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ないた赤鬼  作者: 白鳩
9/21

第一朝 鬼と送り狼ときどき仇討ち 前編

長くなったので二部構成にしました。



 かつては友であった青鬼を、一度ならず二度までも手放してしまった。


 そのことが重く胸に伸し掛かり、青鬼が居なくなってからは常に青鬼のことを思い出していた。青鬼と生き別れて早や一か月。青鬼は、今どこで何をしているだろうか。また前のように泣いてやしないか。心配だ。

 流石に青鬼には生前の記憶などあるわけもないだろうが、無いならばそれで良い。辛い過去など忘れるに越したことは無い。それに、青鬼を探しているのも、詰まるところ自我エゴだ。青鬼に好きになってくれとは言わん。思い出してくれなどと口が裂けても言えん。だが、わしの望みはもう一度だけ友達として一緒にいたいというだけだ。そのためにも、あの額に一本角を生やした青鬼に会わなければ、話にもならぬ。

「……しかし、何処におるんじゃろうなぁ」

 昼過ぎには晴れていた筈の空は、日が暮れてからというものすっかり機嫌を悪くして、今ではぽつりぽつりと小雨が降ってきている。顔を上げれば、どんよりと雲がかかった空から雨の雫が頬へとかかった。早いところこの山から場所を移してどこぞで雨宿りをしなければ、躰を冷やしてしまうことだろう。

「今日の探索はここまでじゃな」

 ふうと長い一息を吐いて、山から抜け出そうと足早になる。と、その時不意に背後から何かが付いてくる気配がした。ぴたりと足を止めれば背後にいる奴も足を止める。再び歩き出せば奴も動き出す。まるで影のようだ。しとしとと降る雨音に混じって己の足音と、背後から奴の足音がする。ひたひたという足音からして、恐らくは人間の仕業ではあるまい。

「……はて。何だったかのう」

 そういえば、大昔にこんな妖怪が居ると小耳に挟んだことがある。人が夜の山道を村へと下っていると、後ろから何者かがついてくる。それに対して、決して怯えたり、恐れてはならない。うっかり小石などにつまずいて転ぼうものなら、忽ちの内に背後をついてくるものに襲われてしまう。振り返らず無事に山道を抜ければ、背後に居たものに礼として食べ物などを道に置いて帰れば良い。

 そう、背後に居るものは守護者とも襲来者とも成り得る存在である。しかし、それは人間にとっての話だ。れっきとした妖怪であるわしには、関係のない話であることに変わりはない。それどころか、むしろ縁があるやもしれぬ。

「……もうし」

 ぴたりと足を止めて、息を潜める。それから、感情を知られぬように、されど雨音に負けぬ程に抑揚のない声で呼びかけた。

「もしや、おめぇ。送り狼ではないか」

 声を掛けると、背後に居たものの足が驚いたのか、足元の水溜りを跳ねさせる音が聞こえる。音からして、どうやら複数のようだ。足音は再びわしとの距離を詰めて、一声だけ吠えた。

「おぉ。誰かと思えば。あの時の兄ちゃんでねぇか」

 振り返らずにじっと佇んでいると、背後に居たものが嬉しそうにばしゃばしゃと水気を含んだ土を跳ね上げさせながら駆け寄ってくる。やがて目の前に回り込んで来ては、わしを嬉しそうな瞳で見上げてきたため、わしは小さく安堵の溜め息を吐いた。

「元気にしちょったけ?」

 やはり、昔に青鬼のことを注意してくれた送り狼だったようだ。いつの間にやら顔が強張っていたのか、送り狼におどけた口調で「相変わらずおっそろしい顔をしとるのぅ」と笑われる。

 ざぁざぁと本降りになってきた雨の中で、五匹の狼の筆頭である送り狼は、わしの傍に寄り添うようにぴたりと引っ付いてくる。それから「雨宿りできる場所まで連れてってやんべ」と明るい様子で先頭を歩いて行ってしまった。

「本当に、久しぶりだっぺなぁ。赤鬼やい」

 あの時と変わらぬ送り狼の様子に、少しだけ顔を綻ばせる。何度も現世にへ生まれ変わるたびに変わっていく景色や人間たちを見ては一抹の寂しさを感じていたから、送り狼からの純粋な感情に触れてどこかほっとした。

「おめぇこそ、変わらんのぅ。何時ぶりじゃあ」

「いんやぁ、つもる話も多いさけ、いーろいろと聞かせてくんなぁ」

 ふっと口元を吊り上げて言う。すると、前を歩く送り狼の足取りが矢張り嬉しそうなものになったような気がした。

 空を覆う木々の下を歩くこと数分。送り狼は雨が降ってこない場所を選びながらひょいひょいと身軽に岩場を登っていく。途中であまりに滑って登れない箇所は背を貸してもらいながら行くと、だんだんと切り立った岩山に近付いていった。辺りを見回してみても先程まで鬱蒼と生い茂っていた木々は姿を消し、ごつごつとした岩山が目立つ。送り狼は岩山にある獣道を迷うことなく進んでいき、とある場所でわしの方へと振り返った。

