第一章「肩のひとつくらいは」
第一章「肩のひとつくらいは」
「終わってたまるかぁっ!?」
ベッドから飛び起きる。アレ?ボクは何の夢を見ていたんだっけ――
目を開けるとベッドの上、見慣れない天井にしばし戸惑う。
体を起こし見渡すと、そこは病室だった。
十二時を少し回っているぐらいと掛け時計が告げていた。
ぼうっとしていると部屋に看護婦と医者が入ってくる。
訳がわからないまま医者から説明を聞くと、居眠り運転のトラックに轢かれたらしい。
二日ほど意識が無かったそうだが、奇跡的に身体に異常は無いそうで今夜にでも退院できると言われた。
少し違和感を覚えながらも、なにか大事なことがあったような気がして、頭を振る。
「ユウキちゃん」
ドアのほうから声をかけられる。見るとそこには、見知った女の子が心配そうな表情で立っていた。
小鳥遊美月、ずっとずっと前から一緒だった女の子だ。
幼なじみ、家も隣、当然ながら一緒に育ってきた。
意識し始めたのはいつからだっただろうか、自然を装いながら距離をはかる日々。距離を近づけすぎると拒絶されるのでは、と思い悩んでいる季節もあった。
正直、中学の頃は距離を離し過ぎていたこともあったかも知れない。
小学生の頃に喧嘩に負けて通いだした合気道の道場。中学校の頃はそこに入り浸っていたので美月ちゃんと殆ど過ごした記憶はない。
だけど、ある事件を境に自分から距離を縮めなければと思い立ったのがつい先日の話のことだった。昨年の、冬のことである。
自分の手が届かなかったばっかりに美月ちゃんに怪我を負わせてしまった。
だから、近づかなきゃ。手を握って置ける距離にいなければ、と思ったんだ。
だけど、あの事件から距離は遠ざかるだろうなぁ、と半ば諦めていたのだが、今日やっと。
「何か、忘れているような……」
どうしても違和感が取り除けない、いくつもの事柄をまとめて忘れているような感触。――まるで脳みその中から無理矢理引っ張り出されたような気がした。
「ユウキちゃん、トラックに轢かれたって聞いたけど。……大丈夫とはお兄さんに聞いたけど、どこも怪我してないの?」
手には花束を持っている、どうやらお見舞いに来てくれたようだった。
……はて、お兄さんって誰だろう。
「ああ、うん。怪我もないし今夜にも退院できるってお医者さんは言ってた」
ボクが言うと、美月ちゃんは「良かった」と答えてくれた。
「じゃあ、花束せっかく持ってきたのに無駄になっちゃったかな。それにしてもトラックに轢かれて無傷って言うのもすごいね、普段から鍛えてるから? こう、受身でバーンって」
それに対しては苦笑いをしながら答える。
「さすがにそりゃあ無理だなぁ、多分運が良かったんだと思うよ。ありがとう、美月ちゃん。花束は家に飾ることにするよ」
あれだけ猛スピードのトラックに轢かれたというのに不思議なものだ。たしかに身体は鍛えている。リンゴを握り潰せるから一般高校生の基準は超えていると思うけど、それにしても無傷は出来過ぎだ。まぁもっとも、二日ほど昏睡してたようだけど……二日?
