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鴉の虹彩  作者: ちがみ
7/13

3-2


「こんな夜中に行っては怪しまれるのではないか」

ロランは声を抑えて出来る限り静かに言った。

「真っ昼間に行って失敗した奴は黙ってな」

エリオットの言葉が額にちくりと刺さる。

 三人は、細い路地にひっそりと立つ小さな花屋の十数メートル手前まで来ていた。曲がり角から身を乗り出して近くに人がいないことを確認する。その場所は日当たりがあまり良くないせいで昼間に来たときでさえ薄暗く、くたびれ寂れて見えたが、夜の今は一層暗鬱とした空気を漂わせているように感じる。近くに外灯が無い上に空は曇っているため、暗闇が深みを増し、すぐ傍のロジェやエリオットの表情さえうまく読み取れない。

 店主のロザリーは花屋の二階にある住居に暮らしているのだと言っていた。見上げると、二階の窓にはカーテンが引かれていて中の様子は窺えない。隙間から光は見えず、中の明かりが点いているかどうかも分からなかった。一階の店舗の扉は閉まっている。扉の上部に設けられた小さな明かり取りは真っ暗で、少なくとも店舗の電気は消えていることを示していた。

「僕が一度様子を見てくる」

ロジェはそう言って、花屋の方へゆっくりと歩いて行った。

 それからしばらくの間、ロランは音を立てないように息を潜めてじっと待った。隣に立つエリオットも、コートのポケットに手を入れて何も言わず立っている。出来るなら、ロジェの方に残って欲しかったというのが正直なところだった。見たところエリオットは、やはり、ロジェの言うことには比較的従順なようだ。言われたことに反抗的な態度を取ることもなく大人しくその言葉を聞き入れる。指示を一々仰ぐというわけではないものの、彼の意向を尊重しようという姿勢が明確に見てとれる。一方、ロランに対しては対照的に、一貫して喧嘩腰で威圧的だった。三日前ロランを通りまで送り届けるときも、今日三人で話を始めたときも、何かにつけ半ば言い掛かりのような理由でロランに食って掛かったり嫌味を言ったりしてロジェにたしなめられていた。

 ちらりと見上げると、タイミングが悪く目が合ってしまった。慌てて逸らすが、案の定隣で舌打ちが聞こえる。

「あからさまにびくびくするなよ」

「……すまない」

ロランは声を抑えて答えた。苦い表情を見られないように、顔をやや俯かせる。

「そういうのすごいむかつく」

頭のななめ上から苛立った声が落ちてくる。

「その弱っちそうな目線。俺のことが怖いっていうのが手に取るように分かる。怒らせないようにってヒヤヒヤしてるんだろ?そういう態度が腰抜けだって言ってるんだ」

何故この男がロランに対してこんなにも苛立ちを見せるのか見当がつかなかったが、言い返すことが得策ではないことだけははっきり分かる。じっと彼が収まるのを待つしかない。

「もう一度言うが、俺はそういうびくびくした目が大っ嫌いなんだ。だからもっと堂々としろ。いいか、二度と同じこと言わせるなよ」

「エリ、声が大きい」

いつの間にかロジェが戻って来ていた。助かった、と胸を撫で下ろす。

「どうだった?」

「当たりかもしれない」

その言葉に心臓が跳ねた。そして同時に、昼間に見たロザリーの顔と不安げなアルローの背中が頭をよぎる。

「……当たりというのは?」

ロランは恐る恐る尋ねた。

「中で声がする。女の声だ。断片的にしか聞き取れないが、誰かと話しているみたいだ」

女の声というのは、恐らくロザリーの声だろう。

「会話の相手は」

「相手の声は聞こえない。店主の女は真夜中に明かりもつけず家具に話し掛けるような、変わった人物なのかい」

「まさか」

「ならあの家の中には必ず相手がいるはずだ。それも、明かりを点けては会えないような関係の相手が」

わざわざ暗闇の中で会話を交わし、"会っていること"さえも隠しておきたいような、後ろめたい関係。あの扉の向こうにいるのは、一体誰なのか。ロランは暗い明かり取りを見つめた。

