第四朝 赤鬼と青鬼 中之下編
長らくのご愛読ありがとうございます。
後半の戦闘描写になります。
拙い文章ではありますが、どうぞお楽しみください。
「しゃあっ!!」
猫が威嚇するような声を上げたかと思うと、青鬼は鼻先に噛みつこうと口を開く。その瞳には一点の曇りもなく、ただ明確な殺意ばかりが浮かんでいた。よほど気が急いていたのか、ひょいと顔を仰け反ってやれば、鋭い歯が噛み合わせる音が鳴り響く。それからは素早かった。
悔しそうな顔を見せたのも一瞬で、地面へ落ちた蝉の最期の足掻きである錐揉みよろしく、ぐるんと上体を一周させて反動をつけた途端に発条のように跳ね上がった。小柄で華奢な身なりをしているため肌の色や角の有無を除けば人と見紛うばかりの青鬼の常人離れした動きに、ひゅうと口笛を吹く。
ここから先は、全ての思考を放棄して立ち向かわねば、自分が青鬼に殺されてしまう。わしは青鬼をどうしたいのか、どうせねばならぬのか。そういったことを一切考えずに済むという一種の現実逃避に近い時の訪れに、内心で歓喜した。
宙へ飛びあがった青鬼は両足に全体重を預けたか、やけに落下速度が凄まじい重い蹴りを落としてくる。拳よりも蹴りの攻撃を得意とする青鬼らしい手段だ。すかさず両腕で落ちてくる両足の攻撃を受け止める。ずどんという盛大な音と共に両腕の筋肉が悲鳴を上げるが、構わずに掌を反して青鬼の右足首をしっかと握り締める。獣じみた唸り声を上げる青鬼。掴んだ足首の低い体温。互いに絡み合う視線。それらを確認し、身体の内側から込み上げる喜びを隠しもせずに青鬼を、社に張り巡らされた結界を保つ蝋燭へと投げ飛ばした。
「はっはぁ! 強がっても無駄よぉ!!」
勢いをつけて砂煙をあげながら青鬼は地面を転がっていき、がしゃんと蝋燭立てをひっくり返す。それを見た青鬼が元から青い顔を更に青褪めた。どうやら見立ては間違っていなかったようだ。再び発条の要領で起き上がった青鬼は全速力でわしへ向かって駆け、地上を強く蹴り上げる。蹴り上がると同時に上体を捻って回転力をつけさせ、竹とんぼの羽のように回し蹴りを食らわせようと画策していた。単純な青鬼の攻撃に鼻を鳴らし、呆れたように溜息を吐いてみせる。つまらん。以前の青鬼はこんな生易しいものではなかった筈だが、さては腑抜けたか。
「もっと趣向を凝らせ、青鬼ぃ!!」
ひょいと身を屈めて頭上を過ぎる足技をやり過ごすと、雷光の如く青鬼の懐へともぐり込む。だが、青鬼の顎へ掌底を放とうとすれば、今度はわしの腕を上から掴み、掴んだ腕を軸にし、身を反転させて飛び躱されてしまう。青鬼が着地すると同時に、振り向きざまに肘鉄砲を食らわせようと左足を軸足にして踵を返すと、鼠のように素早く身を屈めた青鬼が片腕を支点とし、足でわしの足を払いにかかった。それは避けきれずに重心を崩してしまう。
青鬼は隙を見逃さなかった。素早く利き足である右足を上げて、全体重を以て振り下ろさんとする青鬼が居た。目指すは、わしの顔面だろう。小さく舌打ちをし、後ろ向きへ倒れ込むとともに片腕で体重を支える。青鬼の右足が完璧に振り落とされる前に、全力で青鬼の顎を蹴り上げた。がこん、と顎の骨が外れる音がして、あまりの衝撃に青鬼が後ろへ仰け反る。
やったかと思ったのも束の間。
「……へっ?」
くるりと回転して体勢を整えると、目の前が真っ暗だった。突如として何かに顔を掴まれ、思い切り振り上げられる。これは、青鬼の手か。そう理解した瞬間には目一杯に地面へと叩きつけられた後だった。ばこんと後頭部から厭な音がしたかと思うと、雷撃のような痛みが後頭部や背中に腰と襲い来る。
真っ赤な視界。指の隙間から覗く満月。衝撃に痙攣する手足。躰は既に満身創痍であるというのに、心はどうしようもなく疼いて仕方がなかった。
