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鴉の虹彩  作者: ちがみ
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2-2


 目を開いたロランの前にあったのは、古ぼけた小さな家だった。道の途中で、場所を覚えられては困るからと言って、男たちはロランに目を閉じるように指示した。エリオットに手を引かれて歩いた道のりはそれほど長くはなかったが、曲がり角と段差が多く、歩きづらかった。周囲には、同じように古ぼけた廃墟寸前の小さな家が並んでいる。暗く狭い路に肩を寄せあって立っているその家々はところどころで窓が割れ、人が住んでいるのかどうか、そもそも人が住めるのかどうか、外側から窺い知ることは出来なかった。

 男たちの後をついて三段の階段を登る。四隅の塗装が剥げたモスグリーンの扉を開けると、蝶番が軋んで甲高い音を立てた。

 家の中は外見と違わず狭かった。黄みの強い明かりに照らされた小さな部屋の真ん中に、四角いテーブルと椅子が二つある。どちらも木製で、使い古されていた。部屋のすみには申し訳程度のキッチンがあり、コップや皿が二つずつ棚にしまってある。男たちはこの場所で二人で暮らしているのだということが見てとれた。キッチンの反対側の壁際には扉に似た色の大きなソファがある。部屋の奥には扉が三つ並んでいた。

「いくらなんでもここへ連れてくることはなかったのに」

ロランからコートをむしり取ったエリオットは不満げに口を尖らせる。

「ここでしか出来ない話なんだ」

もう一人の男はその肩を宥めるように何度か叩いた。

「今日のところは僕に任せてくれないか」

男がそう言うとエリオットは少し驚いた顔をしたが、しばらく男をじっと見た後、大人しく何度か頷いて見せた。男は小さい声でありがとう、と言い、コートを脱いで、木の椅子に腰掛けた。

「じゃあそこに掛けて」

ロランには、椅子のもう片方を勧めた。男はワイシャツのボタンを一つ開け、立ったままのロランにもう一度座るよう勧めた。ロランは男と目を合わせたまま、木の椅子にゆっくりと座る。

「さて、中佐」

男が静かな声でロランを呼んだ、その向こう側で、エリオットがモスグリーンのソファに座った。キャスケットを取ると同時に、長いポニーテールが滑り落ちるように出てくる。艶のある滑らかな髪が部屋の明かりを反射してきらりと煌めき、一瞬にしてロランの視線をさらった。前髪は青い目の上で切り揃えられていて、若々しくはっきりとした顔立ちを際立たせている。美しい男だ、と思った。路地裏ではその姿に注視する余裕も無く気づかなかったが、その容姿はまるで童話の中から出てきた王子のようだった。眉根を寄せていなければ、あるいは長い足を大袈裟に開いて威圧的な態度をとっていなければ、悪事に手を染めるような人間にはとても見えない。

「あ?なんだよ、じろじろ見んな」

ロランの視線に気付いたエリオットが舌打ちをした。ロランは慌てて視線を目の前の男に戻す。男は相変わらず落ち着いた態度で、ロランの姿を眺めながらゆっくりとまばたきをした。

「話を始めても良いかい」

「ま、待ってくれ。いくつか質問をさせてくれないか」

ロランが話を遮っても、男は嫌な顔をしなかった。軽く頷き、左手で話を促す素振りを見せる。ロランはほっと胸を撫で下ろした。ここへ来るまでの会話から、エリオットは短気で好戦的な男だということが分かっている。まともに話が出来るとすればこの男しかいないだろうと考えていた。男の寛容な態度は、ロランをほんの少し勇気づけた。

「君の、名前は?」

「僕はロジェ。ロジェ・ダルトワ」

聞き覚えのない名前だった。

「君が私を知っているのは何故だ?私は君と会ったことがあったか」

ロジェはじっとロランを見つめた。何かを言いたげな曖昧な表情を浮かべ、しばらく黙っていたが、やがてそっと視線を外した。

「さっきも言ったけれど、貴方は有名な人だ。北壁の光の騎士の名前くらい、みんな知ってる」

「私を殺さないのは私が光の騎士だからか?」

「別に信仰心からではないよ。さっきも言ったように、名の知れた貴方を殺すのはリスクが高い。きっと国中で騒ぎになる。軍も血眼になって犯人を探すだろう。そうなれば貴方を生かしておくより不都合が多い」

