第四朝 赤鬼と青鬼 中之上編
あと二、三話でおしまいを予定しております。
長くなりましたので区切らせて頂きました。
なけなしの戦闘描写を楽しんで頂けましたら幸いです。
陰陽師の後を追って辿り着いた先は、森の奥深くに鎮座する大きな神社だった。鳥居を潜り抜けて石畳を歩んだ先の中央には注連縄が施された社と、社を覆い尽くさんばかりに生い茂った木々が月の影を落とす。神主が不在であるのか、はたまた今宵の月が翳りを持つためか、どことなく不潔で暗い雰囲気を纏った神社だ。
注意してみれば、神社の参道を迎える左右の木の裏には藁人形などが釘で縫い止められ、たった今しがた丑の刻詣りでもされたかのようだ。
陰陽師は足元さえも暗がりに包まれた鳥居を、平然と潜り抜けていく。そこで、徐にぼそぼそと何かを呟き、ふうと小さく息を吐いた。体内から体外へ排出された二酸化炭素はしばらく白い息となっていたが一瞬の後に小さな人影を型取り、暗闇から切り取られる。形は蹲った人間のようで、陰陽師の背後にある茂みからではよく見えない。しかし、陰陽師が人型と擦れ違った刹那。わしは息を呑んだ。
「……まさか」
頻りに目を擦るが、間違いない。青鬼だ。青鬼は小脇に気絶しているであろう千代を抱えて、すっくと立ち上がる。月明かりで横顔しか見えないが、亡霊のような虚ろな表情で前を見据える青鬼に胸が痛んだ。
陰陽師と三歩ほど離れて付き従う青鬼が厳かに石畳を歩み、社への小さな階段に足を掛ける。作戦では奇襲班に分けられたわしは、隣で待機する三匹の鎌鼬と蛇女に目配せし、小さく頷いてみせた。陰陽師が青鬼と距離を取った瞬間。それこそが、契機であり、勝負の刻だ。
青鬼から千代を受け取った陰陽師が一段目を上り、青鬼は動かない。陰陽師が二段目を踏みしめる。それでも青鬼は陰陽師を見上げるばかりだ。陰陽師がついに最後の段を上りつめるが、青鬼はぴくりともしない。恐らく、階段から上は人間しか入れぬ結界でも張り巡らせているのだろう。社の四隅には火の灯った蝋燭で押さえられた札が置かれている。きっとこれらを崩せば結界は解かれる筈だ。
ふと、青鬼の独り言のような「人柱」という単語から陰陽師の企みを推察してみようとするが、まるで見当も付かない。だが、良からぬことであることは容易に想像出来た。
古来より、呪いというものは贄が上等であればあるほど、負の感情が高まれば強力なものと成る。どこで情報を仕入れたかは知らぬが、千代がわしへ身に余るほどの憎悪を抱いていると感付いたからこそ陰陽師は青鬼に攫わせた。小癪な真似をするものだ。
ぐったりとした千代を肩に担いだ陰陽師はそのまま社の扉を開き、くるりと踵を返す。虚ろな瞳で見上げる青鬼に、陰陽師はにたりと弧月の笑みを浮かべて、うっそりと言った。
「儀式を終えるまで、誰も入れてくれるなよ。青鬼」
あまりの気味悪さに全身が総毛立つ。だが青鬼も無言で頷いたかと思うと、振り返って仁王立ちになった。立派な式神として従順な立ち振る舞いをする青鬼に苛立ち、口に挟んだ小石をぎしりと歯噛みする。
この小石は呪いに対抗する手段の一つとして、真神が持たせてくれたものである。咥えている間だけは妖気が消せるという代物で、神の土地であった街道に古くから伝わる由緒ある石だという。さらに、現存するものは真神が持っていたこの五つしか無い。なぜ真神が持っているかなどは知る由もないが、効果は一時的なものであると真神は自らの経験より語った。昔はそれを悪用して、迎え犬の月夜のおやつを奪ったりしていたようだ。実に真神らしい使い方だ。
いつしか生暖かい風にざわざわと揺れていた神社を覆う木々は次第に動きを止め、じんと耳鳴りのする静寂に包まれる。静寂を破ることなく蛇女と三匹の鎌鼬は素早く動き、青鬼へと近付いていった。そろり、そろりと。やがて身動ぎ一つしない青鬼と横一直線状に並んだ。お互いに石を咥えていることを確認する。そして。
わしは小さく手を下ろす。それを合図に、蛇女と鎌鼬が目にも留まらぬ速度で青鬼へと飛びかかっていった。
一匹目の鎌鼬が鋭い鎌状の尾で青鬼の足元を目掛けて斬りつけ、蛇女が蛇を足に絡みつかせる。それだけで、青鬼の躰はぐらついた。後方へと転びかけた青鬼の首元へ二匹目の鎌鼬が飛び掛かり、三匹目が二匹目を踏み台にして青鬼の脳天へ目掛けて尾を向けたまま垂直落下する。不妖石のお蔭か、はたまた実力か。青鬼の首がすぱりと斬り落とされる。そう思った矢先のことだ。
