第三話 祝! 高史くん学習塾ボランティア講師就任
翌日、火曜日の夕方四時頃、高史は学校帰りに直接、山際宅へやって来た。
(なんか、妙に緊張するな)
高史はわくわくしながらも恐る恐る、玄関入口横のチャイムボタンを押した。高史の心拍数は高まる。
数秒後、住民の誰かによって扉がガチャッと開かれた。
高史の心拍数はさらに高まる。
「高史ちゃん、いらっしゃい」
出て来たのは、佐登子さんであった。
「いらっしゃーい、高史くん。私、キリンさんみたいに首を長ぁくして待ってたよ」
麻恵もすぐ後ろ側にいた。高史を温かく迎え入れる。
「あっ、きょっ、今日から、お世話になります、せっ、瀬戸山高史です。よっ、よろしく、お願い致します」
高史が緊張気味に挨拶すると、
「高史ちゃん、そんなに畏まらなくても」
「高史くん、もっとリラックス、リラックス。こちらこそよろしくお願いしますね」
佐登子さんと麻恵は優しく微笑んだ。
「お気遣い、ありがとうございます」
高史はちょっぴり照れてしまう。
「高史ちゃんにメンバー表を渡しておくわね」
佐登子さんからA4サイズの用紙を一枚手渡される。
「ありがとうございます」(……かなり変わった苗字の子もいるな。僕の苗字以上に)
高史は麻恵以外の塾生達四名の氏名も確認した。彼は塾生達が来るまで、リビングで待機させてもらう。
「どっ、どんな感じの子達なんだろう?」
高史の不安がますます高まってくる。出されていた紅茶とクッキーにも手をつけられなかった。
「高史くん、心配しないで。みんなすごくいい子達だから」
「とっても真面目な子達よ。それじゃ、みんな来るまでしばらく待っててね」
佐登子さんと麻恵は一足先に教室へ入り、一緒に自習学習をし始めた。
「こんにちはーっ、佐登子おばちゃん、麻恵お姉ちゃん」
「よぉ、サトコン、アサエ」
「「いらっしゃい」」
四時半頃、麻恵を除く最初の塾生がやって来る。二人一緒に来たようだ。
玄関は通らず、教室と繋がる表庭から直接だった。
それから数十分おきに、他の二人の塾生達も同じようにして教室へ続々入って来た。
「高史ちゃん、みんな揃ったわよ」
「はっ、はい」
佐登子さんがリビングへ戻って伝えると、高史はびくっと反応し、すっくと立ち上がった。佐登子さんの背中を眺めながら、高史は緊張気味に廊下を歩く。
「高史ちゃん、ここで止まって」
教室出入口扉一メートルほど手前で、佐登子さんから小声で指示された。
高史はぴたっと立ち止まる。
佐登子さんは中へ入り扉を閉めると、
「皆さん、昨日電話でお伝えしたように、今日から新しい塾講師が来ますよ。男子高校生です。温かく迎えてあげてね」
塾生達にこう伝えた。
「どんな人かな?」
「楽しみだね」
塾生達の騒ぎ声が高史の耳に飛び込んでくる。
(おばさん、プレッシャーかけないで下さーい)
高史はカタカタ震えながら、ロボットのような歩みで扉の前へと向かう。
コンコンコンッと三回ノックした。
「どうぞ入ってね」
佐登子さんから告げられると、高史はドアノブに手を掛け、そぉーっと引く。
そして教室へ足を踏み入れた。
パチパチパチパチパチ。
するといきなり、塾生達から盛大な拍手で迎えられた。
高史は塾生達と目を合わせないまま佐登子さんの側へ歩み寄り、隣に立つ。
「僕、本日から、ここの塾の、ボランティア講師を、務めさせていただく、瀬戸山高史、と、いい、ます」
高史は緊張のあまり、言葉が詰まってしまった。
高史の目の前に広がる、麻恵と、初めて出会う他の四人の塾生達。
(視線を、感じる)
「えっと、おばさん。僕はまず、何から?」
