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第一話 中間テスト撃沈 高史、スパルタ教育進学塾へ強制入塾されちゃう危機

高校一年生がすべき、一日の家庭学習時間は三、四時間程度が目安とされている。

しかし実際、それ以上を日々継続的にこなせている人なんて、ほとんどいないだろう。


     ※


「高史ぃっ、ますます順位落ちてるじゃない。もっと本気で勉強しなきゃ、ダメじゃないのっ!」

「母さん、これでもまだ平均点はあるだろ。そんなに怒らなくても……」

十月も半ばを過ぎたある日の夕方、関西圏阪神地区とある文教都市に住む瀬戸山高史せとやま たかしは自宅リビングにて、母から厳しく咎められていた。

引き金となったのは、高史の在籍する県立夙英しゅくえい高校一年六組で今日返却された、二学期中間テスト個人成績表である。

ソファに座る二人、ローテーブル越しに向かい合う。

「高史は二年生から、理系クラスに進もうとしてるんでしょ? 大学は国公立を目指してるんでしょ?」

母は強い口調で問うた。

「確かにそうだけど」

「だったら平均ほんのちょっと超えれたくらいで満足してちゃ、ダメなの分かってる?」

「分かってるって」

うるさいなぁ、と心の中で思いながら高史は不機嫌そうに答える。彼の総合得点学年順位は全八クラス三一六人中、一四八位であった。

「高史はやれば出来るとっても賢い子なんだから、ここで本腰を入れて頑張らなきゃね。あの約束は覚えているかしら?」

 母は険しい表情から、にこにこ顔へと変化した。

「えっ……何の、ことかな?」 

 高史は視線を天井に向けて、忘れた振りをしてみる。

「とぼけたって無駄よ。証拠はちゃぁんと残してあるんだから」

 母はそう告げた後、テーブル上の小物入れからICレコーダーを取り出した。高史の眼前にかざすや否や、再生ボタンを押す。

『高史、今度の中間テストでも総合順位百位以内に入れてなかったら、塾へ放り込むからね。文系理系どっちに進むかに関わらず』

『分かったよ、母さん』

こんな音声が流れた後、

「このことよ」

 母はニカッと微笑みかけてくる。

「……録音、してたのかよ。いつの間に……」

 高史の顔は引き攣った。彼はあのやり取りをしっかりと覚えていたのだ。

「ふふふ、言い逃れ出来ないようにこれくらい対策済みよ。高史、次の期末テストも悪かったら、あんたのお部屋にある大量のジャ○プと少女マンガ、全部捨てるからね」

「えっ! そんなぁーっ。そこまですることはないだろ」

 突然の母からの通告に、高史はどぎまぎする。

「だって高史、あんなのをいーっぱい買い集めるようになってから、テストの順位が急激に落ち始めたでしょ」

「それは全然関係ないって」

「大いにあります!」

「……中学の時とは〝母集団〟が違うだろ。僕が通ってる高校、勉強出来る子ばかりが集まってきてるんだから、僕の順位が相対的に下がってくるのは当たり前だろ」

「でも、碧ちゃんは中学の頃から今でもずーっと高順位を維持してるでしょ?」

 弱々しく反論する高史に、母は得意げな表情で訊く。

「あの子は、僕と地頭が違うんだ」

高史は迷惑そうに振る舞い、個人成績表を取り返すと足早にリビングから逃げていった。

碧ちゃん、フルネームは玉木碧たまき みどり。高史のおウチから徒歩一分もかからないすぐ近所に住む同い年の幼馴染だ。学校も幼小中高ずっと同じ。お互い同じ夙英高校を選んだのは、家から一番近いそれなりの進学校だからというのが二人の最たる理由であった。

(確かにこの順位じゃ、理系クラスの授業についていくのは難しいよなぁ。しかも肝心の数学と化学がどっちも平均無かったし……英語もだけど)

 高史は個人成績表を眺めつつ苦笑いを浮かべながら、二階にある自分のお部屋に足を踏み入れた。彼の自室はフローリング仕様で、広さは一二平方メートルほど。畳に換算すると七畳から八畳くらいだ。

出入口扉側から見て左の一番奥、窓際に設置されてある学習机の上は教科書・参考書類やノート、筆記用具、プリント類、CDラジカセ、携帯型ゲーム機やそれ対応のソフトなどが乱雑に散りばめられていて、勉強する環境には相応しくない有様となっている。男子高校生のお部屋にはありがちな光景といえよう。