きゃん、と甲高い悲鳴が上がり、突風と共に鎌鼬が振り払われた。足元に絡みついていた蛇女が異変に気付いてすぐさま青鬼の首に巻きつけようとするが、青鬼は華奢な腕で蛇女の首を掴むとそのまま力任せに投げ飛ばす。ぶおんという風を切る音が聞こえた。途端に目の色を変えた鎌鼬が青鬼の左右と死角から飛び掛かるが、青鬼はとんと軽く地を蹴り跳躍して避ける。
月を背にして宙へ舞い上がる青鬼の姿は、正に瑠璃姫というあだ名が相応しい。すうと細められた目は涼しげで、冷淡さや優美さを感じてしまう。触れてしまえば凍傷を引き起こしてしまいそうな氷塊である。宙を飛ぶ間にも青鬼は筋張った手をごきりと鳴らし、月の獣のように四足を揃えて、地を這う鎌鼬へ自由落下を始めた。鎌鼬はというと、青鬼に避けられたために力一杯に互いと頭から衝突して目を回してしまっている。このままでは危機を察知した鎌鼬でも避けきれずに押し潰されてしまうかもしれない。そう思ってしまえば、この躰はいとも容易く青鬼の前へと躍り出た。
「……だ、あぁあ!!」
だん、と勢いよく茂みから飛び出して一足飛びに青鬼へ飛んで行く。ぐんぐんと距離は縮まっていくと同時に、青鬼の殺気立った空気に肌がちりちりと焼けつき、虚無を宿す瞳とも近付いていった。しかし、それでも間に合わぬ。ならば、どうするか。ふと思いついた妙案に思わず顔を顰めたが、時間が無い。獣染みた空気を纏う青鬼をしっかりと視界に捉えて、奥歯で噛み締めていた石を窄めた口から鉄砲魚のように噴き出した。急激な爆発力を持った小石は縋り付くものも無く、速度を以て青鬼へと飛来する。急なことに避け損なった青鬼に小石が眉間を捉えて勢いよく跳ね上がった。思わず首を仰け反らせた青鬼の眼前まで飛んで行ったわしは、槍で貫くように青鬼の腹へと親指を握り締めた拳で殴り飛ばす。どすんと鈍い音がした。
落下の軌道が逸れた青鬼は、鎌鼬よりも少し離れた地点へどさりと落ちる。殴り飛ばしたわしも体の均衡を崩したが、前転して何とか体勢を整えた。改めて、鬼で良かったと思う瞬間である。右手で殴る際に腹に拵えた傷口が開いたような気がしたが、気にしない。思わぬ腹部への攻撃に身悶えする青鬼にも聞こえるように、地響きを立てるように足音を立てた。
「青鬼よぉ」
じわりと痛みが滲んでくる腹部へ負担をかけて、低い声を捻り出す。完璧にやせ我慢ではあったが、効果はあったようだ。わしの声音を聞いた青鬼は大げさに肩をびくりと震わせる。咄嗟に頭を守るように抱える青鬼に、わしは口には出さず、ただ不審に思った。
「随分と寝惚けた真似をするのぅ」
青鬼は小刻みに震えながらも黙ってわしの言葉に耳を傾ける。その様子はまるで反撃の機会を窺う瀕死の獣のようで、喉でくつりと笑ってしまう。まったく、白々しい真似をするようになったものだ。どこまでもわしを虚仮にしよるわい。式神と成り果てた身の分際で。
「一月もして、忘れたか」
だんと青鬼の目の前にある石畳を踏み抜き、威嚇をする。今にも虎視眈々とわしの隙を狙う小賢しい獣に、疑似餌をやるように顔を近付けてやる。ぐぐ、と僅かに顔を上げる青鬼の瞳に映るは虚無ではなく、罠にかかった獲物を捕らえて逃がさぬといった意思だった。その襲い掛からんとする珍しい青鬼の姿が、瞳が、久方ぶりにわしの闘争心へと火を付けた。そういえば、随分と長いこと忘れていたが、わしは短気な性分だった。
「ええか、耳の穴かっぽじって、よぅく聞け」
それは青鬼も同じこと。泣き虫で臆病だが頑固で、短気であるが故にすぐに怒り、攻撃して、罪悪感から泣いてしまう。短気ではあるが心根の優しい、厄介な性分を持つ鬼。それが、わしの知り得る青鬼だ。
挑発的な笑みを浮かべ、青鬼の怒りを煽るようにわざとらしく、区切って言い放つ。
「わしは、おめぇにゃ、負けねぇのよ」
すると、青鬼は好機とばかりに殺意を瞳に迸らせながら、文字通り食ってかかった。
ここまでご一読頂き誠にありがとうございます、お疲れさまでした。
本格的な戦闘描写は後半に残しています。
明日か明後日に次話を更新しますので、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。