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第二話 入塾申込、するはずが……

土曜日の朝。高史は初回分学費五万円を持って、自転車で烈學館の方へ向かっていた。

 もちろん入塾申込をしにいくためだ。高史は学校の制服を着用していた。中高生はそれで参加するよう定められていたからである。

(あぁ、嫌だなぁ。あんなとこ、行く気しないよ)

 今日は雲一つない爽やかな秋晴れだったものの、高史はかなり憂鬱な気分だった。ペダルを漕ぐスピードも自然と遅くなってしまう。

(今、十時二七分か。説明会開始時刻までまだ時間けっこうあるし、あそこへ寄るか)

 途中、烈學館のすぐ近くにある大型書店に立ち寄ってみた。

(なんか僕の成績が一気に上がる、画期的な参考書はないかなぁ)

 高史は高校生向けの学習参考書コーナーを物色してみる。英語と数学を中心に何冊か立ち読みもしてみた。

 そうしているうち、

(あっ、もう十時五一分か)

開始時刻が迫ってきたのでそろそろ書店から出ようかなぁと思った。


その直後、高史の身に、予期せぬことが起きた。


「あのう、夙英高校の生徒さんですよね? お兄さん」

いきなり背後から一人の女の子に、ほんわかとした口調で話しかけられたのだ。

「へっ!?」

高史は恐る恐る後ろを振り向く。

そこにいた子は、面長でぱっちりとしたつぶらな瞳。ほんのり栗色がかった黒のショートボブヘアスタイルが特徴的だった。少し痩せ型で、服装は濃紺色のセーラー服。学校の制服姿と思われる。

「こんにちはーっ、はじめまして。私、昆乃森中学三年の山際麻恵やまぎわ あさえって言います。あのっ、藪から棒ですが、もしよろしければ、お兄さんのお名前も聞かせてくれませんか?」

その麻恵と名乗った女の子は高史に顔を近づけ、にこやかな表情で問いかけてくる。高史は緊張からか、額から冷や汗がつーっと流れ出た。ドクドクドクドク心拍数も一気に上がる。

「ぼっ、僕ぅ!? 僕の、名前は、瀬戸山高史、だけど……」

 高史は言葉を詰まらせながら、思わず答えてしまった。

「高史くんっていうんですね。学校で使ってる英語の教科書に出てくる男の子と同じ名前だぁ」

 麻恵はにこっと笑った。

「あっ、どうも」(なんだ、この子は?)

 高史はどう反応すればいいのか分からず戸惑う。

(……この子とは、関わらない方がいいな)

 本能的にそう感じ、麻恵から遠ざかるようにスタスタと歩いていく。

 しかし、

「あっ、待って下さい高史くん」

ほどなくして麻恵に追いつかれてしまった。

「ぼっ、僕、忙し……」

僕は行く手を阻まれる。

「あのっ、高史くん。私から、ちょっとお願いしたいことがあるの……」

麻恵は急に真剣な眼差しになり、高史の目をじっと見つめる。

「なっ、なっ、何かな?」

 高史の心拍数はますます高まった。

麻恵は頬をほんのり赤らめて、すぅと息を大きく吸い込んだ。

 そして、


「高史くん、私、あなたに一目惚れしちゃったの。真面目そうで誠実そうで、賢そうで心優しそうなところに、すごく好感が持てたの。あのっ、これから私をご指導して下さい!」


書店中に響き渡るくらいの大きな声で、高史に告白して来たのだ。

「えっ!? ……ごっ、ご指導してって…………」

 高史は動揺の色を隠せなかった。

「今から高史くんを、私のおウチへご案内しまーっす!」

「うわっ!」

 麻恵に右手をぎゅっと握り締められた。

 マシュマロのようにふわふわやわらかい感触が、高史の手のひらに直に伝わる。

「こっちです、こっちです」

「うわっ、ちょっ、ちょっと…………」

高史は麻恵にグイグイ引っ張られていく。麻恵の背丈は一五〇センチ代後半くらい。高史よりも小柄だが、完全に力負けしてしまっていた。

あれよ、あれよという間に、書店内出てさらに北西の方角へ。

「あっ、あの、手を、離してくれないかな?」

「嫌です。せっかく出会えたのに。絶対離しません!」

 麻恵は高史の方を振り返りながらそう告げて、高史の手をさらに強く握り締めた。

「そっ、そんな……」

 下手に抵抗して叫ばれでもしたら困る、と危機感を持った高史は、麻恵にされるがままにされるしかなかった。

急な坂道を駆け上がりつつ閑静な住宅街を走り抜け、とある一軒家の門の中まで連れて行かれた。

「ここなんです、私のおウチ」

 麻恵はようやく手を離してくれた。

「……つっ、疲れたぁ、かなり」

 高史はゼェゼェ息を切らしながら、彼のすぐ目の前に聳え立つ二階建ての建物を見上げる。ベージュの外壁に黒色の屋根、こげ茶色の玄関扉。外観はごく普通であるが、ちょっぴり高級感の漂うおウチという感じだった。

