第三話〜ム・レリュノの覚え書きからの抜粋〜
さいど:ふぁんたじぃ
太陽が西の地平にかかり日没を迎えようとしている時刻、その夜の天文当番であった天文方の下級役人ノミルは天測台へと登って行っく。彼はこれから始まる仕事を考えると少し気が滅入った。
夜の当番は、徹夜で星に変化が無いかを目を皿のようにして見張り記録し、夜が明けたら御前朝議の始まるまでに報告を纏めて上司へ提出しなければならず、また朝議が終わるまでは勤務からは開放されない。朝議が長引いて昼を回る事なぞは日常茶飯事で、天文当番は昼食も摂れずに別室で待機していなくてならないのだ。間違った記録を出したりでもすれば朝議に引き摺り出され、占呪師に罵られる事だってある。
最悪な事に今日のノミルは仮眠を取ることに失敗していた。下級役人で独身の彼は縁故のある商家に下宿している。彼の部屋は下町の裏路地に面しており、普段そこでは近所の子供たちが比較的大人しく遊んでいるだけなのだが、その日に限っては何故か近所の子供たちが集まり何やら大騒ぎをしていた。ノミルは窓を開けて彼らを何度も大声で追い払っているうちに、寝付く機会を逃してしまったのだ。
彼は欠伸を噛み殺しながら、天測台に置かれている年期が入りすぎて草臥れた椅子へと腰掛け、持ってきた水筒を開けた。ありがたい事に下宿先の女将さんが気を利かせて眠気覚ましの薬草茶を持たせてくれたのだ。
つん、と鼻を突く匂いと苦味のあるそれを一口啜り東の空へと目を向ける。この季節、東の空に一番で光り始める星を観る為だ。東の一番を見つけると天測筒を向けて方角と角度を測り天測盤に記録するための明かりになるよう左手指先に火を灯す。
天測盤には前日の記録が残されており、その横に今日の記録を書き留めるのだが、彼はそこで異変に気が付いた。
「なんだこれ? 昨日より相当ずれているじゃないか」
測り間違えたか? と彼は思い、東の一番星の他にも、ぽつぽつと他の星が光り出している東の空を注視する。星の位置は前日と今日ではそうズレる事は無い。ノミルは天測筒を昨日の記録に合わせて覗き込むが、そこに星は無かった。
慌てて天測盤に記録されている他の方向に天測筒を向けるが、やはり星を見付ける事が出来ない。
ノミルは寒気が走り冷や汗が流れるのを感じた。下級とは言え天文方の役人である。全ての星絵、地球で言う星座は頭に叩き込んである。既に日が落ち星々が輝きだした夜空を見て彼は愕然とした。この季節に天にあるはずの見慣れた星絵が見つからないではないか。冷や汗が滝のように流れ、動悸が早鐘を打つ。それでも必死で天を見上げて星絵を探すが、そこにはただただ見慣れない星空が広がるばかりだった。
――「フレムノ・オゥタック著 新しい星絵の提唱者 ノミル・ハミュファラの伝記」より――
*****
聖ナソティキ歴一〇三七年、星空が一日にして変わってしまったこの出来事は今では『サグイの星変』と呼ばれている。サグイとは、現在の港町マハナオがあるマヨト湾がまだ陸地であった頃、そこに都を構えていたイゴモイ王国の当時の王、サグイ七世の事を指す。
なぜ〝星変〟が起きたのは今でも謎のままであるが、当時の混乱は想像を絶したものであったろう。多くの占呪師達はこれを凶兆として捉えたが、過去に例の無い事なのでどのような災いが起きるのかの判断が出来ず、それぞれが仕える主達への進言もまちまちであった。それらが漏れ伝わり流言飛語となって庶民を恐れさせたであろう事は想像に難くない。当時の文献には「人心は乱れ自棄から自死を犯す者が絶えず、民は働かず田畑は荒れ、強盗や野盗が蔓延り世が乱れ始めた」とある。
