夏の友人
沖縄からバレエ教室の夏期講習だけやってきた絵里と彼女に似ていると言われる真里の話
一
乗客の多くを井の頭公園へと運ぶ電車から降りる。息苦しいほどの熱帯が鼻から喉へ下り、私の苦手なサウナにいるような気分にさせられる。そこにいるわけでもないのに頭が勝手にあの温度感を想像してしまい、連動するように体も一気にだるくなった。
すぐそばではけたたましい踏切音が一定のリズムを刻み、自転車に子どもを乗せた主婦たちがバーが上がるのを今か今かと待っている。ふと飼っている4匹の猫を思い出した。餌の入ったボウルを手に持つ私の前で、まだかまだかと躰を揺らしながら待つ姿に似ている。8月の昼間から自転車で移動とは苦しくないのか。
目につく人に何らかの文句を言ってしまうほどに、今年の夏は異常だ。暑さは体力だけでなく心の余裕までも奪ってしまう。
「日本にもバイタクがあればいいのに。」
父が単身赴任しているバンコクに遊びに行った時、私は両親の目を盗んでこっそりバイクタクシーに乗った。
オレンジ色のベストを着た日に焼けたおじさんたちが列をなし、やってきた乗客を次々と乗せ出発していく。
しかもノーヘルで。
乗客の乗り方も様々だ。通常のバイク2人乗りと同じように椅子にまたがる人、横向きで乗るスカートの女性。
共通して言えることは、全員スマホを操作しながら乗っていたということだ。
私はちょっとしたアトラクションのつもりでバイタクのおじさんに声をかけ、後ろに乗り込んだ。
明らかに観光客だとわかっているからか、現地の人を乗せる時とは違い、確認してからゆっくりと走り出してくれた。
「わあ!」
気分は爽快だ。バイクは徐々にスピードをあげ、ビュンビュン風を切っていく。
騒々しいバンコクの街並みが止まることなく目に飛び込んでくる。路上で串焼きを売っているおばあちゃんとそれを買う社員証をぶら下げた会社員。この暑い中パステルカラーのカーディガンを着て歩く女子大生たち。そして飲み屋のお姉ちゃんを侍らせて歩く白人男性。
興味深いものも見たくないものも同時に視界に入ってくる。それが私を何とも複雑な気分にさせた。
バイクを10分ほど走らせた後、運転手のおじさんは元の乗り場に戻ってくれた。
「100バーツだ」
絶対にぼったくられてるだろうなとは思ったが、対抗するだけの英語力もましてやタイ語力も無いため、素直に財布からお札を取り出し渡す。
バイタクに乗ったことは、結局今になっても両親には言ってない。ものすごい勢いで怒られそうだから。
踏切が上がる合図で我に返り、目を見開く。
屋根が途絶える瞬間に日傘を差し、踏切とは反対の方向へと早歩きで進む。私のレッスンバッグには2リットルの水が入っており右肩に食い込んでいた。時々左肩に掛け直しながら猪突猛進一刻も早く建物の中へと向かう。日焼け止めと日傘で紫外線対策をしているとはいえ、地面からの照り返しは防げないから。
買い物客が出てきたコンビニとパチンコ屋の前を通り、店内の涼しい空気に思わず声が出る。スタジオまであと1分。
角の八百屋を曲がると一気に閑静な住宅街になる。その中でも一際大きな家、白亜の壁に囲まれ、光を放っている家のすぐ脇に地下へと降りる階段がある。
『栗原バレエスタジオ』と書かれた洋菓子店のような小洒落た看板の前を通り、薄暗い階段を降りていく。太陽が当たらない地下への道のりはひんやりとしていてほっとする。日傘を閉じた。
レッスンの音が漏れないように造られた二重の扉を開けると、床に敷かれたリノリウムが煌々と輝く照明に反射し、薄暗い階段を降りてきたばかりの私の目に刺さる。十代の少女たちの騒ぐ声も相まって、地底の中の楽園のようだ。サンダルを靴箱にしまい、裸足でぺたぺたとスタジオの奥へと向かった。
「真里おはよう。珍しいね、いつも一番乗りなのに。」
「駅ついた瞬間にタイツ忘れたことに気づいて取りに帰ってたの。レッスン前に体力持ってかれたわ。」
