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断罪された偽聖女は、偽物のままで全てを終わらせたい

作者: 久寿 たまや
掲載日:2026/06/26

「ミーシャ・ロアイエット!貴様との婚約を破棄させてもらう!」



 学園の卒業を、来月に控えた夜のこと。招待された夜会の会場にて、突如声が響き渡った。


 声の主は、あたしが敬愛すべきお方、ハリル・ド・アガリア。この、アガリア王国の第二王子。


 彼の隣に立つのは、赤い髪の美少女。ラフォミア・アルマード。


 貴族の中でも孤高、という言葉が似合うほどに群を抜く、アルマード公爵家の娘。

 サファイアのような目の奥には、たしかな知性と強い意志が宿っている。


 金銭はもとより、魔力や魅力、権力……、およそ欲には靡かない少女。

 纏ったドレスは、月夜色。この夜会のために新調したのだろうか。非常によく似合っているけれど、真紅でない色を纏う彼女は初めてだった。



 ――正直に言って……、とても意外な組み合わせ。



 あたしに向いた目が険しいとか、そう言うことでは無くて。


 清廉潔白を旨とし、まじめを絵に描いたような娘。それが祟って、婚約者に逃げられた彼女が……。

 あの、努力嫌いで狡賢い第二王子と、一緒にいると言うことが。


 王子の方でも、彼女のような賢くて積極的に意見してくるタイプは不得手としていた筈。


 疑問に思うことは多かったけれど。



「な、何故でしょうか……?」



 まずは、狼狽えること。それは義務。

 たとえ、零れ落ちるほどには情がなくても。


 王家への、そして彼や彼の取り巻きたちへの敬意を示す為。そして何よりあたしのために。



 突然の最後通牒にも、礼は崩さず。

 頭は低くし、視線は直接向けない。まずは周囲を伺う。


 給仕の手を止めたメイドが抱えた銀盆。そこに傅く姿が映ってる。ピンクブロンドと黄金の瞳の、儚そうな印象の美少女。


 ……それが、今のあたし。

 聖女として国に仕える、少女の姿だった。



 いかにも貴族然とした姿と、大きな魔力。

 纏った蝶の様なドレスは、可愛さと妖艶さを織り交ぜたピンク色。外観だけなら、ラフォミア嬢にも見劣りはしない。


 ……尤も、彼女の誇るべきところは、そんな取り替えのきく外観ではなく、中身の方でしょうけれど。


 彼女との差は、もうひとつ。

 公爵令嬢の彼女に比べて、あたしはお情けの名誉貴族籍があるだけの、殆ど平民だった。



「理由はな、幾つかある。」



 降り来る声を、彼らの方を見て迎える。

 場違いな微笑みの片鱗を口元に宿して。



「貴様は、私の婚約者という立場を我欲の為に利用した。

ルクォート商会、マルグリッド神殿を筆頭に、幾つかの事業の勝手な推進と委託先の選定。」



 言い募る殿下と、睨むラフォミア嬢。

 調査は、間違いなく彼女の主導だろう。


 彼女に絡み取られて、支えられる殿下。

 彼らの後ろに並んだ貴族たち。彼らが次代を支える事になるのだろうか。



「聞いているのか!?ミーシャ!」



 叱責が飛んだ。


 ええ、ここが大一番。

 しっかりしないといけない。



 欲しかった言葉は貰った。

 あとは取り消されぬように、殿下と周りをしっかりと撫でておかないと。


 背筋を張って、息を吸い込む。



「……それだけ、で御座いますか?」



 堂々と。そして明朗に。聖句の一節のように。

 不安も、落ち着かなさも、ドレスとヒール、そして聖女の仮面が覆ってくれる。



「それだけか?だと……!?」



 あたしの失言に、殿下は食いついた。



「他にもある!貴様は訓練と称し、無駄で無意味な教練を幼子に課したな?しかも、特定の孤児院だけを恣意的に選んで、だ。それに……。」



 殿下が、あたしのドレスの大きく開いた胸元を、そこからはみ出す乳房を見た。


 勿論、良い意味ではない。嫌悪の表情で。

 かつて見た、彼の齧り付きそうな表情と比較して、内心で微笑む。



 視線がはっきりあたしに向いたので、カーテシーを披露する。

 勿論。胸元の開いた服で屈めばどうなるか、を知った上で。



「……貴様の格好は、節度がない。礼儀作法に品がない。

貴族としての資質と心に大きく欠ける。」



 ラフォミア嬢にチラリと視線を向けた。

 彼女の、底冷えのする瞳。


 対抗して、思わず目を睨むように細めてしまい、反応した殿下に彼女は庇われた。



「それだけでは無い!

