第一朝 鬼と送り狼ときどき仇討ち 後編
「……貴様が、赤鬼だな」
「おめぇ、女子か?」
男の子にしては高い声。だが、鉄のように冷えた声だ。暗闇の中でぼんやりと輪郭が浮かび上がり、刃と子どもの憎悪の光が鋭い光を放っている。真一文字に結ばれた口元は声に出してはなくとも確たる殺意を示していた。
「探したぞ」
およそ子どもらしからぬ気迫に圧され、思わず口を噤む。生半可な気持ちでわしに刃を向けているものではないのだろうが、わしはこの子どもの視線に既視感を覚えた。
「貴様に殺された家族の恨み、とくと思い知れ!!」
大昔にわしが青鬼を殺された時と同じく、あの全てを憎む瞳を以て、子どもはわしを睨みつけてくる。さらに、鼓膜を震わせるほどの大声で怒鳴り返してきた。
「覚悟ぉ!!」
子どもが後方へ足摺りし、刀を振り上げ、勢いよく振り下ろす。子どもが持つには少々手に余る様な長さと重さがある一振りを、わしは身を僅かに反らすことで避けて次の一手に備えた。
「待て、まて! なぁに言っとんだ、おめぇ?!」
「問答無用!!」
「だから、待たんか!!」
どすっと刃が土に振り下ろされるが、子どもは歯噛みしたまま間髪入れずに下段から振り上げてくる。子どもで、しかも女であるというのに、大した力だ。慌てて顎を上げて上体を反らした瞬間に刃が風を切り、ついでに顎を掠めていった。
「貴様のような下賤な妖魔の言葉を聞く耳など持ち合わせておらん!!」
子どもは攻撃を外したと悟ると、確実なものにしようとわしの方へと片足で大きく踏み込む。そして、振り上げたままの刀を流れるような動作で右肩から袈裟斬りにするように斬りつけてきた。
「くたばれ、外道!!」
「……あぁ、そうかい」
先程から子どもが繰り出す一刀ごとに迷いは見られず、明確な殺意だけが肌を震わせる。どうやら子どもの言うことはあながち嘘でもなさそうだ。
「奇遇じゃなぁ。わしもだ!!」
刀の太刀筋は滅茶苦茶だがほぼ気迫で刀を振り回す子どもに、わしも腰に差していた鞘で受け流す。刃の切っ先が当たる度に鞘はぎしりと嫌な音を立てるが、構わず打ち返した。打ち返される度に子どもは屈辱に顔を歪める。感情のままに振るうその一刀は、都の侍や合戦場で出会った歩兵のものに比べれば、なんと可愛らしいものか。
実力は大したことは無い。ただ、わしの身を震わせたものは、紛れもなく子どもの瞳だった。
「貴様のせいだ……! 皆を返せ!!」
一刀ごとに見える子どもの底知れぬ憎悪や殺意に、どこか懐かしさを感じる。そうだ。あの瞳は以前のわしと同じものだ。子どもの主張はよく分からんが、あの時のわしと似たような思いを抱いているのだ。この子どもは。
「のぅ。わしのせいだと言うなら、分かりやすく言えや」
「……くそっ。しらばっくれるな!!」
子どもが長い得物を振り回して、ついに頭上から刃を降り注ぐ。流石に鞘では受け止めきれないと判断し、木の幹のように太い右腕で鋭い刃を受け止めた。
「……本当に分からんと言うなら」
わしの腕に刺さったままぎりぎりと刃を押し通そうと、真っ赤になった子どもの顔が徐々に近づいて来る。それを見ていると、子どもが僅かに口を開いた。
「やい! 質問に答えろ!!」
怒りと憎しみと苛立ちを複雑に入り組ませた子どもの瞳が、ぐにゃりと歪んで悲壮な顔つきへと変わっていく。まるで苦い薬を飲まされた、あるいは辛酸を舐めさせられたような、そんな顔だ。子どもの表情の変貌に呆気にとられていると、次に子どもの僅かに開いた口からは、これまでに溜め込んできた全ての怒りを吐き出すかのような怒号が飛んできた。