「さあ、高史くん。どうぞこちらへ」

「わわわ」

 高史は再び麻恵に右手を握り締められ、ズズズッと引っ張られていく。

「ただいまーっ!」

 麻恵は玄関扉を開けると、元気よく帰宅後の挨拶をした。

「おかえり、麻恵」

 少し待つと、奥の部屋から一人の女性が現れた。

「お母さん、このお兄さんを、新しい先生にしよう!」

 麻恵は高史の右手を握り締めたまま、元気な声で伝える。

「へっ、へっ!?」

 高史は目を大きく見開いた。

「麻恵、そちらのお兄さん、かなり戸惑ってるわよ。事情をちゃんと説明してあげたのかな?」

 麻恵のお母さんはにこにこしながら廊下を歩き、二人の方へ近寄ってくる。

「あっ、いっけなーい私ったら。ごめんね高史くん」

 麻恵はてへっと笑った。

「あの、ですね……」

 高史は棒立ちのまま、口をパクパクさせていた。

「お兄さん、高史ちゃんって名前なのね。汗いっぱいかいてるわね。急な坂上らされて疲れたでしょう? ちょっと休憩していきなさい」

 お母さんに手招かれる。

「いっ、いえ。その、僕は……」

 高史は慌て気味に断ろうとした。

「高史くん、上がって、上がってーっ」

「わわわわわ」

 しかし麻恵にまたも右手を引っ張られ、無理やり上がらされてしまった。

「高史ちゃん、ここへ座ってね」

 お母さんに案内されたのは、リビング中央付近にある、小さなテーブルをコの字型に囲むようにソファーが並べられてある場所。テーブルのすぐ横には、三二型のプラズマテレビが置かれていた。

すぐ隣のお部屋はダイニングキッチンとなっており、わりと大きめのテーブルと、それを囲むように木製椅子が八つ並べられてあった。

 リビングのソファーに、高史と向かい合うようにお母さんが座る。

「はじめまして。ワタクシ麻恵の母、山際佐登子と申します」

佐登子さんは高史に優しく微笑みかけた。

「はじめ、まして」

なんだよ、これ。新手のキャッチセールスか? だったら早く逃げないと……。

 高史は少しおどおどしながらも、ぺこりと頭を下げた。

「ちなみに年齢は四三歳だよ」

「これこれ、麻恵」

佐登子さんは照れ笑いする。このお方は、ほんのり茶色みがかったセミロングのヘアスタイル、顔に皺は目立たず体型も麻恵と似て痩せ型、とても四〇過ぎとは思えない若々しい風貌だった。

