第六話~準備・学習・修行……修行!?~
少し長めです。
「あちらは芳しくないみたいだな」
惑星に着陸してからも調査を続行していたある日、本部から改修した工作船の出航の知らせと、アクィラ案件の進捗状況を知らせる文書が送られて来た。
工作船の到着は一〇ヶ月後。かなり日数を要するように思われるだろうが、約一四〇光年を無補給且つ二日で一光年弱の距離を移動できる文明を持つ知的生命体は、近隣宇宙では地球人類しか存在しない。
日数を要する理由だが、一つは跳躍で消費するエネルギーは質量の自乗及び距離の三乗に比例して増えて行くため無闇に一回の跳躍距離を大きく出来ない事と、もう一つはリスク回避のため緊急時を除いて跳躍毎にメイン・リアクターとジェネレーターの精密チェック行う事が義務付けられており、これに最低でも一日を要する事が上げられる。
アクィラ案件の方は進捗状況が芳しくなく、ジェネレーター設置が当初予定なら進捗率二〇パーセントのところ実際は進捗率一二パーセントとなっていた。
遅れの原因は頻繁に起きる恒星の大規模フレアが理由として上げられていた。
また恒星の破滅的な超大規模フレアの発生は観測により九年±一年と予想されており、このままだと設置完了が間に合わなくなる畏れがあり、計画の見直しが設置作業と並行して行われる事になった。
タケヒトは「計画見直しでエクソダスのタイミングが早まるとして……。猶予は最低でも二〜三年はあるかな。これは既成事実を作って、どさくさに直接接触の権限移譲をもぎ取るチャンス有るかも知れないなぁ」と一人ほくそ笑んでいると、アンから声がかかる。
「船長、実体アバターのチェックを行う時間です」
「了解。君もチェックに入って」
「はい。では後ほど」
普段は感情をあまり感じないアンの声が弾んでいる気がして「本当に素直じゃないんだから」とタケヒトは呟いて白い部屋から消えた。
*****
アンの個室に設置された保管カプセルの透明なカバー越しに見えるノッペリとしたマネキンが変化を始めた。
皮膚が褐色になり頭髪が生え伸び始め、耳も細長く変化し始める。体型が引き締まった、それでいて女性らしい曲線を持ったものへとなり胸部もそれに合わせて形よく大きく盛り上がる。
変化が終わった時に実体アバターに生気が宿る。細部まで再現された仮の肉体の体温が上昇した事と排熱を兼ねた擬似的な呼吸を始めたの事がそう思わせるのだろうか。
カプセルの中に横たわるアンの姿をした褐色の森人がゆっくりとその瞼を開くと紅い瞳が宙を見つめる。幾度かの瞬きの後カプセルのカバーが開いた。
実体を得たアンはゆっくりとその身体を起こして辺りを見回すと、自分の胸元へと視線を向けて「失敗しました」と呟く。
「重力の事を考えていませんでした。修正しましょう」
そう言うとカプセルから出ると再び目を閉じる。変化はすぐに始まった。
重力に負けて少しだらしなく下がっていた胸部が理想的な形状になって行く。臀部や他の部分も同様に修正される。
変化が終わり、アンは再び目を開けると「これで完璧ですね」と微笑んだ。
部屋のテーブルには褐色の森人の民族衣装が置いてあったが、アンはそちらには目もくれずクローゼットへと歩を進めた。さすがにこのままタケヒトの前に姿を見せる訳にはいかない。アンはクローゼットから下着を取り出し身に着けようとしたところで「また失敗しました。サイズが合いません」と項垂れる。元々のカップサイズがDなのに盛った事でFかGになっているのだから当たり前だ。
アンは振り返ってテーブルの上にある再現された民族衣装を見た。
「仕方ありません。不本意ですがアレを着るしかないでしょう」
そう言ってアンはサイズ的にやや小さくなってしまったショーツを無理やり穿くと、目の前にある民族衣装に取り掛かった。
さて、褐色の森人の民族衣装と言うか伝統的衣装は至極単純な作りになっている。
まず下半身は男女ともそれは越中ふんどしその物である。ただし布は二枚重ねになっており不意のぽろりが起きない様に工夫されている。
その上に男性はなめし革の前掛けを、女性はお尻を隠すように腰布を着ける。腰布は三角に折った布の端を後ろから前に回して結ぶだけ。ちなみに女性向けに使われる布はカラフルに染色された物が使われ、蝶や花をモチーフにした刺繍が施されていたりもする。
上半身の方だが、男性は革製の前開きの丈の短いベストで刺繍が施された布で裏打ちされている。女性は三角に折った布を組み合わせて結んだ胸当てに、布製の前開きの丈が腰まである長いベスト。これも染色された布が使用され刺繍が施されている。
