第七話~旅の始まり~
探査船グルースの最上部にある第一デッキにある小型シャトル格納庫、そこにタケヒトとアンの姿があった。それぞれ実体アバターに“誉れある黒の民”と“褐色の森人”の外装データを反映させて、この惑星の東大陸で一般的な旅装を身に付けていた。
タケヒトは二メートル程の棍を手にし、防具は身体の動きを阻害しない様に、前腕外側と手甲を覆う籠手、肘当て、膝当て、脛当てのみを身に付けている。
アンの武器は短弓で、斥候も兼ねる事から彼女も胸当てのみと軽装である。
予備武器としてタケヒトはナイフ、アンはショートソードを、それぞれ身に付けている。
これらは一見すると東大陸で使われている汎用品にしか見えないが、全て地球の最新素材が使われていて、例えば服の布地は防刃性と耐刺突性に優れる物が使われていたり、ナイフとショートソードは金属を主とした複合材で作られていたりと、この惑星では完全にオーバー・テクノロジーな代物ばかりだ。
腰に水を入れた皮袋、背には布製の背嚢を背負う。
背嚢には偽造した貨幣、同じく偽造した通行手形、着替えなどの日用品、生体アバター維持用としての錠剤や緊急時用として小型銃火器等が入っている。
擬装用の携帯用保存食等は最初に立ち寄った宿場町で購入する予定だ。
「いよいよ出発か、長かったねぇ……」
「それは設定に凝り過ぎた船長の自業自得ですから」
アンが上機嫌で言うと「江戸の敵をここで討たれたか……」とタケヒトは呟いた。
タケヒトは、まだあの事を(前話参照)根に持っているかな、と思ったが、思うだけで口には出さない。最近なぜか以前に比べてアンが感情豊かになって来ている気がするから、ここで何か言って不機嫌になられても困る。
「船長、早く出発しましょう。飛行ルートの入力はもう済んでいます」
「それでは乗り込もうか。感慨深いけど、本部にも現地にもバレないように気を付けて行こう」
タケヒトの言葉を待っていたかのようにシャトルの搭乗口が開き、浮かれた様子でアンが先になって搭乗していく。それを見て苦笑しながらタケヒトも後に続く。
最初に予定していた(名目としての)調査の旅程は変更になっていた。
目的地である“褐色の森人”の居住地である大陸地峡の東大陸側にある森林地帯へ一気に行く事を止めて、東大陸の東端の僻地から延びる街道を、宿場町に泊まりながら南西に進み、大陸地峡手前で荷役用に驢馬を購入。その後で目的地に向かう事になったのだ。
原因は“褐色の森人”の祭りまで一〇ヵ月もある事だ。
そこで普段の生活よりも祭りの様子に興味のあるタケヒトは考えた。もしも本部にバレた時、特定地域に居るよりも、より広く様々な地域を渡り歩いていた方が言い訳をしやすい、と。
それに以前あれ程有った“褐色の森人”に対して興味が薄れてしまった事も一因かも知れない。何故なら自分の相棒が仮とは言え理想的なダークエルフの姿になって身近にいるのだ。
「まあ、のんびりと行こうか」
タケヒトが乗り込むとシャトルの搭乗口が閉まり、格納庫の上部隔壁が開い行く。
「シャトル、離船します」
アンの声とともに調査行の出発点に向かって夜の闇にシャトルが飛び立った。
*****
辺境からの旅は順調に始まった。
誰にも見られる事なく最寄りの宿場町から直線距離で二〇キロメートル程、街道から逸れた人目に付かない場所にシャトルを着陸させ、タケヒト達の実体アバターは惑星の大地に降り立った。シャトルを自動帰還させた後、辺りを警戒しながら夜明けを待ってから街道へ出て宿場町へ向かう。
地図や現在地は意識するだけで彼らの視界に表示されるので迷うことは無い。更に、流石に敵味方識別は出来ないが、高空に小型探査機を常駐させる事で周辺監視も行っている。
歩きながらタケヒトは「時間的に夕方に着く位のペースでゆっくり行こうか」とアンに言う。
「はい、船長」
「それでは、これからは現地語と、事前に決めていた現地での偽名を使う事にしよう」
続けてタケヒトが東大陸語で「いいな? ュアン」と言うと、アンも同じく「わかったわ。フェロウ」と応えた。
「それと俺達は流れの傭兵って設定だからな。俺、普段はこんな感じで、ちょっとばかり砕けた言葉を使うようにするけど、お前はどうする?」
「わたしは庶民が普通に話す感じね。どうかしら?」
「それで良いんじゃねえかな? まあ、二人だけで話す時は、別に声なんざ出さなくても良いけどよ」
そう言ってフェロウことタケヒトは歯を見せて笑うと、ュアンことアンは「それもそうね」と微笑んだ。
実体アバターは彼等にしたら端末だ。二人だけの会話なら探査船グルースの中だけで行えば良い。しかしその様子は端から見たら、まるでテレパシーだ。
しかも高速処理モードなら会話も一瞬で済んでしまうし、相手の一秒がこちらの約八〇分になるので、じっくりと検討や分析、打ち合わせだって出来てしまう。高速思考である。アンに至っては純AEであるので意識の分割・再統合も可能なので並列思考、いや多重思考持ちだ。
自分達はかなりズルい存在だなとタケヒトは思う。だが、この道行きは所謂潜入調査である。どんな形であれ危険を冒すべきではない。トラブル回避には必須なのだ、と考え直す。
実際ところ、何らかの事故で実体アバターを失ったとしてもタケヒト達の本体には何の問題も無いのだが、いくら無断改造したとは言え実体アバターは中央からの支給品である。官品は大事にしなければならないから、これで良いのだ。
歩きながらタケヒトは一度は声に出してみたい言葉を言ってみた。