「っってぇっ!? 今日何曜日!?」
ベッド横の台に花を置いていた美月ちゃんが飛び跳ねる。彼女は苦笑いをしながら。
「……日曜」
頭を抱える。ついさっき(認識で)まで浮かれていたのが馬鹿すぎる。まさか速攻事故で時間が飛ぶなんて考えもしなかった。無傷で運は良いんだろうけど運は悪すぎた。
「ま、まぁ、映画のチケットは期限あるし。退院もすぐだし、また今度行けばいいよ次の日曜でもいいし、ね、ユウキちゃん」
「それもそうだけど、……あれ、でも、映画のチケットはあの時手に持ってたから……」
想定する限り、どう考えても無事とは思えない。
また頭を抱える。
「ど、どんまいっ……!」
言うと、美月ちゃんはボクの頭の上にそっと手を乗せて。
「うん、正直誘ってくれただけで嬉しかった。なんか、久しぶりな感じがして」
そう、優しい声で言うと、ぱたぱたと病室を出て行く。
「あ、あの……!」
思わず声をかける。
「ユウキちゃん! また学校でね」
手をひらひらさせて満面の笑みを見せられる、それだけで言葉は出なくなった。
「あ……! うん!」
――思い出すのは、桜並木。
あの道は本当に綺麗だったので、春の頃はよく遠回りしてでも歩いていたものだ。
中学校1年の春。
彼女はボクの前を歩いていた、そして振り返って。
「ユウキくんは私のこと――好き?」
と、唐突に尋ねてきた。その時ボクはうろたえてしまって。
いや、恥ずかしさと単なる意地から。
「い、いや、普通だよ、普通の友達」
と答えたんだ。
でも彼女はその答えに微笑を浮かべて。
「そう、……私は、ユウキくんのことが好きだよ」
その時からだった、彼女を異性として、特別に見てしまっていたのは。
「……はぁーっ」
それから十分後ボクはため息を吐いていた。
――なんて臆病なんだろう、と。
どうしてもこの距離から一歩が踏み出せない。今の距離が心地良すぎるせいだと思う。でも、その距離で満足してしまっていてはだめなんだと思う。
彼女はもうボクの方まで寄ってくれている、距離を作ってるのはボクなんだ。彼女がまだあの時の気持ちのままなら、ボクの方からたった一言言うだけで。
「――だけど、その一歩を踏み出せない、怖いんだ、ボクは」
「だけどその一言がなければ、両思いには永遠にはなれない。か、青春だねぇ」
唐突に男の声が割り込んでくる。
ふと見ると、そこには黒ずくめで眼鏡の男が一人立っている。明らかに医者では無さそうだ、だけどボクの知る限りこんな知り合いは一人もいない。
眼鏡をかけた長髪の男は、何となくカラスをイメージさせる人物だった。いや、カラスよりもっとひねくれた、そう、黒い鳩のような気がする。
彼は、ドアの方から硬い革靴でリノリウムの床を叩きながらこちらに近づく。
「すまないが説明に余り時間はかけたくないんだ、単刀直入に言わせてもらうよ」
男は、ボクの方に近寄ると、見下ろしながら言い放った。
「君には、私の魔法少女になってもらう」
「………………え?」
時間が止まった。
今明らかに聞きなれない単語が混じってたような気がする。
「やっぱり一から説明しないと駄目か。正直面倒だが、記憶操作をして変な矛盾が生じると今後に影響するから仕方がない」
諦めたようにため息をつき。男は咳払いをすると、その辺の丸椅子に腰をかけた。
「まず、君の記憶と周辺の知識による齟齬を直しておこう、最初に君はトラックに轢かれてはいない。そもそも君の記憶だとあのトラックに人は乗っていたか?」
そうだ、確かに記憶によれば、ボクはトラックを見たけど、そこに人は乗っていなかった。
でも、トラックが猛スピードで突っ込んできていたのも確かだ。あの距離からでは避けれなかったというのも頷ける。だからボクはトラックに轢かれたものだとばかり思っていたけど、もし轢かれていないとすれば無傷も頷ける。
「その状況は私が何とかした、命の恩人とかそんな事は気にしてくれなくても結構だ。私の方から君に頼みごとがあるからね、フィフティフィフティと思ってくれれば良い。その後、君にはちょっと眠って貰った。儀式には時間が必要だったので、これは仕方ないと思ってくれ。デートの件については申し訳ないことをした……が、もう必要あるまい。必要なら映画のチケットの方はこちらで補填しよう」
彼は淡々と話すが、こちらは単語の整理が付いてこない。
「次に君の現状だが、君は『少女』になっている。こちらの都合だ、いずれ戻す準備はあるので勘弁してもらいたい」
混乱した頭に更に突っ込まれる。情報がおかしい、誰が少女だって?
「あー、解りにくかったかね? 女性体、つまり女になっているということだ。疑うならその目で確認してみるといい、君が気になると言うなら後ろを向いていよう」
ああ、たしかに目で確認したほうが早い。
って、いやまさか、そんな。
結論から言えばズボンの中には付いてるべきものが『なかった』
いや別のモノが付いてるといえば付いているのだが、ちょっと落ち着こう。ついでに言えばあまり大きくはないが胸に膨らみがあった。
うん、コレが落ち着いていられるか。
「って、ええええええええええええっ!?」
「半裸で叫ぶのはどうかと思うが? 因みに私は見ていないから安心してくれ」
慌てて乱れた着衣を戻す、いやそんな場合じゃないがそんな場合か!?
