第四朝 赤鬼と青鬼 前編
このお話も大詰めと相成りました。
千代が連れ去られた。慌てて旅籠に戻るや否や告げると、玄関へと顔を出した真神は予想に反して落ち着いた反応を示した。傍らに月夜を従えさせた真神は神妙な面持ちで頷くと、戦々恐々とする月夜や野干の方へと振り返り、一言。
「行くぞ」
途端に二匹の狼は、腹の底から震え上がらせるような遠吠えを繰り返し、瞬時に獣の瞳へと切り替える。野干もまた同じであった。
ぴゅうと軽く口笛を吹き、眼前で手印を切る。ぼそぼそと何やら聞き取り難い声で呟いたかと思うと、旅籠の障子という障子が一斉にすぱんと開く。障子が開いた先には泊り客であろう妖怪たちがざわざわと犇めき合い、皆一様に殺気立っていた。
「うらめしや、憎らしや。人間めぇ」
既に事情は野干から聞いていたのだろう。それにしても、凄まじい数だ。街道で擦れ違った狸やら狐のほかに、火の勢いは抑え気味の火車も居る。また、女の能面を被った巨大蜘蛛の女郎蜘蛛が牛蛙のような声を上げて笑い、口からは灼熱の業火をちらちらと溢し、子蜘蛛たちがわらわらと這い出て来ていた。
「許さまいぞ、許さまいぞ、人間めぇ!」
声がして、ふと見上げてみると、部屋の天井付近では首の長いろくろ首がとぐろを巻いて見下ろし、その背後には巨大な人の生首である釣瓶落としと目が合ってしまう。釣瓶落としは意外にも礼儀正しく、少し傾げてお辞儀をした。つられてお辞儀を返すと、突風が目の前を通り過ぎる。何かと思って見遣れば、尾を鎌のように鋭くさせた鎌鼬が、得意げにわしを見上げていた。
よくよく見れば、人の姿に模した山伏姿の天狗やら山姥なども中には居る。山姥や大きな卵のような全身を目に覆われた百目が仁王立ちになり、般若の形相でわしを睨んだ。
まるで長い屏風にこれでもかと妖怪たちを詰め込んだ百鬼夜行図である。圧巻だった。
「ここに居るのは街道に住む者たちさ。皆あの陰陽師には辟易していてねぇ」
野干が涼しい顔で言い放ち、いつの間にか周囲を浮遊する人魂へふうと吹きかける。人魂がふよふよと流れた後には青白い狐火が漂い、暗がりから姿を現した猫又をぼうと照らし出した。思わず、あっと声を上げる。
見世物小屋で外への案内をしていた、あの猫又だ。
「あすこで同期だった猫又に、ここを貸してくれと言われたのさ」
「……街道に居たものは、皆あの陰陽師には恨みつらみがあるんだ」
「あたいらは、こう見えても血気盛んでねぇ。話し合いもしてみたんだけど、意味が無かったよ」
ぞろりと生え揃った牙をちらつかせた口を喜悦に歪ませた野干が艶やかに笑む。隣に立つ猫又の大きな瞳も、暗闇の中でもはっきりと分かるほどに瞳孔を縦に開かせた。
「売られた喧嘩は、倍返し。それが街道の掟さね」
玄関先にあるものは、無数の唸り声と潰れてしまいそうな圧迫感。月明かりも届かぬ旅籠からは不気味な波紋をもって広がる声が大群となって押し寄せ、わしの躰を震え上がらせた。
*****
街道に住まうものたちが夜の都を通り過ぎる。頭上に横たわる暗雲からこの道を見てみれば、さぞや黒々とした得体の知れないものが横行闊歩していることだろう。大小さまざまな妖怪たちは青鬼の臭いを辿る狼たちを筆頭に、ぞろぞろとついて行く。
「ねぇ、あんたさ」
不意に横に居た猫又に話しかけられ、顔ごと向ける。旅籠を出る前に見た妖としての猫又はどこにも見えず、最初に出会った時のような人情が溢れる表情の猫又が、覗き込んでいた。