「自己紹介するように言ってあげて」
戸惑う高史の耳元で、佐登子さんは囁く。
「じゃ、とりあえず、その、皆さんからも自己紹介。その、えっと、まず、どせいさん? ……から」
「はぶです。読み方よく間違えられるんですけどね。わたしが土生葉奈子です」
その子はてへっと笑いながら立ち上がってぺこりと一礼する。背丈は一三〇センチ代後半くらい。くりんとした丸っこい目でおでこは広め。やや茶色がかった黒髪を、水玉模様のリボンでお団子結びにしていることで、幼さがより一層引き出されていた。高史のすぐ側、つまり一番前の席に座っていた。
「きみが、小学五年生の……」
「中二です。未だによく小学生に間違えられますけど」
葉奈子は照れ笑いしながらすぐに訂正した。
「えっ、あっ、それは、失礼しました」
高史はとても気まずい気分になった。
「タカシっち、この一番年上っぽい子が、一番年下の小学五年生だぜ」
一番後ろの列に座っている塾生の一人が伝え、対象の子をビッと指差した。
「はじめまして。あたしの名前は上河内久実でーす。学校の部活は昔遊びクラブに入ってまーす」
その久実と名乗った子はゆっくりと立ち上がって高史に向かってぺこりと一礼した後、照れくさそうに自己紹介した。真ん中の列にいた。その子の隣に麻恵がいる。
久実の背丈は、一七〇センチ近くはあるように見えた。しかしながら、花柄のシュシュで二つ結びにしている紫がかった黒髪と、丸っこくぱっちりとした目、丸っこい顔つきには小学生らしいあどけなさが感じられた。
「クーミン、タカシっちと並んでみて」
さっきの子が指示を出す。ぱっちりとした瞳にまっすぐ伸びた一文字眉、四角っこい顔が特徴的で、ほんのり栗色がかった黒髪をセミロングウェーブにしている子だ。
「はーい」
久実は高史の横にぴょこぴょこ歩み寄り、並んでみた。
「おう! やっぱクーミンの方が高い。ちなみにアタシは一四三だよ」
「本当に、高いね」
高史は目を少し上に向ける。彼はほんの少しだけショックを受けた。
「あたしのママ、一七三センチあるから。遺伝したのかも」
久未はもじもじしながら打ち明けた。
「バレーとか、バスケをやってるの?」
「やってないよ。あたし、体育は一番の苦手教科だから。得意教科は音楽」
高史の質問に、久実はしゅんとした表情で打ち明けた。
「高史先生、先入観を持っちゃダメですよ。洞窟のイドラです」
葉奈子は爽やかな表情で、哲学用語を用いて指摘する。
「ごっ、ごめんね」
高史はすぐに謝罪した。
「クーミンの姿見たら、普通はそうイメージするよな。アタシも最初会った時そう思ったし。アタシは蓬莱芽衣って言います。小学五年生! クーミンと同じ昔遊びクラブです。誕生日はクーミンの方が遅いよ」
「あっ、きみが……あと、山際さんで、もう一人が、茶屋桃香さんという子だね」
「はい。ワタシは小学六年生です」
高史が問いかけると、その久実の隣に座っている子はやや俯き加減で答えた。ごく普通の形のまん丸なメガネをかけて、濡れ羽色の髪の毛を左右両サイド肩より少し下くらいまでの三つ編みにしていた。とても真面目そう、加えて大人しそうな感じの子だった。
「では高史ちゃん、あとは一人でやってね」
佐登子さんはそう笑顔で告げて、教室から出て行ってしまった。
「えっ、あっ、あのですね、おばさん。僕、新人なので……」
高史はかなり焦る。
「高史くん、頑張れー」
麻恵から爽やかな声でエールが送られた。
「えっ、では、授業を、進めていきます」
高史の緊張はさらに増す。
「高史先生、さっそく質問があります」
葉奈子から呼ばれた。
「あっ、はい、今行きます」