机の一メートルほど手前には、木製のラックに載せられたDVD/BDレコーダー&二〇インチ薄型液晶テレビがあり、さらに扉寄りに幅七〇センチ奥行き三〇センチ高さ一.五メートルほどの本棚が配置されている。こちらには、普通の男子高校生と比べてオタク趣味を思わせる光景が広がっていた。

本棚にはコミックスや雑誌、小説本が合わせて二百冊以上は並べられてあるものの、普通の男子高校生が読みそうなスポーツ誌やメンズファッション誌は一冊も見当たらない。高史の所有する雑誌といえば、アニメ・声優・ゲーム・漫画系なのだ。

ラックの空きスペースには萌え系のガチャポンやフィギュア、ぬいぐるみが合わせて十数体、まるで雛人形のように飾られてある。

さらに壁にも人気女性声優や、髪の色が青や緑やオレンジやピンクや紫で、瞳の大きな可愛らしい女の子達が登場する深夜アニメのポスターが何枚か貼られてあるのだ。

(母さん、僕の部屋、ジャ○プや少女マンガなんて一冊も置いて無いんだけどなぁ……)

一段ベッドに腰掛けた高史は向かいの本棚を眺めながら、心の中で突っ込みを入れた。

     ☆

 翌朝、七時五五分頃。

「高史、塾のことなんだけど、今度の土曜に入塾説明会があるから参加しなさいね。特典で学費二割引になるし」

「分かったよ、母さん」

 高史は母とリビング横のキッチンで朝食を取りながら、こんな楽しくない会話を弾ませていた。

 父は毎朝七時過ぎには家を出るため、高史の平日朝食時はいつも母と二人きりなのだ。

まもなく八時になろうという頃、ピンポーン♪ と玄関チャイムが鳴らされた。

「はーい」

 母が玄関先へ向かい、対応する。

「おはようございます。おば様」

 お客さんが先に玄関扉を開けた。

碧であった。面長ぱっちり垂れ目、細長八の字眉、丸っこい小さなおでこが彼女のチャームポイント。さらさらした濡れ羽色の髪の毛を少し巻いて、抹茶色のシュシュで二つ結びにして留めているのがいつものヘアスタイルだ。すらっとした体型で、背丈は一五五センチくらいある。

 学校がある日は毎朝、この時間くらいに高史を迎えに来てくれる。高史は中学に入学した頃から現在完了進行形で登校は別々でも良いと思っているのだが、碧がそうは全く思っていないので付き添ってあげているという感じである。そうはいっても高史もべつに嫌がってはいない。けれども通学中に同じクラスのやつ他知り合いにはあまり会いたくないなぁ、という年頃の少年らしい照れくさく思う気持ちは持っていた。

「おはよう碧ちゃん」

 母が爽やかな声で挨拶すると、

「あのっ、おば様。高史くんの成績をアップさせてあげられなくてごめんなさい。わたしの教え方が悪かったみたいで」

 碧は母に向かってぺこんと頭を下げた。

「碧ちゃんは全然気にしなくていいのよ。相変わらずテスト前でもジャ○プや少女マンガばっかり読んで勉強サボった高史が悪いんだから」

 自責の念に駆られている碧を、母は慰めてあげる。碧はとても心優しい子なのだ。

(……母さん、僕、そういった本は一冊も持ってないって)

 二人の会話は食事中の高史の耳にもしっかり届いていた。


 いつもと変わらず八時頃に出発した碧と高史は門を出て、通学路を自転車で歩行者や車の邪魔にならないよう一列で進む。この時、たいてい碧が前である。 

「高史くん、今日はあまり元気がないね。テストのことでおば様にいっぱい叱られたんだね?」

 碧は前方に注意しつつ後ろを振り向きながら、心配そうに話しかけてくる。

「いや、叱られたことより、塾行かされることが決まったから」

「そうなんだ。高史くん、塾には行きたくないんだね?」

「うん。でも、これは母さんと約束したことだから、行くしかないよ」

 高史は暗い表情で答えた。

「それじゃあ、わたしも高史くんと一緒に通おうっと」

「いやっ、やめた方が絶対いいよ。母さんが僕に行かせようとしてる塾は、烈學館ってとこだから」

「えっ! そこなの? じゃあわたしは……行かなーい」

 高史からこう伝えられると碧は途端に顔を蒼白させ、すぐさま前言撤回した。

「高史くん、大丈夫? その塾って、先生がものすごーく怖いって噂のとこでしょ? ちゃんとやって行けそう?」

 続けて心配そうに質問する。

「入ってみなければ分からないなぁ」

 高史もその塾のことを詳しくは知らないため、こう答えるしかなかった。 

「そっか。頑張ってね、高史くん。おば様は高史くんの将来のためを思って、塾へ行かせようとしてるんだと思うから。でも、身の危険を感じたらすぐに辞めなきゃダメだよ。PTSDになっちゃったら大変だからね」

