第二章「用意周到にもほどがある」
第二章「用意周到にもほどがある」
夕方まで事情を聞いて、そのまま帰宅することとなった。
退院は驚くほどスムーズに行ったし、体に異常はなさそうだ。
ただ、気は重かった。
「で、なんでお前がついてきてるんだ」
自分の後ろに黒ずくめの悪い眼鏡の男が一人、通称悪眼鏡と呼ぼう。
「はっはっは、私がこうしている間に襲われたら一体誰が守ると言うのだ。戦争は既に始まっているのだよ」
彼の話しだと『戦争』は既に2週間ほど前から始まっていたらしい。この悪眼鏡は準備を含めて1ヶ月ほど方々を駆け回っていたのだと言う。
まだ表向きに大きな事件は起きていないらしい。まだ皆、様子見の段階であるだろうし、なにより戦争は目立たないように行われるのが基本らしい。
家の前に着く。ふと気になって隣の家に目をやる。小鳥遊美月ちゃんの住む家だ。昼間『ユウキちゃん』と呼ばれたのは記憶操作のせいだろう。女性同士だとそう呼ぶようだ。
そんな事を考えていると、悪眼鏡の奴は堂々と自宅の鍵を取り出してドアを開けた。
「……って、何やってるんだこの悪眼鏡! むしろどっから出したそれ!」
「こんなこともあろうかと思って先日作っておいた。まぁ上がりたまえ、君の家だが」
悪眼鏡は靴を脱ぎずかずかと家に上がる。当然だが家には両親と妹がいる。どう言い訳すれば良いというのか思い悩む。
だが、その考えは余計だった。というか、この悪眼鏡を甘く見ていた。それはこの悪眼鏡が、マジモノの悪魔だということを証明するに足る環境だった。
「ハル、おかえり、お迎えご苦労様。ユウキちゃんもおかえりなさい。トラックに轢かれたって聞いたときはびっくりしたけど、本当に何もなくてよかったわぁ」
やたら間延びした声で話しかけてきたのはボクの母親である。日野原椿――普通の人間よりゆっくり生きているせいか普通の人間より老化が遅いのが特徴だ。
それが、如何にもこの悪眼鏡が家族のように迎えている。
「ユウキ姉帰ってきたの!? おかえりー! あ、ハル兄もおかえりー」
バタバタと走ってくるのは妹の日野原ちの。母親とは似ずに高速回転で生きている。いつもパタパタ走っているので二つに分けた髪が常に揺れていて、小動物を連想される。しかし、彼女について解説するよりボクはセリフの内容について言及したい。ボクが姉なのは百歩譲っても、兄って何だ兄って。
「ちょっと待って、こいつと話しがあるんで部屋に行ってくる」
二人を手で制しながら、二階へ向かう階段を登る、片手に悪眼鏡を引きずって。
部屋に入る宅急便らしき大型のダンボール箱が複数追加されている以外は、いつもの部屋だった。悪眼鏡を放り投げつつ一言。
「一体全体どういう事なんだ? ええ?」
悪眼鏡は悪びれなく両手を広げて自慢気に答える。
「別に何ら特別なことじゃない。私は記憶操作の魔法が得意で、周囲の記憶を改変したといっただろう? 当然君は女として受け入れられ……」
如何にもそれが当然のように言っているが問題はそこじゃない。
「そこじゃなく、なんで、おまえが、おれの、兄に、なってるんだ」
ごく普通に家族扱いされていた悪眼鏡に一言ずつ言葉を切りながら、その言葉と一緒にぎりぎりと悪眼鏡の関節を軋ませていく。
「待った待った! 当然ながら私にも潜伏場所が必要だ、できるだけ近くにいたほうが何かと便利だろうが!!」
「成程、それは当然の言い分だ。だけどそれなら、透明化したり変な動物になったりするだろうが漫画とかなら普通。そういう魔法でも使えばいいだろう」
とりあえず、関節を外すのはやめておく。手加減間違えると本当に外しそうだし。
「確かにそういう魔法は存在するし、そういう潜伏方法を取っている魔人も実際にはいるだろうな。なるほどたしかにそれは正しい言い分だ……だが」
悪眼鏡は痛めた関節を鳴らしてから、大きく胸を張り。
「私は記憶操作の魔法は得意だが、それ以外の魔法は一切使えん」
一瞬窓から投げ捨ててやろうかと思った。こいつ。
「それから君の部屋はここじゃない。女が男の部屋を使ってはおかしいだろう。一応荷物はそれなりに移動させているから不便はないはずだ。あちらの部屋を使ってくれ」
指差すほうを見ると開けっ放しのドアから見える隣の部屋には『ゆうき』のドアプレート。というか、ドアプレートまで丁寧に変わっている。しかもちょっと可愛い感じなのがむかつくところである。
開けてみたら、そこは割とシンプルな部屋だった。
「それなりに気が効いているだろう。必要なものはだいたい揃えてある。不足があったら言ってくれ、問題ない、金はたんまり持っている」
「そうだな、ここで気を利かせ過ぎてピンクの部屋にフリルの装飾付きだったら、今頃お前の顎骨を砕いてたところだった。しかし急造でよくこんな部屋まで作れたもんだな、そういう魔法は使えないんだろ?」
「洋の匠が一日でやってくれました。私の手際の良さに感謝しろ」
「しない、むしろ呪う」
もうその金はどこから捻出したのとか突っ込む気がしない。とりあえずその辺のタンスを開けてみる。見事に小さく畳まれた白赤黒柄の群れ達。シンプルなものから『勝負』と名前がつきそうなものまで、要するにパンティだった。嫌な予感がしてクローゼットを勢い良く開ける、そこにはピンクとフリルの共演に何処で着るのか分からない、謎の服飾の数々、というかクローゼットにウェディングドレスまで吊ってあるって何だ。
「わるめがねぇえええええええ!!」
瞬殺しておいた。
「帰ってくるなり元気ねぇ」
「ちの的にはユウキ姉がハル兄ばっかり構っててつまんない」