男女とも足元は革製の編み上げサンダルである。これに加えて女性はアミュレットやバレッタを身に着けたり、編み込んだ髪に飾り紐を結んだりする。
しかし、これは今では祭り用のオシャレ着で、日本で言えば七夕の浴衣みたいなものだ。
彼らは東大陸の文化圏に属しており、普段は東大陸の普遍人と同じ動きやすく機能的な服装をしている。
ただ生活圏が亜熱帯の森林地帯であるので露出が若干多い程度で東大陸の常識の範囲内に収まっている。。
偶々タケヒトの目に留まった時が彼らの祭りの時期だった事でエロフ認定されてしまっただけで、後にこの事が判明した時のタケヒトの落胆ぶりは相当なもので、暫く仮想空間の白い部屋に姿を現さなかった程である。
さて、今アンは褐色の森人のお祭り用おしゃれ着を身に着けてタケヒトの部屋に向かっている。
その姿を見たらタケヒトでなくても目を見張るだろうし、もしも今のアンの姿を本物の褐色の森人の男性が見たら即座に求婚されかねないレベルである。
着替えを終えた本人も「悪くはないですね」と満更でもなかったようだ。
アンはタケヒトの部屋の前に来ると「船長、入室します」と返事も待たずドアを開けたが、開けたドアの先にはタケヒトの姿は無く、代わりに触手の生えたウミウシの出来損ないのような悍ましい肉の塊が蠢いていた。アンが暫く見つめていると、その物体は耳障りな鳴き声を発てる。
『てけり・り』
「船長」
『てけり・り』
「遊んでないでさっさと外装変更して着替えてください。私はラウンジにいます」
アンは不機嫌そうに冷えた声色でそう言うと部屋に入らずにドアを閉めてしまった。
『てけ……』
仕方ないとでも言ってるように肉の塊がふるふると蠢くやその姿は急速に変形し、尾てい骨の辺りから艶やかな黒毛に被われた尻尾を生やしたタケヒトの姿へと変化したのだった。
「上半身は良いけど下半身どうするよ、これ」
取り敢えずトランクスタイプの下着を取り出し、尾てい骨から伸びる黒い尻尾を見てタケヒトは悩む。
暫くしてから手をぽんと叩くと、いそいそと下着を穿き始めた。
「前後ろ反対に穿いてここからナニの代わりに尻尾を出せば良いか。スラックスも前後ろ反対にして穿くかないよな。しかし前後ろ反対に穿くと違和感あるな」
そう言いながら、支給されてから長い間袖を通していなかった制服を身に付け終わるとタケヒトは腰回りに違和感を感じながらラウンジに向かう。
AEによる運用の調査船だが、生身の人間を乗せる事もあり一〇人までなら収容出来る居住区画がある。ラウンジとは言っても食堂を兼ねた談話室だ。
タケヒトがラウンジに入ると、既にアンはソファーに座っていた。
「悪いね。僕の都合で待たせてしまって」
「船長の奇行はいつもの事ですから慣れています」
タケヒトは「実体アバターの改造の時から練っていたネタなんだけどなぁ」と愚痴を言う。
「それでアン、その姿と衣装だけど、とても似合ってるよ」
「船長、狡いです」
タケヒトが誉めると、アンは珍しく不機嫌ですという感情を乗せて言葉を返した。
「え? なんで?」
「船長だけ制服なんて狡いです。私はサイズが合いませんでした」
「いやそれ自業自得だからね? 自分で盛ったよね? それにサイズなんて外装データ変えれば対応出来たでしょうに。なんかいつもの君らしくないね。いや凄く魅力的だけどさ」
「それでも狡いです。知りません」
アンはそう言うと、ぷいっと横を向いた。
いつもとは違うアンの様子に戸惑いながらタケヒトは「ところで接触調査での役割を決めておこうかと思うんだけど」と話を切り出した。
「まず二人とも流れの傭兵としよう。東大陸でも異民族同士がペアを組んでいるのは珍しい事じゃない」
アンが首肯するのを見てタケヒトは続ける。
「僕の民族は身体能力が高くそれなりに筋力もあり、武術の心得を持っている者が多い。君の民族も身体能力が高いけど、筋力はそれ程でもない。ただ元が狩猟民族だったらしく猟の心得を持つ者が多い。それで僕が前衛で君は斥候兼後衛って事で良いかな?」
「そうですね。“褐色の森人”の狩りは獲物に気付かれないように近付いて短弓を射るスタイルですから、それで宜しいと思います」
「次に出自に関してだけど、これは後回しでも良いかな。幸い戸籍制度が無い国が大多数だから、取り敢えず二人とも孤児って事にしとけば幾らでも誤魔化せる」
「出身国くらいは決めておいた方が良いとは思いませんか?」