「……君らは一体何者なんだ」

「貴方の想像しているようなことをしている人間さ」

「君と彼はどういう関係なんだ」

「同じ屋根の下に男が二人だとそういう関係に見えるかい」

「そ、そういう関係って……」

予想外の回答にロランが動揺を見せると、ロジェは口の端で少しだけ笑った。冷たそうな印象を与える三白眼は、笑うといくぶん柔らかく見えた。

「違う、私が聞きたかったのは……!」

「分かってる。冗談だよ。お客さんがよく勘違いするんだ、僕と彼がデキてるって」

「ロジェ!」

エリオットが大声で割り込んだ。ソファから立ち上がり、大袈裟に足音を立ててテーブルに駆け寄る。ロジェはわざとらしく肩をすくめた。

「エリはこの話を嫌がるんだ」

「貴方は分かっててやるんだ!」

エリオットは子供のように頬を膨らませて怒った。ロジェは少しもそれを気にする様子を見せず、楽しそうにまた少し笑った。親しげに接する二人の耳には同じ飾りのピアスが一つずつ揺れている。ロジェの右耳とエリオットの左耳、一対のピアスを分けあって付けているようだった。エリオットはテーブルに勢いよく手をつき、ロランに詰め寄った。

「俺たちは二人組で動いてる。あくまで仕事の上で便利だから一緒に暮らしてるだけだ。そういう関係じゃない。次そういうくだらないこと聞いてきたらぶっ殺すからな」

「いや、だから私はそんなことを聞いたつもりは」

「あ?口答えか腰抜け野郎」

「はいはい、そこまで」

触れてしまいそうなほど顔を近づけて睨み付けるエリオットを、ロジェが無理矢理下がらせた。エリオットが渋々ソファに戻ったのを確認して、ロジェはテーブルを指先で軽く叩いた。

「さて、次は僕の番でいいかい」

ロランはむくれるエリオットを横目に見てから、二度頷いた。

「貴方は鴉を探している」

「ああ」

「それは貴方個人としてではなく、憲兵隊が事件として調査をしているんだね?」

「……そうだ」

ロランは一瞬答えに詰まった。その様子をロジェはじっと観察していた。その目はロランの視線をがっちりと捕らえて逸らさせなかった。

「僕から提案がある。貴方をここから帰してあげることについて」

「提案?」

「契約だ」

ロランが返事をする間も無いまま、エリオットが慌てた様子で立ち上がった。困惑した顔で何かを言おうとしたが、がりがりと頭を掻いて不機嫌そうに口を閉じた。ロジェはエリオットの動揺には目をくれず、ロランから視線を外さない。

「僕らが、鴉を探しだして捕まえる。貴方はそれを自分の手柄にしたらいい。きっと軍からご褒美が出るだろうから、僕らはそこからいくらか分け前を頂戴する」

「私と君らが手を組むということか」

「僕らが貴方に手を貸すんだ。勿論、軍には言ってはいけないよ。僕らと貴方だけの秘密だ」

「何故それが私を殺さない条件として成立するのだ」

ロランの問い掛けに、ロジェはやおら椅子から立ち上がって、どこからか二枚の紙と万年筆を持ち出してきてロランの前に並べた。上質なその紙はどちらもまっさらな白紙で、何も書かれていない。

「契約の証拠を残す。普段はこんなことしないのだけどね。一枚には今日の日付で、鴉の件を貴方が僕らに依頼したということ、もう一枚には、一週間前の日付で貴方が僕らに殺人を依頼したということを書いて残して貰う」