護衛の騎士を部屋に引き入れては、二人きりで過ごすなど、貞淑さのカケラもない。」



 言葉を交わしていただけ。

 そのような事実は、この場では不要。

 ただひと言、告げればいい。



「全て、聖女としての務めで御座います。」


「嘘をつくな!」



 今日は、張った壁を超えてきた。

 口角が上がるのは本心からに他ならない。



「はて、嘘とは……、なんで御座いましょう?」



 胸の左の房の証を突き出すように見せつける。

 これは、聖女の紋。身体のいずれかに刻まれる選ばれた少女の証。


 それだけで、後ろの取り巻きのいく人かは揺らぐ。

 魔力か、教会の権力にか、それとも美貌から醸し出される色香にか。



 直視できずに、目を逸らすものも多かった。

 だが殿下は……、此度は怯まなかった。



「観念しろ!

教会も、もはや貴様を庇い立てしない!

貴様は、偽の聖女である!」



 朗々と、屋敷に響いた声。

 周りから、森の葉ずれのような囁きが巻き起こっていく。



「歴代で最も弱く、成長のない魔力。

先代と……貴様の姉とは比べ物にもならない!

怪しむ者は、元から多かった!」



 殿下の仰ることは……事実。

 あたしの力は弱く、修行を経て高まるはずの力は、聖女の高貴さ同様に身に染みていない。


 殿下の必要とする功績には……あの無謀としか思えない遠征には、大幅な兵力の増強が必須。


 秘された、彼を王へと押し上げるための侵略計画。

 本来は、そのための聖女で、婚約だった。



「王都を守る結界、その維持だけで精一杯だと?いつまでだ!?