 碧は真剣な眼差しでアドバイスしてくれる。

「……うん」

 高史はちょっぴり困惑してしまった。

「そういえば高史くん、今日までに提出の数Aのプリントは、全部出来た?」

「いや、それが、空欄ばっかりなんだ。分からない問題が多くて」

「じゃあ写させてあげるよ」

「ありがとう。いつもごめんね、いろいろ迷惑掛けて」

「全然気にしなくていいよ高史くん。それにしても今朝は結構冷え込んだね。息が白い」

「もうすぐ十一月だからね。僕も今日はコートが欲しいくらいだよ」

他にもいろいろ取り留めのない会話を進めていくうち、学校のすぐ側まで近づいて来た。この二人以外の夙英高生達も周りにだんだん増えてくる。この高校の制服は男女ともブレザーで、女子用ジャケットは三つボタンのついたえんじ色、スカートは山吹色の目立つチェック柄。男子用ジャケットは二つボタンのついた濃紺色、ズボンはグレーを基調としたチェック柄だ。

高史のおウチから学校までは自転車で約十分。二人は正門を通り抜けると指定の自転車置き場に留めて校舎内へ入り、最上階四階にある一年六組の教室へ。二人は小学六年生の時以来、久し振りに同じクラスになることが出来た。芸術の選択科目で同じ書道を取ったため、なれる確率も高かったのだ。

高史が自分の席に着いて五分ほど後、

「ぃよう、たかしぃ」

いつものように彼の高校時代からの親友、砂金光哉すながね こうやが登校して来て近寄ってくる。丸っこいお顔で目は細め、背丈は一六九センチで普通だが、ぽっちゃりとした体格の子だ。

「あっ、おはよう光哉」

机にうつ伏していた高史は少し顔を上げ、暗い声で挨拶を返してあげた。光哉の出席番号は高史のすぐ前。そのことがきっかけで入学式の日から自然に話し合う機会が出来、お互い仲良くなったというわけだ。

部活動を選ぶ際、体育が苦手なため運動部には一切興味を示さなかった高史は、科学部にするか地歴部にするか悩んでいた。そんな時、光哉に「俺、文芸部に入るから、たかしも一緒に入ろうぜ」と半ば強引に誘われ、結局当初入る気もなかった文芸部に入部することに決めたのが四月の終わり頃。その選択により、光哉との友情をますます深めることが出来たのだが……(友達選び間違えたかなぁ? いや、光哉と出会えてよかったよ。新しい世界が広がったから)と高史は今になって反語的に思うことが時々ある。

なぜなら光哉は、高校入学当時ファ○通とテレビ雑誌と三大週刊少年誌、碧が読んでいた少女漫画誌くらいしか雑誌の存在を知らなかった純粋な高史に、マニアックな月刊漫画誌やアニメ雑誌、声優雑誌、美少女系のゲーム雑誌。さらにはライトノベル、同人誌、深夜アニメの存在などを教え、そっちの道へと陥れた張本人だからだ。光哉自身は、小学五年生頃から萌え系の深夜アニメに嵌っていたのだという。

「たっかしぃ、今日はいつもより元気ないなぁ。テストのことで母ちゃんに怒られたんやろ?」

 光哉はにこにこ顔で、陽気な声で問いかけてくる。

「まあ当たりだけど、それプラスもっと憂鬱なことがあるんだ」

「へぇ、どんな?」

「僕、総合百位以内に入れなかったから、駅前の烈學館って塾に行かされるんだ」

「烈學館って、あの鬼も怯える超厳しいスパルタ教育で超有名な。そりゃご愁傷様」

「光哉は親から成績のこと何も言われないのか? おまえも理系進むつもりなんだろ?」

「もっちろーん。国語と英語めっちゃ苦手だし。まあ、進学校なんだからビリの方でもそれなりに勉強は出来るだろっ、て母ちゃんと父ちゃんは思ってくれてるようだぜ」

「親子ともに楽天的だな。僕なんか、期末も悪かったら雑誌・マンガ類も全部捨てるって母さんに脅されたよ」 

 高史は沈んだ声で伝える。

「とうとう来てしまったか、その告知が。にしても百位超えって、学年上位三分の一以内に入れってことやん。たかしの母ちゃんの求めるハードルは高えな。進学校やのに」

 光哉は少しだけ同情心が芽生えた。

「僕の母さん、電○大王とか電○文庫MAGAZINEとか、コン○ティークとか、メ○ミマガジンとか、まんがタ○ムき○らキャ○ットとか、少年○ースとか、マンガ雑誌は全部〝ジャ○プ〟って呼んでる。ライトノベルのことなんか、少女マンガだよ」

