第四夜 鬼と舞妓 前編
村を出て陰陽師に見世物小屋へと売られてから、早や一か月が経った。おれは舞台の裏方として働かせてもらう前に、小屋の主である一つ目から見世物小屋のことや、文字の読み書きなど、さまざまなことを教わった。
まずこの見世物小屋だが、本来は妖怪による、妖怪の、妖怪のための演劇を催す場所らしい。今の人間社会に妖怪が紛れ込むことも少なくはなく、そうして人間社会に溶け込む妖怪たちにとって癒しの場となるよう妖怪が好む演劇を行うのだという。
その演劇が始まる前に小屋や舞台上を掃除したり、演者である妖怪たちに出番を告げに行ったり、必要な小物や道具などを揃える裏方の役割を与えられた。
裏方としての期限は一か月。それを過ぎれば、いよいよ己も演者として舞台に立たせてもらえる。そのほか裏方のような雑務は他の演者よりも多いが、やりがいはあるぞと一つ目に言われて嫌だとは言えない。提示された内容に「やります」と返事をしたのは、一ヶ月後の夜のことだった。
見世物小屋に来てから一か月が経っていよいよおれが演者として明日から働くという前日に、一つ目が見世物小屋と街道の関係について知っておいた方が良いだろうと言って、おれの部屋に訪れた。
見世物小屋の中でも狭い一室をおれの寝泊まりする部屋として誂えた場所に突然やって来た一つ目は、部屋の端に置いてあった木箱の上に座り、銜えた煙管から煙をぷかりと燻らす。
「昔はこの街道も活気があってなぁ。妖怪も人間をよく怖がらせたもんだ」
部屋に入るなり当時を思い出すかのように眼を細めて遠くを見つめる一つ目は、おれから見ても、とても人間らしい。おれは一つ目の話が長くなる気配を察して、適当にその場に正座する。土の床に直に座ると膝が痛くなるのだが、あの村にあった洞窟よりかは随分ましだ。我慢できないほどではない。
「いいか、青鬼」
いつもより妙に畏まった様子で話し始める一つ目の空気に圧倒されて、思わずごくりと喉を鳴らして唾を飲み込む。おれの緊張した面構えに、一つ目は満足したように頷き、両手を顔の前で組んで、わざと顔に影を落とした。
その顔は舞台で見るような明るいものでも、人間相手に商談するときのような笑みもなく、真剣そのものだ。常よりかはいくらか声を落として、語り始める。
「妖怪は、人間を怖がらせて初めて価値が生まれる」
「え。……どういうこと?」
思いがけない話の切り口だったものだから、思わず体を少しだけ後方へ仰け反らせた。いきなり何を言い出すかと思えば。呆けた顔をするおれを見た一つ目も、すぐに組んでいた手をぱっと開いて、いつものように煙管を吸い始める。
「……怖がらせることで?」
「そうだ。妖怪は人間に存在を認められて初めて形を成す」
「それじゃ、おかしいよ。だ、だって、妖怪は人間より前に居たって、本に書いてた、のに」
一つ目の言うことが分からず混乱したまま言い募ると、一つ目は口元にふっと笑みを浮かべて、また煙管を銜え直す。それから、また何かを思い出すようにゆっくりと眼を閉じた。
「その本だって人間が書いたもんだろうが」
「……うん」
「本が書かれたのも、妖怪が知られてから書かれたものだろ。そういうことだ」
「え、えぇと」
「まぁ、実際その通りで、妖怪は人間よりもずっと昔から居た。ただ、それを伝える手段がなかったものだから、今になってその時の書物を見つけては別の書物に記したんだ」
「じゃあ、妖怪は人間が居なくても存在はしてたんだよね」
「言い方が悪かった。そう、存在は、しているんだ」
「存在、は?」
一つ目の含みのある言い方に小首を傾げて尋ねると、一つ目はちらりと目を開けておれを一瞥し、また話を続ける。ぷかり、ぷかりと銜えている煙管から紫煙が浮かんだ。
「そこに在るだけで、意味は無い。……例えば、この煙管と同じだ」
「それと?」
ぼんやりと燻ぶる煙管を見つめていると、一つ目が意味ありげな瞬きを一つして口から煙管を外す。それから、楽しげに笑いながら片手で煙管をくるくると回した。
「これも、使わなかったらただの道具だろ。使うことで意味が出来る」
「それじゃあ、おれたちは道具と同じ?」
「ま、そういうこったな」
はっきりとは分からないが感覚で分かったような気がして、煙管から目を外さずに一つ目に問いを投げかける。すると、一つ目はやはり楽しそうにけらけらと笑って、再び煙管を銜えた。その様子がまるで人間の赤ん坊がするおしゃぶりのように見えて、おれも思わずくすりと笑う。
「……おい。なぁにが可笑しいんでえ」
目敏くおれの表情の変化を目敏く見つけた一つ目は途端に眉を曇らせたが、それ以上は特に何も言ってこない。代わりにふんと鼻を鳴らし、話を続けた。
「ま。そこが、妖怪とは別に物の怪と呼ばれる所以さね」
「もののけ?」
「古い道具にも魂が込められれば、それは物の怪となる」
