第8話 冒険者は傍観する
「放して! 放してよーー!! ちょっと出るだけなんだからいいでしょ!!!」
「馬鹿!! 子どもが何言ってるんだ!? それもそんな軽装でどこ行くつもりだ!!」
「だからちょっとだって言ってるでしょ!! いいから離せこの変態!!」
「あだっ!? こ、このクソガキ!! なにしやがる!!!」
全力で戻ってきた俺は、思わず目の前の光景に足を止めてしまった。
「……何してんの?」
門に配置されている兵とドタバタの格闘をしているノノがいた。
「何って、この人が私の邪魔するから!! いい加減離せ!!!」
お、ノノのアッパーが兵の顎かち上げたぞ。
星でも舞ってそうだな。
「……てめぇ、もう許さんぞ!!!」
「あ……うぎゅぅ…………」
ノノは組み付いてきた兵士によって制圧された。
地面にうつ伏せに倒されて、手を背中に回されて極められてる。さすがにこの状態では何もできない。
俺はしゃがんでノノに声をかけてみた。
「どっか行くのか?」
「そうだよ!! やっぱりむかついてしょうがないの!!
なんで私がこんなに、もやもやもやもやもやもやしなきゃいけないの!? 意味わかんない!!
グーさんめ、2、30発はぶん殴ってやんないと絶対気が済まないよ!!!」
……そこはせめて2、3発にしとけよ。
「なぁ、兵士さん。取り込み中のとこ悪いんだけど、あれ見てくれ。緊急事態だ」
「ああ!? 今度は一体なんだってんだ!?」
兵士が山の方へと顔を向ける。
砂塵が舞っていた。
「…………は?」
「紅狼だ。それも何体いるかわからねぇ」
「な、な………………うそだろ!?」
兵士はノノの手を放してすぐに高台に上る。
ガンガンガンと全力で鐘を鳴らし始めた。
「な、なにごと!?」
拘束を解かれたノノが立ち上がる。
ぱっぱっと服の汚れを払うが、背中の方が泥だらけだ。
「紅狼っつー、まぁ危険な魔獣だな。そいつが山から街の方へ向かってきてる。普通は人里に現れることなんてないんだけど」
ノノの服を払いながら説明する。
紅狼はAランクのモンスターで魔獣に属する。
魔獣とは知能あるモンスターで、人語を解するものもいる。
だからと言って、まともにコミュニケーションがとれるとは限らないんだけどな。魔獣ではないが魔族がいい例だ。
あらかた払い終えると、ノノが振り返った。
「あの、どもありがとうござい……グーさんじゃん!?」
今頃気づいたのかよ。
「……え? え? …………こ、このー?」
「混乱したまま殴ってくるなよ」
ノノは頭に?を浮かべながら、俺の腕をぺしぺし殴っていた。
「ノノ、イーリャさんのとこ戻っとけ」
「な、何言ってるのさ。私はまだ許してないんだからね!」
「……死にたくなけりゃ、俺の言うことを聞いとけよ」
「はぁ? 急になに言ってるの?」
話してる間にも、豪快な鐘の音になんだなんだと門の付近に人が集まってくる。
何人か冒険者や兵士も集まってきた。
「……おい…………」
「あ、あぁ」
何人かの冒険者が互いに声を掛け合い、山とは反対方向へ走っていく。
つられるように、別の冒険者もどんどんとここから離れていった。
衛兵は残っているものの、皆総じて顔色が青い。
……いるのは、せいぜい20人程度か。
紅狼はあの様子だと数体ではきかないだろうし。
このまま突っ込まれたら、間違いなくこの街は蹂躙されるだろうな。
「なんの騒ぎかと思って来てみれば……」
「紅狼か。随分と大所帯で来たものじゃ…………だれぞ、やらかしたかのう」
武器屋の店長とエロジジイも来ていた。
「やらかした?」
ノノが聞くと、エロジジイが意外にも鋭い眼光を砂塵の舞う山へと飛ばした。
「紅狼は賢く、情に深い。
…………ふむ、あやつじゃな」
ジジイの視線の先には、一人の男。
男は腹を抱えながら全力で駆けて、山を下りてきた。
俺は男に見覚えがあった。いつか、共に薬草採取にいそしんでいた若い冒険者だった。
「どけどけどけどけええええええ!!!」
泣きそうな顔をして、全力疾走の男が突っ込んでくる。
衛兵が何名か止めようとするも、男はその横を走り抜けて、
「ラージュ!!!!!! 止まらんか!!!!!!」
ジジイの一喝に周囲の人間は誰一人除くことなく、びくっと身体を震わせた。
腹を抱えた男も例外ではなく、走るのをやめ、身体をすくませた。
「……あ、あの…………お、俺……俺…………」
「察しはついとる。
……紅狼の子供に手を付けおったな?」
ジジイの言葉に、ラージュと呼ばれた男は大きく身体を震わせた。
見る間に汗が吹き出してくる。
「馬鹿者が。殺したか?」
「い、いや、殺してはいねぇよ!! ほ、ほら!!!」
ラージュが服に手を入れて、中から小さな犬のような獸を取り出す。
それは紅狼の子供だった。
瞬間、周囲から声が上がる。
「なっ!?」
「馬鹿かよ!?」
「なんてこった……!!」
怒り、憤り、絶望、その他エトセトラ。
衛兵と僅かに残っていた冒険者からの強烈な敵意に、ラージュはまた身を震わせた。
「わ、かわいい!!」