「ちょ、ちょっと待ってくれ、ボクの記憶が正しければボクはたしかに男だったはず!」
「記憶なんてものは泡沫の様なものだ。等と感想を漏らしつつ逃げることも可能だが、それはしないでおこう。うん、君は確かに君は生物学的に男性体だったのだが、こちらの都合で女性体になってもらった。戻す手段はあるが今は無理なので、しばらくの間は諦めてくれ」
「いや、そもそもなんでそんな事をしたんだ!」
男はタバコを咥えるが火は着けない。一応禁煙のルールは守るようだ。
「いやね、魔法少女を探していたのだが適当な戦闘力の高い少女が見つからない。そこでこの街の悪そうな奴に片っ端から調べてみたところ、この街で最強の少年がいるそうじゃないか、最強の少女を探すより最強の少年を少女にしたほうが早いと思ってね、こういう行動を取らせてもらった――なにより」
男はため息をひとつつき
「最近となってはそもそも『乙女』が少ない。魔女になるには古来より処女でなければならないと言うのにね。そのなかで戦闘力の高い人間を選抜していたら時間がいくらあっても足りないよ。それくらいなら童貞を乙女にした方がマシだ、意味は変わらないからね」
肩を竦めた。
「いやその理屈はおかしい」
確かに、この街の不良に聞けば十中八九ボクが最強だと答えるはずだ。昨年の冬にやってしまった経験は記憶に新しい。まぁぶっちゃけると、不良のグループに街中で注意して『片付けて』行くうちに芋づる式にそのグループのトップまで倒してしまったからだ。
まったく私闘に合気道を使うなと言っていた道場の師匠に合わす顔がない。おかげでボクはその筋では有名人だ。道端で不良に挨拶されることも珍しくはない。
「だからって、人を女の子に変えるなんて……え?」
ここに来て思い当たる、こいつは一体何者なんだ。ボクはたしかに男だったはずだ、それが女の子に変わってるのはなんだ? それからこいつがさっきから言っている意味不明な言葉はなんなんだ? 何もかもが不明だ、まるでボクは『普通』から道を一歩踏み外してしまったようなそんな感じがする。
「ああ、その質問には自己紹介を以て答えよう」
彼は立ち上がり恭しく礼をする。
「始めまして、日野原ユウキ君。私は、魔人ハルファスという」
どうやら、ボクは本当に『普通』とは縁遠い世界に来てしまったようである。
「は、はるふぁす?」
ハルファスと名乗った男は、悠々とボクの目の前に歩み寄る。
「そうだ、魔界より来た魔人の一人で『継承戦争』に加担している。目的はその戦争での勝利だ。もっとも戦争と言っても、それなりのルールに則ったものだから安心して欲しい。と言っても命は取られるときは取られるし、別に安心できたものでもないか」
混乱の処理は追いつかない、というよりどんどん情報量が増えてきている気がする。
「魔界の魔王の一人がな、あまりにも弱い自分の息子に手を焼いて、自分の領地を戦争に賭けたのだ。その戦争の場所に選ばれたのが人間界のこの都市……つまりは音瀬市。それで、この音瀬市で始まる戦争に勝ち残ってもらいたいわけだ、君には」
「は、はぁ……」
ただ返事をする。もはや理解することは諦め始めていた。ハルファスは更に言葉を続ける。
「だが私は他の魔人と比べるとあまりにも弱い。このままでは戦って勝ち抜くなど不可能だ。そこで私は、戦争のルールの一つである『一体までなら使い魔の使用を許す』という点に着目した。他の連中にとっては、便利な騎乗物や偵察用程度にしか使われない使い魔だが。余り知られていないが使い魔の一つである、魔法少女、即ち魔女は実はかなり強力な手札だ。だが魔女は原則として処女でなければならないのでな、そこで君という訳だ。君には私の魔法少女となってこの戦争で私の代理に戦って欲しい」
要するに代わりに喧嘩をしてくれという話である。うん? でもよく考えると。
「質問、ボクがその魔法少女とやらになって戦わないといけない理由は?」
「もちろん、私がとてつもなく弱いからだ。正直その辺の小学生に負ける自信がある」
それはすごい自信だ。