「あの子の生き別れの友達だって、本当かい」
「……昔の話じゃ」
「あの子ね、あの陰陽師に見世物小屋へ売られてからずっとあんたの話ばかりするの」
「……」
猫又が何を言いたいか分からずに、ただ押し黙る。
「真神さんだっけ。あの妖からも話を聞いたけど、あんたあの子をどうする心算?」
「……どうもせんわい。わしらは陰陽師に報復する。それでええじゃろ」
ぶっきらぼうな言い方をしてしまう自分に、内心で大いに焦ってしまう。喋れば喋るほどに墓穴を掘ってしまうと感じ取っていた。
陰陽師へ攻撃することは、式神となった青鬼と対峙することである。果たして自分にそれが出来るのか甚だ疑問ではあるが、やらなければならん。青鬼を倒して、陰陽師を殺す。これこそが、自分の出来る罪滅ぼしだ。それは分かっている。分かってはいるが、この身体は、心は、ちゃんとついてきてくれるだろうか。あの日と同じように、青鬼を殺してしまえるだろうか。
「あの子はさぁ、小さいなりに見世物として頑張ってきたんだ」
「……見世物、じゃと?」
「売れっ子だよ。瑠璃姫ってあだ名でね。綺麗な白髪に瑠璃の肌で舞うから」
「あれが姫たぁ片腹痛いわ」
「化粧をすると化けるんだよ。あの子。ね。髪切りさん」
猫又がふいとわしから視線を外して、行列に並んで歩く真っ黒い塊へと話しかける。何という妖怪かは分からなかったが、そうか、髪切りか。河童ような二つ眼球の上には瞼があるのか粉っぽいおしろいが塗られ、頬と思われる部分には頬紅が差されている。
猫又に話を振られて嬉しかったのか髪切りは声を弾ませて応じるが、声は野太い。鋏状の両手を忙しくしゃきしゃきと鳴らした。
「そうよぉ。何たって、この私がお化粧やら何やらお世話してきたんだしぃ」
「あぁ、えっと。髪切りさんは見世物小屋の化粧役を携わっていたの」
「いろんな髪を切ってきたけど、あの子のは格別でねぇ。勿体ないぐらい!」
「いつも結わってましたよね」
「流石に歩くのが難しそうだから腰より下は切らせてもらったけど、今でも家宝にしてるわぁ」
青鬼の白髪を思い出したのか、悦に入った表情でくねくねと身を捩らせる髪切りに、げえと舌を出す。口調と言い、仕草と言い、気持ちが悪い。妖怪には性別が明瞭であるものとそうでないものも居るが、見慣れないため余計に不気味だ。
しかし、ここで同じ思いを抱えたものが口を挟んできた。
「気味悪いこと抜かすんじゃねぇぞ、髪切り」
「そうだそうだ、兄貴は汚いものが大嫌いなんだよぉ」
野次が飛んできた隣を見れば、見世物小屋からわしに忠告してきた河童と川獺が思い切り顔を顰めて寄ってくる。
「あら。私は汚くなんてないわよ。失礼しちゃう」
「鏡を見てみろ。黒い毛玉が喋っていること自体が気味悪いんだよ」
「もう。酷いわ。……でも私あなたも好みなの。どう、今度お茶でも」
「げぇえっ! 川獺、来い!!」
「あっ、兄貴おいらは、ちょ、え、うわぁああ!!」
河童が青い顔をさらに青褪めさせる。すかさずぴょこぴょこ跳ねる川獺の脇を抱え、にじり寄る髪切りを遮った。
わしから見て左端から、河童、川獺、髪切り、わし、猫又という並び順では如何ともしがたい距離に猫又が安全圏から声を上げて笑う。そういえばわしの腕も何気に髪切りに腕を組まれている。悲鳴とも嗚咽もつかぬ声を上げる川獺に頬擦りする髪切りは、器用にもわしの手に自分の手を絡ませてきた。