高史はすぐに葉奈子の隣に駆け寄った。
「学校の宿題なんですけど、これの解き方についてなのですが……」
葉奈子は該当箇所を指で押さえた。
「図形の問題か。これは、こうやって、中点連結定理を使って……」
「ありがとうございます。これ、佐登子先生に訊いても答えられなかったんですよ」
高史がヒントを与えると、葉奈子はとても喜んでくれた。高史は数学の成績が悪いとはいえ、中学数学の標準レベル程度の問題なら解くことはたやすいことであった。
「どっ、どういたしまして」
高史は少し照れてしまう。
「おーい、タカシっちー」
「ん?」
高史は芽衣に背後から何かを投げつけられた。肩に乗っかったので、はたいてみる。畳の上にポトッと落ちたものを目にした次の瞬間、
「うわぁーっ! カッ、カエルゥ!」
高史は思わず仰け反った。顔も引き攣る。
「タカシっち、カエル苦手?」
芽衣はくすくすと笑う。
「高史先生、よく見て下さい。これはゴムで出来たおもちゃですよ」
葉奈子はにこやかな表情で伝えた。
「あっ、そっ、そうなんだ。びっくりしたぁ」
高史はホッと一息ついた。
「近所の駄菓子屋で買ったんだ。駄菓子屋通いも昔遊びクラブの活動の一環だからな」
と、芽衣が自慢げに伝えたその時、
「ダメでしょ芽衣さん、高史先生にイタズラしちゃ」
「あいてぇーっ!」
葉奈子に頭をグーで思いっきり叩かれてしまった。
(ありがとう、どせ……じゃなくて土生さん)
高史は心の中で礼を言っておく。
「すまねえタカシっち。アタシ、タカシっちに訊きたいことがあったんだ」
芽衣は手をピンッとまっすぐに上げた。
「どっ、どんな、質問なのかな?」
高史は芽衣の方を振り向く。
「ナプキン、変えてきてもいいっすか? アタシ、今、アレが来てる最中なので」
芽衣はほんのり頬を赤らめて、照れくさそうに問いかける。
「どっ、どうぞ」
高史は少し戸惑いつつ、許可した。
「ありがとうございまーす!」
芽衣はすっくと立ち上がって、扉の方へ。
「芽衣さん、普通にトイレに行ってきますって言いなさい。高史先生困ってるでしょ」
葉奈子は困惑顔で注意した。
「はーぃ。次から気をつけまーす♪」
芽衣はてへっと笑い、教室から出て行った。
「……」
高史はなんとも言えない気持ちになった。
「高史くん、この理科の問題なんだけど、どうやって解けばいいのかな?」
今度は麻恵に呼ばれた。
「えっと、これは……」
高史は特に気にせず学習指導を続けていく。
「ありがとう高史くん。あっという間に解けちゃった。高史くんは筆記の達人さんだね」
麻恵はにっこり微笑む。
「えっ、あっ、それは、どういたしまして。あっ、あの、茶屋さんは、何か質問はないのかな?」
高史は気まずい面持ちのまま、桃香の側へ近寄った。
「うっ、うん」
こくりと頷いて、桃香は黙々と問題を解いていく。
(この子、僕の小学校時代とよく似てるかも)
高史は桃香に親近感が湧いたようだ。
「ねーえ、高史お兄ちゃん、〝せいせき〟と〝きゅうこうか〟って、どうやって書くの?」
久実からも呼ばれる。
「こっ、これは……」
高史は久実の持っていたかわいらしいHB鉛筆を借り、苦虫を噛み潰したような顔をしてプリントの該当解答欄に『成績』、『急降下』と書いてあげた。
(僕には、何とも痛く突き刺さる言葉だなぁ)
括弧内を漢字に直せという問題で、【TVアニメを見すぎたせいで、(せいせき)が(きゅうこうか)してしまった】と書かれてあったのだ。
「うーん、難しいやぁ。高史お兄ちゃんも難しい問題を一生懸命考えてるようなお顔してたし。あたしも真似ーっ」