「俺の母ちゃんも似たようなもんだぜ。W○iもプ○ステ3もP○Pも3DSもファ○コンって呼ぶし」

「それ、僕んちも同じ。僕の母さん、まだ四〇代半ばなのに考え方は団塊の世代だよ」

「食事のことを全部〝ちゃんこ〟って言うお相撲さんみたいだね」

 碧も高史の席のそばへ近寄って来て、にこやかな表情で突っ込みを入れた。

「そうそう、まさにそんな感じ」

 高史は苦笑顔で同意する。

「おはよう、光哉くん」

「……おっ、おはよう」 

 碧に明るい声で挨拶された光哉は、思わず目を逸らしてしまった。彼は碧に限らず、三次元の女の子が苦手なのだ。女の子に話しかけられると緊張してしまうのは物心ついた頃かららしい。その性格が、彼が二次元美少女の世界にのめり込むようになった原因ではないかと高史は推測している。高史の方も、三次元の女の子は光哉ほど重症ではないがけっこう苦手にしているのだ。下の名前で気兼ねなく呼べる女の子は唯一、碧くらいである。

「高史くん、行く時渡した数Aのプリントは、もう写し終わった?」

「あっ、まだだ。忘れてた。ごめん碧ちゃん。今すぐやるから」

「慌てなくていいよ。四時限目だからまだ時間あるし」

碧が優しくそう言ってくれたその時、八時半の、朝のホームルーム開始を告げるチャイムが鳴り響く。

光哉と碧、他の立っているクラスメート達はぞろぞろ自分の席へ。

「皆さん、おはようございます」

ほどなくしてクラス担任の酒本先生がやってくる。このお方は英語科担当の、まだ二〇代後半の若々しい女性教師。背丈は一五〇センチくらい。ぱっちりとした瞳に丸っこいお顔。ほんのり栗色がかった髪の毛はサラサラとしており、リボンなどで結わずごく自然な形で肩の辺りまで下ろしている。実年齢よりも若く見え、女子大生っぽさもまだ感じられる。そんな小柄美人な彼女はいつも通り出席を取り、諸連絡を伝えた。そのあと八時四〇分から始まる一時限目。このクラスでは今日は英語の授業が組まれてあるため引き続き彼女が受け持つ。

授業開始後すぐに、

「では、この間の確認テストを返しまーす」

 酒本先生は教卓から見て右側、校庭側の最前列席の子にそれを配布した。

 順次回されて行き、

(うわっ、やばっ。三問しかあってない)

 自分の得点を知った高史は、沈んだ気分になった。

一時限目終了後の休み時間が始まると、

「たっかしぃ、さっきの小テスト何点やった?」

光哉はすぐさま高史の席に駆け寄ってきてからんでくる。

「三点だった。前習ったとこ全然理解出来てなかったみたいだ。分かったつもりだったんだけどなぁ」

 高史は苦笑顔で伝える。このテストは一〇点満点だ。

「ええやん。俺なんか0やで。全部埋めてんけど。俺、このままじゃ期末も英語赤点確実だぜ。期末は本気出さんと。一週間前からネットとアニメとラノベ封印して」

「砂金君、きみは中間の前も同じことを言っていたよね?」

 二人の会話に、高史のすぐ後ろの席にいた男子生徒も割り込んできた。

「そうだっけ? それよりすすむぅ、また学年トップ、七九七も取りやがって」

「ボク、八〇〇点満点を狙っていたのですが、現国で文法問題を一問落としちゃいましたよ。トホホ」

進という子だった。彼はしょんぼりとした声で答える。光哉にとって進は、高史と同じ文芸部仲間なのだ。

「それで不満そうにするなよ。進は相変わらずの天才振りだな」

 高史は感心していた。同じ幼稚園&小学校&中学校出身のため、進のことは昔からよく知っている。つまり碧も彼の古い顔馴染みというわけだ。

「俺らとは次元が違い過ぎるぜ。すすむ、灘高にも行けてたんじゃねえの?」

「いやいや、さすがに灘はボクの学力程度では絶対無理だよん。というかボク、大学は京大理学部を目指してるんだけど、それまでの過程において、有名私立中高に行く必要はないのでは、と考えてるからね。中学受験も一切しなかったよん」