「お客様さん?」 

 二階からもう一人、中学生くらいの男の子が下りてきた。三人のいる方へ歩み寄ってくる。

「そうだよ、高史くんっていうの。あの子は私の弟の麻夫くんだよ。中学二年生なの」

 麻恵は嬉しそうに伝えた。

「どうも、こんにちは、高史お兄さん」

「あっ、どうも」 

 その子に挨拶され、高史は頭を少し下げて会釈した。

麻夫はまた二階の自室へと戻っていく。姉の麻恵と顔立ちがよく似ており、坊ちゃん刈りで、背丈は一六〇センチくらいであることが確認出来た。

「高史ちゃん、とっても礼儀正しいわね」

佐登子さんは感心する。

「いえいえ、僕、決してそのようなことは……」

 高史はすぐに謙遜した。

「高史ちゃん、背広はまだまだ暑いでしょ? 今日なんか特に。脱いでお掛けになってね」

 佐登子さんは爽やかな笑顔で勧めてくる。

「いっ、いえ。僕、これでちょうどくらいですから」

本当は暑いけど、いざという時に逃げにくくなるからな。

 高史は警戒して、身に着けていたブレザーとグレイのネクタイを外そうとはしなかった。通学鞄も左手に持ったままだった。

「どうぞ、高史くん。お代わりも自由にしてね」

 麻恵がハーブティーとウエハースをリビングテーブルに運んで来てくれた。

高史の目の前にコトンと置く。

「ありがとう」

あとで高額請求されたりしないだろうな。

高史は礼を言うもそんな不安がよぎり、手をつけようとはしなかった。

「高史ちゃん」

「はっ、はい。なっ、何でしょうか?」

 佐登子さんに話しかけられ、高史はやや慌てる。

「ちょっとこの問題解いてくれるかしら」

 いきなり数枚のプリントの束と、シャープペンシルと消しゴムを渡された。

「分かり、ました」

 高史はシャープペンシルを手に取ると、言われるままに解いていく。

「高史くん、頑張ってね♪」

 麻恵も母、佐登子さんの隣に腰掛けその様子をじっと見守る。

 プリントには国語、数学、英語、社会、理科。学校教育における主要五教科の問題が満遍なく散りばめられていた。

(なんか、簡単過ぎるな。小中学生レベルだし)

 校内では落ちこぼれ気味な高史であったが、大抵の問題は解くことが出来た。

 問題数は全部で三百問もあったものの、一時間足らずで全ての空欄を埋めてしまった。

「出来ましたけど……」

 高史はシャープペンシルを置くと、プリントの束を恐る恐る佐登子さんに手渡す。

「ありがとう。二時間くらいが目安なんだけど、ずいぶん速かったわね」

 佐登子さんはそう言うと、解答欄が朱色で印字された模範解答用紙と赤ボールペンを取り出し、高史の解答と照らし合わせながら採点を始めた。

 シャカッ、シャカッ、シャカッ、と丸をつける音が高史の耳に飛び込んでくる。時折ピュンッと×を付けているであろう音も。

(そういや、なんでこんなことをさせたんだろう?)

 高史はハッと気づいた。

「高史ちゃん、三〇〇点満点中、二九四点よ。見込んだ通りね。上出来、上出来」

「おめでとう! 高史くん」

 佐登子さんと麻恵は、とても嬉しそうに微笑んだ。

「あっ、どうも」

六問もミスったか。理科の天体の分野、連続で間違ってるし。

高史はあまり嬉しくはなかった。

「ところで高史ちゃんは、どこに住んでいるのかしら?」

 佐登子さんは興味深そうに尋ねてくる。

「西宮市です」

「ここから近いのね。それじゃ、喜んで採用するわ。夙高生みたいだし信頼出来るし」

 佐登子さんは満面の笑みを浮かべながらおっしゃった。

「えっ!」

 すると高史は目を白黒させた。

「学習塾の、アルバイト講師をやってみない?」

 佐登子さんはとても親しげに誘いかけ、高史の肩をポンッと叩く。

「あっ、あのう、それって、つまり、僕に、塾の講師の、アルバイトをさせる、ということ、なんですか?」

 高史は唇を震わせながら、言葉を詰まらせながら質問する。

「その通りよ」

 佐登子さんはにこやかな表情で告げた。

 一瞬間があった後、

「……えええええっ!」

 高史はあまりに突然のことに、驚愕の声を上げた。

「私のお母さん、ここで塾の先生してるんだ。私もお母さんの塾の生徒なの」

 麻恵は嬉しそうに伝える。

「小中学生に主要五教科を教えてるんだけど、ワタクシ一人で教えるのはきついなって感じてきてね。特に、数学の出来る賢い子を探してたのよ」

 佐登子さんは淡々と説明する。

「そうなん、ですか……学習塾講師……僕、高校生なのですが……」

「高校生でももちろんいいのよ。小中学生レベルの問題なら難なく解ける知識さえあれば。新聞に、アルバイト情報を出そうかと考えていたところなの」

 戸惑う高史に、佐登子さんはにこにこ顔で伝えた。

「あっ、そうですか。あの、僕、筋金入りの口下手で、こんな僕が、塾講師として、務まるのかな?」

「うちの塾では、黒板の前に立って授業を進めていくというのではなく、自習形式なの。各自別々のテキストやプリントをやって、それを講師が採点、質問されたら解説していくというスタイルよ。だから全然問題ないわ」