久実は眉間にしわを寄せた。
「久実さん、漢字は反復練習が大事よ」
「分かってる。担任の先生も同じ漢字を最低十回は書きなさいって言ってるから」
葉奈子が助言し久実が返事したちょうどその時、
「ただいまーっ、すっきりしたよ。自習に集中出来そう」
芽衣が戻って来て、
「タカシっち、また質問があります。担任から教わったんですけど、中学では円周率にπを用いるそうですが、タカシっちはこの言葉にどういった印象をお持ちで?」
高史に嬉しそうに尋ねる。
「芽衣さん、どうでもいいくだらない質問はしないっ!」
「あいだぁっ!」
葉奈子は芽衣の後頭部を、数学の教科書でベシンと叩いた。
(ご指導ありがとうございます。土生さん)
高史は心の中で礼を言っておいた。彼はその後も、塾生達から質問が来ると順次対応していく。
「皆さん、少し休憩取りましょう」
午後六時半頃、佐登子さんが教室へ戻ってくる。
(やっ、やっと戻って来てくれた)
その時久実に算数の宿題を教えていた高史はホッと一息ついた。
「高史ちゃん、今から塾生のみんなと一緒に記念撮影するわよ」
佐登子さんはデジカメを手に持っていた。
「ぼっ、僕、写真はあまり……」
「まあまあ高史ちゃん、そんなこと言わないで」
やや顔をしかませた高史に、佐登子さんは爽やかな表情で説得した。
塾生達はホワイトボードの前に並んでいく。
「高史くん、ここに並んでーっ」
「わわわ」
麻恵に腕を引っ張られ、無理やり並ばされた。
教室後ろ側でデジカメを構える佐登子さんから見て、高史の右隣に麻恵。左隣に芽衣。その隣に久実。麻恵の隣に桃香、葉奈子という構図だ。桃香の背丈は一五〇センチあるかないかくらいで、葉奈子の次に小柄であることが分かった。
「それじゃ、撮るわね。はいチーズ」
佐登子さんはそう告げてから約二秒後に、シャッターを押した。これにて撮影完了。
「きれいに撮れてるね。さすがお母さん」
「サトコン、すげえ! プロカメラマン並じゃん」
麻恵と芽衣はすぐさま佐登子さんの側へ駆け寄り、保存された画像を見て感心する。
麻恵、芽衣、久実、葉奈子はピースサインなどのポーズを取りにこやかな笑顔。
高史と桃香は普段通りのすまし顔であった。
「さて、これから高史ちゃんの歓迎会をするね」
「……あっ、ありがとうございます」
佐登子さんの計らいに、高史は深く感謝した。
こうしてみんなはダイニングキッチンへと向かう。
すでにテーブルの上に夕食が並べられてあった。
佐登子さんはさっきの間、これの準備をしていたのだ。
大皿に乗せられた鯛やマグロ、イカ、ウニ、貝柱などの刺身盛り合わせ。
他に、中華料理なども用意されていた。
七人は椅子に座る。高史から時計回りに、麻恵、芽衣、久実、桃香、葉奈子、佐登子さんという座席配置。高史は桃香と向かい合うような形となった。
「それでは手を合わせて」
佐登子さんがそう告げると、塾生の五人はすぐに両手を合わせた。
「あっ……」
高史はワンテンポ遅れてしまった。
「高史ちゃん、そんなに慌てなくていいのよ」
佐登子さんは優しく微笑む。
「おあがりなさい」
「「「「「いただきます」」」」」
こう告げると塾生五人、
「いっ、いただきます」
そして高史と佐登子さんも食事に手をつけ始める。
「高史ちゃん、遠慮せずにどんどん食べてね」
「はっ、はい」
高史は当然のように緊張していた。こんなに大勢の女の子達に囲まれて食事をするのは、彼の人生初めての体験だからという理由が一番大きい。
「高史先生、これどうぞ」
葉奈子は、高史の前の並べられていた小皿に餃子とシューマイを入れてあげた。
