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ないた赤鬼  作者: 白鳩
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第三夜 鬼と見世物小屋

 人間に手を引かれながら連れてこられた場所は、人間はもちろん、たくさんの人ならざるもの達が居た。恐る恐る辺りを窺えば、石畳を歩いて擦れ違う人間の傍にはおれのような見た目の動物や人が傍に控えている。狐が人間のように着物を着て二本足で歩いていたり、大きな蝦蟇がまが黒い烏帽子えぼしを被って街道を闊歩していたりと、さまざまだ。

 そいつらが、異質なものを見るようにじろじろとおれを見ては小声で何やら囁く。くすくすという小さな笑い声に混じって、どこか馬鹿にしたような声色のものも聞こえてきた。どれもこれも聞いたことのないものばかりで、異世界に入ってしまったかのような錯覚を覚える。

「きょろきょろしなさんな。はぐれても知らんぞ」

 おれはその様子が恐ろしくて、前を歩く人間の後ろを必死について行く。万が一ここではぐれたりなどすれば、きっと取り返しのつかないことになるだろう。人間以外のものなど見たことが無いから、話しかけられても恐らく満足に受け答えも出来やしない。

「この際だ。売る前に何ぞ欲しい物でもうてやろうか」

 心細くてぎゅうと人間の服の裾を掴んでいると、人間は面白そうに笑ってそう言う。だが、生憎あいにくとここに何があるのか、おれにはさっぱり分からなかった。ぐるりと周りを見渡せば、石畳を挟むように露店が立ち並び、人間のお祭りでは決して見られないものが売り買いされているのが眼に飛び込んでくる。

「ここにゃあ、いろんなものが揃ってるからなぁ」

 イモリの姿焼きや、人魂掬い。蛙を膨らました風船に、般若や狐のお面売りやむくろの串焼きなど、臭いだけで吐きそうだ。夕暮れ時であるため灯りの代わりに店頭に並んでいるのは髑髏どくろの提灯で、髑髏の口元からは中にある蝋燭ろうそくの灯りがぼうと洩れている。立ち並ぶ店からは客を呼び込むための笛の音が聞こえてくるが、どう聞いても人間の金切り声にしか聞こえない。さらに耳を澄ませると、街道の奥からはどんどんと威勢の良い祭り太鼓の音色が響いてきた。

 悪夢のような恐ろしいものが整然と並ぶ屋台を、人間が笑いながら街道の奥へと足を進めていく。おれはそんな人間の方がよほど恐ろしかった。

「遠慮せずとも良いのだぞ。……謙虚な奴だ」

 一体おれはどうなってしまうのだろう。流石にこんなおどろおどろしい場所には逃げ出したくなるが、人間は恐がるおれには目もくれず「早く来い」と怒鳴ってくる。逃げたくとも人間がどんどんと先へと進んでしまうため、仕方なくついていくことにした。

 そもそも、逃げ出そうにも見知らぬ場所に連れて来られれば、もう逃げるどころの騒ぎではない。捕まれば一体どれほど恐ろしい目に遭わされることか。一度は死を覚悟したことがあるとはいえ、逃げるという選択肢を選ぶとなると、なかなか勇気が湧かないものだ。

「ここも昔は店が多かったが、今では馴染みの店も少なくてな」

 街道の奥へと進む度に辺りは暗くなっていき、裏路地の暗闇の中には見たことも無いものがひしめきあっている。つい先ほどそこの路地など眼を向ければ、十ほどの眼が一斉にこちらを見ていて、心臓が止まるかと思った。いや、心臓があるのかどうか己にも分からないが、とにかく肝は冷える。一刻も早くここから出たかった。耳を澄ませば恐ろしい声が聞こえてくる路地や街道をなるべく見ないように顔を伏せて、隣にいる存在にひしとしがみつく。今の己にとって、支えはそれだけだった。




*****




「さぁ、ここからは振り返るなよ」

 ふと声を掛けられて気が付くと、大きくて真っ赤な鳥居が曲がりくねるようにして何本も連なる場所に出て来ていた。鳥居の足元には行灯あんどんが幾つも置かれており、暗闇を頼りなく照らしている。周囲には木々が鬱蒼と生い茂り、空は夕闇と夜の闇と混じって、じっと見ていると胸の奥がざわざわとする。気のせいか、鳥の断末魔に似たようなものも風に吹かれて揺れる木々の音に混じって聞こえた。