「のわりには本当に汗かかないよね。涼しげな顔しちゃって。」
と言いながら男性向けにCMが放送されている汗拭きシートで、豪快に右脇を拭きながら早苗が笑った。
今年入ったばかりの私と違い、彼女は中学からこのスタジオに通う古参だ。私たち高校3年生は2人だけ。他は高校1・2年生が大部分を占めている。みな大学受験前には習い事なんて辞めてしまうからだ。
「ねえねえ、今年もそろそろえりちゃん来るんじゃない?いつも夏期講習初日にはこっちに来るよね?」
「連絡来てない?」
中学生コンビの愛と凛が早苗の顔を覗き込む。
『えりちゃん』ここに入ってからその名前を10回は聞いた。1回目はこの教室に通い始めた初日。
「真里ちゃんってえりに似てない?」
初レッスンでオドオドしている私なんてお構いなく、早苗は大きな声で周りに同意を求めるように聞いた。
確かに。似てる。えーそう?などと返事が飛びあう中、私は何が何だかというように瞬きをする。
「沖縄の子なんだけどね、夏期講習のときだけ上京してレッスンを受けにくるの。めっちゃ良い子。細いし可愛い。太陽!って感じ。」
「でも真里ちゃんは明るい感じじゃなくない?」
「えりちゃんは陽キャだけど真里ちゃんはそんな感じしない」
今思えばこの頃から愛・凛コンビの無遠慮さが苦手だった。2人も私がそう思っていることはわかってるのだろう。早苗を通さなきゃ私との会話はほぼゼロだ。
私と「えりちゃん」は似ているが性質が違うという話は先生からも言われた。
「えりちゃんが太陽なら真里ちゃんは月ね。」
正直嬉しくなかった。それはそうだ。太陽は自ら光を放てるが月は違う。誰かに光を当ててもらわなければ人に見てもらうこともできない。会ったこともない人間と勝手に比べられ遠回しに地味と言われているような気がして、まだ見ぬ「えりちゃん」の存在を疎ましく感じるようになった。
我ながら性格がよろしくない。だから「えりちゃん」の話題が出た瞬間気分が落ち込んだ。ついにご対面となったら今度は直接比べられそうで怖い。
「そろそろ来るんじゃない?あの子今どきスマホ持ってないから連絡とる手段が無いんだよ。」
明日から一週間の夏期講習が始まる。ここはバレエスタジオと銘打ってはいるが、実際にはクラシックの他にジャズダンス、タップダンス、さらに声楽にヴォイストレーニングも学ぶことができる。今までに何人も有名劇団やテーマパークダンサーに生徒を合格させており、その界隈では名の知れたスクールである。私も早苗も、ダンサーというう夢のために大学受験をほっぽり出してレッスンに励んでいるところだ。
元気印の中三ペア、愛・凛が両脇から私を挟みサンドイッチ状態で興奮気味に言う。
「真里ちゃんはえりちゃんに会うのは初めてだよね。絶対気が合うと思う!ほんとに雰囲気似てるから!」
絶対合わないと思う。
「えりと仲良くなれない子とかいないし、絶対好きになるよ。」
早苗が使い終わった汗拭きシートを丸めてゴミ箱に投げながら言った。ナイスシュート。
でもならないと思う。会ってもないのにすでに苦手なんだもの。
似たもの同士仲良くなれると思いがちだが、実際はそう上手くはいかない。似ているからこそ自分の嫌なところを真正面から見てしまい同族嫌悪に陥る。
なんとも形容し難い不快感が拭えないまま、ワンピースを脱いだ。
二
「夏期講習明日からだよね。お昼どうする?お弁当作ろうか。」
夕食後のお茶の時間。母と2人でおしゃべりをするこの時間が私は大好きだ。その日会ったことをただ喋り倒すだけだが、1日の終わりにすっきりとした気持ちで眠りにつくことができる。
まだ単身赴任中の父親から送られてきたプーアール茶を啜りながら応える。
「適当にコンビニで買うから大丈夫。夏休みまでお弁当作ることないよ。」
「2週間毎日コンビニ?飽きるよー。」
「毎日おにぎりの具変えるから大丈夫。」