「俺達の旅は、これからだ!」
おいバカやめろ。
*****
夕方、陽が傾く頃にタケヒト達は最初の宿場町に着いた。町中に飯屋を兼ねた宿が一軒と雑貨屋が一軒あるだけの小さな集落で、人影は疎らで閑散としていた。
辺鄙な田舎町という事もあり、普遍人しか居ない町に現れた“誉れある黒い民”と“褐色の森人”の姿をしたタケヒト達は当然目立ち人々の目を引いた。
しかし目を引いただけで何の問題も無く雑貨屋で携帯保存食等の買い物をし、宿に向かう。雑貨屋を営む年配の女性からは珍しがられたが対応は至って普通だった。
宿は二階建てで一階が飯屋、二階が宿と言うか休憩所と言った造りになっている。
一階は飯屋を兼ねた土間と宿泊する者の食堂である板の間に別れており、板の間の前にある帳場で宿帳に記名し宿代の半金を払った後に板の間に腰掛けて履き物を脱いで宿に預ける。
その後に宿からサービスで出される濡れた布で足を拭い、板の間に上がり奥の階段に向かう。
階段を上って行くと、床が板張りで広さ二〇畳ほどの大部屋が一つあるだけ。既に何人か先客が居り互いに軽く挨拶を交わす。夜はこの板の間で皆で雑魚寝をするのだ。
寝具の貸出は有料で預けた履き物以外の荷物は自己管理。貴重品が盗まれたとしても自己責任だ。
事前に分かってはいたが、こうして改めて実体験すると、まるで時代劇に出てくる旅籠だなとタケヒトは思った。
「暗くならないうちに飯でも食っておくか?」
「そうね。そうしましょ」
人目があるので二人はどうやら普通の食事を取ることに決めたらしい。皆がするように無用のトラブルを避けるために自分達の荷物を持って一階の食堂に降りて行き、食事を注文する。
提供されるのは酒と白湯、お任せの食事だけ。二人は白湯と食事を頼むと板の間に置いてある卓袱台のようなテーブルの前に陣取った。
出てきた食事は、腹持ちの良い固く焼かれたパンのような主食、根菜類を中心にたっぷりの野菜と少しの燻製肉が入った塩とハーブで味付けされたスープ、固く酸っぱい大豆ほどの大きさの木の実が三粒と質素な物だ。
塩気は強いが素朴な味わいで、どこか懐かしいさを感じる。付け合わせの木の実は疲れを取る効果があるとされていて、この手の宿の食事では定番となっている。タケヒトにとっては“久し振りの食事”だ。
AEとして蘇った当初は仮想空間で楽しみとして食事を取っていたのだが、いつの間にか取らなくなってしまっていた。
「……美味いな」
そうタケヒトは呟くと黙々と料理を口に運び続ける。
アンは食事を“楽しんでいる”タケヒトが少し羨ましいと思い「フェロウは狡いわ」と言ってしまった。
「ん? なんだ?」
「なんでもないわよ」
――どうした? 気になるから話してもらえないかな?――
アンの様子からタケヒトは声に出さす高速処理モードに切り替えて“直接”アンに語り掛けた。
――私は料理を楽しむ事が出来ないからです。味と言うパラメーターはデータでしかありませんから、船長と共感できないのが少し残念です――
――それは仕方ないんじゃないかな? 君と僕とでは同じAEでも出自が違っているからね――
――それは存じています――
――味覚に限らず快不快って言うのは生命が生存率を上げる為に発達させたものだって言うのは理解できるよね。生き残る為に獲得した機能だ――
――はい――
――アン、君は人間と同様な“生命体”になりたいのかな?――
――それは……自分でも、わからないです――
――アン、僕は一度死んでいる。いや、正確に言うと今でも死人なんだよ。ここに在る僕と言う存在は量子ニューロン・システム上で再構築された木村健人の人格って事になってる――
そこまで言って一度言葉を区切り、タケヒトは言葉を続ける。
――でもね、アン。僕はこんな状態でも生きていると思っているんだ――
アンが黙ったままなので、タケヒトは続ける。
――アン、実存の意味は分かるよね。僕たちは生命体ではない。けど現実的存在かつ自覚的存在として生み出され、ここに在る。そして少なくとも僕は自身は生きていると自覚している。上手く表現出来ないけど、君だって生きている存在だと思うんだ。生きている事と生命体である事は必ずしもイコールじゃあない。そんな感じかな――
――最後がよく理解できません……――
――君は死ぬのは怖いかい? 僕は怖いよ――
――死の概念は理解できますが、私にその恐怖は実感出来ないです――
――きっとそこが根本的に違うとこなんだろうなぁ。人間が感じる快不快は生存本能に根差して獲得されて来たものだと言われているからね。君が感じる“楽しい”と僕の感じるそれとは、きっと別なものだと思うよ――
――どうしたら共感できるようになるんでしょうか?――
落ち込んだような感情を言葉に乗せてアンが言った。
――僕は専門家じゃないから何とも言えないかな。そうだ、僕の人格甦生が行われた時の脳幹部のデータがあるはずだから、何かヒントになるかもね――
――わかりました。少し自分で色々と考えてみます――
――取り敢えず食事を済ませてしまおうか。考える時間なんて僕たちには幾らでもあるんだから――
――そうですね。訝しがられると面倒ですものね――
――ああ、そうだ。君、その姿になってから、どこか人間くさくなってきてるよ――
――そうですか? 自覚はありませんが――
――まあ悩むって行為も相当人間くさい事だけどね。では戻ろう――
タケヒトがそう言うとアンは嬉しそうに、はい、と応えた。