サグイ七世も占呪師から「何が起きるか判りませぬ。大飢饉、大洪水、火の山の噴火、それら全部を含んだ天変地異が起きるのやも。某には天地改変、天地変革の兆しとしか思えませぬ」との進言と受けた。
「天が改変されたのなら地も改変されよう。地の改変とは即ち人の世の改変なり。余は天啓を得たり」
この時の王の言葉が今に伝わっているが、後世の創作であると筆者は考えるがこの時にサグイ七世には野心が生まれたのであろう。
サグイ七世は「此度の天変は人世の変を行うべしとの天啓である」と王国全土に触れを出して人心を鎮める事に努め、また同時に軍備の増強に勤しんだ。
聖ナソティキ歴一〇三九年、サグイ七世の命を受けた大将軍マショ・ミィズはイゴモイ王国軍3万の精兵を率いて“星変”による混乱が続く隣国へ攻め込み、瞬く間に攻め落として併合してしまう。
ミィズ大将軍率いるイゴモイ軍は侵攻の勢いそのままに周辺国を次々と併合して行き、聖ナソティキ歴一〇四七年にはその支配域を森人の勢力圏であるイシウジム大森林近くまで拡大した。大森林を併呑してそこを越えれば、権威として大陸中に影響力を持つイスィカウィ聖教国がある。
サグイ七世の目的は権威の簒奪か、或いは自身への権威付けの要求か、今となっては知る由も無い。
イシウジム大森林を前に、十万人を超えるまで拡大したイゴモイ軍は王命により千名程の駐留部隊を残し王都へと引き返して行った。僅かに残る記録では王の即位二〇年を祝う式典のためである事が判明している。
式典は恙無く執り行われ、補給を終えた軍も出陣式の準備を行っている時にイゴモイ王国は不幸に見舞われる。
一瞬にして王城に居たサグイ七世も王族も、王都に住む貴族も、王都近郊で準備をしていた軍勢も、王都に住まう民衆も、王都に隣接していた港も、火山の噴火よりも苛烈で激しい爆発によって王都諸共この地上から消え去ってしまったのだ。
当時、多くの者が直視できない程の光りを発する物が、あっという間にイゴモイ王国の方向へと空を横切って消えて行くのを目撃している。光が通り過ぎた後に耳を劈く轟音が聞こえたとの記録もある。
この出来事から四〇日程経った頃にイスィカウィ聖教国から「地を乱そうとしたイゴモイ王国は天の怒りを買い滅ぼされた。また〝星変〟は凶事に非ず。此れ更なる地の平穏を示すものなり、と天測からの啓示を得た」と大々的に諸国に告げた。
この告知を境に諸国は徐々に平穏を取り戻して行くのだが、人心が安らぐ世となるには更に長い時間が必要だった。
――「ミ・ィルコ著 星変年代記」より――
*****
「ちょっと良いかな。山師のホゲロブってのはあんたかい?」
「なんだい森人の兄ちゃん、俺に何か用でもあんのか?」
「俺はム・レリュノ。言っておくが兄ちゃんって歳でもないぞ。声をかけたのは、あんたが見たって言う白天帯(天の川)を進んで行った影の話が聞きたくてね」
「良いねぇ森人はいつまでも若くて。そんな兄ちゃんがウラキアブラル山脈で俺が見た〝アレ〟の話が聞きてぇってか。まあ、だぁれも信じちゃくれねえけどな」
「取り敢えず聞かせてくれないか。こいつはお代がわりって事で俺の奢りだ。遠慮なくやってくれ」
「おう、こりゃすまねえ。ありがたく頂戴するぜ。お? なんだこりゃ! こんな冷てぇのは飲んだ事ねえぞ!」
「俺が冷やしておいた。こうするとスッキリして美味いんだよ」
「確かに美味い……、あんた結構な使い手だな。どっかのお抱え魔術師かい?」
「そんな大層なもんじゃない。ただの物好きな学者だ」