「それで高校俺らと同じ公立に来たってわけなんか?」

「イエス。ボクんちから一番近いので通学の手間も最小限に省けるしぃ」

 光哉の質問に、進はラノベを読みながら淡々と答えていく。

「俺もすすむみたいな天才的頭脳が欲しいぜ。吸収っ!」

 光哉は進の頭を両サイドから強く押さえ付けた。

「あべべべ、砂金君、痛いので止めてくれたまえぇぇぇぇ」

 進は首を振り子のようにブンブン動かし抵抗する。

「期末では、どれか一科目だけでも勝ってみせるぜ」

 そう宣言し、光哉は手を離してあげた。

進のフルネームは徳森進とくもり すすむ。公立中学入学時から今に至るまで定期テスト、実力テスト総合得点でトップを取り続けている秀才君である。なぜ公立中学に? と同級生や先生方に不思議がられた回数は多数らしい。坊っちゃん刈り、四角い眼鏡、丸っこい顔。まさにがり勉くんという風貌である。身長は一五七センチと高一男子にしては低く、背の順に並ぶ機会は高校入学以降無いが、おそらくクラスの男子二三名いる中で一番前だろうと目算で思われる。

高史も一六四センチとやや小柄だ。光哉は一六九センチでほぼ標準的である。

「進くん、すごいねぇ。また学年トップ」

 碧もこの三人の側へぴょこぴょこ歩み寄って来た。

「いっ、いえ。それほどでもぉ……」

 進は俯き加減になり、謙遜する。彼も光哉と同じく、物心ついた頃から三次元の女の子を苦手としているのだ。そのためか彼の趣味も光哉や高史と共通するものが多くある。

「今思えば、中学の頃の定期テストは楽勝だったなぁ。一夜漬けでやっても八割楽に超えれてたから」

「俺も中学の頃は全教科七割以上は取れてたぜ」

「瀬戸山君、砂金君、これからは一夜漬けでは通用しなくなるよん」

 残念そうに話し合う高史と光哉に、進は笑顔で警告する。

事実、高史は高校に入学した頃までは、進や碧ほどではないが成績優秀な方だった。中学時代は校内テストで総合得点学年順位二三〇人くらいいた中で、二〇番台前半から悪くても三〇番台前半を行き来。高校の入学式翌日に行われた新入生テストでも総合三二位と、周りの学力レベルが高くなったとはいえ、学年順位上位一割くらいの地位に留まれていた。ところが次に行われた中間テストでは五〇番台に。それから約一ヵ月半後に行われた期末テストでは、なんと百位を下回るまでになってしまった。夏休み明けに行われた課題テストではさらに順位を落とし、一三五位に。二学期中間テストでは先に記したとおり一四八位となりワースト記録を更新。高史という名前に反して低くなる一方だ。

どうしてこうなってしまったのか? その原因は……もはや説明するまでも無く推測出来るであろう。

 夙英高校では、高史が二年次以降進もうとしている理系クラスは特別進学クラスとなっており、東大・京大をはじめとする難関国公立大理系学部への進学にも対応出来るカリキュラムが組まれる。そのため現在一年生全員が履修している数学IAと化学基礎は学内定期テストで九割以上、その他の科目についても八割以上を当たり前のように取れるくらいじゃないと、理系クラスのハイレベルな授業についていくのが困難だという。ゆえに理系希望者は学内成績上位層であることが望ましいとされている。二クラス設けられ定員は八〇名であることから希望者数超過なら、成績不振者は当然足切りを食らってしまい強制的に文系クラスの方へ回されるのだ。