「あっ、どっ、どうも」
高史は軽く頭を下げてから受け取る。
「タカシっち、これ食べて。美味しいよ」
「どっ、どうも。わさび塗れなんだけど……」
「まあまあ、めっちゃ美味しいよ」
芽衣の厚意に、高史は顔をしかめた。
「高史お兄ちゃん、ゴマ団子どうぞ」
「高史くん、大トロだよ。すごく美味しいよ」
久実と麻恵もよそってくれた。
「あっ、ありがとう」(えっと、刺身醤油。あっ、すぐ前にあった)
高史は手を伸ばし、刺身醤油の瓶を取ろうとした。
「あっ、ごめんね」
その際、同じく取ろうとしていた桃香の手の甲に触れてしまった。慌てて謝る。
「!!」
桃香はびくーっとなって、反射的に手を引っ込めた。さらにその子は下を俯いてしまった。
(どうしよう、嫌われちゃったかな)
高史はとても気まずい気分になった。
「高史ちゃん、お飲み物どれでも好きなのを選んでね」
「はい」
テーブルの上には烏龍茶、オレンジジュース、メロンソーダ、レモンサイダー、コカコーラのペットボトルも置かれてあった。
高史は慎重な動作で烏龍茶のペットボトルを手に取り、コップに注ぎ入れた。
「ねえ高史くん、ガールフレンドはいるの?」
「えっ!」
麻恵からの突然の質問に、高史はびくりと反応する。思わず烏龍茶をこぼしそうになった。
「いっ、いないよ」
そしてすぐに慌ててこう答えた。
「そうなんだ。意外だね。高史くんけっこうかわいいのに」
麻恵はすぐに納得してくれたが、
「怪しいぜ、タカシっち」
芽衣に即効突っ込まれる。
「いないって、本当だって」(碧ちゃんはガールフレンドじゃなくて、幼馴染だからな。僕の、お姉ちゃん的な感じというか)
高史の心拍数はさらに急上昇した。
「芽衣さん、これ以上詮索するのはやめましょうね」
「いだぁっ!」
芽衣は葉奈子に頭を叩かれてしまった。
高史はこの後も、佐登子さんや塾生達と少しだけ会話しながら食事を進めていく。
麻夫とお父さんは、今日はみんなに気を遣って外食するとのことだった。
夕食後、みんなが教室に戻ってすぐ、
「あの、高史先生の、似顔絵描かせていただいてもよろしいでしょうか?」
葉奈子は通学カバンからB4サイズのスケッチブックを取り出し、お願いしてきた。
「べつに、かまわないけど……」
「ありがとうございます!」
高史が了承すると葉奈子は大喜びし、筆箱から4B鉛筆を取り出した。スケッチブックを開き、4B鉛筆をシャカシャカ走らせる。
三〇秒ほどのち、
「はい、完成しました。どうぞ」
葉奈子は描いていたページを千切り取り、高史に手渡した。
「えっ、もう出来たの!? ……しかも、かなり上手だね」
高史は自分の似顔絵を見て、驚き顔になった。
「葉奈子ちゃんは、美術部に入ってるの」
麻恵は説明する。
「あっ、どうりで」
高史はすぐに腑に落ちた。麻恵にとって葉奈子は、同じ中学の後輩に当たるのだ。
麻恵以外の塾生達が全員帰った後、
「高史ちゃん、今日はどうだった?」
佐登子さんからさっそく感想を訊かれる。
「僕、非常に緊張致しました。その、人に教えるという経験は、生まれて初めてでしたから。しかも女の子ばっかり」
「そっか。でもよく頑張ってたわよ、高史ちゃん」
佐登子さんはにこりと笑い、高史の頭をなでてあげた。
「あの、ですね」
「何かしら?」
「茶屋桃香さん、という子なんですけど」
「あの子ね。けっこう人見知り激しいのよ。五年生の頃一時期、不登校になってたこともあって。その時に、この塾の方へ通うようになったの」
「あっ、そうなんですか」
高史は桃香に憐憫の気持ちが芽生えた。