「うーん、僕の外装が西大陸の辺鄙なとこの少数民族だからなぁ。君の外装の民族だって“氏族”という括りがあるから出身国を設定すると孤児設定で誤魔化し切れない事も出て来ると思うよ」
「面倒ですね。後で該当するようなケースが有るか、現在まで分かっている範囲になりますがデータベースで検索してみます。地球の創作物からも探してみますか?」
タケヒトは「頼むよ」と言うと、アンが「生活用品や装備品、移動手段については?」と先を促す。
「金銭の調達は両替商が存在するから貴金属を換金することでも可能だけど住所不定の余所者には厳しい感じだね。最初期は今有る拾得物をサンプルにして偽造するしかないかな。移動手段は基本は徒歩。旅装はまあ、東大陸で一般的なもので問題ないよ。ただ流れの傭兵となると運搬の問題があるね」
かなりの重量になる武具類を着け旅に必要な荷物を持ったまま長距離を旅するのは現実的ではない。
輜重隊を持つ軍隊・傭兵団のような組織ならともかく、流れの傭兵が武具類を着けたままで糧食やら何やらを背負って旅するとなれば無理が生じる。
主要街道の至る所に宿場町があれば負担も減るだろうが、これから向かおうとしている大陸地峡方面は、東大陸に比べて街道もあまり整備されておらず、また宿場町も疎らにしか存在しない。
そこで武具類を着けたまま旅をするなら荷役が必要になる。ここ東大陸では旅の荷役には驢馬にそっくりな動物が使われていた。
ただ糧食に関してタケヒト達は実体アバターであるのでエネルギー切れを起こさない限り疲れ知らずで、且つ人間としての食糧の必要性が無い。
但し外部活動する場合は人工細胞を構成する有機ナノマシンを維持するためのアミノ酸を生成するために水とタンパク質、ミネラル等を経口摂取する必要が有る。
特にトラブルがなければ水は一日コップ一杯程度、補給するタンパク質とミネラルは錠剤となっていて一日一錠~三錠で事足りる。
ただ、人前では生命に偽装する必要があり、皮脂や発汗、唾液などの分泌や呼気に含まれる水蒸気など、使われる水分と塩分が多くなるだろうし若干の脂質が必要となるので、その場合はそれらを人並みに摂取する必要があるだろう。
「僕達は食事の必要が無いから糧食なんかは特に問題無しだけど、偽装する必要があるからなあ。これも金銭を入手してから驢馬の一頭でも購入しないとだめだね。買うときの口実は旅の途中で死んでしまったとかでも良いし。装備品は良い感じに草臥れた感を出しつつ実際は高性能・高機能の物を作ってしまおう」
その後、細々とした話し合いが続いて行った。
タケヒトが「問題は言語なんだよね」と憂鬱な表情で漏らす。
「翻訳エンジンとデータベースを言語野に組み込めば……。船長には無理でしたね」
「そうなんだよ。“現代語”を憶えるのも苦労したしなぁ。翻訳機を通すと受け答えが不自然になるし……」
タケヒトのAEとしての構造は人類の脳そのものだ。アンの様な純AEのように外挿して機能強化は出来ない。新しい事を憶えるには地道に学習しなくてはならないのだ。しかも記憶を定着させる為に睡眠と同じ状態にする事が必要だ。もちろん創作物にある多重思考や並列意志みたいな器用な事は出来ない。
「現実時間処理を止めて高速処理で学習すればよろしいかと思いますが。教師役は私がやりましょうか?」
「最低でも東大陸共通語と“誉れある黒の民”の言語は憶える必要あるから、それしか無いかな……」
「お望みなら、この外装データの姿で授業を行いますが?」
「是非ともお願いします! 出来れば眼鏡に地味スーツで!」
どんだけダークエルフ好きなんだタケヒトよ。そしてなんだその性癖は。
こうして締まらないまま打合せは続くのだった。
*****
タケヒトは普段は自身を現実時間処理のモードにしてある。
このモードではタケヒトが納められている量子ニューロン・システムは、わざと生体の脳と同じ反応速度で動作しているが、高速処理のモードになるとその処理速度は五〇〇〇倍近くになるのだ。
では高速処理のモードにすると何が問題となるのだろうか?
まずタケヒトは人類由来のAEである事で、純AEが普通に実行している意識の分割や再統合が出来ない。言い換えればシングルタスクのOSだ。
更にそのOSの時間管理がコンピューターのクロックに依存しているようなものである。
さて、このOSで時間依存の処理、例えば周期的な信号を一定間隔で取り込む処理をしているプログラムが動作しているとして、コンピューターのクロックが五〇〇〇倍に上がったとしたら?