あったま良いー。と頭の悪そうな会話を流れるように紡いでいく。
「そういえば、夏期講習には遠方からも生徒が来るほどのスタジオです、って入会した時に先生が言ってたけど、そういう子達ってこっちにいる間はどうするんだろうね。」
「ウィークリーマンション借りるんだって。」
早苗が教えてくれた。ウィークリーマンションという言葉は初めて聞いたので、思わずスマホで調べてしまった。家具家電が付いていて、身一つですぐに生活を始められるなかなかに便利なところのようだ。
「そういえば沖縄からも1人来るんでしょ?」
「なんで知ってるの」
「早苗ちゃんママから聞いた」
母親同士でLINEしていることを今知った。
「すごいねぇわざわざ沖縄から」
「ね」
なんとでも無い風を装って相槌を打つ。高3にもなって他の人が注目されるのがいい気がしないだなんて、口が裂けても言えない。
「ガッツあるね。真里も頑張らなきゃ」
「もう頑張ってる。」
ほとんど中身が残っていないマグカップを傾けて、お茶を啜る振りをした。
三
夏期講習初日、レッスン漬けの幕開けに気合いを入れ、いつもより早く家を出たのに電車がお客様対応で遅れていた。出鼻を挫かれ心が逆立つ。
スタジオまでの道のりも、水2リットルが重石のように私をその場に留めようとして前に進みにくい。まるで引き留めるかのように。
八百屋の角を曲がって視線を右に向けると、すぐに気づいた。「あの人」がいると。
地下へと降りる階段の前に人が集まっていて、その中心に、向日葵のような表情で笑う子。彼女の周りを取り囲んでいる人たちも引っ張られているかのようにみんな笑顔だ。
名前を聞かなくてもすぐに察した。
あぁ、この子が「えりちゃん」だ。
輪に吸い込まれるように近づいていくと、早苗がこちらに気づいて手招きをする。
「やっと来た!。真里、この子が絵里。絵里、この子が真里。」
私たちを向き合わせてご丁寧にもそれぞれ紹介してくれた。
名前だけの架空の人物だった「えりちゃん」。実在の人物「絵里ちゃん」は眩しかった。
大きく開かれた瞳に末広がりの二重。無駄な余白のない頬ときゅっとした顎に、形の良い唇は端が上がっている。
体つきはほっそりとしているがガリガリではない、美しい質感。身長は全く同じだろうか。目線がばちっと合った。不思議なほど嫌な感じは全くしない。整った顔かたちと島育ち特有のおおらかさとでもいうのだろうか。正反対のものが絶妙に掛け合い、不思議な魅力を全身から放っている。燦々とした雰囲気に圧倒され、このまま見ていたい、不覚にもそう思った。
「有川絵里です。同い年が増えて安心したぁ。一週間よろしくお願いします。」
「絵里ちゃん」は満開のひまわり畑のように顔の中心からぱっと顔を輝かせた。上品に開かれた口からずらっと揃った白い歯が見えている。
納得した。この子は太陽だ。自ら光を放って周りも輝かせることができる。でも本人が一番輝いている。
こんなオーラの人に生まれて初めて出会った。目線を外せず口だけを動かして応える。
「佐伯真里です。みんながずっと絵里ちゃん絵里ちゃんって言ってたから会えて嬉しい。」
「絵里でいいよー!うちも真里って呼んでいい?」
「う、うん」
呼び捨てにしてくれたのがなぜか嬉しく、赤べこのように首を縦に振った。
小学生女子のような2人の会話に周りも顔が綻んでいた。暑いし、そろそろ中に入ろう。誰かがそう言って階段を下っていった。
四
「家は沖縄の本島?」
一緒に屋内に入ったタイミングのまま、着替えもストレッチも隣同士でこなしていく。
絵里は育ちの良い朗らかなお嬢さんという見た目からは想像つかないほど、大きな口を開けてけらけら笑う子だった。
「そうだよー。」
やはりけらけらと笑いながら言う。音が反響するスタジオに移動して気づいたが、この子の声はよく目立つ。決して悪目立ちではなく、ぱっと引き立つ声だ。