「裏口は」

エリオットはコートの下に手を入れて腰背部をごそごそといじりながら尋ねた。手元をこっそり覗き込むと、ダークブラウンの生地の下から革のホルスターがちらりと見えた。

「ある」

「なら俺が表から行く。ロジェは裏に回って」

「分かった」

「ひとまず裏で待っててくれたらいいよ。出来るところまで一人で押さえる。鴉かどうかは、分からなければ取っ捕まえてから聞き出せば良い」

二人は少ない言葉であっという間に確認を済ませた。それからロランにはその場で待っているように指示して、暗闇の中を足音も立てずに歩いていった。

 ロランは曲がり角にそっと身を潜め、花屋の方へ目を凝らす。エリオットの金色の髪は、遠くからでも夜の闇の中で浮かび上がって見える。ロランは彼の背の銃が抜かれないことを願いながらその後ろ姿をじっと見つめた。エリオットは表の扉の前で立ち止まると、しばらく扉に耳を寄せた。中の様子を探っているようだった。

 吐く息は白くなるほど冷え込んでいるのに、両手には汗が滲んでいる。あの扉の向こうにいるのが誰なのか、鴉であるかどうかさえもまだ分からない。しかしロランは、頭の奥では、あの店の中でロザリーが息を潜めて語りかける相手の顔をくっきりと思い描いてしまっていた。この憶測が当たっていて欲しい気持ちと外れて欲しい気持ちとがぐるぐると胸の中でかき混ぜられる。こんなところで不安を感じていてもどうしようもないのだと分かっているのに、心臓は段々鼓動を速めていく。十数メートル先で、エリオットが扉を叩く音が聞こえた。その時だった。

「ねえ」

声はロランの背後、すぐそばだった。心臓が縮む。驚きで詰まりそうになった息をなんとか吐き出して、恐る恐る背後を振り返る。

「ふーん、そんな顔するんだ」

そこに立っていた少年は、片眉を上げてにやりと笑った。

「ってことは、やっぱり今回は正式な捜査で来てる訳じゃないのか」

三日月形の目と目尻の長いまつげが猫のような印象を与える。花屋の方へ注意を傾けすぎたせいで、こんなに傍まで近寄られていたことに気付かなかった。

「昼間にも一度この辺りに来てたよね。もう一人、目の細い若い男の人と一緒だった。違う?」

ロランは返答に窮した。突然のことに、どう答えるべきなのか判断がつかない。

「憲兵隊の人だろ?昼間着ていた制服はたしかボタンが二列だった」

黙ったままのロランをじろじろと眺めながら、少年は喋り続ける。

「それとさっきの二人組。ロジェと、エリオット。彼らとはどういう関係?もしかしてあんたが例のお客?」

少年はさらりと二人の名前を口にした。この少年は一体何者なのか。ロランは呆気にとられ、声も出ない。そして少年はそんなロランの顔を舐めるように見て、また意味ありげに笑みを深める。

「ははあ、図星だね?あんたが彼らに鴉を探せって依頼したんだ」

そして突然、少年はロランの腕を掴んで、花屋とは反対向きに歩き出した。

「よし、ちょっと話そう」

「は?……ま、待ってくれ。おい、手を離してくれ!」

「待たないし離さないよ。大丈夫大丈夫。別に取って喰おうってんじゃないから。振り払ったりしないでね。いたいけな少年のお願いを聞いてくれよ、な、憲兵さん」




 ノックと同時に、扉の向こうの声がぴたりと止んだ。エリオットはその直前、女の声が"これで最後"と言いかけるのを聞いた。微かな会話さえ止んでしまうと、静寂は鋭さを増し、周囲の空気が一層張りつめる。

 エリオットはもう一度扉を叩いた。やはり何も返事は無い。人が動く音すら聞こえない。その場でじっと息を潜め、居ない振りをしてやり過ごそうということだろう。

「こんばんは、マドモワゼル。夜分にすみません」

返事は無い。

「少々お伺いしたいことがありまして、すみませんがここを開けてもらえませんか」

扉の向こうからはやはり何も音はしなかった。こんな夜中に突然扉を開けろと言われたら自分だって絶対に開けないだろうな、と少し可笑しくなった。まして相手は若い女だ。男の声で夜中に来客があっても、普通は開けたりしないだろう。だが、今日はそれでは困るのだ。無理にでもここを開けてもらわねばならない。エリオットはもう一度ノックをする。そして扉に顔を寄せて、今度は低い声で言った。

「居るのは分かってる。黙ってたって諦めて帰ったりしない。今から五つ数える間にドアを開けろ。さもないとドアを壊してでも中に入る。……ひとつ」

ひそひそと囁くような音が聞こえた。内容は分からないが、焦りの色が窺えた。

「ふたつ」

扉を開けに来るのはどちらだろうか。店主の女か、あるいはもう一人の誰かか。扉が開いた瞬間に襲われる可能性もある。エリオットは腰の銃に手を伸ばし掛けたが、すぐに思い直した。建前上はあの男が捕らえたことにするのだから、発砲は望ましくない。憲兵隊の内部の規則はよく知らないが、許可のないまま街中で発砲したとなれば色々面倒なことになりそうだということは分かる。その上、エリオットの銃はあの男の持っているものとは種類が違う。状況を問い詰められたりしたら、あの鈍そうな男が上手い嘘を突き通せるとは思えなかった。