 人間が黙々と鳥居を潜っていく。人間の歩につられて歩いていくと、耳元でぼそぼそと誰かの話し声が聞こえてきた。耳を澄ませて聞こうにも小さすぎて聞き取れないが、はっきりと気配は感じる。この声の主は一体なにを話しているのだろう。

 気配はすれど、姿は見えず。不意に背後がとても気になった。

「振り向くな」

 そろりと振り向こうとすると、横から鋭い声がかかる。その声の刺々しさに驚いて、慌てて前へと向き直った。背後の気配はずっと付きまとっていた。

 それからしばらく歩いていると前方に、大きくはあるがぼんやりとした灯りが見えてくる。眼を凝らして見てみると、どうやら小屋からの光のようだ。人間は小汚い小屋の前に立ち止まり、くるりとおれの方へと顔を向ける。

 おれはずっと人間だと思っていたが、それすら怪しいような顔で、人間はにたりと笑った。昼間の明るい内ならまだしも、こんな足元さえも見えずらい暗い中を歩く今では、その笑顔でさえもそら恐ろしくなる。

「ここが、お前の居場所だ」

「……え」

「そこそこなら連れ帰るが、売れると判断すれば置いて行く」

「い、いやだ。怖い、やだぁ……!」

 滲む視界で必死に裾を引っ掴んで懇願するが、人間はもう笑っていなかった。ただ無表情で小屋の暖簾のれんを押して中へと入っていく。おれはそれを引き留めようと慌てて中へと入り、すぐさま後悔した。

「旦那ぁ、今日もおいでやしたねぇ!」

「よぅ。調子はどうだい」

「ぼちぼちでんなぁ」

 小屋の中は左右に長椅子が並び、席とは隔絶するように、赤い幕を張られた壁の近くには壇がある。その壇上には鉄格子をはめられたおりがあって、中には見たことのない動物が必死の形相で檻に牙を立てていた。

 一見すると大きな狼のようだが、赤い眼光が暗い檻の隙間から光って見えて、とても怖い。がしゃんがしゃんと中に居るものが暴れる度に揺れ、辛うじて手足だと分かる部位には鉄の鎖が巻きつけられている。

 それを見た人間は嫌なものを見たと僅かに顔を顰め、正面に立つものに話しかけた。

「おい、あれは何だ?」

「アレは入荷したばっかでね。おつむは弱いが力はピカイチでさぁ」

「だろうな。あれでは呼び出せても馴らすことに苦労する」

「まぁ急遽ここで競り出されることが決まったんで」

「そうか。ところで、こいつはどうだ」

「……んん?」

 急に話を振られ、ぴんと背筋を伸ばして立ち尽くす。すると、人間が僅かに体をずらして人間の正面にいたものが顔を覗かせてきた。いや、顔というよりは目だ。一つ目しかない。よく見れば鼻や口もあるが、何よりも注意を引かれたのは大きな一つ目。身なりは寺の小僧のようだが、この人間との話し方を聞いていればこの小屋の持ち主であることは想像に難くない。


「ある山で見つけた。青鬼の子だ」


 おれのように青い肌で一本角を持つ奴なんて珍しくないと赤鬼は言っていたが、あれは本当だったのだろうか。ごくりと唾を呑んで、からからに乾いた唇を舐める。そして知らずと握っていた拳に力を入れて、口を真一文字に引き結んだ。

 とことこと一つ目が歩み寄ってくる。それを人間は引き止めもせずに、ただにやにやと意地の悪い笑みを浮かべて見ていた。しかし、あることを思い出したかのようにあっと声を上げて、付け加えてくる。

「あぁ、そうだ。もしかすれば、女かもしらん」

 それを聞いた一つ目は一度だけ「ふむ」と言ってから、おれよりも小さい背丈ではあったが、頑張っておれの顎を掴んで角度を変えながら何度も凝視する。どうやら品定めをしているようだ。身動きの一つも取れないでいると、おれを凝視する一つ目と目が合い、思わず後ろにたじろいでしまう。すると、よく見ようとして一つ目が両手でおれの顔を固定してきた。