「妖怪になるって、こと?」
「察しが良いじゃねぇか。妖怪の正体っつぅのは大抵が人間から因んだものさ」
「じゃあ、一つ目も?」
「こいつぁ大昔にお寺の小坊主が化けた姿だ。ちゃんと由来ってもんがあらぁ」
「そう、かぁ」
「お前さんにだって、青鬼となった由来があんだろ」
「……え」
怪訝そうな顔つきで煙管をおれに向ける一つ目の言葉に、つい驚いてしまう。どうして青鬼なんかになってしまったのか悩んだ時期もあったが、あの日あの村を出てからは「青鬼である理由」なんて、ついぞ考えなくなってしまっていた。だから、今ここで改めて青鬼となった理由を尋ねられて、何も答えが浮かばない己に驚愕し、呆れ果ててしまう。
妖怪の正体に由来があるならば、人から鬼となった己の正体は何だというのだろう。
「村に伝わる昔話があって、おれは青鬼の生まれ変わりだっていうことなら」
「はぁ。生まれ変わりねぇ」
しどろもどろになって答えると、一つ目は言ったきり押し黙ってしまう。それから溜息を吐き、何事か頭で考えていたものを取っ散らかすように、煙管を指に挟んだまま片手でがしがしと頭を掻き毟った。伸びた爪で掻き毟るたび輝かんばかりに禿げた頭からは、ぼろぼろと白い頭垢が舞い落ちていく。
「妖怪は滅多なことじゃ死なねーんだがなぁ」
「で、でも、村長が」
「餓死する奴や人間に退治されたりっつー話は聞くが、妖怪同士のいがみ合いかねぇ」
「赤鬼の祟りだって。……やっぱり、変かな」
「まぁ、なくもねぇけど。妙な話だな」
次第に頭を掻く手が動きを止め、今度はゆっくりとした手つきで頭を撫でる動作へと切り替わった。どうやら一つ目の頭の中では考えがまとまってきたらしい。狭い部屋の中で蝋燭の灯りがつるりとした頭を上から照らして、心持ち部屋が明るい気がする。
一体どんな言葉が吐き出されることだろうか。僅かな期待を寄せて、一つ目が口を開くのを黙って待つことにした。期待に満ちたおれを一つ目はちらりと横目で見て、再び荒っぽく頭を掻き毟る。
おれの望む回答を教えてくれる。教えて、くれるはずだ。
「で。妖怪は怖がられてなんぼなんだが、今世で問題がある」
「……うん」
違った。考えが纏まったのではない。話を置いてきたのだ。その証拠にさらりと流すように話題を別の方向へと持ってきた一つ目に、毒気を抜かれる。それから、なるほどと思った。長年この見世物小屋を営んでいる一つ目にも、分からないことはあるらしい。おれも先ほどの話について答えが得られないことに僅かばかり落胆したが致し方ない。答えのない問答を繰り返すつもりもないので、一つ目に話の先を促すように居住まいを正した。
「……さて」
一つ目も空気が変わった気配を感じて、ごほんとわざとらしい咳払いをする。
「その問題とは、何だと思う?」
「分かんない」
「……あのなぁ」
即答した途端に一つ目が眉間に皺を寄せて、渋い顔つきになった。しかし、せっかく話題を振られても答えが分からないものを聞かれたところで、考えることを放棄して生きてきた己に答えなど導き出せるわけもない。それならば、無駄な問答などせず答えを聞くのが一番手っ取り早いだろう。
そう思っての回答だったが、一つ目は気に食わなかったようだ。僅かに怒りを込めた口調で、己の問いに対する回答を口に出す。
「まぁ、いい。……今の世の中で、妖怪は舐められてんだよ」
「舐められてる、って?」
「馬鹿にされてんだ。人間によぉ」
「人間に馬鹿にされると、どうなるの?」
「お前さん、ここらの噂は聞いてるか」
「聞いたことはあるよ。でも、興味ない」
「興味ないって、お前さんなぁ……」
本心から思ったことを口にしてふるふると首を振って意思を主張すると、一つ目はまだ何か言いたそうに口を開閉していたが、数瞬すると諦めて、はーあと溜息を吐いて身体を折り曲げて片手で顔を覆う。指の隙間から煙管が落ちそうになっていた。
「……お前さん、元は人間だったってのがえらく嘘くせぇな」
「昔から、十才で青鬼になる子どもが多いって、村長が言ってた」
「にしても、あのがりがりに痩せてた餓鬼が、よくここまで太ったもんだ」
「ここは三食出るし、寝床を奪われないし、風呂もあって、皆が優しいから」
「けど、そんな見て呉れじゃあ、怖がらせられんわなぁ」
「……ねぇ。何でそんなに怖がらせないといけないの?」
なかなか話の本腰に入ろうとしない一つ目にじれったくなり、思わず催促するように正座のままで詰め寄る。膝は痛くなったが、一つ目との距離は縮まった。一つ目の視線を逃さないように口を引き結んで、じっと見つめる。そうすると一つ目は、気まずそうに一度だけそっぽを向いてから、ぽりぽりと頬を掻いた。
「あー、だから、つまり。……まぁ、いいか」