姉ならば……、防壁に加えて、癒しや兵に千人力を与えることも容易だった。

だが、貴様はどうだ……?」


「あ、姉のことは……!」


「……ああ、それを言えば貴様はいつもそうだ。

だが、もうそのような子供の癇癪が通じる時期は過ぎたと知れ!」



 向けられた視線に、その色に、怯んでしまう。

 怒りをかわすには、そしてあたし自身の怒りを持続させるには、被った聖女の仮面はあまりにも向いていない。


 冷えてく頭で、いけ好かない大司教の顔を思い浮かべる。


 力不足でも、聖女として機能すればよしとしていた筈だったが。

 どうやら思ったより早く切り捨てられたらしい。



「……では、本物はどこに……?」



 惑いの顔で小さく漂わせたあたしの呟きは、狙い違わず殿下の耳元に。

 酷薄とも言える嗜虐の色が、広がった。



「ラフォミアだ!大司教が信託を受けた。

まもなく、聖女の紋も現れるであろうと。

私のそばに相応しいのは、お前ではない!ラフォミアの方だ。」


「……私には信託のことは分かりかねますけれど。

不真面目極まるあなたを、神も見放したと言うことです。

正しい方向に導く努力すらも放棄し、放蕩に耽る貴方を。」



 ――ああ、成る程。

 並べてみれば瞭然。彼女の纏うドレスの色は、殿下の瞳と同じだった。


 けれど……。

 あたしの見つめたそのうちに、彼女は殿下の方に、ちらりと視線を向ける。

 そこには、あたしに向けられていた少し冷たい温度のものが多分に混じっていた。



 先ずは、安堵が先に来る。

 おかしな洗脳にかけられているわけでは無さそうだった。



「正直……今まで殿下のことはあまりよく思っていませんでしたが。

それは、婚約者であったあなたの力不足でもあります。

私が聖女となったからには、その力をもっと正しく、意義ある方向に使います。」



 ラフォミア嬢の、深い青の瞳を見つめて。

 その奥にある、姉に似た強い慈愛を感じて……。



 ぎりっ、と奥歯を噛み締める。



 殿下の、神殿の思惑は、彼女を新たな聖女に仕立て上げること。


 おそらく、ラフォミア嬢はあたしを蹴落とす意味をなにも知らない。

 それは、あたしにとって。到底容認出来ることじゃなかった。



「この紋ある限り、わたくしが聖女です!」



 胸に手を当てて、宣言する。

 茶番とは知っている。だが、これだけは譲れない。



「くどい!調べはついたと言った筈だ!」



 衛兵が、男を引きずって来た。

 小汚い、ボロのような服を纏った男。



 目が、見開く。

 見覚えは……あった。


 彼は、衛兵に突き飛ばされ、床に這いつくばった。



 その顔がこちらを向く。


 見知った顔。

 今は、あたしの方だけが、というべきか。


 国という情報網を舐めていたわけではないけれど……。

 よくぞ、見つけて来たものだ。



 男は、あたしの顔にはなんの反応も見せなかったが、胸の聖女紋を見て仰天した。


 腕は確か。それゆえに仕事は覚えていたらしい。

 大袈裟に仰け反り、指を向けてくる。



「ああ、顔は覚えちゃいねえが。印はあれだ!

俺が彫った!

その証拠に、乳房の下側に小さく俺の、星形の紋を掘ってある。

自分では見づらいところにだ!調べてみろ!」



 衛兵が、兵士が近づく。包囲の輪を縮めてくる。

 制そうとした腕を取られた。


 極められ、地面に押さえつけられる。

 こんなとき、魔法で己を守れれば……。そう思うけれども。



 聖女の力には制約がある。

 力を与える加護も、万物を防ぐ防御も、傷をたちまちに癒す奇跡も。


 決して自分自身には、使えない。



 人前で胸を曝け出させられ、手で掴まれ、探られ、その様子を見られる。

 乙女として…‥恥ずべき、そんな仕打ちを受けてすら、何も……抗えない。



「ありました!」



 兵士のひとりがあたしを立たせ、

 見せつけるように膨らみを持ち上げる。



「ご覧ください!」



 王子、ラフォミア嬢、そして立ち並ぶ賓客たち。

 誰もがあたしを見、そしてその罪を、恥を存分に目に焼き付けた。



 叫びに開いた口は、大きな手で塞がれた。


 憐れみと蔑み、そして憎悪の視線。

 曲がりなりにも貴族の末席、現役の聖女に許されざる狼藉。


 しかし、あたしへの行為の全てを、罪の証が肯定する。


 腕は極められたまま。

 隠す腕も、叫ぶ声すら奪われて。


 兵士に引き摺られ、ホールを去る直前に――。



「待って!」



 かけられた静止の声は、ラフォミア嬢のもの。

 サファイアの澄んだ瞳が、乱れたままの姿のあたしを映す。


 姿勢も、服も、腕を後ろに束ねられてるせいで直せない。



「学園でもずっと……、変な振る舞いばかり。

貴女本当に、聖女になんてなりたかったの?」



 それは、彼女にとって、ただ疑問を口にしたに過ぎなかったのでしょうけれど……。


 その言葉は。あたしの心を逆撫でた。

 口に入っていた兵士の指を、強く噛んで振り解く。



「――なりたいか……ですって?」



 ……何という、幸せで、傲慢な勘違い。



「いいえ。……いいえ!