「この塾で同じ学校の久実ちゃんや芽衣ちゃんと親しくなって、また学校へ行けるようになったんだって」
麻恵は嬉しそうに教える。
「それはいい話ですね。蓬莱さんと土生さんは同級生でしたけど、塾へ通い始めたのも同じ時期なのかな?」
「いや、違うのよ。芽衣ちゃんは今年の七月に入塾したばかりで、今いる子達の中では一番最近に入って来た子なんだけど、芽衣ちゃんの意思で入ったわけじゃないのよ。芽衣ちゃんのママから、芽衣ちゃんをここの塾に通わせてあげてって頼まれたのよ。芽衣ちゃんは、テストの成績がいつも悪いからって理由でママに無理やり入れさせられたんだって嘆いてたけどね」
佐登子さんは苦笑顔で伝える。
「そっか。学習塾に通う子って、親に言われて仕方なくって子も多いらしいですからね」
高史はとても共感出来た。なにせ高史自身がそうなるはずだったからだ。
「私はお母さんの授業大好きだけどなぁ」
麻恵はにっこり微笑んだ。
「ありがとう麻恵」
「蓬莱さんは、僕には、かなり苦手なタイプです。真面目そうな感じではないですし」
高史は苦い表情で伝えた。
「ふふふ、じつはワタクシ、芽衣ちゃんのママと幼馴染なの。ワタクシより三学年年下よ。あの子、今でもワタクシのこと佐登子姉ちゃんって呼んでくれてるの。そんな人懐っこいところ、芽衣ちゃんにそっくりなのよ」
佐登子さんは笑顔で打ち明ける。
「遺伝しているんですね、性格が」
高史は苦笑した。
「そんな芽衣ちゃんも、葉奈ちゃんには逆らえないみたいよ。葉奈ちゃんは、小学一年生の頃から麻恵とずっと通ってるの」
「そうでしたか」
「葉奈子ちゃんは、私の妹みたいな存在だよ」
麻恵は嬉しそうに伝えた。
「高史ちゃん、塾講師の務めは授業をするだけじゃないわよ。ちょっとワタクシのお部屋に来てね」
「はっ、はい」
高史は佐登子さんのお部屋に招かれる。
麻恵も付いていった。
佐登子さんのお部屋には幅一メートル奥行き五〇センチ、高さ二メートル近くはある大きな本棚が三つあった。膨大な数の教科書・参考書類やプリント類が教科ごと学年ごとに、きれいに整理整頓されて並べられてある。机の上には、デスクトップパソコンも置かれてあった。オリジナルテキストや自習プリント作りに重宝しているらしい。
八畳ほどの広さの洋室だが、かなり狭く感じられた。
「高史ちゃんに、ボランティア講師としての適性能力を測るために、一つ重大な任務を与えるね」
佐登子さんから突然告げられる。
「どういった、任務なのでしょうか?」
高史の心拍数は急激に高まった。
「高史ちゃんにも、塾生一人一人の学力に合った自習プリントを作るのを手伝ってほしいの」
「もちろんいいですけど、出来るかな? 僕に」
佐登子さんの依頼を、高史は戸惑いつつも引き受けた。
「あっ、でも、どのように、作成すれば……」
すぐに困ったことが出て来た。
「最初は分からなくても無理ないわ。今回はワタクシがサンプルで作ったものを参考にしてみてね」
「はっ、はい」
佐登子さんは塾生達の苦手分野を表にまとめたプリントも合わせて高史に手渡した。
「塾生のみんなの成績は、これを見れば分かるわ」
佐登子さんは続いて、とある資料が綴じられたファイルの束を机の引出から取り出した。彼女は学校のテスト用紙とその個人成績表、通知表のコピーを、結果が出るたび塾生達に提出させている。
佐登子さんは塾生達の苦手教科の成績をどうすれば効率的にアップさせられるか、日夜研究に努めているのだ。
「いいんですか? こんなプライバシー的なもの、僕なんかが覗いて」
「もちろんよ。というか、見なきゃダメよ。高史ちゃんも、もうここの塾講師なんだから」
