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わが少年の日々のかがやきmy brilliant boys days(農業編)

作者: 舜風人
掲載日:2011/04/22

当時の(昭和三〇年代)四反部百姓の農業生活はどんなだったろうか?

思い出の糸を手繰りながら、どんな作物、耕作、施肥、除草、収穫、食事、献立をしていたのか振り返ってみたい。


作った作物は小麦大麦、なすキュウリ、トマトメロン、とうもろこし、ネギにたまねぎインゲンエンドウ、

陸稲、大豆、薩摩いも、ジャガイモ、黍粟稗などの雑穀、飼っていたのは鶏チャボ、はと、山羊、うさぎ

猫犬、メジロ、金魚にフナ、

庭木は小梅、グミ、スモモ、棗、イチジク、胡桃、栗、柿、お茶の木もある。茗荷、蕗も生えている。

にらも自生している、


要するに自給自足である。当時何処の農家もこんなだった。


小麦は大々的に作付けした。粉は何でも使えたし、うどん、すいとん、まんじゅう、てんぷら、たらし焼き(お好み焼きのこと)オッペシなど、重宝であったから大量に作ったものだった。

秋に作付けし冬には麦踏という作業もある。

そして6月には刈り取り。刈り取るとそこにひばりの巣があったりして、たのしかったなあ。


収穫すると穀箱という巨大な貯蔵庫に入れておく。ケヤキの一枚板で高さ1.5メートル。縦3メートル横1メートルという巨大な木の箱である。勿論原麦のままである。

必要なときはそれを持って共同加工場に持っていって引いてもらい粉にする。


共同加工場というのは村に一軒ある、農産物の加工する持込工場である。

ベルトが駆動する大きな粉挽器があり、おじさんが独りいて持っていくと加工賃を取って粉に引いてくれるのである。騒音と粉の粉末が散乱して真っ白で工場内はひどい物だった。

大麦は押し麦に加工してもらう。


米の取れない開墾地では米は買うしかない。陸稲しかできない、しかも陸稲はまずい。

で、押し麦と米を半々にして炊く、当地で言うところの、割り飯である。

私もこの割り飯しか食ったことはなかった。


さてこのうどん粉であるが、

この粉を持って、村に一軒ある製麺所に持っていくとなんと干しうどんと交換してくれるのである。

干しうどんもそういうわけで良く食べたね。


このうどんやの息子が殺人事件を起こして服役したのはそれからまもなくではあったが。


トウモロコシもいっぱい作ったね、今のように生食なんてしない。

これは勿論完熟させて保管し、必要なときに例の加工場で製粉して、もろこしまんじゅうにしたり

して食べるのである。

ぼそぼそしたまずいまんじゅうだった。うどん粉を少し混ぜると滑らかさが増してよい。


サツマイモはこれを収穫して、蒸かし、それを薄く切り、むしろに並べて乾し、ほしいもにするのである。だが出来たのは、いまどきのアンナ粉吹きの美味しそうなのではなく、硬くて石のようなものだった。それをブリキのドウコに入れて保存する。

食べるときは湯びたしにしてほとばかしてやわらかくしてから食べるという次第。

芋アンにするにはそれを砂糖と共に煮るのである。

このサツマイモであるが、傷みやすいのである。すぐ腐ってしまい黒く変色してしまう。

で、芋室いもむろに保存する。芋室とは深さ2メートルくらいの穴である。

我が家にも物置の中に掘られていた。川原石で縁取り補強された立派なものだった。

ココへサツマイモを入れておく。しかし、こんな穴であるからまた、鼠の出ること、

かじられれている、芋が一杯あったね、


ジャガイモはタダ蒸かして塩をつけて食べるというシンプルなのが一般的だったね。


キビはモチキビであり、それをもちに搗く、粘りがあり風味豊かなもちになる、お色は黄色である。


大豆は枝豆なんかでは食べない、完熟させて、蒸かし豆味噌を自家製で作るのである。

豆米小麦を蒸かして筵に広げる、さまして麹菌ヲ混ぜて筵をかぶせて発酵させる。

黄色く麹菌が増殖すればよい。

それはすり鉢ですりつぶして、ミソだまにして、カメに入れて1年以上寝かせる。

すると味噌になっている。

キュウリにつけたり、なすいためにしたり、味噌汁に、ほんとにミソは役立った。


鶏は放し飼いで庭のミミズを食ったりハコベを食ったりでエサは原則やらない。

でも卵を産んでくれるという重宝な生き物である。


山羊は雌山羊を2頭飼っていた。村に種付け用のオス山羊を飼っている農家があり、

時期が来るとそこへ連れて行って交配してもらうのである。

オス山羊の立派だったこと今も脳裏に覚えている。


さてそうして我が家の雌山羊は妊娠、餌もたくさん食う。私は篭をしょって、草取りに毎日行ったものだった。しんせんな草が一番だったのである。


ふすまの雑炊も母が飲ませた、これは油があって山羊にいいのだそうだ

山羊はずーずーとバケツから雑炊をすすすっていたっけ。

子山羊が生まれると、その出産も大変だが、難産の時は子山羊の頭を引っ張って出してやるのである。

さて子山羊が出来ると、山羊乳が出る。これを母が毎日絞り煮て消毒し冷ましてサイダービンにつめて

近所に売りに行くのである。

当時牛乳も当地にはなくて山羊乳は人気があった。

牛乳に比べると山羊乳は相当濃厚で、味も独特の癖がある。

しかし慣れたらこんなおいしい物はない。


庭には果樹がたくさんアリ、小梅の甘酸っぱい味は忘れられない。

グミはほんのりした甘さ、スモモはとにかくすっぱいが完熟するとドロ甘い。

あのスモモの木、今は実家にはもうない。

柿は甘がきはそのまま食べるしまた渋柿は干し柿にする。

川を剥いて。タコ糸を通して軒先に乾す。

やがて粉を吹いて良い具合に仕上がるという寸法。


梅は勿論梅干にする。塩ずけにし、浸かったらら3日3番の土用干し、梅酢は勿論利用する。


栗、くるみは乾燥させて保存する、

栗はそれを粉にして栗アンに、くるみは割ってくるみアンやそばつゆに、

自給自足生活である。


昭和三〇年代当地ではみんなこんな生活をしていました。


続く




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