わたくしが、わたくしだけが聖女です。他の誰にも渡さない。あたしだけが――」


「連れて行け!」



 王子の上げた一声で、噛みつきそうな勢いだったあたしは、腕を無理やりに引かれて。言い終わるのも許されぬまま引き摺られていく。



 ぐうの音も出ない。全てあたしが招いたこと。

 全く見事に転がった、断罪劇だった。



◇◆◇◆



 貴人牢、それは幽閉塔と呼ばれる建物の上部にある。

 平民が押し込められる地下の監獄とは違って、広く格子付きとはいえ窓や簡素な調度品もあった。


 しかし部屋を仕切るのは、壁では無く鉄の棒。

 閉じ込めるための空間には違いない。



 長い長い取り調べの後に。

 深夜をとっくに迎えた暗い中を兵士に鎖を引かれてきたけれど。


 部屋に入るのはあたしだけ。入れば扉を閉められ、鎖を外すのと引き換えに外から鍵をかけられた。



「よう。ミーシャ。死体じゃなくて何よりだ。」



 牢に入ったあたしを出迎えたのは、ボロクズ。

 ……いや、声は見知っている。


 ジンだ。

 あたしが連れまわし、侍らせていた騎士の男。


 仮にも、現役聖女として貴族の末席にいたはずの身としては、男と同じ牢に入れた兵士らの了見に眉を顰めるが……。


 むしろ今は、都合は良い為、文句は口にしなかった。



「思ったより元気そうじゃない。」



 彼はあたしが引き立てた。連れ回し始める迄は、ただの平民出身の貧乏騎士。


 ウデは普通。礼儀はあまりなっていない。先輩ウケは激しく悪い。

 だからあたしが失脚したなら、一蓮托生だった。



「ああ、呻くのや、苦しそうに喘ぐ訓練は、バッチリでね。痛がるふりも得意なんだ。」



 そうは言うものの、彼は身体のあちこちを押さえながら立ち上がった。



「こっぴどくやられたんじゃないの?」


「君ほどじゃ無いさ。

なにやらパーティで、全裸に剥かれたらしいじゃないか?噂が聞こえてたぜ。」


「……は?そんなわけないでしょ?

胸を剥かれただけよ。それ以上はされてないわ。」


「ほう。それはそれは……。

貴族令嬢とやらには致命傷なんじゃないかね?」


「ええ……、そうね。

……でも良いのよ。どうせ、今夜までなんだし。」



 漏らした声に興味を示し、彼が近づいてきた。



「何か脱出のアテが?」


「それは貴方にあるんじゃないの?

むしろ、あってくれないと困るんだけど。」


「……はぁ。うちの姫さんは人使いが荒いね。」


「ヒモ使いね。滅多に働かないくせに。

今くらい役立ってもらわないと。」


「姫さんは、俺に何を期待してるんだか。」



 やれやれと肩をすくめた。

 おどけた態度のままだから、何かしら思い付いてはいるのだろう。

 頼りにしづらいが愚かではない、それが彼に対するあたしの評価。



「…‥で、目処は?」


「そうだなぁ。

そこの明かり取りの窓に、よじ登って外へ降りる。

それくらいか?多少骨が折れるがね。

アバラを折って、うっかりそれでイッてしまわないように気をつけないといけない。」


「良いわね。それで行きましょ。」


「聞いてたか?姫さんには辛すぎるルートだぞ?」



 いつもの調子で続けてくれる彼。

 そんな彼に、あたしは。告げなくてはいけない。



「貴方だけ行ければ良いのよ。それで。」


「……どう言うことだ?」



 彼の目が、騎士らしい凛々しさで、すっと細まった。



「あたしはね。」



 ドレスの裾を太腿まで捲る。

 今まで秘していたそこにあったのは、契約紋。


 魔法の契約のその証。

 奴隷の契約にも使われる、命を握る紋の形。

 一度限りの使い捨てだけど、2度目はないんだから救いにはならない。



「仮にも、皇太子妃の教育を受けた身よ?