「そういや進って、塾には通ってないんだよね?」

「うん。ボク、塾なんて生まれてこの方一度も通ったことないよーん」

 高史の質問に、進はさらっと答える。

「えっ! 塾行かずになんでそんなに成績良いんだよ?」

 光哉は驚き顔で尋ねた。

「ボク、幼稚園の頃から進○ゼミや○会などの通信教育で学んでいるのだ」

「そういうことかぁ、納得」

「わたしも塾へは行かずに、小学校の頃から通信教育で勉強してるよ。シールを貯めたら景品が貰えるのが嬉しいよね。すごくやりがいがあったよ」

 碧は嬉しそうに伝える。

「通信教育はじつに素晴らしいものだよん。さらに添削指導もしてくれるし。きみたちも今現在未受講ならやってみないかい?」

「高史くん、あの塾だったら、通信教育で勉強した方が絶対いいよ。精神的に」

 進と碧は勧めてみた。

「通信教育ねぇ。僕も小・中学生の頃、進○ゼミ取ってたっていうか、母さんに取らされてたけど、途中から教材ほったらかしだったよ」

「俺もやってた。あれはすぐに飽きるし、全く意味無かったぜ。景品も特に欲しいなっていうのが無かったし」

「それは勿体ないよん。有効に活用しなきゃ」

 笑いながら語る高史と光哉に、進は困惑顔で忠告してあげた。

       □

「それじゃ、高史くん。またね」

「うん、さようなら」

 帰りのホームルーム終了後、図書部に入っているが今日は活動の無い碧は、そのまま同じ部活の同性友達と下校する。

高史と光哉、そして進の三人は週一回木曜日だけ活動している文芸部の部室、情報処理実習室へと向かった。そこには最新式に近いデスクトップパソコンが四〇台ほど設置されてある。文芸部の主な活動は漫画、小説の創作活動。パソコンを使って作業をすることが多いためここを部室として使っているのだ。

ところがこの三人は、パソコンでアニメ鑑賞などをしていることがほとんどである。顧問はいるものの、放任状態となっているため特に咎められることはないという。二十数名いる他の部員達もゲームで遊んだり、某巨大ネット掲示板を眺めていたりと本来の活動内容とは全然違ったことをしている者は多い。真面目に活動している者は少数派なのだ。

三人は椅子を寄せ合い、近くに固まるようにして座った。高史が電源ボタンを入れ、彼のパスワードでパソコンを起動させる。

「さっそく昨日放送されたやつ見ようぜ」

 光哉は録画した深夜アニメ番組が焼かれてあるブルーレイディスクを通学鞄から取り出し、投入口に入れて再生する。

「わーお、いきなりヒロインのシャワーシーンですか。なぞの白い靄が邪魔ですが萌えますね」

 開始十秒後、進の表情が綻ぶ。

「光哉、進。この間母さんに突っ込まれたんたけど、現実世界にはアニメに出てくるような髪の色した女の子って、まずいないよな?」

「確かに、あんなピンクとか水色とか緑とかでうちの学校来たら、生徒指導部長から門前払いされてスプレーで無理やり黒に染められるな。女でも容赦しないぜ、あいつは」

「ボクにとっては、アメリカのお菓子のようにカラフルな髪も萌え要素の一つだよん」

「こんな色設定なのは、キャラの見分けを付けやすくするためなんだろうな」

「俺もそう思うぜ。まあ俺は、髪の色が皆同じでも全員見分けられる自信はあるけどな」

 高画質かつ高音質で流れてくる映像を眺めながら、三人は楽しそうにお喋りし合う。

 一話見終えた後。

「あのさ、僕今、通信教育をまたやってみようかなぁって考えてるんだけど」

 高史はこんな悩みを打ち明けた。

「その方がいいんじゃねえ? 烈學館に行かされるんなら」

「ぜひそうしたまえ。玉木さんも言っていた通り、塾なんかへ行くより、通信教材で勉強した方が絶対効率いいと思うよ。ボクも」

 光哉と進はこうアドバイスしてくれる。

「でも僕、小学校の頃、教材ほったらかしにした前科があるから、母さんに絶対反対されると思う」

「そこはたかしの説得力が試されるな」

 光哉は大きく笑う。

「うーむ、そこですね、一番の関門は」

 進はメガネを手でつまみながら呟いた。

「通信教育をもし認めてくれたとしても、進○ゼミみたいなごく普通のやつじゃ、続けていく自信は無いなぁ。前の二の舞になりそう」

「それなら、萌えキャラのイラスト入りの英語や化学などの参考書を使ってみたらどうでしょうか?」

 進は得意げな表情で勧める。

「それ系の参考書、本屋さんで結構見かけるけど、それで勉強するから塾には行かないって母さんを説得するのはもっと難しいと思うな」

 高史は苦笑いした。

「あれ、俺英語のを買ってみたけど全然効果なかったぜ。萌えキャラが解説してくれても英語がすっと頭に入って来ることなんてのはねえぞ」

 光哉はきっぱりと言う。

「そっか。やっぱ、塾に行くしかないよなぁ」

 高史はため息をついた。

「瀬戸山君が強制入塾されそうになってる烈學館っていう進学塾、昔は体罰ありのスパルタ教育だったけど、今はだいぶマシになってるらしいよ。この塾に通ってる子のツイッターによると。今日はちょうど駅に寄るし、外観だけでも見に行ってみないかい?」

「そうだなぁ。一応見ておいた方がいいな。光哉はどうする?」

「もちろん行くぜ。どんな感じの塾なのかめっちゃ気になるからな」

 進の誘いに高史はとりあえず、光哉は快く乗る。

この三人は月に二、三回程度、学校帰りに電車に乗って県庁所在地神戸の中心地、三宮へ遊びに行くことが今年五月からの習慣となっている。主にアニメや声優のCD、マニアックな月刊誌が発売される日だ。