さっきから「ぱっ」と言う言葉ばかりが浮かぶが、本当にぱっ、としている感じなのだ。声まで太陽なのか。
「真里ってバレエはいつから習ってる?」
開脚で股関節を広げながら絵里は言った。身体は十分に柔らかく、何かしらのダンス経験者であることが伺える。
「幼稚園の年中さんから。でも週1回だったし、中1で1回辞めちゃってたからそんなにだよ。」
「いやーでもそんなに前からやってるのは強いよ。うちジャズはやってたけどクラシックはここに来て初めて習い始めたからもー付いていくのに必死。」
と言いながら彼女は身体を前に倒し、土の字を通って脚を後ろへ回す。
流れるような動きに身体能力の高さを感じた。
うつ伏せのまま、絵里が目の端でちらと私を見上げた。私が同じことをしたら睨んでいると思われる動きも、彼女がすると魅力的に見える。
ジャズはいつから習ってるの?そう質問しようとした時、「こんにちは!」と溌剌とした挨拶が入り口付近からしたため、絵里に質問するために開いた口をそのまま先生に向けて「こんにちは!」と声を出した。
隣から私より遥かにはりのある声で「こんにちは!」と音がした。すると先生はすぐにその声の主を見つけ笑顔になった。
「あら!絵里ちゃん!」
「お久しぶりです。今日からよろしくお願いいたします!」
「久しぶりねぇ。うんうん、いい感じに身体も絞れてるわね。ちょうど良いわ。」
先生は絵里の身体をくるくると回し全身をチェックする。そして満足そうに頷いた。
「絵里ちゃんは順番がわからないから、最初のバーレッスンは前後を同い年で挟んであげましょう。1番右端から真里、絵里ちゃん、早苗で。」
「はい!」
指示された通りにバレエ走りで素早く位置につく。左手にバーを持ち、ポジションを整えて前を見据えると鏡越しに笑いかけてくる絵里と目が合った。
心地良いピアノの旋律が流れると、絵里はそれまでにこにことしていた顔から瞬時に真剣な顔に切り替わった。その瞬間を見て美しいと思った。肩を落とし首筋を伸ばす様はストレッチしながら会話していた時とは打って変わって、ギャップに心が波立つ。
バーレッスンの順番を知らない彼女は私の動きを見ながら踊っている。私が右手を少し挙げれば、絵里も同じだけ右手を挙げる。私が顔を外側に向ければ、絵里も同じ角度だけ外側を向く。彼女に常に見られているという緊張感と高揚が、私を掻き立てた。
右が終わり、反対を向いて今度は私が彼女の後ろになる。彼女の細く長い首筋にはもう汗が伝い、レオタードにシミができている。彼女が横を向いた時、口が半開きになっているのが見えた。よっぽど真剣なのか、思わず微笑んでしまった。それを見ていた先生が不思議そうに首を傾げた。
五
「ねーねー!これから行ける人で晩御飯一緒に食べない?」
レッスン終わりだというのにまだまだ元気一杯の愛・凛が駆け寄ってくる。もちろん私ではなく早苗に。
「はいはいわたし行く。真里絵里も行くでしょ。」
レッスン中に先生が「真里、絵里ちゃん!膝伸ばして!」を何回か声に出すうちに、いつの間にか「真里絵里膝!」になっていたのだ。それ以降、私と彼女をまとめて呼ぶときは「真里絵里」になった。
「えー真里ちゃんはどうせ来ないよ。いっつもすぐに帰っちゃうもん。」
「行く。」
「え。」
「だめ?」
本当は帰りたかったが絵里も行くかもしれないという期待もあって「行く。」と返事をした。愛・凛は驚いて目を丸くしている。
私も普段ならレッスンが終わったら速攻家に帰っている。だが、もっと彼女と話してみたかったからだ。レッスン中は私語厳禁だしレッスン前と後のわずかな時間でしか会話ができなかった。
しかし絵里は行かない、と言った。ウィークリーマンションに帰って荷物の整理をしなければいけないという。
「楽しんできて」
そう言って絵里はそそくさと出ていった。
「じゃあ仕方ないか。このメンツで行こう」
駅前のファミレスにする?マックがいい!ファストフードなんてだめ!