もっとだ。もっと、もっと、戦いたい。青鬼と、戦いたい。殺し合いたい。躰の奥底から灼熱が溶岩のように沸き立ち、ぼこぼこと戦への情念が気泡となって上がっては弾けていく。
「はっはぁ……!!」
身を離そうとするその腕を引っ掴み、ぐいと引っ張っては顔を近付けさせる。青鬼のぎらぎらと輝く獣の瞳が、凶悪な牙が、荒い息が、ざわつく胸の奥底に燃える灯を焚きつけ、騒がせた。
「つれんのぅ、青鬼。もっと楽しもうやぁ!!」
みしみしと青鬼の腕に爪を立てて食い込ませると、一瞬の後に身を屈ませて足の裏で青鬼の腹を蹴り飛ばす。不意を突かれたのか青鬼は嘔吐寸前のような声を上げながらもわしを殴りつけた。わしとしても殴られることは不快だ。ごろりと身を横に転がし、立ち上がる動作をしつつも手刀を青鬼へ突きつけていく。一発。二発。三発。不規則に繰り出される手刀を青鬼は見切り、時には受け止めて避ける。隙を見つければすかさず殴り返す。埒が明かなかった。六発目を繰り出した後に、とある一興を思いつく。思い付けば即座に実行。普段のわしが持つ思考回路は単純だ。繰り返される手刀に青鬼も抜け出す切っ掛けを窺っている。青鬼との間合いを計りながらも、わしは手刀から拍手へと切り替えた。
ぱぁんと小気味の好い音が境内に鳴り渡る。相撲でよくある猫騙しだ。案の定青鬼は目をぱちくりとさせ、拍子抜けしてしまう。そこを、わしは渾身の力を籠めて殴り飛ばした。ばきんと頬骨の折れる音と、青鬼の口からは二本の歯が飛び出す。殴り飛ばされた青鬼が蹈鞴を踏み、よろめく。もう一丁とばかりに振りかぶれば、青鬼の表情に気取られてしまった。
「な、に……?」
どさりと尻餅を着いて見上げる青鬼の眼には、もうすっかり憤怒や殺意は跡形もない。そこには、あの日と同じ、泣き虫で臆病な青鬼が居た。
「え、あ。……あ、あぁ」
急激に冷めていく熱気。萎んでいく悦楽。沸き起こる罪悪感。
守りたかった青鬼を殺さなければならない現実感が、大挙して押し寄せてきた。
「……今更、そんな眼を、わしに向けるなぁ!!」
あらん限りの力で腹から震える声を絞り出す。刹那。青鬼とともに過ごした日々が走馬灯のように脳内を駆け巡った。
山。川。森。どれもがわしらの遊び場で、青鬼はわしの後ろを付いてくる。後ろにいる青鬼の手を繋ぎ、わしはいつだって青鬼と笑った。ただ、楽しかった。互いに木の実をどちらが多く取るか競争もしたし、下らんことで擦った揉んだの喧嘩もした。わしの我が儘でお前から離れたりもした。それでも、お前はわしの後ろをついてきてくれた。文句の一つも言わずに「赤鬼はおれの友達だ」と笑って。それなのに、己がした事といえば、青鬼を死に追いやった。
「頼むから、やめてくれ」
制止。自暴自棄になって青鬼を殴りつけようとする拳を後方へ引き、下唇を噛み締める。やがてゆっくりと拳を下ろし、早鐘を打つ脈を抑えることもせずに膝を折り曲げた。
「……わしは」
ぎゅうと胸が苦しくなり、堪らず右手で胸を押さえる。だが、一向に痛みは取れそうにない。ずきり、ずきりと見えない何かに胸を掴まれ、針山で突かれているような気にさえなってきていた。目の前の現実が怒涛のように押し寄せる二つの選択肢を示し、わしは選びきれずに途方に暮れる。
「わしは……!」
青鬼を生かすか、殺すか。無論わしが選ばなければならんのは、後者だ。わしが青鬼を殺さなければ、千代や、真神たちや街道に棲む者たちへ恩を返せない。罪滅ぼしにならない。それなのに。わしは。
「……おめぇを」
青鬼を、殺さなければならんというのに。
「殺しとう、ない」
ここまでお疲れさまでした。
次話で結末を迎えますので、楽しんで頂けますと幸いです。