ノノが紅狼の子どもに近づこうとしたので、俺は首根っこを掴んだ。
「ぐえっ!? ……ちょっと何するのさ、グーさん!?」
「関わるな。標的にされるぞ」
「標的?」
俺は答えず、ノノの頭を撫でた。
なんだよう、とノノに頭を振られて払われてしまった。
男の前に来たジジイが、まさに殺す勢いの眼でラージュを睨みつける。
「……ヌシ、何をもってそれをさらってきた?」
「た…………たまたま、こいつが、一匹でいたんだよ!! 山ん中で、薬草とってたら、こいつ一匹でいたんだよ!!!」
ラージュと呼ばれた男の目は瞳孔でも開いているのか、ジジイを見ているようで見ていなかった。
ラージュが喋るほど、ジジイの目がすわっていく。
「これ一匹で、こいつの肝一つで、たんまり金が入るんだろ!? だったらさらうに決まってんじゃねえか!!! 当たり前じゃねえかよ!!! しょうがねえじゃねえかよ!!! 俺には、金が必要なんだよ!!!! 金がありゃあ、あいつはすぐにでも……」
「馬鹿者が。その前に街は地獄じゃ」
ジジイの言葉にラージュは怯む。
「紅狼の子ども一体、金貨にして300枚程度かの。
……それっぽっちで、街を殺す気とは、貴様正気か?」
「ぐ…………お、俺は……俺は……別にそんなつもりじゃ……。た、ただ、こいつで金を!!」
「もうよい。どちらにしろ、時間切れじゃ」
ジジイが睨む先には、砂塵の先、十数の紅狼がゆっくりと近づいてきていた。
狼と名がついているが、体長5メートルはある巨体だ。
紅き毛並みに、漆黒の瞳。僅かに開いた口元からは獰猛な牙が見え隠れする。
暢気に集まっていた街の住人は、その姿をてみてあとずさりを始める。
ある者は恐怖に顔をひきつらせ、反対方向へと走り出した。
なかなかに賢い判断だ。長生きできるだろう。
紅狼のうち、一層燃えるように紅い毛並みの一体が前に出る。おそらくこいつが群れのボスなのだろう。
「同胞は、どこだ」
その場にいる者を睥睨し、重く、身体全体に響く低い声で、紅狼のボスが問う。
ラージュは自分が問われたと思ったのか、身を震わせ固まった。
「グァア」
ラージュの腕が締まったのだろう。
右手に抱えていた紅狼の子どもが、小さく鳴いた。
問うた紅狼の顔が、ラージュへと向く。
「ひ、ひぃぃぃ……」
ラージュは手を離し、紅狼の子どもが腕から落ちる。
紅狼の子どもはくるっと身をひるがえして着地し、ラージュを見上げた。
「……お前か。我らが同胞を奪ったのは」
「あ…………や…………ちが、俺…………」
ボスの視線から逃れるように、ラージュが後ずさる。
「焔よ」
ボスの眼が僅かに広がり、同時にラージュのいた場所が炎に包まれる。
炎は渦を卷き、数秒後、そこにはなにもなかった。
「…………あ…………あぁ…………ぁぁぁあぅぅぅ……」
腰が抜けたように、両手と尻を地につけてラージュは涙と鼻水を垂らしていた。
炎が上がる直前、ジジイがラージュを蹴りつけて吹き飛ばしていたのだ。
「邪魔をするな」
「ふん。そうではない」
ジジイは、いつの間にか紅狼の子どもを抱えていた。
「こやつを戻す前に、確認しておきたくてのう。
……その男一人でヌシらは満足してくれるか?
気が済んで山向こうへと戻ってくれるのか?」
「言っていることの意味がわからんな」
ジジイが後ろに飛ぶ。
ジジイがいた場所の顔付近に炎が上がっていた。
「なぜ我らがそのような条件を飲まねばならない?」
「では皆殺し、というわけかの?」
「当然の報いだ」
「ならば仕方あるまい」
ジジイは腰の短剣を引き抜いて、躊躇することなく紅狼の子どもの背に突き立てた。
「グァァアアア」
ジジイの腕の中で暴れる紅狼の子ども。
「なにをする!?」
ボスが怒髪をつくように、紅の毛が逆立つ。後ろに控えていた紅狼たちも紅の毛を逆立て、チリチリを空気が燃えるように怒りをみなぎらせている。
ジジイは動揺することなく、平坦な声で聞いた。
「サービスじゃ。ワシの首もつけよう。
どうじゃ? ここは退いてくれんかの?」
「……貴様」
「さて、どうする?
ワシはせっかちでのう、ゆったりと交渉するつもりはないんじゃ」
ジジイが短剣の柄を軽く叩く。
「この子の胴が二つに別れんうちに、さっさと決めてくれんか?」
「…………」
ボスは沈黙し、
「……わかった。条件をのもう」
「ひょ。感謝するぞい」
ジジイは短剣を引き抜き、紅狼の子供にポーションをかけた。
見る間に傷が回復していく。
ジジイが紅狼の子どもを離すと、すぐに群れへと駆けていった。
「貴様が長か?」
「ちょいと違うのう。
ヌシ、冒険者ギルドはわかるか? ワシはその支部の責任者じゃ」
「そうか」
ボスがジジイの正面に立つ。
紅狼の存在感は圧倒的だった。紅狼と、人間の絶対的な差があった。
「言い残すことはあるか」
「そうじゃのう…………いろいろとすまなかったと、あの子どもに伝えてくれるか」
「…………いいだろう」
紅狼の眼が見開かれる。
ジジイとラージュのいた空間全体に炎があがった。