 そのまま互いに見つめ合うこと、数秒。しばらくして、一つ目が口を開く。

「こりゃあ、……男でさぁ」

 一つ目の宣言に、人間がつまらなさそうに鼻を鳴らして両腕を組み直した。それから、あまり関心も湧かなかった様子で淡々と話を続けようとした人間に対して、一つ目は顔色を窺うように慌てて言い繕う。

「……そうか。髪が白くて長いから女かと思った」

「まぁ整った顔立ちで声も高いですからな。いやしかし、売れますよ」

「そいつは良かった」

「それじゃ。今回は……この値打ちで」

「うぅん。そいつじゃちと手放せんな」

「それじゃあ、こいつは」

「うぅん……まぁ、良いか」

「では。成立ということで」

 さっきまでおれを見ていたかと思うと、一つ目は急に振り返って何やら人間と話し込んでしまった。話の内容までは分からないが、己にとって都合の悪いことだという雰囲気は察せられる。恐らくだが、このままでは赤鬼に会えなくなるだろう。そんな嫌な予感ばかりがしてきた。よし、逃げ出そう。もうここで逃げ出さなければ逃げ出す機会なぞ一生やってこないような気がする。

 抜き足差し足で後退し、ちらりと小屋の出入り口までの距離を確認した。虚を突いて走れば、何とかなるかもしれない。

 気付かれないように息を吸い込み、足に力を溜めた。心の中で数を数える。


 それから。


「……っ!!」


 ゆっくりと足を摺らせ、人間と一つ目が話し込んでいる隙を狙って、瞬間的に踵を返す。ざっと大きく股を開いて一歩を踏み出し、出入り口へと全速力で駆け抜けた。背後では人間や一つ目から「待て」と声を掛けられるが、ここで止まっては逃げ出した意味がなくなる。

 逃げなくては。それだけが頭に浮かび、無我夢中で足を動かす。しかしどれだけ足を動かしてみても、小屋の出入り口までが異様に長く感じられた。まだか。まだ出られないのか。己の持てるあらん限りの力で足を動かしているというのに。

 すると、突如として両足に鋭い激痛が走った。

「……っぐ、ぅ?!」

 予想だにしなかった痛みに、思わずがくんと膝をついて前のめりに倒れ込む。痛い。足首が何かに刺されたような痛みだ。声を殺して痛みに悶える。何だこれ。いきなりどうしたのだろうか。痛むあまりに体が熱くなり、額にじわりと脂汗が浮かんできた。涙も浮かんでくる。

「ぁぎっ、いいぃたい!!」

「やれやれ。念のため、人形ひとかたを作っておいて良かった」

 痛む足首を両手で押さえながらもんどりうっていると、視界に人間の黒い靴が飛び込んできた。突発的にやってきた痛みに満足に眼も開けられなくなり、頭に電流が流れて勢いよく何かに引っ掴まれた。瞬間、首から下に電気のような衝撃が走り、頭を持ち上げられても躰はぶらんと垂れ下がる。力は入りそうになかった。

「あ、がっ、は……!!」

 熱い。痛い。だんだんと頭に熱が篭り、まるで体の奥から焼けていくようだ。朦朧もうろうとする意識の中で眼だけで見た人間の手元には、人型の紙が握りしめられている。よく見ると、人形の両足には針のようなものが刺さっていた。思えば、己の痛む足の部位に酷似しているような気がする。

「逃げようとする悪い子には、おふだがいるよなぁ」

「ぐっ、ぅう……!!」

 必死に足掻こうと両腕で人間の腕を掴もうとするが、力が入らない。ぷるぷると震える腕を動かすが、相手の腕を掴むまでには至らなかった。足首の痛みと謎の電流に意識が遠のきかける。

 既にもう口は閉じなくなっていた。開きっ放しの口からは涎がとめどなく零れて、顎を伝ってぼたぼたと足元の地面に染みを作っていく。それをおれはただ見ていることしか出来ない。