「ところで、その魔王の息子って言うのは?」
先程からの情報を一つずつ噛み砕きながら質問をしていく。
「当然私だな。因みに主催者の息子としてルールと開催場所を決める権限を貰った」
うん、なんかやっぱり変なところがある。彼の言い分は無茶一辺倒だが、そのなかでも特におかしなことがあるのだ。何しろ、ルールが作ったのも彼ならば。
「なら、音瀬市をその戦争の場所に選んだのは?」
「無論、私だ」
「理由は?」
「なんとなく?」
…………
「九十九%お前が悪いんじゃねぇかっ!?」
「やめろ! そこで手首だけ捻るのはやめろ、折れる折れる!!」
あ、ほんとにクソ弱い、こいつ。
「折られたくなかったらボクを戻せ、今すぐにだ」
「はっはっは、我ながら無様だがその脅しに屈しようにも不可能だな」
更にギリギリと捻ってみる。
「ギブ! ギブギブ!! 今は戻せないだけだから!! 話せば分かる!」
とりあえず手放すと、捻った手首に息を吹きかけながらハルファスは答える。
「実は君に使った性転換用の魔装は使いきりでな、換えがない」
「おい」
拳を握り締めて振りかぶった自分を慌てて手で制しながら続ける。
「大丈夫だ、うちの宝物庫にはまだ同じものがある。それを持ってくれば大丈夫だ」
「それならさっさと持ってくればいいじゃないか」
「それは無理だな、私は負けるか勝つまで魔界には戻れない。そして負けた私に宝物庫を開けてくれるほど親父殿は心広くはあるまい」
つまりは、その継承戦争とやらに勝たない限りは元に戻れない……?
「ちょっと待った。それはボクに得体の知れないその魔人とやら全てと戦って勝てということなのか」
「安心してくれ。その召喚獣やゴーレムや竜なんかもいるだろうから、対戦相手のバリエーションには……あいたたたた!? 待った! 小指だけ捻るのはやめろ! もげる!! もげるっ!」
しばしの間、悲鳴をお楽しみください。
「はぁーはぁー……さ、さすがに私の目に狂いはなかったようだ、強い」
真っ青になりつつ汗だくの黒幕風味の男はなんか格好悪い。眼鏡もなんかずり落ちてるし。
「いや、あんたが弱すぎる」
まさに赤子の手を捻るようだった。余りにも弱いので、いじめカッコ悪いと思って手を離すことにしたのだ。
「で、その魔法少女とやらになって勝ち続けないと元には戻れないと。何で男のままじゃダメだったんだ。そっちのほうが面倒ないだろうそっちも」
余計な怨み買わずに済むし。手首とか小指とか。
「問題がある、元々魔法使いとは素養が必要な能力者なのだ。君にはその才能は無い。だから魔女になるしかない。魔女は魔人の契約さえあれば乙女なだけで十分だ」
「……断れば?」
「私がこの場を去るだけだ。なに、心配は要らない。私は記憶操作の魔法にかけては誰にも負けない自負がある。君の周辺には既に『君が女である』と言う偽の記憶を植えつけてあるから問題ないだろう。第二の人生を楽しんでくれ」
詰んでいる。これでは既にこちらにとってはすでに交渉の余地はない。交渉できないところまで追い詰められてからの脅迫である。拳銃を喉元に突きつけられたに等しい。こいつは元々そういうやり方を得意にしていると思える節さえある。
「…………」
無言で睨みつけるが、暴力を振るったところで解決しない問題であるのは明らかだ。こちらが脅迫に出たところで――たとえば本当に殺したとしても、状況はひとつも変わらない。
「嘘はついて無いんだろうな」
「ああ、ついでにいえば君の記憶は弄って無い。君の記憶に手を出して人格に影響があるとこちらも少し不利になるからな」
緊張を解くと正直どっと疲れた、ベッドにもたれかかる。
「分かった、しばらく付き合ってやる。説明を続けてくれ」
事実上の敗北宣言である。これはこいつの言い分に付き合ってやる必要がありそうだ。
「それは分かったが、なぜ私の腕を取る?」
腕を手にとってそのまま背に向かって捻るように相手の向きを変える。
「いや、肩のひとつくらい外しても話せるかなと思って」
せめてもの復讐だった。