「みっつ」

代わりに、ポケットに忍ばせた折り畳みナイフに手を沿わせる。こちらなら、相手から取り上げたとでも言えばそれほど怪しまれまい。

「よっつ」

扉がわずかに開いた。エリオットはすぐに扉に手を掛け、中に入れるだけの隙間を確保する。開けに来たのは気弱そうな女だった。おそらく店主のロザリーだろう。

「こんばんはお嬢さん」

「うちには盗るようなものは何もありません」

ロザリーはエリオットとは目を合わせずに震える声で言った。緊張で顔がひきつっているのが分かる。

「俺は別に物盗りじゃない。人を探しているんだ」

ロザリーの肩の向こうに目を遣るが、エリオットの位置から人の影は見えない。何処かに身を隠しているのだろうか。

「連続殺人事件の犯人。鴉って知ってるだろ?」

エリオットの問いにロザリーの顔色が変わった。やはり中にいる、とエリオットは確信する。

「さっきまで話してた相手はどこ?」

「……この家には私しかいません」

「嘘はよくない」

「本当です」

「俺がまるきり当てずっぽうでこんなことを聞くと思うの?庇っているならやめた方がいい。二度目の同じ嘘は笑って許してやらないよ」

ドアノブを握り締めるロザリーの手が震えている。

「もう一度聞く。もう一人はどこに」

エリオットが言い終える前に、突然、ロザリーが小さな悲鳴を上げてエリオットの視界から消えた。何が起きたのか分からず頭が混乱するが、ドアノブを掴んでいた手が離れたのを見て思いきり扉を開き、店の中に踏み込む。ロザリーは店の奥、背面から床に倒れ込んだような姿勢になっていた。ワインカラーのスカートが床に広がっている。そしてその背後には、暗闇よりさらに深い黒色の人影があった。その人影はロザリーの首筋にダガーを突き付けている。この人影が、背後からロザリーを引っ張って店の奥に引きずり込んだのだろう。カラスの羽のように黒いマントを頭から深く被っていて、その顔や姿ははほとんど隠れてしまっている。かろうじて見えるのは布から覗く口元や首、ダガーを握る右手だけだ。しかしそのわずかな情報だけでも、エリオットにはっきりとした違和感を与えるには充分だった。

「おいおい、まさか」

「そこを退け」

凄んでもなおエリオットたちとは決定的に異なる質を隠しきれないその声。目の前の鴉は、エリオットの想像とは大きく異なる人物だった。

「そこを退けと言っているんだ」

鴉ははっきりとした口調で言った。

「でないとこの人を刺す」

「そうかよ、好きにしろ」

「脅しじゃない」

「本気で大いに結構だ。その女がどうなろうが俺はどうだっていい。用があるのはお前の方だ。殺したいならさっさと済ませろ」

ダガーの柄を握る手に力がこもるのが見える。刺すというのはどうせ脅しだ。ロザリーが怯えた視線を泳がせているが、彼女が恐れているのは刃を突き付ける鴉ではなく、向かい合って立つエリオットの方であるように見える。やはり二人は何らかの繋がりを持っているはずだ。人質にとるような振りを見せるのは、恐らくそれを気付かれないようにするための咄嗟の策だろう。

「ほら、やれよ。早く」

黒い布の影が落ちる薄い唇はきつく一文字に結ばれている。エリオットが扉を塞いでいるためこのままでは外に出る道はない。エリオットは鴉を見据えて一歩踏み出し、距離を詰める。ぎし、と床板が軋む音がする。もう一歩、もう一歩、徐々に黒い影が近付く。すると不意に、鴉がロザリーの耳元で何かを囁いた。ロザリーが泣きそうな顔ではっと背後を振り返る。

「おい、何を」

次の瞬間、鴉がロザリーを突き飛ばし、マントを翻して駆け出した。その方向は、エリオットのいる扉ではなく、店の隅にある二階へ続く階段だ。

「待て!」

足元に倒れたロザリーを飛び越え、黒い背中を追って階段を駆け上がる。目の前を走るその背丈は、エリオットより三十センチ程も小さいように見える。

 二階は話に聞いた通り住居になっていた。鴉は小さなテーブルや椅子を倒してエリオットを阻む。そして小さな窓を開いて枠に手を掛けると、身を乗り出して屋根によじ登った。エリオットも急いで窓から屋根へ移ろうとするが、エリオットの体が通るには窓の大きさが足りない。窓枠に体を斜めに差し入れて思いきり手を伸ばすと、靡くマントの裾が辛うじて指に触れた。そのまま掴んで強く引く。靴底が屋根の上を滑る音がした。しかし、すぐに抵抗が無くなり黒い布が落ちてくる。マントが脱ぎ捨てられたようだ。