「何故、村の人たちを殺した?!」
ぎちぎちと腕の肉が刃によって切断されていく音を聞きながら、額にじわりと脂汗が滲んでくる。痛い。腕に刃が刺さる程度の怪我など一日もあれば治るだろうが、全く痛みを感じない訳ではない。じくじくと込み上げてくる痛みに汗を流し、ぎゅうと歯を噛み締めて堪える。堪えて、子どもの言葉を待ってみることにした。
「どうして、殺されなければならなかった?!」
あぁ、そうか。なるほど。恐らくこいつはあの青鬼がいた村の出身か。青鬼を苛めていた村の者が、何を言うかと思えば。わしが村人を殺した理由か。今更それを聞いたところで、どうしようというのだ。くだらん。第一に、悪いのはわしではなく、人間の方ではないか。自らのことを棚上げにして責め立てる術は幾つもの年月を経ようとも変わらぬものだ。
「……どうして!!」
やれやれ、しかし。これではしばらく右腕が使えんわい。子どもの涙も、青鬼と同じ涙ではあるが、青鬼の方が綺麗じゃなぁ。
「どうして、貴様なんぞに……!!」
子どもが大粒の涙をぼとぼとと溢す様を見ながらぼんやりと別のことを考えてしまう。それからというもの、無言で鼻の先にまで迫ってくる子どもの顔を見つめ続けた。もう既に少しだけこのやり取りが面倒になりつつあることも自覚する。
「皆を殺したのも、気紛れか?」
「は?」
「ただの、気紛れだとでも言うのか!!」
「……」
まったくもって、この人間がどうしてここまで怒りを露わにするのか分からん。そもそも、あの村の者たちがわしを騙して青鬼を殺したことが事の発端ではないか。わしばかりが悪いように言いおってからに。わしが「人間と友達になりたい」と願ったことは、それほどまでに悪いことだったとでも言うのか。友を創るは人間だけの特権だとでも言う心算か。まったく、腑に落ちんわ。何故こんな子どもに恨まれなければならんのだ。
子どもが怒る意味が分からん。分からんから、手の施しようもない。分からんのであれば、ここは黙って子どもの主張を聞き出さねばなるまい。人間同士のやり取りは案外それで解決することが多いことを、わしは数度にわたる転生で知っている。
「気紛れで、あんな、酷いことを……!!」
人間は、時としてさまざまな感情を一度に持つ。また、感情を用いて会話が成り立つ生き物でもあるから、偏った感情しか持たぬ鬼のわしには人間の思考を図りかねる部分があった。特に、こうした感情的な人間は「心」のままに動くから性質が悪い。
「十数年あの村で暮らし、村の外で狩りをして帰ってみれば、何だあれは!」
「……」
「貴様よくも村人を殺して、のうのうと生きておるな?!」
「……あの村の人間か」
「そうだ。貴様と気味の悪い青鬼が出て行ってからはずっと後をつけてきた」
「……そいつぁ、随分と。骨の折れるこって」
「途中で貴様を見失うわ、都へ行こうにも道に迷うわ……!!」
「そりゃわしのせいでは」
「ぜんぶ、ぜんぶぜんぶぜんぶ貴様のせいだ!!」
ぶつんと腕についた肉の繊維が切れる音がする。子どもの荒い鼻息を間近に感じながら、ふむ、と一言だけ呟く。
「……何じゃ」
呟き、大きく息を吐いた。
「結局は仇討ちか。……つまらん」
「何だと?!」
「もう、ええ。退け」
「うわっ?!」
すうと眼を細め、刀ごと払い除けるように思い切り腕を振り払った。所詮は妖怪と人間だ。いくらわしが小鬼といえど、人間の子ども一人を払い除けることなど造作もないことだ。