罪悪感に駆られる高史に、佐登子さんは優しくそう告げた。
「分かり、ました」
高史は恐る恐る、一番上に置かれてあるファイルから手に取り確認していく。
各ファイルに、塾生達の名前が書かれてある。分かりやすいよう一人一人別々にまとめてあるのだ。
「私のも見られるから、ちょっと恥ずかしいな」
麻恵はほんのり頬を赤らめた。
「土生さんは、けっこう成績良いんですね。通知表もほとんど4以上取っていますし」
葉奈子の今年度二学期中間テスト総合得点は、五〇〇点満点中四五三点。学年順位は二〇五人中一四位だった。数学と理科は満点近く取り、一〇番以内に入っていた。
「葉奈ちゃん用のは、基礎レベルの問題は大方マスター出来てるから、得意分野をさらに伸ばせるように、応用から発展レベルの問題を多めに取り入れてるの。さすがにハイレベルともなるとオリジナル教材を作りにくいから、市販の教材を使わせていただく場合がほとんどよ」
「そうでしたか。蓬莱さんと上河内さんと茶屋さんの分は、たくさんありますね」
小学生の三人については定期テストが無いため、頻繁に行われる単元別のテストを提出させていた。久実について、算数と理科は六〇点前後、その他は八〇点前後であった。小学校のテストは満点近く取れるのが当たり前なので、普通よりちょっと悪いと高史は判断した。通知表も3段階評価で音楽が3、体育が1という以外は全て2であった。
「久実ちゃんは、小学三年生の頃から通い始めたの。あの頃でもワタクシと背が同じくらいあったわ。性格は幼いけどね」
「確かに、背は僕より高くても、やはり仕草を見ると小学生だなと感じました。茶屋さんは、わりと優秀ですね。算数と理科以外は百点ばかりだから……あのう、蓬莱さん、確かに良くないですね。ほとんど五〇点以下なので。通知表も1が多く……図工だけはしっかり3取ってる」
高史は困惑顔で、芽衣の成績表を眺める。
「芽衣ちゃん、主要科目はどれも苦手みたい。ワタクシの教え方では、成績をあまり上げられなかったわ」
佐登子さんは苦笑した。気にしているようだった。
高史は最後に、麻恵の分を確認した。
「高史くん、私は数学と、理科の特に一分野が大の苦手なの。私、この間の中間テスト、数学と理科でかなり悪い点採ってるでしょ」
麻恵は照れくさそうに打ち明けた。
「理科が平均六一点の四八点。数学が平均六六点の五六点だね。公立中学で、それも、学内の定期テストで、これでは、ちょっと……」
高史は麻恵の中間テスト個人成績表を眺め、難しい表情を浮かべた。
「やっぱり悪いんだよね。テスト前は、すごく頑張って勉強したんだけど、暗記が利かないからね。私、高史くんが通ってる夙英高校を狙ってるの。でも、中間の後の面談で、担任からもう一ランク下げるように言われちゃって」
麻恵はちょっぴり落ち込む。
「いやまあ、中学レベルだったら、じゅうぶん挽回は可能かと。それに、国社英は全部平均点を二〇点近く上回っているので」
高史は勇気付けようとした。
「他の教科は特に問題ないみたいだから、高史ちゃん、麻恵には、数学と理科を重点的に教えてあげてね」
佐登子さんは高史にエールを送る。
「はい。僕、その科目は、一応得意だから」
「高史くん、よろしく頼むよう」
「あっ、あの……」
麻恵に背後からいきなり抱きつかれ、高史は焦った。
「塾生のみんなの成績アップ、特に芽衣ちゃんが良い点取ることが出来るように、高史ちゃんも勉強の手助けをしてあげてね」
「はい。分かり、ました」
佐登子さんの要求を高史は引き受けるも、
(僕なんかに、蓬莱さんの成績を上げることなんて出来るのかな?)