「さ、殺人?」

「今後貴方がもし軍に僕らを売ったら、僕らはそのとき貴方と手を組んでいたことを証言する。鴉探しを頼んだ件ではお咎めもないかもしれないが、殺人となれば話は別だ」

ロジェは涼しい顔で話を進める。抑揚の小さい落ち着いた声に、言葉を頭の中に刷り込まれるような感覚を覚えた。

「貴方に頼まれて人を殺した。報酬も貰った。そう話すよ。証拠の契約書もある。紛れもない貴方の筆跡だ」

「嘘の契約をでっち上げるのか」

「嘘は貴方に頼まれたという一点だけだ。現実に、僕らは一週間前人殺しの依頼を受け、ついさっき貴方と会う前に履行した。エリオットの靴に付いていた血はそのときのものだ。だから僕が証言する場所からは本当に死体があがる。貴方がいくら否認しても、それを打ち消す証拠は揃っている。間違いなく貴方はそのことを咎められ罰を受け、積み上げてきた地位と名誉を失う。北壁征伐の光の騎士が薄汚い人殺しと手を組んだなんて知れたら、きっと国中が悲しむ」

ロジェは万年筆をロランの方へ滑らせた。

「貴方がその口に鍵を掛けられさえすれば、これはとても良い条件だよ。お互いにとって利益のある条件だ。貴方は手を焼いていた鴉探しの助っ人を得、僕らは次の仕事を探す手間が省ける」

ロランはロジェの目を見ていられなくなって、無理矢理に視線を伏せた。艶のある臙脂色の胴軸に困惑した顔が映る。彼の言う通り、悪い話ではなかった。生きて返してもらえるかどうかさえ危うかった初めの状況を考えれば、十分すぎる条件だ。うまくいけば鴉の正体にたどり着くことも出来るかもしれない。そうすれば、思考の奥に引っかかっている不安も晴れるはずだった。ロランは無意識に胸元に手を当てた。その奥には、手帳に挟んだ赤い飾り紐が眠っている。鴉を探し出さなくてはならない。ここで足止めを食らうわけにはいかない。

「何も悪いことは起きない。僕らに関する一切のことを、貴方が黙ってさえいられれば」

子供に言って聞かせるようにそう言ったあと、ロジェは口を閉じた。部屋の中は途端に静かになった。ロランは両の掌を強く握る。肺一杯に息を吸って、止めた。ここへ来るまでは脳と心臓が代わる代わる大急ぎで働いていたにもかかわらず、今はどちらも不思議なほど落ち着いていた。彼らを追及しないことを約束することは、憲兵としては不誠実な選択だ。しかし、心の奥を占めているのは鴉に辿り着くことが出来るのならばそれでも構わないのではないかという思いだった。街を脅かす連続殺人鬼を捕らえなければならない。そしてそれ以上に、その正体を確かめなければならないと強く思った。それが個人的な感情から生まれでたものであることはよく分かっていた。分かっていたが、それを押し込めることは出来そうになかった。彼らに歯向かえばそもそも生きて帰ることも叶わないかもしれない、彼らはそれほど悪い人間ではないかもしれない、などとあれこれ言い訳を思い浮かべたあと、目の前の男に良いように丸め込まれているような気がして、少しだけ苦い気分がした。息を吐き出して、ゆっくりと顔を上げてロジェとエリオットの顔を交互に見た。ロジェは変わらずにロランをまっすぐ見ている。エリオットは曖昧な表情を浮かべて、ロランではなくロジェの方を見ていた。もう一度ゆっくりと視線を降ろす。万年筆のその胴軸に、ロランは再び自らの顔を見た。その顔は、心を決めた顔だった。




「大尉」

突然ソフィに声を掛けられたアルローは、慌てて姿勢を正し、踵を揃えて返事をした。緊張で声が裏返りそうになるのをなんとか押さえ、息を整える。

「……座って良いのよ。そこに椅子があるでしょう」

ソフィは窓の外に目を向けたまま言った。

「そんなにじっと見張っていなくたって、わたしはここから逃げ出したりしないわ」

「は、いえ、あの、そういうつもりでは……!」

「嫌でないのなら、座って頂戴。私もその方が気が楽なの」

「は、は、はい!」

ずっと立っていたせいで固まった脚をやっとのことで折り曲げて、アルローはぎこちなく椅子に腰かけた。

「……ねえ、大尉」

「はい!」

「いつも、どちらでお花を?」

「大通りから少し外れた道の、小さな花屋で買っております」

「……そう」

ソフィは椅子の上で少し向きを変え、アルローの方を振り返った。オリーブブラウンの長い髪がふわりと揺れる。逆光でその顔はよく見えない。

「私、いつも楽しみにしているのよ」

心臓が跳び跳ねた。あっという間に顔がのぼせて熱くなる。頭の奥が痺れるような感覚を覚えた。楽しみにしているのよ、胸のなかでソフィの声が何度も再生され心臓を急がせる。