 エリオットは舌打ちをして掴んだマントを窓の外に捨てる。エリオットの位置からは鴉の姿は見えなくなったが、頭上で足音が聞こえる。まだこの家の屋根の上にいるのは間違いない。落ちていった黒い布の方へ視線を下げると、家の下でロジェがこちらを見上げているのを見つけた。名前を呼ぼうとして、ふとその表情がひきつっていることに気づく。出掛かった声を飲み込んだ。ロジェはまるで何か酷く恐ろしいものを見てしまったかのような、蒼白な顔をしていた。すぐ傍に落ちた黒いマントに目もくれず、ただ呆然と屋根の上を見ている。

 頭上でまた音がした。今度はその後に足音が続かない。隣の屋根へ跳び移ったのかもしれない。この街は建物の高さがほとんど揃っている上、密集していてそれぞれの距離がとても近い。このまま屋根の上を逃げていくつもりだとすれば厄介だ。

「ロジェ!」

エリオットの呼び掛けに、ロジェははっと我に返った様子で返事をした。

「下から追ってくれ!俺も中佐を連れてすぐ向かう!」

ロジェがマントを拾い上げて走り出した。エリオットは踵を返し、階段を駆け降りる。そして隅でうずくまるロザリーを横目に、真っ暗な花屋を飛び出した。

 急いで曲がり角まで戻ったエリオットは思わず頭を抱えることになった。ロランが居ない。周囲を探してもその姿はなかった。こんな時に、一体あの男は勝手にどこへ消えたのか。居なくなる理由にも行き先にも全く見当がつかない。

「あんのポンコツ野郎……っ!"待て"も出来ねえのか!」

エリオットの怒鳴り声が静かな道に響いた。




「ねえ今なんか聞こえなかった?待てがどうとか」

ロランの隣で、少年はきょろきょろと周囲を見回した。束ねられた前髪が頭の動きにつられて不規則に揺れる。

「なあ、君は一体私と何の話をしたいというんだ」

ロランはため息混じりに尋ねた。少年に手を引かれるまま大通りまで来てしまった。二人は街灯の下、道の脇のベンチに並んで座っている。

「あれ、もしかして困ってる?」

「少しね」

「あはは、やっぱり?」

少年は目を細めて楽しそうに笑った。悪気の無さそうなその様子にロランもつられて笑ってしまったが、実際、"困っている"では済みそうになかった。ロジェとエリオットに何も言わないまま待機場所から随分離れてしまった。彼らがあの場所に戻ったとき、ロランが居ないことに困惑するはずだ。自分のために動いてくれている彼らを置き去りにしたことに申し訳なさが募る。とりわけ心配なのはエリオットだ。勝手に居なくなったことで、彼は立腹するに違いない。そう考えると一層気分が重い。

 そしてもう一つ、困っていることは、この少年が何をどこまで知っているのかが分からないということだ。どこまでは誤魔化すことができて、どこからは嘘が見破られてしまうのか。ロジェとエリオットと自分のために、どんな受け答えをすべきなのかが分からない。

「でもどうしても頼みたいことがあるんだ」

少年は線が細く、ロランより少しだけ背が低い。身に付けている服は見るからにサイズが合っておらず、袖や裾を何度も捲っている。ぶかぶかのズボンはサスペンダーでなんとかずり落ちないように留めてあった。

「あなたにしか頼めない。俺を助けてよ」

少年はロランをじっと見上げて言った。その顔立ちにはまだ幼さが残っている。十代の半ばくらいだろうか。懇願の口調とは裏腹に表情は曖昧で、心の内は全く読み取れない。からかっているようにも見えないが、かといって本当に困っているようにも見えなかった。