「僕がイメージしていたのと違いますね。それでも、僕なんかに務まるのかな?」

 高史はなおも不安が残り、再度尋ねてみる。

「高史ちゃんなら、きっとやっていけるわっ! なんてたって夙高生だもの」

 佐登子さんは彼を勇気付けるように言い張った。

「そうでしょうか? あっ、そういえば、僕の高校、アルバイト原則禁止なのですけど」

 高史は不安そうな表情を浮かべた。

「そうだったの。じゃあ、ボランティア活動としてやったみたらどう?」

佐登子さんは優しく微笑みかけた。

「高史くん、山際舎の新しい先生になって、なってーっ。私、高史くんなら大歓迎だよ」

 麻恵は強く望むような仕草を見せる。

「まあ、ボランティアとしてなら、大丈夫だと思います」

「今日は土曜日ね。開塾日は火曜と金曜なの。高史ちゃん、来週火曜からさっそく来てくれない?」

「えっ、あっ……もちろん、いいですけど」

 佐登子さんからの要求を、高史はやや戸惑いながらも引き受けた。

「母さん、新しい講師を雇うんだね」

 麻夫がまたリビングにひょっこり現れた。

「あの、きみも、ここの塾に通ってるのかな?」

「ぼくは違うとこ。だって、母さんがやってる塾……女しかいないもん」

 高史の質問に、麻夫は少し間を置いて、不満そうに答えた。

「この子、照れ屋さんなのよ。一緒に勉強すればいいのに」

 麻恵はにっこり微笑む。

「女の子、だけ、なん、ですか?」

 高史は驚き顔で尋ねる。

「うん。うちの塾は今かわいい子満載よ。半年ほど前までは麻恵と同学年の男の子もいたんだけどね。その子も、女の子がいっぱいで居辛いからって理由でやめちゃったのよ」

 佐登子さんは微笑みながら伝える。

(周りに女の子しかいなかったら、そりゃあ居辛いよな。特に中学生男子にとっては)

 高史には彼や麻夫の気持ちがよく分かったようだ。

「あの、どれくらいの、規模の塾なのでしょうか?」

 高史は続けて質問する。

「少人数制で、今は麻恵を含めて五人受け持ってるの。下は小五から、上は中三までいるわよ」 

「そうですか……」

こんなお話をしている最中、

「ただいまー」

 玄関から男性の声がした。

「お父さんだっ! おかえりーっ」

 麻恵は叫ぶ。

 お父さんがリビングにやって来ると、

「山際先生、たった今新しい塾講師が決まったわよ。ボランティアでだけど」

 佐登子さんは彼に嬉しそうに伝えた。

「ほう、そうか」

「こちらの子よ」

 佐登子さんは高史の方を指し示す。

 お父さんは高史の方へ目を向けた。

「あっ、どうも。はじめまして」

高史は慌ててぺこりと一礼した。

麻夫・麻恵のお父さんは痩せ型で背もそれほど高くなく、高史と同じくらい。白髪が目立ち、面長なお顔でおっとりとした感じのお方だった。

「この高史ちゃんって男の子、主要五教科詰め合わせのペーパーテスト、三〇〇点満点中二九四点も取ったの」

 佐登子さんは嬉しそうに伝える。

「ほう、その制服、夙高だね、さすがだな。いかにも真面目そうな子だし。女の子にあまりもてなさそうだけど、佐登子がやってる塾のボランティア講師としてならやっていけそう。麻恵のこともよろしくね」

 お父さんはほとほと感心しながら高史の身なりを見て、柔和な笑顔でのんびりとした口調で言う。

「えっ、その……」

 高史は期待されたことに動揺していた。

 山際先生。佐登子さんが夫を呼ぶ時は、いつもこう呼んでいるらしい。彼は大学教授をしているからとのこと。

「ここのお部屋を教室に使ってるの」

 佐登子さんは、玄関入ってすぐの所にある応接間へ高史を案内した。

「けっこう広いですね」

 高史はそのお部屋全体をぐるりと見渡す。

 広さ一二畳ほどの和室だった。部屋中央付近に木目調の長机が縦三列に並べられており、一脚当たり二人ずつ座れるように配置されている。床が畳になっているため、イスではなく座布団が敷かれていた。長机の前には、学校にあるものと同じような教卓と、ホワイトボートも置かれてある。

「落ち着いた雰囲気の教室でしょ?」

「はい。茶道教室っぽくも見えます。あっ、あの、おばさん、僕のような落ちこぼれ高校生を、塾のボランティア講師として採用するという大英断をして下さり、誠にありがとうございます」

 高史は佐登子さんに向かって深々と頭を下げる。

「いえいえ、何をおっしゃいます。こちらこそ大歓迎よ」

 佐登子さんはにこっと微笑み、高史の頭を優しくなでてあげた。


「それでは、失礼します」

高史は佐登子さんからこのおウチ《山際舎》へのアクセスマップ、塾概要、仕事内容の説明などが記載された書類を受け取って、ここをあとにした。

(まさか、こんなことになるとは……人生何が起こるが分らないものだな)