解放なんてあり得ない。地位を失えば、死よ。」



 契約は王妃と。王は知っているとして……。

 第二王子やラフォミア嬢までがコレを知っていたかはわからない。



「猶予は……いつ迄だ?」


「さっき婚約破棄を受けたからね。

明日の、日の出までかな。」


「あと数時間じゃないか。どうにかは……。」


「どうにもならないわ。

……いえ、どうにかする気がないの。」



 彼の目を、瞳を見据える。

 散々わがままを言っていた時と同じ、引く気のない瞳で。



「これは、あたしが招いて。望んだこと。

……だから――。」


「置いて逃げるわけ無いだろ?それこそ騎士の名折れだ。

頑固だな……。ほんと、そっくりだよ。」



 言葉の後半は、彼の十八番だった。



「村を出た幼馴染に?」


「そうだ。姉妹だ。身寄りをなくして、神殿に行くって村を出た。

綺麗で世話好きの姉とちんちくりんな妹。結局、会えずじまいだけどな。

……あーあ、騎士になって守ってやるって啖呵も切ったんだけどな……。」



 彼の思い出話。

 それは、時の迫る今に……。是非ともに聴いておきたかった安らぎの話。



「話してよ、それ。また、あなたの口から聞きたいな。」


「何度も話しただろ?田舎の、つまらない話だぜ?」



 彼の言葉に、声に耳を傾ける。

 紡がれる物語に、安らいでいく。



 いつだってそう。

 彼の語る昔の話は楽しい。記憶にないけれど、懐かしい思いに浸れる。

 花畑のピクニック、森の探検、誕生日の話。


 何度聞いても、いい。

 抜け落ちてしまったものが嵌るような、じわりと沁みる感覚。


 それに浸って、いつものように聞き流しながら。

 眠るように思考の海へと落ちていく。




「聞こうとは思ってたんだが……。姉がいたのか?」



 尋ねられたのは、ちょうどペンダントの鎖に指が触れたときだった。


 ……姉、か。彼の語る姉のこと。

 もやっとはするけど、込められた思いは、嫌いじゃない。

 思い返せば、必要は無くても。すこし語ったって良かったかもしれない。



「……そうね。姉はね。偉大な聖女だった。」


「名前は?」


「……ミーシャ。あたしと同じ。

聖女はね。皆ミーシャって呼ばれるの。

近しい人、神殿の子は襲名の際に元の名前を忘却させられる。

だから姉も……ミーシャなの。」



 鎖を指に絡める。慣れた仕草。

 使いすぎて角の取れた撫で心地。



「良く笑う、変な冗談も、意外と下ネタも好きな人だったんだよ。」


「へぇ……、なんか意外だな、完璧聖女として伝え聞いた覚えしかないが……。」


「……襲名後はね。変わっちゃうから。」



 より正確には……、変えられてしまう。

 聖女になるというのは、呪いに近い魔法。原動力は、人々の祈りと願い。


 紋を媒介に、少女は段々と聖女に染められる。

 聖女と聖女の紋は切り離せない。その発生の順番も。


 必ず紋が先で、聖女は後。

 強い、強い力を持ちながら、自分では身を守る事も出来ない、幻想の少女の形に押し込められていく。



「このペンダントはね。もとはそんな姉にあげたお守りだったんだ。」



 変わってく姿を見たく無くて。

 魔除けの護符を改造して、試行錯誤を重ねたもの。


 聖女になった姉のツテで、王都の学園に通えていたのが功を奏した。

 必死で魔法を学び、解析し、姉のことを調べた。



 ……何も、変えられなかったけれど。


 幾度も宝石もデザインも変えたペンダントトップ。変えるたびに喜んでくれたのだけは、良かったこと。懐かしさに顔が緩む。



 聖女の印は、結局は……ただの目印だった。

 どれだけ調べてもそれ以上は無かった。


 分かったのは、せいぜい一度定着したら、生きてるうちには剥がせないということくらい。



 ……奇跡では無い。

 魔法の効果だから解析できた。


 だから。聖女なら何処かに印が現れる、なんてのは嘘。

 誰かが寝てる姉の手に、紋を彫りつけたのだ。



 聖女を生み出し、形作る方の大きな魔法の調整は、別のところでやっているのだろう。

 何処にあるのか、あたし自身が聖女になっても、その手がかりすら掴めなかった。



「……遺品になっちゃったけどね。」



 恐らく、神殿の最機密を思いながら、呟く。