「……ともかく、まずは君のことを教えてくれ」

「俺のこと?」

「そう。君が誰なのか。私や彼らについて、どこまで知っているのか。何に困っていて、私にどうして欲しいのか」

「それを喋ったら助けてくれるって約束する?」

「……君の期待に添えるかはわからないけれど、私に出来ることがあるなら努力するよ」

少年は探るようにロランの両目を覗き込み、いくらか間を置いてから、分かった、と返事をした。

「俺はヤン。ヤン・ジスカールって言うんだ」

「……ジスカール」

どこかで聞いたような名前だった。

「どこかで聞いたような名前だろ?」

また見透かしたような言い振りをする。

「貴方は絶対に知っているはずだから頑張って思い出して。でもそれを待ってると夜が明けちゃうから、話は先に進めるからね」

ヤンは飄々として、あっという間にロランを自分のペースに引き込む。

 話によれば、彼は今日の昼頃、遺体が発見された場所を偶然通りがかった。そしてロランとアルローが現場を抜けて花屋へ向かうのを見て興味を持ち、後をつけて行った。二人が花屋を調べる間は離れた場所からその様子を見ていたのだと言う。ロジェとエリオットを知っているのは二日前彼らに仕事を依頼しようとしたからであり、その時に一度彼らと顔を合わせている。

「鴉を探してくれって、そう頼んだんだ」

二日前ということは、ロランが彼らと出会った翌日のことだ。

「でも断られた。先客がいる、同じ依頼を同時に受けることは出来ない、って。その先客ってのが、貴方なんだよね?」

「何故鴉を探しているんだ」

ロランはヤンの問い掛けには答えずに、質問で返した。

「それを言うと、さっきのクイズの答えをほとんどバラすことになっちゃうからなあ。もう答えは出たの?」

「……いや」

「じゃあ、まだ教えてあげない」

ヤンはいたずらっぽく笑った。不思議なほど大人びた顔と無邪気で子供染みた表情が、まばたきをする間にくるくると入れ替わる。

「それでね、俺が貴方にお願いしたいのは、鴉を俺に譲ってほしいってことなんだ」

ヤンはベンチから腰を浮かせてロランとの距離を詰めた。

「依頼を取り下げるのでも、貴方の用が済んだ後に引き渡してくれるのでも、方法は何だって構わないから。ね、だめかな」

「ダメに決まってんだろクソガキが!」

ロランが口を開くよりも早く背後から低い声が怒鳴りつけた。二人の肩が同時にびくりと跳ねる。振り返らずとも、後ろに立っているのが誰なのかはすぐに分かった。ロランは青ざめて目を閉じ、こっぴどく怒鳴られる心の準備を始める。注文をつけられる立場ではないが、出来るならもう一方に来てほしかった。

 二人の前に回り込んだエリオットはヤンの前髪を掴んで無理やり立たせた。

「エリさん、痛いってば」

「その呼び方はやめろって言っただろ!」

「あれ、そうだっけ?」

エリオットに睨まれてもヤンは少しも表情を変えず、相手をからかうような薄っぺらい話し方をも崩さない。ロランはその様子をひやひやしながら見ていた。

「おいガキ、お前がこいつを連れてきたんだな?」

「ごめんごめん、暇そうにしてたからさ」

「ふざけるなよ、ちょろちょろ嗅ぎ回りやがって。どんな手を使ったって俺たちはお前のためには動かない!いいか、次邪魔したらこの前髪引っこ抜くからな!」

「分かった分かった、ごめんね、悪かったよ」

言い方にも表情にも反省の色が全く無い、これでもかと言うほど安っぽい謝罪だった。エリオットは舌打ちをしてヤンを放り捨てた。そして今度はロランを睨み付ける。説教の順番が回ってきてしまった。

「あんたもあんただ!こんなガキに言いくるめられてふらふら付いて行くなんて馬鹿か!」

耳が痛い。

「迷惑を掛けてすまなかった」

「早く来い、こんなところで座ってる場合じゃないんだ!」

「もしかして鴉が捕まったの?」

ヤンが口を挟む。

「お前には関係ない!付いてくるなよ」

「そう言われると行きたくなっちゃうな」

「お前……!」

エリオットは殴り掛かるように手を挙げたが、全く動じないヤンに嫌気が差したのか、それを振り下ろす代わりに大きく溜め息をついた。

「……もういい、行くぞ」

そして同じ手でロランの腕を掴み、ヤンに背を向けて大股で歩き出した。ロランは引きずられてよろめきながらもなんとかその歩幅に付いて行く。肩越しに振り返って見ると、ヤンは追いかけてくることはなく同じ場所に立ってこちらを見ていた。目が合うと、猫のような目を細めて笑い、ひらひらと手を振る。捉えどころのない少年だ。あっさりと引き下がるということは、まだ何か別の手があるのかもしれない。一体何故鴉を探しているのだろう。彼の名はどこで聞いたのだったか。ロランはヤンの話を反芻しながら、エリオットに遅れないよう急ぎ足で夜の通りを進んだ。


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