「さ。ここらで雨宿りしたら良いべ」

「あぁ。いかにも狼らしい住処じゃなぁ」

「仲間はまだ見回り中だっぺ。気にせず適当にくつろいでくんろぉ」

「すまんのぅ」

 着いた場所は切り立った岩と岩の隙間で、ぱっと見た限りでは奥が暗すぎてどうなっているかもよく分からない。しかし、大きな穴の奥からはごうごうと隙間風が鳴り響く。

 送り狼が先頭に立って中に入り後に続いていくと、それまで同行していた狼たちは外で見張りを任されているのか入ってこようとはしなかった。「お客さん、こっちだっぺよぅ」と送り狼の間延びした声が穴の中で反響し、わしは慌てて後を追う。

 不意に穴の中で風の流れがあからさまに変わった。すんすんと鼻をひくつかせ、洞穴に流れ込む風の臭いを嗅いでみる。すると、大昔にはよく嗅いでいた臭いのものだと分かった。これは、血だ。しかも、兎や鼠といった小動物のものではなく、もっと大型のものだ。もしや、餌の代わりに熊を狩ってきたのか。

「……おい、おめぇ」

「あ。そうじゃ。言い忘れておったが」

 すたすたと前を歩く送り狼が素っ頓狂な声を上げてわしの方を振り返ろうと踵を返した瞬間。穴奥の暗闇からひゅっと風を切る音がして、何かきらりと光るものがわしを目掛けてまっすぐに飛んできた。

 飛んできたものは何だったのか。よく見るまでもない。刃の鋭い短刀だ。

 送り狼の頭上を通過して向かってくる刃物に、反射的に両腕で顔を覆うと、どすっと聞き慣れた音や衝動とともに痛みがやってきた。間違いない。この穴奥にいるものとは、人間だ。しかも、投げてきた距離や高さから考えて、恐らくは子どもだろう。

「……何じゃ。手負いの熊かと思うたわい」

 ゆっくりと両腕を外して右腕に刺さった短刀を抜き取る。それから、お返しにとばかりに短刀をあちらが投擲とうてきした速度のままに投げ返した。ぶん、と空気を裂く音がして、あっという間に暗闇へと姿を消した短刀は、投げられた先の岩肌にがきんと刺さる音を出した。同時に「ひっ」という小さな悲鳴も引き連れて。

 これで、確信が持てた。奥に居るものは予想通り人間で、それも子どもだ。短刀を投げつけてきたということは、わしの正体にも勘付いているのだろう。どうにも喧嘩っ早い子どもだ。いや、というよりは警戒心が強いだけやもしれぬ。どちらにしろ、投擲の腕は良い。

「おぅ。そこに居るんじゃろ、小童こわっぱやい」

 穴奥にも聞こえるように大声で怒鳴りかけると、奥の暗がりからまたもや小さな悲鳴が上がる。微かにずりっと後退あとずさりするような音も聞こえた。

「こいつは、どういうことかのぅ」

 相手の恐怖心を煽るように大きく足を踏み鳴らす。外では雨が大降りであるにも係わらず足音は穴の中で響き渡り、わしの大声も穴の中ではわんと大気を震わせた。そのままずんずんと奥へと進むわしを見咎めるような送り狼の視線を視線で黙らせ、にっと歯を出しながら笑んでみせる。

「わしを、赤鬼と知ってのことじゃろう?」

 喉奥で忍ぶように笑い掛けた。相手にも分かりやすいように両手をごきごきと鳴らし、一歩ずつゆっくりと近づいていく。しかし、また短刀が飛んでくるかと思いきや、何も襲いかかってくる雰囲気すら無く、拍子抜けしてしまった。

 それとも、わしの隙を狙っているのか。そう思ってしまえば、声は自然と低くなる。

「そんなちっぽけな刃物で、わしを殺す心算つもりだったのか」

 ずしん、と土埃を上げながら大きな足音を立てた。ぎしりと牙を見せつけるように笑みながら穴奥の壁際までやってくると、ついに壁際に人らしき物陰が見えた。

「殺すんなら、しゃきっと殺さんかい!!」

 腹の底から声を出し、片足で壁を蹴りつける。どん、と地響きがするような音を立てて片足を壁にめり込ませれば、座り込んでしまった相手の顔が恐々と持ち上がる空気を感じた。

 下唇をぐっと噛み、漏れ出る悲鳴を押し殺そうとする子どもの泣き声。それを聞きながら、ふと大昔に山で遊んだ人間のことを思い出した。

 そういえば、青鬼が来る前にわしに会いに来ていた人間は、今はどうしているのだろう。生きているとは考えにくいが、あの時まだ村に残っていたとすれば、悪いことをしてしまったな。

「ちょいと待ってくんろ、赤鬼!!」

 ぼんやりと考え事をしていると、背後からばたばたと送り狼が駆け寄ってくる足音が聞こえる。送り狼の制止には振り返らず、目の前で腰を抜かして嗚咽を殺して肩をしゃくり上げる人間を見下ろした。すると、暗闇の中で子どもの瞳が、一瞬だけ刃物のようにぎらりと輝く。

「く、っ!!」

 咄嗟に後方へと飛び退る。その瞬間に土へ何か重いものが刺さるような音がした。見ると、それまで立っていた位置には二本の短刀が突き刺さっている。眼だけで短刀を確認すると、不意に壁際から小さな舌打ちがした。舌打ちが聞こえた方へ顔を向ければ、子どもがすっくと立ち上がって腰に携えていた刀をすらりと鞘から引き抜く。

 刀を正眼に構える子どもの姿に、わしは、あっと声を上げた。


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