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ないた赤鬼  作者: 白鳩
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終幕 ないた赤鬼

後日談ということで、別視点からのお話です。

それでは、お楽しみください。

 私こと紗代さよは、母上様が大好きです。庄屋の娘として生を受けた私ですが、母上様はこの家に貰われてきたようで、父上様や大ばば様には頭が上がらないみたい。それでも、私は知っています。母上様は、本当は健気でたくましく、茶目っ気を持ち合せながらも凛々しいお方なのです。

 綺麗なお召し物をたくし上げ、田畑へと勇ましく滑らかな御足を突っ込み、顔を泥だらけにして太陽のように笑う母上様は、元は山奥にある村の出でした。今でこそ気立てが良く、明るい母上様ですが、今年で十となる私と同い年の頃はひどく荒れていたそうです。男のように刀を振るい、見るものすべてが憎らしく、狼のように辺り構わず噛みついていた母上様。仔細は教えて頂けませんが、そよ風にあてられている母上様がぽつりと一言だけ呟いた内容が衝撃的で、忘れられそうにありません。


「私は、赤鬼を殺すために生きているの」




*****




 その日は秋に相応ふさわしく気持ちの良い風が吹いていて、絶好のお散歩日和ということで母上様が私を薄野原すすきのはらに連れて行ってくれた正午のこと。はしたなくはしゃいでしまった私を母上様は大ばば様のようにいさめることもせず、温かい眼差しで見守っていらっしゃいました。

「懐かしいわ」

 まるで遠い目をなさる母上様に、持ってきた包みを開いて昼餉にしましょうと言いますと、母上様はここへ来る前に広がっていた森へと眼を向けます。どなたかを待っておられるのかと訊ねると、母上様は躊躇ためらいがちに眼を伏せられました。伏せた眼もどこか可愛らしく、見惚みとれてしまいます。

 母上様は少し困ったように眉を下げました。そうして、逡巡しゅんじゅんした後に「驚かないで頂戴ね」と一言だけ注意をしてから「赤鬼よ」と実に嬉しそうに微笑まれました。その笑みといったら、まるで季節外れの向日葵ひまわりのよう。

 私が思わず見惚れていると、母上様は機嫌が良ろしかったのでしょうか、平時では話したがらない昔話を聞かせてくださいました。

 母上様が昔どこの村でお生まれになって、家族と日々を過ごし、家族を殺した仇を討つために赤鬼を探す旅に出たこと。仇敵である赤鬼がどういった性分であり、道中で知り合った妖怪たちのことや、かつては妖怪も人もたむろしていた街道がどういう場所であったか。陰陽師に操られた青鬼がどれだけ優しい良い子であったか。共同戦線を張った妖怪たちはどんなものが居たか、どのように陰陽師を倒したか。その後に赤鬼と青鬼が目の前から姿を消して、どのくらいの年月が経ったかなど。それはそれは、長く、中身の濃いお話でございました。

 それと同時に、私は確信めいたものを抱きました。煩雑はんざつな人生をお送りになられたからこそ、多少まわりとは一風変わった今の母上様がいらっしゃるのだ、と。いかにも楽しそうにお話になられる母上様は、終始あの空に流れる雲を見つめながらお話をされていました。

「いい、紗代。この世は、人間だけが生きるものではないのよ」

 たおやかな人差し指を口元に押し当てて、悪戯いたずらっ子のように微笑まれる母上様は私よりも無邪気な子どものようです。可憐で小さな唇は楽しそうに弧を描き、吐き出される言葉は花の蜜のように甘いものばかりで、私は母上様の隣に腰を下ろしながら聞き惚れていました。

「人とあやかし。この世はどちらも居なくては成り立たないの」

 私の母上様は、一風変わったお方でした。家の縁側から母上様がお話をするような声が聞こえてきて覗き込むと、尾が二つと奇妙な猫をお膝に乗せて、母上様は楽しそうに談笑していらっしゃいました。また、ある時は広い畳のお部屋に飾られている一本の古びた刀を懐かしそうに撫でていらっしゃったり、お宮へお参りした際には沈痛ちんつう面持おももちで石畳を見つめていらっしゃる時があります。綺麗なお顔にしわが寄る唯一の瞬間です。正直に申せば、しばしば勿体ないなと思うこともありますが、母上様の表情に私は何も言い出せなくなり、そっと母上様の手を握るばかり。

 しかし、私はそんなかげりを帯びた表情をも併せ持つ母上様も、大好きです。この世の誰よりも優しい母上様。そんな母上様が、たまにどこか遠くに行ってしまわれるのではないかという笑みを浮かべる瞬間が、私は堪らなく切なくなって、好きなのでした。

「……でも、母上様はどうして赤鬼を手に掛けなかったのですか」

「うん?」

「だって、赤鬼は母上様の仇なのでしょう」

「……そうねぇ。一つは、赤鬼を殺した後まで考えていなかったからかしら」

「え。母上様が?」

「赤鬼も、それを分かっていたからこそ、私に許すなと言ったの」

 何が面白いのか、くすくすとあでやかに笑う母上様。そのお姿は衆の母親よりも子供じみており、なおかつ人間離れしたような雰囲気もまとっていらっしゃいました。

 鬼が優しいだなんて、荒唐無稽こうとうむけいなお話です。やはり、母上様の作り話なのでしょうか。鬼とは、人をおびやかす存在であり、災いをもたらすものだと私は本でそのように学びました。ですから、その赤鬼とやらも母上様を騙すお心算つもりで、そうのたまったのでしょう。