 指を離したペンダントが、胸の上で跳ねて揺れる感触。



 慈愛と奉仕の精神に溢れた、溢れすぎた聖女の寿命は、長くない。


 むしろ積極的に使い潰されるのを望むかのように、酷使も厭わなくなる。

 己には、治癒の魔法すら届かないというのに。



 目を閉じて、あの日のことを思い返す。

 キズと一緒に刻まれた記憶を。


 あたしはもう、繰り返すのは嫌だった。

 だから、亡くなった姉の身体の紋を剥がして……。そっくりそのまま、それを自分に彫って貰ったのだ。



 薄目を開けると、見える景色に重なるように浮かぶ……、狭くて臭くて汚くて、散らかった部屋。

 神殿の治療で知り合った、娼婦の子に紹介して貰った先。


 裏で評判の、口が固く腕の良い刺青職人。

 ……そう聞いていたんだけどなぁ。


 ぺらぺらと顧客の情報を漏らしたあの男に払ったお金のことを考えると……。

 自分の見る目のなさに、溜息をつく。



 視線の先には、しっかり根を張り魔力で色づいた、淡い輝き。



 姉とは違い、紋が動けば疼いて抗えるように心臓の近くに。


 誰も信用ならなかった。

 だから彫るところも自分で見れる場所に。


 ……そんな所なんて、この膨らみしか無かったわけだけれど。



 我ながら、麻酔も無しなんて。

 今でも狂っていたとしか思えない……。



 目にした輝きの僅かな赤に、照り返す光景。

 ……もう随分前なのに。感触は今でも夢に見る。



 そっとキズに手を寄せて、指で触れた。

 聖女には、治癒が効かない。それを初めて身をもって味わった苦い記憶。



 多分、裏を知るものには。バカな女だと嘲笑われてただろう。

 それでも殺されて、代わりを立てる選択にならなかったのは……。

 恐らく、偉大だった姉の功績。

 あたしが血のつながった、妹だったから。


 亡くなってすらも、彼女はあたしを守ってくれていた。



 何れにしても、なんとか代わりが擁立される事もなく。あたしは次の聖女と認められ……。



 そして、泥に沈むように。徐々に呑み込まれていった。


 名前が変わり、姿形が変わっていき、覚えてもいない癖に振る舞い方に染まっていく。


 神殿の何も無い部屋での修行も辛かった。

 目を閉じたまま祈り続けると、次に目を開けたときあたしではなくなる気がして……。


 最初のうちは、姉のように振る舞って、同じように王子に見初められる必要があったのも。

 身体を、そして何より心を大きく削った。



 息継ぎのように、大きく吸い込む。

 ため息しかない無為な記憶。



 王家との契約紋を得て、姉とお揃いになった後は……。残ったあたしをどうにかするために抗って。



 常に護符と、あたし自身を意識。聖女からは、遠い振る舞いを。



 そのせいで、生活は少し乱れた。通ってた学園での評価も。

 規律を重んじるラフォミア嬢に敵視されたのも、ジンを話し相手に部屋に引き入れたのも、この頃。



 大げさな呼吸に弾かれたペンダント。

 そう言えば姉の死以来、飾りも宝石も変えてなかった。



 …………。


 ジンの言葉には、聖女ではなくあたしを語る姿には、大いに救われた。

 勿論、王家との契約紋があったから。一線は超えてはいないけれど。



 小さくなってくあたしの必死の足掻き。

 それは、聖女を期待する殿下や周囲とは逆方向で……。



 揺れる紋と、ペンダント。

 まるであやすかのように。落ち着かない動悸はそのままに、呼吸だけを鎮めていく。



 溺れるあたしは、でもなんとか。

 あたしのままで。見捨てられるところまでは漕ぎ着いた。

 新しい聖女を迎える為に、不要と断じられることができたのだ。



 ……嬉しい。

 皮肉な事に、それはあたしがあたしであるという何よりの証拠。



◇◆◇◆



「……もうすぐ、日の出ね。少し、祈らせて貰える?」


「聖女らしい事もするんだな。」


「ええ、聖女ミーシャとしての最後のお勤め。」



 呟いてから。首の後ろに手を回す。



「ペンダントは良いのか?」


「ええ、あげる。この日の為に取っておいたようなものだし。」



 外した魔法除けの護符を、ジンに渡す。

 指の震えを気取られないように細心の注意を払った。



 目を瞑る。