プログラムから見たら信号の周期が五〇〇〇倍になるのと同じ事だ。
高速処理のモードになるとタケヒトから見て世界の時間が五〇〇〇倍に引き伸ばされるのだ。
タケヒトは今、いつもの白い部屋でなく、地面が剥き出しになった広場の様な場所に居た。
上半身裸で柔道着の下だけを穿いた姿だ。適度に発達した筋肉を纏った引き締まった細身の身体、そして道着の尻からは尻尾が生えている。
アンとの打合せの後、彼は“誉れある黒の民”の若者達の身体データを合成・平均し、自身の身体とモーフィングで変化させながら筋肉の解剖図も参考にしてバランスが取れるデータを作成したのだ。もちろん腹筋はシックスパックだ。
体を半身にし棍の先を下げて斜めに構えている。ふっと息を止めると流れるような棍裁きで様々な型を行っていく。一通り型を終え構えを解くと、納得したように頷いた。
アンによる語学のスパルタ授業はタケヒトの時間感覚で五年間続けられたら。お陰で東大陸語と“誉れある黒の民”の言葉を憶える事が出来たが、“誉れある黒の民”を先に習得した事で東大陸語に若干“誉れある黒の民”訛りが入ってしまったのは逆に良かったのかも知れない。
アンの授業は高速処理モードで行われたので現実世界では九時間弱しか経過していない。
言語習得前の打ち合わせで出た懸案事項で、傭兵と言う設定なので何かしらの戦闘行為に巻き込まれる可能性がある事、また人の目がある場所ではこの惑星では未知の兵器となる地球の銃火器を使うのも憚られる。
その事から、何がしか戦闘技術を習得の必要があると結論付けていた。
幸い船のライブラリーには、主にタケヒトの退屈凌ぎのために様々なデータが山ほど入っており、その中には剣術や体術などの武術・戦闘術関連の資料や映像も豊富に入っていた。
ここでもタケヒトのAEとしての特異性が習得のハードルを上げた。アンのようにデータ化して取り込み反映させる事が出来ないので、とにかく鍛錬あるのみなのだ。
高速処理モードでの仮想空間で、最初は資料や映像を見ながら基本の型や動きを反復練習。ある程度憶えたら実体アバターで動きを確かめデータを取り、それを仮想空間のアバターに反映させて更に練習。
痛みの感覚もまた必須なので痛覚の鈍化は行わず、また実際に想定される防具を着用しての鍛錬である。
組稽古はアンにも憶えて貰って仮想空間で二人で稽古し、実体アバターで確認して仮想空間のアバターに反映させてを繰り返した。
選んだ武術、戦闘術は多岐に渡り、習得されたそれらがタケヒトの中で様々に影響しあって何だか良く分からない総合戦闘術になっていった。
この鍛錬にアンも付き合ったお陰で、後衛のはずがタケヒトと同じ前衛でもおかしくない戦力なってしまった。
ちなみに鍛錬初期はアンの方に圧倒的アドバンテージがあったのでタケヒトが一方的にボコボコにされたのは言うまでもない。
これらの鍛錬・修業は三〇年行われた。まるで本職の武道家である。現実の時間では三日も経過していない。老いと精神の衰えの無いAEならではである。
残る懸案事項は、この惑星住民の持つ特殊能力、所謂魔法とか魔術とか言われているものである。
この惑星住民は殆どが、この原理不明の魔法・魔術と呼ばれるものが使える。但し一般人が使えるのは指先を淡く光らせる程度なので、原理は違うが見た目だけなら実体アバターで模倣可能だ。
「これで大体の準備は出来たかな?」
一人呟くと褐色の森人の姿をしたアンが目の前に現れた。
「装備品の方も先程全部製作が終わりました」
「いよいよ未知なる道に踏み出せるね。銃火器縛りが無ければもう少し楽だったんだろうけど悪目立ちするからね」
首を傾げながら「魔法ということで誤魔化せばよろしかったのでは?」とアンが言う。
「分かってたけど……スルーされたよ……。いやそれだと、そんな才能あるヤツはどこかに仕官して傭兵なんかやらないから。ドラゴンなんかに襲われたら躊躇わず使うけどね。それにしても君にまで訓練に付き合わせて済まなかった。ありがとう」
「いいえ、どういたしまして。私としても楽しかったですから」
にこりと笑顔になったアンが続ける。
「これで船長が好きな“俺tueee”が出来ますね」
アンがとんでもない事を言うのでタケヒトは慌てふためいた。
「違うから! 調査だから! ちゃんとした学術的調査を行う一環だから! まったく、どこでそんな言葉を憶えたんだか……」
「勉強しましたから。ふふふ、冗談ですよ。では私はあちらに行ってますね」
そう言って仮想空間から消えたアンが居たところを見つめながらタケヒトは「なんかあの姿になってから感情豊かになった気がするんだよなぁ……」と呟いた。
某神様「わしんとこの精神と時の部屋より高性能って……」(´・ω・`)
次回、いよいよ出発!のはず……。