脳裏に一抹の不安がよぎった。
「高史ちゃん、次は金曜日ね」
「はい」
こうして高史は、佐登子さんから小中学生用主要五教科の教科書・参考書類も何冊か受け取り、山際宅をあとにする。高史は自転車で来ていた。彼の自宅から山際宅まで所要時間は一五分ほど。電車を使うまでもなかったのだ。
(塾生みんなの、さらなる成績アップに努めるぞ)
家に帰ったあと、高史はさっそく佐登子さんからいただいた教科書・参考書、プリント類を机に上に並べ、ノートパソコンも立ち上げた。ノートパソコンは高校の入学祝いに買ってもらったものだ。
(自分で問題を作るって、初めてやったけど、意外と楽しいな。待てよ。ただ問題を載せるだけじゃ、つまらないよな。よぉし!)
高史はハイテンションで、自習プリントの作成作業を進めていったのであった。
翌朝。
「高史くん、塾のボランティア講師やってみてどうだった?」
学校へ行く途中、さっそく碧から感想を尋ねられた。
「まあ、それなりに楽しかったよ」
「いいなぁ。わたしもやってみたいなぁ」
(碧ちゃんと一緒はダメだよ。塾生達に絶対彼女なんでしょう? とか訊かれるからな)
羨む碧をよそに、高史は心の中でこう思っていた。
高史が教室に入り、自分の席に着いてから数分後、
「たかしー、塾講師のボランティア、めっちゃ大変だったろう?」
登校して来た光哉からも、さっそく訊かれた。
「うん、まあ。疲れた」
「やっぱりな。小中学生対象の学習塾だし、けっこう生意気なガキ多くてやり辛いだろ。たかし、これで癒されろ」
「――っ。そっ、それは、ちょっと」
光哉がかざしてきたある物に、高史はたじろいだ。
十八禁パソコンゲームの箱だったのだ。パッケージには一八歳以上の設定だがどう見ても小中学生にしか見えない五人の女の子達のエッチなカラーイラストが描かれてあった。
「通販サイトで塾講師モノのエロゲでちょうどいいの見つけたんだ。昨日届いたぜ。これ、塾生はみんな美少女なんだぜ、男はもちろん一人もいねえ。現実にはあり得ない設定だろ?」
ゲーム内容は簡単に説明すれば、主人公となっている塾講師が、塾生達にエッチなことをしながら勉強を教えていくものだ。
「……あの、光哉。僕が任されたとこの塾生、みんな女の子だったんだけど……」
高史はかなり気まずそうに伝えた。
「えっ、マージで? 男いないの?」
光哉は驚き顔で尋ねる。
「うん。昔はいたみたいだけど」
高史は小さく頷いた。
「そりゃ、ますます大変だな」
「光哉、羨ましいと思わないの?」
「あー、俺、三次元の女には全く興味ねえし」
光哉はきりっとした表情できっぱりと言う。
「ボクも同じです。ボクが今まで出会った中でまともな三次元の女の子は、玉木さんくらいなものですよん」
進も同調する。
「それは失礼だと思うけどなぁ」
高史は困惑顔で突っ込んだ。彼は、このエロゲは当然のように受け取りを拒否したのであった。