「森人にゃ才能ある奴が多いから羨ましいぜ。しかし、わざわざ俺の与太話が聞きてぇなんざ本当に物好きだな。どっから話しゃ良いんだ?」
「最初から頼む」
「分かった。ありゃあ二〇日前かな、ここから歩きで三日くらいのとこにある尾根を根城にして鉱脈探してたんだ。日が暮れる前に簡単に飯を済ませて獣避けに組んでおいた櫓の上で毛布被って寝てたんだが夜中に目ぇ覚ましてな。……これ、おかわり頼んでもいいか?」
「お安い御用だ。それでどうしたんだ?」
「小便催しちまってよ。櫓の上から夜空を見ながらしてた時さ、そいつが見えたのは」
「どんな感じだ?」
「白天帯(天の川)の中を音もなく動いて行ったな。見た感じ五十歩くらい先を歩いているくらいの速さだった」
「大きさと形は?」
「ん〜そだうだな。白天帯の幅の半分……。いや、三分の一くらいか。形ねぇ。なんつうか、こんな感じか? 大道芸人が使う独楽を真横から見たような……。わかるかい?」
「ああ、大体の感じは掴めた。その影は白天帯をどっちに向かっていたんだ?」
「東から西だ。小便してる事も忘れて見てたお陰で毛布を濡らしちまってな。予定より早く帰る羽目になっちまったよ」
「くくっ……。そりゃ災難だったな」
「こっちにしてみりゃ笑いごっちゃねえぞ。お陰でその夜は眠れなかったんだからな。冷える山ん中でマント一枚で野宿なんかできるもんじゃねえ。知り合いの樵から予備の毛布を借りなきゃ今頃は獣の餌だったかも知れねえんだから」
「悪い悪い。しかし西か。その影は山脈の向こう側に向かったんだな」
「ありゃ何だったんだろな。兄ちゃん何か知ってるか?」
「俺にも見当がつかんよ。いや、貴重な話、ありがとう。もう一杯奢らせてくれ」
「へへっ、ありがたいのはこっちさ」
――ウラキアブラル山脈麓の町ウコッイソジャラの酒場での山師ホゲロブからの聞き取り――
*****
ウラキアブラル山脈を越えるにはそれなりの装備が必要となる。越えても向こう側は広大な礫砂漠が広がる不毛の大地だ。そこを探索する事は私個人の力では無理だろう。
一年程前、今までに経験した事の無い揺らぎ全身で感じてから、これは何かあると思い噂話等を拾いながらここまで旅して来たが、これ以上続けても無駄足と判断した。
明日からイシウジムへ戻る準備にかかろう。幸いここウコッイソジャラの町は山師や樵が拠点としているだけあって物資が豊富だ。
隊商の出入りも多いので便乗させてもらう事に苦労は無いと思う。路銀に若干の不安があるが、手持ちの乾燥した天樹の葉を売れば余裕だろう。
それにしてもホゲロブから聞いた話は興味深い。彼が白天帯に影を目撃した日、私も異質な揺らぎを感じて夜中に目を覚ましている。〝星変〟があった日の昼間に不快感を感じた者が多かったとの記録もある。私は今回の事は〝星変〟の謎に関係しているように思う。
山脈を迂回して大陸西に行くには陸路か海路を使うしかなく時間もかかるが私は必ず行くつもりだ。そこに〝星変〟の謎を解く鍵が存在する。私の精霊がそう告げるからだ。
帰ってからの賢議院の石頭連中への説得が難題だ。それ以上に頭の痛い事も待っているが、そちらは今回と同じで何とかなるだろう。
――聖ナソティキ歴一四二二年 月六巡の一二日 ウコッイソジャラにて記す
追記
頭痛の種への対策で路銀が心もとなくなった。出立を延期してここウコッイソジャラで少し稼ぐ事にする。
森人=アールヴ(エルフ)と言う安心の安直設定。
次話はSU-27ジュラーヴリク、じゃなかったSSE-01グルースへと視点が戻ります。