「……母上様、私がご本で学んだものと違います」

「それはそうよ。だってそれは、ご本の鬼でしょう」

「でも、鬼は鬼です」

「そうねぇ。でも、あの赤鬼は……」

 母上様の言い分がますます不服に思えて、思わず言いつのってしまいました。すると、母上様は逡巡した後に、少しばかり哀しそうなお顔で、胸の内を吐き出されます。

「本当はね、泣いてしまいたくなるほど優しいの」

 そうおっしゃる母上様の声は、少し震えていらっしゃいました。風でお体を冷やしてしまったのでしょうか。母上様の方へ一瞥すると、母上様はまなじりに涙を溜めて、笑っていました。初めて見る母上様の表情に、私は「嘘ですよね」という言葉を飲み込んでしまいます。

「……母上様」

 短い黒髪が爽やかな風に揺られ、空を見上げる母上様がとてもはかないもののように見えたので、思わず母上様の腰に抱きつきました。母上様が母上様では無くなってしまう、どこかへ姿を隠してしまう。不意にそんな愚かな考えを持ってしまう己を恥じ入り、顔が上げられません。

「……紗夜。よく聞いて頂戴」

 私の挙動に母上様は一瞬だけ戸惑ってしまわれましたが、頭上でふっと優しく微笑む空気を感じました。恐ろしく柔らかな動作で黙ったままの私の頭をそっと撫でます。その手つきは優しいものですが、微かに震える指先が示すものはいったい何でしょうか。

「私が赤鬼を殺せなかったのは、……赤鬼が優しいと、気付いてしまったから」

 さわさわと揺れる薄野原すすきのはら。優しい声音。手の温もり。そのどれもが心地良くて、恐ろしいもののように感じられました。もしかすれば、母上様は赤鬼に心を奪われていたのかもしれません。私には何があったかは分かりませんが、旅の道中で恐らく心を動かす事があったのでしょう。でなければ、ちらと見上げた先にいらっしゃる母上様が、あんなにも慈愛に満ちた顔をなさる筈がありません。

「きっと私は、これからも赤鬼を殺せないでしょうね」

 切なげに私へと笑いかける母上様は、まるで空に懸想けそうする乙女のようでした。不甲斐なくも私は母上様に掛ける言葉も見つからず、母上様の撫でる手の温かさにそっと目を閉じます。

「赤鬼の友である青鬼も、優しい心を持った良い子でした」

 眼を閉じていても分かる、母上様の懐かし気に細める眼。声。表情。嬉しそうに弾んだ声を出す母上様の声を子守歌に、私はうとうとと微睡まどろみました。

「式神となったあの子に私もかどわかされたこともあるけれど」

「えぇっ?!」

 突如として思わぬ発言に、眠気はどこへやら。ぱっと眼を開けて母上様を見上げますと、母上様は悪戯っ子のように笑っては、私の頭を愛おしげに撫でてくださいました。私はというと、言葉とは裏腹な表情を浮かべる母上様に、戸惑ってしまいます。そんな私に気が付いた母上様は、ふっと気の抜けたような笑みを浮かべては、また空の方へと視線をお遣りになりました。

「あの子は、誰も殺してなどいなかった」

 はっきりと言いきる声音に、どこにも一切の迷いなどは無く。私はその声だけで母上様が本気でそう信じておられると思いました。

「気を失ってはいたけれど、あの時の私に流れてきた景色では、誰も殺してなどいなかったわ」

「あの。……その、景色が流れてくる、とは?」

「青鬼の、昔話ね」

 ふふっと嬉しそうに笑う声。いったい母上様は何をご覧になられたのでしょうか。何だかとても嬉しそうです。まるで、信じていたものは正しかったと証明された時のような、そんなお顔をされています。

「ねぇ、知っているかしら。紗代」

 不意に母上様が話しかけに来られて、母上様の言葉の真意を探っていた私は、はっと我に返りました。母上様はもう空ではなく、きっちりと私の顔を覗くようにして見つめていらっしゃいます。母上様のぱっちりと大きく開いたお目に、私の心も見透かされそうな気になり、どこか落ち着きません。

 母上様は、そんな私も見越して、口を開きます。

「鬼は、泣かないのよ」

 母上様は、そうおっしゃって無邪気に笑いました。しかし、遠くからがさがさと茂みを掻き分ける音が混じるようになり、母上様がはっと息を呑みます。母上様は勢いよく顔を薄野原の向こう側にある茂みへと向け、瞬時に大きな瞳をうるませました。

「……まさか」

 つられて私も母上様と同じ方角を見てみますと、森の奥からやってくる影が二つ目に入りました。影は小柄で、立っている場所からでは背の高い薄に阻まれてよく見えません。近付いてくる草を踏みしめる音。私を撫でる手は母上様の口元へ。母上様の眦から生じる涙が、ぽたり、ぽたりと私の頬を濡らします。

 がさがさと音が大きくなる薄野原。涙腺が壊れてしまった母上様。可憐な両手で押さえた口からは、震えた声が洩れました。音の正体は二つ。

 私と母上様の目の前に聳えるすすきが真っ二つに割れ、角の生えた小柄な鬼がひょっこりと顔を出しました。

 一つは真っ赤な顔に頭の横に二つの角を生やし、一つは青い肌に額に一本の先が折れた角を生やした鬼です。鬼は私たちを交互に見ると、母上様に笑いかけました。私は、それだけで全てを理解したような気持ちになります。だって、赤鬼は。



「何じゃ、昔のおめぇにそっくりじゃのう」



 母上様と同じ涙を流して、笑っていらっしゃいましたから。









お疲れさまでした。ここまで読破して頂き真にありがとうございます。

この話を以て「ないた赤鬼」の最後とさせていただきます。

感想を書いて頂きました睦月森様、ブックマークに登録してくださった方や一話でもご覧になられた皆様方に、感謝の言葉を。

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