 高史は他に例えようのない高揚感を味わいながら、自転車置き場に戻って帰路に着く。

         ☆

「高史、ちゃんと申し込んできた?」

「いやぁ、それがさ、烈學館に申し込みをするはずが……別の塾の先生を任されたんだ」

高史は自宅に帰り着くとすぐさま、やや緊張気味に母に報告した。

「へっ!! どういうこと? 塾の申し込みに行って、なんで塾の先生を任されたの?」

 母は目を丸くする。

「塾の先生?」 

 父も同じような反応をした。

「うん……僕、烈學館に行く途中に、女子中学生に話しかけられて、それで、ここに連れて行かれて簡単なテストと面接を受けたら、あっさり採用されたんだ。夙高生なら大歓迎って言われて」

高史はそう伝え、母親に佐登子さんからいただいた書類を手渡した。

「学習塾の、高校生ボランティア講師をするの!?」

母はかなり驚いていた。

「そうなんだけど、この山際舎いう学習塾、小中学生対象の少人数制で自習形式の塾みたいなんだ」

「それは良かったじゃないか。若い子ぉらに教養を教えるのはなかなかやりがいのある仕事やぞ」

 高史がこう伝えると、父の表情に笑みが浮かんだ。

「自分の勉強は、どうするの? 塾の先生なんてしたら、そっちに気がとらわれて学校の成績がますます下がっちゃうんじゃないの?」

 母はまだ驚き顔で突っ込む。

「そっ、それは、やってみなければ、分からないかな」

 高史は自信無さそうに言った。

「やめ、やめ。学校の勉強すら満足に出来てない高史なんかに務まるわけないわ。大人しく烈學館の方へ行きなさい」

「でっ、でもさぁ……」

「まあまあ母さん、高史にとっていい社会勉強になるかもしれないじゃないか」

 引き止めようとして来た母に、父は柔和な笑顔で意見する。彼の職業柄か、塾講師の仕事にも親近感が持てたようだ。

「母さん、やらせてくれよ。断るのはなんか向こうにすごく悪いし」

 高史はしつこく頼んでみる。

「……しょうがないわねえ。遊びをするわけじゃないから、特別に認めてあげるわ」

「やった!」

 母がようやく承諾してくれると、高史の表情に満面の笑みが浮かんだ。

「でも高史、もし期末テストで百位以内に入れなかったら、塾の先生をやめて今度こそ烈學館に行ってもらうわよ」

「それは承知してるよ、母さん」

「山際舎か。烈學館とは対照的な雰囲気の塾だな」

 父はにこやかな表情で言う。

「父さん、そこ、知ってるの?」

 高史は驚いた。

「ああ、ボクが勤めてる学校の生徒の中にも、この塾へ通っていた子がいるらしいから」

 父からそう聞かされた高史は、山際舎にますます信頼が持てた。

 高史は烈學館に払うはずだった学費五万円を全額きちんと母に返し、自室へ。

「光哉、予期せぬことになったぞ。僕、別の塾の先生を任されたんだ。山際舎っていう」

 そしてすぐさま光哉に、今日あった予想外の出来事を携帯電話で報告する。

『えっ! マジで? あの塾は?』

 光哉がかなり驚いている様子が電話越しにでも分かった。

「行かなくて済んだんだ」

『そっか。なんにせよ、そりゃよかったじゃん』

「僕、今日ほど夙高生で良かったって感じたことは無かったよ」

高史は彼への電話を切ったあと、

『おめでとうございます。予想外の結果でしたが、塾行き回避出来てよかったですね』

 続いて進、

『おめでとう高史くん。塾の先生任されたなんてすごいね。とりあえずは烈學館に行かされずに済んでよかったね』

碧にも報告した。

(きっちりとは決まって無いんだな)

 そのあと高史は塾概要を確認する。

この塾は、麻恵が学校から帰ってくる夕方四時頃から、夜八時頃まで教室を開放している。入室退室時刻、休憩時間は各自自由に設定して良いことにされていた。

 他の項目も確認する。山際舎は受験対策に特化した進学塾ではなく、学校の授業における苦手教科の弱点補強を主眼としている。けれどもここへ通ったことで結果的に、身の丈以上の志望校に合格を果たした子も数名いるらしい。教材は佐登子さん手作りのオリジナルテキストやプリント、または市販のものを使用する。しかし、学校の宿題もやって良いことにされていた。設立は八年半ほど前。麻恵が小学校へ入学したことを機に、佐登子さんは経営を始めたらしい。これまで今のメンバーを含めて、二〇名近くご指導されたようである。


翌週月曜日夕方、高史は学校からもボランティア活動の許可がとれたことを、佐登子さんに伝えたのであった。


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