 どうなるかは、分からない。

 光を伴って太腿に浮かび始めた契約紋。


 これまでにないピリピリした疼きは、破滅の足音への怯え。


 スカートが長くて良かった。

 ジンに、膝の震えを見られずに済む。



 手を合わせる。

 肩の震えを誤魔化して、そして――。

 そこから、ふっと意識を落とすように。


 身体の内に、あたしの中に。心の奥に。

 潜り込むように、埋没してくように。

 息する事も忘れて、無心に。



 留まる寄る辺を失って、だんだんあたしが薄くなる。

 意識の届かない端から徐々に、分からなくなっていく。



 胸の聖女の印が、蠢いた。


 祈りが、声が聞こえる。

 皆の、国中の想いに包まれていく。



 ――偽物。

 けれどこれは。本物だった姉の想いの丸写し。

 彫り師の目と、あたしの魔法使いの目、ふたつの目で作った精緻な模写。



 効果の程は、恐らく本物に劣らない。

 抑えを外せば……、あたしを一気に飲み込んでいく。



 意識の海に、外から紡がれる魔力の糸に。

 薄くなる意識が伸ばされ、ひとつに束ねられ、

 あたしが、わたくしに……、ひとつになって編み込まれていく……。



 あたしの猛烈な眠気の中で……、わたくしは祈る。

 あたしのために、姉のために……、全てのわたくしの為に。

 人々じゃ無い、国でも無い、ただ聖女の為に。



 眩しい光、それを瞼が感じるより前に。

 悪寒が、身体の内側を這い上がる。


 腿から、お腹から、さらにその上に。

 凍りついたように、感覚のない、冷たい領域が広がっていく。



 わたくしは、わたくしの為に祈り続ける。

 わたしや、私、妾、わたくしとなって消えていった女の子達のために。

 そして、末の、かわいいあたしの為に。



 そして、這い上がる冷たい感覚が胸を捉えた。

 鈍い、鋭い痛み。

 身体の奥、わたくしの核も、段々冷えて震えて……。



 ――亀裂が、広がっていく。




 ……そして――、

 聖女ミーシャは、いなくなった。




◇◆◇◆



「ミーシャ!ミーシャ!しっかりしろ……!」



 ……あたしは――。


 この国に、神殿に仕込まれた、聖女という魔法。

 少女を捧げて機能する、聖女という名のシステム。

 奉仕と慈愛に溢れ、従順で、高い魔力を持ちながら身を守る手段に乏しい美貌の乙女。


 同じ名前に、同じ紋に継がれる意識。

 あたしを核に編まれた、あたしでは無い意思。


 その聖女という、魔法の意思を丸ごと呪いに飲ませた。


 その結果、王家の契約紋は、聖女にとっての命を、つまり存在の根底となる魔法を破壊したのだろう。



 あたしとしての意識が……、まだ続いてる奇跡に。感謝を捧げる。


 フィードバックが酷い……。

 記憶も意識もあちこちが欠落してる。


 学んだはずの魔法も、王妃教育も……。

 あたしの本当の名前すら……思い出せない。


 何が消えて、何が残ってるのか。

 欠落の淵をなぞる事すら、大きすぎて難しい。



 でも……。



 まだ、彼のことは分かった。

 身を起こし、呼びかけてくれたジンの方に向き直る。


 魔力が、急速に抜けていく。

 風もないのに髪の毛の色が靡いて、見る間にその黄金色が褪せていく。

 白い手足も、おそらく美貌も急速に失われていく。


 その事だけは、残念に思いながらも。

 おそらく最後の、聖女の姿で抱きついて。



 密着させた胸に、僅かにたじろいだその隙に。

 悪戯のように彼の口に指先を。


 近づいて……、そして間際ですり替えて。

 赤く染めた唇を、ぎゅっと、吐息ごと押し付けた……。



 ……戻っていく。

 輝く桃色から、茶色へと。

 絶世の美少女から、ただの田舎娘へと。



 …………。



 目を、閉じてくれなかったから。

 このみっともない変身を。

 瞳の色が、黄金の輝きを失い、黒へと変わったのも見られてしまった。



 硬直した彼への親愛を、唇に宿したまま身を離し。


 最後となった聖女ミーシャの力を練り上げる。

 転移の魔法、その奇跡を――。



 ……彼に、向き合って。

 微笑みを見せて。



 そっと魔法を、紡ごうとした口が……。




 ――再び、塞がれた……!