払い除けた先の岩壁にどんと物がぶつかる音が響き、ぎゃっと変な声がした。声からしてどうやら子どもは壁に叩きつけられた程度で、拉げたりなどはしていないようだ。しかし、それでも中々の衝撃だったらしい。暗闇の中からは子どもが痛みに呻く声が聞こえてくる。
「……のう」
だが、人の子など最早わしにとってはどうでも良いことだ。あの子どもの存在が後の面倒事を引き起こす種になるというのなら、早めに摘んでおこうか。
「わしを、殺しに来たんじゃ」
ぶらんと垂れ下がった右腕はそのままに、左手で牙を力任せに引き抜けば、ぶちぶちっと歯肉から剥がれる音がする。痛みはあったが、これも大したことではない。
「殺される覚悟もあって、当然じゃわいなぁ?」
冷めた表情で抜いた牙を見下ろし、左手で力の限り投げつける。ずん、と、そう遠く離れてはいない岩壁に牙が突き刺さった。その衝撃でぱらぱらと岩肌の天井から小さな瓦礫が崩れ落ち、土煙がもうもうと舞い漂う。
土煙のおかげで人間がどうなったか分からない。だが、どうせ牙に貫かれて死んでいるだろう。人間なんて、脆いものだ。爪で引っ掻いたり足で蹴ったり噛みつきでもすれば、あっという間に死ぬ生き物なのだから、どうしようもない。
「どれほど願おうとも、わしらは人間にはなれんのだ」
己の漏らした言葉に、ふと、青鬼のことを思い出した。そういえば、わしらがどう接しようとも人間を傷付けてしまうことにほかならないというのに、どうして青鬼は人間を傷付けることを恐れたのだろうか。人間と友達になりたいと願ったのはわしだが、それ以上に青鬼は人間を傷付けることを頑なに避けていた。人間に興味が無いのだと青鬼は言っていたが、本心からの言葉だったのだろうか。
正直に言ってしまえば、わしには青鬼が何を考えてるのか分からん。蘇った今でもよく分かっとらん。ただ、会いたいから探しているというだけだ。思えば、青鬼を探す理由として以前の記憶によるものがあるだろうが、わしとは異なる思想を持つ青鬼に惹かれたからやもしれぬ。
土煙が晴れてきた。ごしごしと左手で目を擦り、もくもくと立ち込める煙の向こう側へ目を凝らす。目を凝らしたって、どうせ死骸が一つあるだけだ。つまらん。雨が止んだら、さっさとここを出て青鬼を探しに行こう。
ふん、と鼻息を荒げて鼻に入ってくる埃を追い出すと、煙の向こう側で二つの影が揺らめく。
「……赤鬼やい」
驚いて煙の向こう側を必死に見つめる。すると、煙の向こう側には信じられない光景があった。
「これは、ちょいとおいたが過ぎるんでねぇか?」
そう言って、送り狼がぷっとわしが投げた牙を口から吐き出し、傍で蹲る人間の前に立ちはだかる。どうやら送り狼がわしの牙を牙で受け止めていたらしい。どうして妖怪である送り狼が何の義理も無い人間を助けるのか。いくら送り狼が面倒見の良い妖怪だとしても、おかしいだろう。
はくはくと口を開閉していると、苦々しい顔つきでありながらも送り狼に礼を言う子どもの姿も見受けられた。送り狼は礼を言われて柄にもなく照れた表情を浮かべている。
嘗てはわしも手にしていたような、一人と一匹の目に見えぬ信頼をまざまざと見せつけられ、わしの思考回路は途端に止まってしまった。
「……何で」
どうして、妖怪である彼奴は人間を助けたのだ。何で人間は彼奴に礼を言うのだ。人間にとって妖怪は憎むべき相手ではないのか。そのことが頭の中を占領し、瞬時に混乱する。
「……妖怪の、くせに」
わしはしばらくの間あの送り狼と人間を見つめることしか出来ないでいた。