「あぁ、分かるか。今その頭にお札を貼っているのだが」

「ふっ、ぐ、……!!」

「大事な商品だ。傷付けたくはないなぁ」

「あ、あがっ、あぁああ!!」

「いいか。次は無いぞ」

 地を揺るがすような重く、冷えた人間の声がして、背筋がぞくりと震える。次の瞬間には解放されていた。いきなり重力を思い出した身体は、地面へ垂直に落下して、そのまま仰向けに倒れ込む。激しく打った後頭部がずきずきと痛み、体内に残ったままの電流が身体を勝手にびくびくと痙攣けいれんさせて止みそうにない。額の角がじゅうと焼けた音まで聞こえた。

「では。後は頼む」

「毎度ありぃ」

 眼は開いているが意識は半分だけ暗いまま、耳だけは人間が小屋から出ていく足音を拾い上げる。しかし、人間が立ち去った今でも訪れた衝撃の波は一向に引かない。

「あっ、が、ぁあ」

 起きなくてはとは思うが躰はまったく動かず、口からはひっきりなしに意味のない音を溢してしまう。瞼も痙攣し始め、膝がびくびくと動く。火照った躰に冷やりとした地面は少し心地良かった。

 足元で「やれやれ」という声と嘆息たんそくが聞こえたが、そちらへと顔を向けることが出来ない。それも一つ目は知っているのか、「そのままでいい」とおれを小脇に抱えた。背丈はおれよりも低いはずなのに、おれを抱える一つ目に驚くが声が出ない。そのまま一つ目はどこかへと足を向けながら、独り言のように話してきた。

「お前さん良かったなぁ」

「う、ぐぅ、ぁ」

「あの方は陰陽師の中でも気性が荒いんで有名だ」

「ひぐっ、ぅ!」

「特にお札と式神が得意な方でな。ここへ売りに来るのも大概あの人だ」

 ずるずると長い髪が地面に引きずられながらも、おれは一つ目の言葉に耳を傾ける。何かに集中していないとまた痛みがぶり返してきそうな気がして、怖かった。

「まぁ安心しな。お前さんみてぇなのは、ぎょうさんいるからよ」

「う、ぁ……ぃや、だ!!」

「それに別嬪べっぴんだからすぐ売れらぁ」

「や……い、やだっ、かえ、かえっ、るぅ!」

「帰るって、どこにだよ」

 一つ目の呆れたような口ぶりに、ばたばたと暴れていた手足の動きをぴたりと止める。そういえば、そうだった。逃げたとしても、己には帰る場所が無い。生まれ故郷である村には戻れないし、知らない間にこんな場所へ連れ込まれたから村への戻り方も分からない。それに、これほど恐ろしい場所を独りで出歩くことも怖かった。


「売れるまでは面倒みてやっから。な?」


 思いの外この一つ目が優しい言葉をかけてくるものだから、思わず頷きそうになる。しかし、こいつは人買いだ。人ではないが、少なくともまともな神経ではない。いや、人ではないのだ。どうしてそんな奴が優しいと言えるのか。

 それに、赤鬼だって優しいことを言っても村人を殺したではないか。赤鬼もおれを最初から助ける気など無かったに違いない。それならば、何故あの赤鬼はおれだけを村の外へと連れ出したのか。赤鬼は、何がしたかったのか。よく、分からない。



 あぁ、こんなことになるのなら、あの日あの時あのまま死ねばよかった。どうして、赤鬼についていってしまったのだろう。あのまま村から出なければ、痛いことや悲しいことにもならなかったのに。村を出る時にあれほど「村を出なければ良かった」と思うことを嫌がったのに、今になって「村から出なければ良かった」と考えてしまう己が、痛みを恐ろしいと感じた己が、死ななくて良かったと思う己がとても惨めで、悔しくて仕方がない。


 あぁ。あの時あそこで、死んでいたら。




「うっ、ぐっ、ぐぅうう……!!」



 大声で喚くのもしゃくなので、ぎゅうと唇を噛み締めて声を殺す。

 しかし、どれだけ胸が苦しくとも、涙の一滴も出て来なかった。











いかがだったでしょうか。よろしければ感想・質問・改善点などご指摘くださいますと嬉しいです。

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