これも部活動の一環なのだと三人は勝手に決め付けている。

 三人は四時半過ぎに学校を出て、自転車で最寄りのJR駅近くへやって来た。普段利用する道から一本隔てた通りに、烈學館はあった。三人は興味本位でその建物の側に近寄ってみる。

 四階建てで、東大本郷キャンパス安田講堂を髣髴とさせる赤茶色の煉瓦造り。周囲の建物と比較して威圧感があった。中学受験、高校受験、大学受験全てに対応している、わりと大きめの進学塾で少人数制、習熟度別クラス、熱血指導が謳い文句らしい。

入口横には東大○○名、京大○○名、灘○○名、東大寺学園○○名、星光学院○○名、洛南○○名などなど、名門校の合格実績が書かれた看板も目に付く。

「いいかあっ! おまえらぁぁぁーっ。これからの時代、旧帝一工早慶入らなっ、就職戦線でスタート地点にも立たせてもらえへんぞぉーっ!」「遅いぞ、ベクトルのこんな基礎問題くらいもっとパッパッパッと解けぇ!」「なんでコサイン4分のπがマイナス1やねん? お前の頭は豆腐か?」「ぅおーい、なんでこんな簡単な問題間違うねん? おまえこんなんじゃ灘どころか甲陽にも受からへんぞぉっ」「そこぉ! ぺちゃくちゃおしゃべりするんやったら出て行けーっ!」

 建物内からは、こんな講師達の忠告や怒声が三人の耳元に飛び込んできた。

 その声とともに、パシーッン! と竹刀で床や机を思いっきり叩いていると思われる音も。教室の窓が開かれていたこともあり、より一層聞こえやすくなっていたのだ。

「たっ、たかし、すすむ、外からでも、雰囲気が伝わってくるな」

「うん、めちゃくちゃ怖いよ。僕、こんな所に週五も通わされるのか……」

「びっくりしたなぁもう。さすが熱血指導だけはあるね」

 三人は怯えながらその建物の前を通り過ぎて行く。

 その途中、

「きみら、入塾希望者か? 自由に見学していいぞ。ただし私語は厳禁やっ!」

 おそらくこの塾の講師であろうお方が窓から三人を見下ろして来た。

 切磋琢磨と太い字で書かれたハチマキを締め、ベートーヴェンの肖像画風な険しい表情をしておられた。

「いっ、いえいえ」

「ぼっ、僕、違います」

「ひえええええ。ボク、塾での教育なんかには興味ありませんですぅ」

三人は慌ててペダルを漕ぎ、烈學館から二百メートルほど進んだ所にある駅の自転車置き場へ。構内に入るとさっそく切符を買い、改札を抜けてホームへ上がり、ほどなくしてやって来た電車に乗り込んだ。

三ノ宮駅で降りた三人は人ごみを掻き分け南口を出て、センター街へと向かう。そしてお目当てのアニメグッズ専門店へ立ち寄った。

 発売中または近日発売予定のアニメソングBGMなどが流れる、賑やかな店内。

 彼らと同い年くらいの子達が他にも大勢いた。

「あっ! これ、サ○テレビで今放送中のやつだ。ブルーレイのCM流してる」

 高史は店内設置の小型テレビに目を留めた。

「俺、このアニメのブルーレイめっちゃ集めたい。でも三話収録で八千とかじゃ手が出んわ」

「ボク達高校生にとっては高過ぎるよね」

「同意。俺、このフィグマもめっちゃ欲しい。けど二五〇〇円もするんか。やっぱ高いなぁ。これ買ったら今月分の小遣いすっからかんや」

光哉は商品の箱を手に取り、全方向からじっくり観察する。

「買おう!」

 魅力にあっさり負け、購入することに決めた。

「光哉、やるなぁ。僕も欲しいグッズがあるんだ。あのクリアファイル」

「二人とも、衝動買いは程ほどにね」

 進は忠告しておく。

 高史と光哉は当初買う予定の無かった商品もカゴに入れ、レジに持っていった。

「六三五〇円になります」

 店員さんから申される。

 代金は三人で出し合った。ポイントカードも差し出す。この三人は度々このお店を利用する常連客なのだ。

 雑誌類やアニメグッズの詰められたレジ袋を通学カバンに詰め、三人が意気揚々と店から出たその時、

「おまえらなんでここにおるねん! これ何やっ? 娯楽施設寄るなって烈學館の塾規則に書かれとったやろうがぁっ。字読めんのか! こういうくだらん店立ち寄るなって入塾式で言ったこと、覚えてないんかい?」