それから、また不機嫌そうに乱暴に頭を掻き出す。まどろっこしい言い方を考えていたようだが何も思いつかなかったのだろう。一つ目はずばりと物事を言う性質だ。そんな性格だから人間や妖怪に信用され、今までも商売を続けてこられたのだろう。
「妖怪は、人間に怖がられることでその存在意義を保ってきた。式神として使われる奴らも同じだ。必要とされるから、存在する。逆も然り。必要とされなきゃ、消えちまうのさぁ」
そう言う一つ目の口からは煙とともに言葉がするりと滑り落ち、後に残ったのは一つ目の苦しそうに宙へと細められた視線と、微かに震える指先だけだ。何か嫌な事でも思い出したのだろうか。
「……消えちゃう?」
「そうやって、消えてった奴らを何度も目にしてきた」
「要らないって、言われたから?」
「そうだな」
「お友達だったの?」
「……そうだ」
やや間が空いたが、否定するでもなく目を閉じて神妙に頷く一つ目に、違和感を覚えた。こんな風に落ち込んだ一つ目を今までに見たことが無い。おれが短い間で見てきた一つ目は、眉間に皺を寄せた怒り顔でたまに豪快に笑ったり、威勢の良い掛け声とともに観客と一緒になって野次を飛ばしたり、逆に励ましたりする姿しかなかった。
目の前で見る間に落ち込んでいく一つ目を尻目に、おれはおれなりに考えてみる。今までに友達とやらが居たことは無いが、存在は知っていた。お互いにご飯を分け合ったり、一緒に遊んだりする仲の良い存在。それが友達だ。そんな存在が隣から消えてしまえば、さぞ寂しいことなのだろう。
では、寂しいのは、悲しいことなのだろうか。でなければ、一つ目があんなに切なそうな顔をすることに繋がらないではないか。そうか、寂しいのは、悲しいのだ。
「……悲しい、ことなのか」
しかし、友達が居たことのないおれは、残念ながら想像することしか出来ない。だから友達が居なくなるという感覚は実際に知り得ることは出来ないし、共に分かち合うことも出来ないままだ。それはそれで、淋しいと思う。
「まぁ、今更どうしようもねぇ。この話はしめぇだ」
一つ目に続いておれが押し黙るものだから、一つ目が慌てた様子で手の中にある煙管をくるくると回し、取り繕うように明るい表情を作った。
いつものように豪快な笑い声を上げながら、今度はおれの頭をわしわしと撫でつけてくる。わざとらしく笑う一つ目の乱暴な手つきに、赤鬼と出会った時に見た夢のような、微かな温もりを感じた。
「悪かったな。変な話に付き合せちまって」
「要は、人間に認められないと消えるってことだよね」
「そうだ。だから明日の演目は目一杯やりなぁ」
「……うん」
「んな悲しそうな面すんじゃねぇよ。明日はお前さんの晴れ舞台だ」
「……分かってる」
「んじゃ、頼むぜぇ。舞妓さんよ」
いいな、と大きな眼が瞬きを一つして、そっと頭を撫でていた手を遠ざける。途端に掌から伝わる温もりが無くなって、先程まで撫でられていた頭が寒くなったことが名残惜しいと思った。それに、本当は白塗りの顔で客を騙しながら踊るようなことなどしたくはない。
裏方の仕事をしている間に演者の仕事ぶりを見てきたが、己が任せられた舞妓というものは、どうにも色気が漂うものでしかない印象だった。
明日からはおれが演じるが、今日までは狐妖怪の野干さんの仕事で、野干さんの演戯は色気のほかに優雅さもあり、見事であった。そんな野干さんもめでたく人間に認められ、人間とともにここを出て行ってしまうそうだ。だからこそ己にお鉢が回ってきたというわけなのだが、どうも気乗りがしない。
己に野干さんの代わりが務まるだろうか。やらなければならないことだとは分かっているが、嫌だな。
そう、思った。
それだけなのに、一つ目はおれの顔を「悲しそうだ」と言う。
あぁ、そうか。悲しいということは、こんな感覚なのか。これは思っていたよりも辛いかもしれない。胸の奥が見えないものにわし掴みにでもされたかのようにぎゅうと苦しくなり、鼻の奥がつんと痛くなった。
悲しいという感覚は、苦しいという感覚にひどく似ているような気がする。それなら、苦しいことには慣れているし、きっと平気だろう。なんだ、悲しいということは大したことではないのか。だけど、悲しい感覚とはこんなにも胸が痛いものなのか。
はてさて。これは、慣れるまで時間がかかりそうだ。
「……ねぇ。あの」
そろりそろりと顔を上げてみると一つ目は木箱から立ち上がり、部屋を出て行こうとしていた。おれに呼び止められて、一つ目は何でもないことのように振り返っておれを見る。それだけのことが何だか嬉しくて堪らない。
「お、やすみなさい」
ふっと顔を綻ばせると、一つ目も笑い返す。
立てつけの悪い障子が音を立て、ぱたりと静かに閉じられた。
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