出そうになる短い悲鳴を噛み殺して髪切りの方を見ると、髪切りは意味ありげな視線をわしへと遣す。間違いない。こやつはわしをも狙い落す心算じゃ。ぞっと肌が粟立つ。
「そっ、それより、青鬼の奴、やっぱり面倒事を引っ張ってきやがったな!」
河童が裏返る声で何とか声を絞り出すと、猫又や髪切りからの反論を聞こうともせずにべらべらと話し始める。元来この河童は饒舌なのか、息継ぎをする様子も見せずに厭そうな顔で不平不満を捲くし立てた。
最初は猫又も髪切りも不機嫌そうな顔で隙あらば反論しようと口を開けていたが、河童の主張にだんだんと毒気が抜かれていく。
「だいたい、一つ目が贔屓しやがるからあの青鬼も付け上がるんだ。野干さんの後釜だなんておこがましいにも程があるだろ。それに俺はあの青鬼の何も知りませんっていう態度とか生意気にも受け流すところとか嫌いなんだよ。ばっちり傷付いたって顔しておきながら笑うし俺らの悪口も言おうとしないし、言えって言われても口を噤む。出会い茶屋に出入りしてるって法螺流しても怒らねぇし、俺の言葉も真面目に受けとめて一丁前に自分には可愛げがないって悩むし、良い子ちゃんぶるのもいい加減にしろってんだ」
話している内に苛立ってきたのか川獺を掴む手に力が入り、川獺がひっきりなしに悲鳴を上げる。だが、涙声になりながらも川獺は馬鹿正直に思っていたことを口にした。
「で、でも、こうやって青鬼を追いかけている辺り、兄貴もしんぱ、あびゃあっ?!」
「俺が追いかけているのは、お・ん・みょ・う・じ!」
「あででででででっ、でぇええええ!!」
「つまんねぇこと言うと針で縫って簀巻きにして沈めんぞこらぁ!」
「兄貴が言うと洒落になんね……、ぎゃあああ、すんません!!」
静かな夜半に人ならざる者の声がする。河童の言う通り陰陽師の後を追いかけると既に辺りは都の裏手にある森へと来ていたため、不審がる人間はどこにも居ない。それどころか、わしらが騒いだお蔭で周りの妖怪たちも和気あいあいと話し始めるしまつだ。
呆れ顔で猫又と髪切りが溜息を吐く。それでも青鬼を好む髪切りは河童たちの会話に入っていった。途端に話し声は大きくなり、ついには森の中でも木霊がかかるようになってしまう。
「ねぇ、あのさ」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ声に消えてしまうような小声が隣から聞こえる。遠慮がちな声のする方へと顔をやれば、猫又はあの時と全く違わず真剣な表情で口を開いた。
「お願い。あの子を、助けてやって」
わしを射抜くような視線が、声が、燃えたぎる焔となって胸を焦がす。青鬼に引導を渡そうとしていたわしが、ぐらりと揺らいだ。
わしが来る前まではちゃんと元の青鬼であった話を聞かされたが、今の青鬼は当時の青鬼ではない。どうやらそれを知るのはわしだけのようだった。
猫又の必死の願いに、わしはうんともすんとも言えず、ただ黙る。すると、そこで前方から真神が鋭い声で招集をかけた。
二匹の狼を中心に、大きな輪が出来上がる。話によれば、陰陽師が近いらしい。そこで、と真神が一度だけ区切り、獰猛な目つきで言葉を吐く。
「奇襲班と待ち伏せ班と、強襲班と空襲班に分けるべ」
さぁ、いよいよだ。合戦の前触れを感じた妖怪たちは、大地をも揺るがす唸りを上げた。
次話から戦闘となります。