 出入口から十数メートル先の通路で、上背一四〇センチもないであろう小学生っぽい女の子二人組が、三人を見下ろしてきた烈學館の講師と同じ字が書かれた鉢巻を締めた、一八〇センチは超えていると思われる四〇歳くらいの、金剛力士像のような厳つい表情をしたおっさんに大声で厳しく叱責されているのを目撃した。

 女の子二人組はしくしくすすり泣きしていた。

「ひぃぃぃぃぃ。今、ボクの目には、あのお方に角が生えてるのが見えましたよん」

「……塾外でも、監視されとったんか。十キロ以上は離れとるのに。あの三次元女共、トラウマ物やな」

「講師も、すごい迫力だね。これは……やばいよ」

 三人はその光景をちらりと見て、唖然とした。

「たかしぃ、大ピンチだな」

 光哉は苦笑する。

「僕、帰ったら母さんに通信教育で勉強したいってしつこく説得してみるよ。なんとしてでも列學館行き回避しなくちゃ。あんなアウシュビッツみたいな厳しい塾入れられたら堪らないよ」

「瀬戸山君、頑張って下さいませ。健闘を祈ります」

 進はきりっとした表情でエールを送ってあげた。


 夜六時半頃。

「母さん、話があるんだ」

 高史が帰宅しリビングに足を踏み入れると、さっそく母に話しかけてみた。

「なあに?」

 母は素の表情で訊いてくる。

「母さん、その、塾へ行かなくても……通信教育で、いいんじゃないかなぁっと」

 高史は恐る恐る希望を伝えてみる。

「通信教育ってあんた、小学校の頃に進○ゼミ取ってあげたけど、結局放り出して埃まみれにしたじゃない。今度も長続きしないに決まってるわ」

 予想通りの反応をされた。

「今度は違うんだ! 僕、中間テストの結果を見て、このままの成績じゃいけないってことがよーく分かったんだ。今度こそ僕、絶対やる気になれるから。通信教育、やらせてくれ、母さん、お願い!」

 高史は土下座姿勢になり、懇願する。

「うーん、あんたがそこまで言うのなら……」

 母が苦笑顔でこう呟くと、

(よぉし、いいぞ)

高史の口元がにやける。

「お父さんに相談してからね」

 母は続けてこう告げた。

「そんなっ」

 瞬間、高史はがっかりした表情を浮かべた。

 すぐにOKというわけには行かなかった。

「ただいまー」

 それから二〇分ほど後、高史の父が帰って来た。彼の職業は、私立中高一貫校の教師だ。ちなみに担当教科は理科。その中でも特に物理を中心に教えている。

「お父さん、高史がね、通信教育をまたやりたいって言うのよ」

 母はキッチンへやって来た夫に、やや困惑顔で伝えた。

「そっか。まあ、塾に行けば成績が上がるという保証はないからね。しかも烈學館だろ。そこって相当厳しい塾らしいし、高史みたいな性格の子じゃ、やっていけないんじゃないか?」

「そう思うだろ? 父さん。それに、通信教育の方が安いよ」

 高史は父の目を見つめながら問いかけた。

「確かにそうだな。高史が塾に行って成績が上がらなかった損失と、通信教育を利用して上がらなかった損失とを考慮すると、通信教材の方がいいな」

 父はほんわかとした表情で意見する。

「お父さん」

 母は困惑した。彼女は当然、高史を塾へ行かせたいと思っているからだ。

「やったぁ!」

 嬉しさのあまり、高史はガッツポーズを取った。

 しかし次の瞬間、

「やっぱりよくないわ!」

 母はこう強く主張した。

「えっ、なっ、なんで?」

 予想外の展開に、高史の顔がこわばった。

「だって、信用出来ないもの。高史は塾に行かせるべきよ。お父さんも、それでいいですね?」

「うっ、うん」

 父は気弱に返事する。

 結局は母の一存だった。

瀬戸山家は、かかあ天下なのだ。


「光哉ぁ、母さんをうまく説得出来なかったよ。烈學館行き決定だ」

『ありゃぁ、そりゃやべえな』

 夕食後、自室に戻った高史はさっそく携帯電話で光哉にしょんぼりとした声で報告した。

『残念でしたね。ボクとしても不安な限りです』

続いて進に、

『残念だったね、高史くん。塾で嫌なことがあったらなんでもわたしに相談してね。辞めたくなったらわたしも一緒におば様に交渉してあげるからね』

 そして碧にも、部活中からの経緯を伝えておいた。碧はとても心配してくれた。


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