 茶色の髪が揺れる。

 柔らかな感触が、触れて……。



 薄い化粧は、したままだけれど。

 色も形も、なにも合っていない。不恰好な姿なのに。


 彼はあたしを強く、強く抱きしめてくれた。



「見つけた……!こんな……近くにいたんだ!」



 こんな、大きく見劣りする容姿にも構わず。

 痛いほどに強く。腕の中に。


 近すぎて、見えなくて。胸が飛び出しそうなくらい跳ねていて。

 何故か声を震わせてる彼につられて……。


 聖女の仮面も剥げて、穴だらけのあたしは、

 溢れていく温かなものを、全く抑えることができなかった。



◇◆◇◆



「バカ……、転移魔法……。霧散しちゃったじゃ無いの……。どうするのよ。」



 登った朝日を見つめる。

 見られるとは思っていなかった光を。


 王家との契約紋と聖女紋。ふたつの紋は役目を終え、ただの模様となった。

 触れても、何も感じない。



 わかるのは……。

 今頃、殿下と……名前も忘れてしまった人達や神殿は、大騒ぎだろうなってことくらい。


 聖女の、その仕組みの崩壊。

 その影響は、恩恵だけを得ていた者たちほど大きい。


 大司教たちは、象徴と力の基盤を失った。

 殿下の手は、もう王位に届かない。

 孤児や民は……申し訳ないけど。聖女以外が助けるだろう。



 ラフォミア嬢は……。

 彼女には、少し同情する。

 嫁ぎ先には、きっと彼女の嫌いなものがいっぱいだから。


 ……でも夜会で、言外に叩き直しますと宣言していた気がする。


 だから覚悟が必要なのは、むしろ殿下と取り巻きかも。

 家格も十分な彼女は、あたしのようには黙らない。


 …………。


 もう、ミーシャになれないあたしには、関係のない世界の話。

 隙間に引っかかった未練を、吹き飛ばすように息を吐く。



「魔法なんて無くても問題はないさ。

予定が多少変わっただけだ。」


「多少、ね。そんなことを言っても。

神がかり的な奇跡か、幸運でもない限り脱出は不可能と思うけど?」


「そうか……?

だが、それならきっと神様に祈るまでもないな。」



 扉の格子を揺すると、扉はあっけなく外れた。

 目を丸くするあたし。



「ミーシャの不公平。贔屓に、救われた人は多い。」


 鍵のかかったままの扉を、音をさせずに横に置きながら、彼は続ける。



「我儘三昧して、たんまり礼を弾んだだろう?

不作に見舞われた領地の商会ばかりをわざわざ呼びつけてな。

伝わるところには、伝わってるのさ。

……孤児院にしても、同じようなものなんだろ?」



 答えは、……覚えていない。

 聖女(ミーシャ)は消えて、残ったのは……。


 ぼろぼろで見窄らしいだけのあたし。

 もう、魔力も魅力も、記憶だって、これっぽっちしか無いのだけれど。


 彼は、そんな崩れ落ちそうなあたしの手をしっかり握っていてくれた。



 息を、吸い込む。

 ……生き延びられるなら、そうしなくては。



 触れた左の胸には、微細な凹凸の感覚。

 聖女紋は、まだここにある。


 もしも聖女の魔法が再建された時のため、あたしは邪魔にならなくてはいけない。


 縋って、支えられて。あたしはよろよろと立ち上がる。

 そんなあたしに、上からふわりとペンダントがかけられた。



 姉とあたしの、魔法除けの護符。


 慣れた鎖の感触を指に馴染ませながら、ジンを見上げる。

 ピクニックにでも誘うような気軽さで手を引く彼。



「行こう、ミリア。

こんな幸運と奇跡が、王都を出るまで続くと思うぜ。」



 つられて、あたしも歩き出す。

 神託より信じられない。なのに暖かい、彼の言葉に導かれながら。

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