐ろしいほどの自信の前に驚くのだった。
―お前ごとき・・・もう負けはない!
「何だ!?」
突然葉奈子が叫んだかと思えば、学校の窓から更なる大蛇の増援が窓を割れんばかりに溢れ出し、学校よりも小さかった葉奈子の体は、学校が吠えてから学校の三倍ほどの大きさにまで膨れ上がっていた。無数の大蛇の塊が学校を埋め尽くしたかと思えば、その丸いハンマーのような塊が、一気に静歌に向かって振り下ろされた。静歌の三十倍以上ある塊に耐えきるはずもなく、静歌は大蛇の塊と一緒にグラウンドに叩きつけられた。
―ズドン
大蛇の塊はいとも簡単にグラウンドに大きなクレーターを作った。
「あ・・・ああ・・・・」
杏はその一撃で気を失った。大蛇の塊がグラウンドから離れると、草臥れた静歌の体がそこに小さく存在していた。杏のお蔭で静歌の体が無残な肉塊になることはなかったが、もしもう一撃受ければ確実に・・・杏が気を失ったことで、静歌の意識は自動的に元の体に戻った。だがその体に、まだ戦えるほどの力は残ってはいなかった。朦朧する意識の中、静歌は大蛇の塊がまたも自分に向かって天高く舞い上がるのを見た。
(この一撃で・・・・私は・・・杏は・・・ごめんなさい・・・さくら・・さま)
―きゃはははは!私は強い!あんたは弱い!
葉奈子の薄気味悪い声の中、追撃の大蛇の塊が静歌に向かって振り下ろされたのだった。
「お姉ちゃん!」
「嘘・・・」
「もう終わりだ・・・・」
「おかあさあーん!家出してごめんなさあい!もう遊ばないから・・・だから早く助けて!」
五人の子供達は、唯一の希望である静歌の最期を見て、一気に涙が枯れ果て、体の力が抜け落ちた。もう逃げる気力も生きる気力も湧かなくなっていた。子供の小さな呟きに敏感に反応した葉奈子は、ギロリと子供達を睨みつけた。
―お前たちもうるさいうるさいうるさい!うるさいやつは拳骨の刑だ!
葉奈子の怒りは止まることを知らない。怒りで自分を制御できなくなった葉奈子は、遊ぶはずだった子供達に向かって、大蛇の塊を天高く振り上げた。
その時、
「もういい加減にしなさい!」
―!
大蛇の塊は子供達の真上で止まった。「ヒィッ」と悲鳴で子供たちが顔を覆う中、粉々に割れたグラウンド場に現れた飯子は、まるで般若の顔に変わったように葉奈子を睨みつけて言った。
「拳骨が必要なのは葉奈子、あんたね?」
最も大切な友人を傷つけた相手に対する、慈悲深い目が葉奈子に向けられたのだった。
那奈子と葉奈子の初めての対話、そして梃弧子と阿木斗の初会話。というか梃弧子は恵美と思って話しているのか、また別の何かと思って話しているのか・・・そして静歌・杏の運命は・・・次回、飯子と一十三の逆襲が始まる・・・