「喜んでいただけたのでしたら、こ、こんなに光栄なことはございません」

膝の上の手が震えた。口が上手く回らない。

「わ、私に出来ることでしたら、これからも、なんでも致しますので……!」

ソフィはアルローの方をじっと見て、しばらく考えるような様子を見せた。そっと口を開いては閉じ、言葉を飲み込むのを繰り返す。視線を泳がせ、ためらいながらもやっとのことで発した声はよく耳を澄ませなければ聞こえないような小さな声だった。

「……それなら、私のお願いも」

ソフィが言い終える前に、声を遮るようにドアがノックされた。その音でアルローはふわふわとした気分からはっと我に返る。ソフィは視線を伏せて首を振り、再び窓の方へ向いてしまった。

 アルローが返事をして扉を少しだけ開けると、隙間から囁き声が入ってきた。

「大尉、本部から電話が」

やむなく、アルローは一度礼をして静かに部屋から退出した。扉の外には部下のリシャールが立っていた。高揚した気分から転がり落ちるように空気が張り詰める。リシャールは近衛隊の古株で、六年前のロランの隊に所属していた隊員だ。有能だが厳格な男で、特にアルローには辛辣な態度をとるため、常々近寄りがたく感じていた。リシャールは踵を合わせてアルローの前に立つと、目を合わさずに少しだけ頭を下げた。

「あの……何と?」

「ロラン中佐はまだ塔を出ていないのか、と」

「何を言います、中佐はとうに……」

「本部にはまだお着きでないと」

アルローは懐中時計に目を遣った。ロランが塔を出てから一時間。塔から本部まではそれほど遠くない。一時間が経過してまだ到着しないとなれば、ロランの身に何かが起きた可能性が高い。肺の奥を不安がぞわりと撫でる。

「探しに行きます」

塔を降りるため階段へ向かおうとしたアルローの腕をリシャールは乱暴につかんで引き留めた。それからわざとらしく大きなため息をつくと、良いですか大尉、よく聞くんですよ、と前置きをして話し始める。彼のいつもの癖だった。

「あまりふらふらと軽率にお出掛けにならないでください。近衛隊の隊長としての自覚が足りないのではありませんか。ロラン中佐をお慕いする気持ちは分かりますが、鴉騒動の捜査といい、そう毎日毎日金魚のふんのように中佐について行かれては困ります」

「しかし……」

「若く経験の浅い貴方をよく思っていない隊員もおります。いくら軍学校を優秀な成績で卒業していても、しっかりと職務をこなせるところを見せなければ皆は貴方についてきてはくれません。はっきり申し上げれば、今の近衛隊は中佐への信頼があるからまとまっているのです。貴方はもっと危機感を持つべきではありませんか」

リシャールは冷たい目でアルローを見る。目を逸らしても視線が頬に刺さるようで居たたまれない。

 隊員の信頼が無いことなどよく分かっていた。近衛隊の隊員たちのほとんどは、六年前のロランの隊に所属していた者たちだ。アルローより年齢は上で、北での戦い以来の豊富な経験を持っている。隊員たちは皆ロランを慕い、ロランの下で結束している。彼らの見上げる先にいるのは、軍学校を卒業して数年の未熟な若者などではない。いつだったか、リシャールは、このままではいつまでも近衛隊はロランの隊のままだと言った。その通りだとアルローは思った。いつまで経ってもどこか隊に馴染めず、憧れの英雄の隣で表面だけは隊長の振る舞いをしている。ことあるごとに、しっかりしろ、と小言を言われ、そのたびに分かっている、分かっていると頭の中で繰り返した。これではどちらが上官か分からない。苦い気分がした。

「……ロラン中佐は間違いなく、ここを出て本部へ向かわれたのですね?」

リシャールがため息混じりに言った。

「……はい」

「どこか他に寄り道をしている可能性はありますか?」

「ないと思います」

「分かりました」

もう一度ため息をついて、リシャールは静かに道を開けた。

「では出来るだけ早く帰ってきてください。その間、塔は私が責任を持って監督します」



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