早苗が大人気なく中学生コンビと言い合いしているのを私は3歩下がった後ろをついていきながら見ていた。
団体の殿を歩いていた私はあまり離れるのもなと思い一歩を大きく踏み出そうとした。
が、後から私のワンピースのベルトを引っ張られた。急な力でバランスを後ろに崩し、誰かと軽くぶつかる。
不審者!?と殺気立った私が振り返ると、そこには先に帰ったはずの絵里がいた。
「びっくりした」
彼女はバランスを崩すことなくその場から一歩も動かなかった。
見た目からは想像がつかない体幹の良さにゾッとする。
「ごめんぶつかっちゃった。」
思わずこっちが謝ってしまった。
「引っ張ったのうちなのになんで謝るの。」
またけらけらと笑っている。他の人だったら多少苛つくが全く怒る気になれない。
「土曜日のレッスンが始まる前まで空いてる?」
急に顔を近づけて内緒話をするように小声で彼女は言った。
「ど、土曜日?明後日の?」
その日は確かレッスンは15時からのはずだ。それまでの時間は空いている。
「空いてるけど、どうして?」
もしかしたら。淡い期待が胸の奥底の数%に宿る。
「あのね…」
「うん」
だが絵里はそのままもじもじとし出してしまった。そんなに言いにくいことを私に頼もうとしているのか、それとも私は誘いにくい人間性なのかと落ち込む。
いや、落ち込むというよりイラつきだ。昔からそうだ。私の見た目や雰囲気で勝手に怖そうだとか高飛車そうだとか言っておいて、遠巻きに見てくる。そして私もそんな人に自ら近づいていくタイプでもないためいつまで経っても友達が少ない。早苗のように強引に来てくれる子は私にとってありがたい存在なのだ。
「みんな待たせてるから行くよ」
すでに数メートル先を歩いている早苗たちの方に目をやると、絵里はグッと唇を噛み締める。
じゃあまた明日ね、そう言おうとしたときだった。
「あのね、真里と遊びに行きたいの!」
「私と?」
数%だけ抱いていた期待が現実となり、一気に膨らんだ。この嬉しさに耐えられるほど私の心臓は強くない。
そっかそっか、私と遊びに行きたいのか。しかし有頂天になる私の羽をもぎ取ったのも同じ人物だった。
「あのね、こういうときじゃないと東京に来られないから遊びたくて、でもお母さんには東京は危ないから遊びにいっちゃダメって言われてて、でも原宿でクレープとタピオカ飲んでプリクラ撮って渋谷のスタバでお茶したいの!」
ああなんだ、この子はただ東京観光がしたいから、案内してくれそうで自分と出かけたことを周りにバラす友達もいなさそうな私に声をかけたんだ。
性格の悪い捻くれた考えがぐるぐると渦巻く。
「だめ、かな?」
だがさすがみんなに太陽と言わしめた人。この子の頼み事は聞いてあげたいと思った。
「ふふ」
「ねーなんで笑うの!」
私への誘いを息継ぎなしで言い切った彼女の肺活量に驚いたが、それ以前に深刻そうな絵里の様子と言っている内容の乖離に吹き出してしまったのだ。身体を揺らす彼女がコミカルで面白い。
「こっちは真剣なのに…」
私が肩を揺らして笑っている間も、絵里は自分の事情を顔を真っ赤にして伝えてきた。
遊びに行かないよう先生からも言ってください、と彼女のお母さんがお願いしていること、でもどうしても東京で遊びたいこと。
「わかった遊びに行こう。でももしばれたらどうするの?もしかして私も連帯責任?」
「うん。」
「そこは庇ってよ。」
顔を近づけたままくすくすと笑った。高3にもなって親に内緒で遊びに行くのだ。せいぜい色んなところに連れ回してやろうではないか。
六
「あー美味しかった。レッスン後の炭水化物 最高。」
「ダンサーの食事じゃないよこれ。」
「えーでもその分動いてるしちょっとぐらいいいじゃーん。」
バレエ教室近くにあるオシャレ系ラーメン屋から一行はぞろぞろとお腹を抑えて退店した。
「絵里ちゃんも来ればよかったのにねー。」
まだ残念そうにぶつぶつと文句を言う愛・凛、私で悪かったな。
「あの子はラーメンとか食べないでしょ。体型管理にも人一倍気を遣ってるしカロリー高いものは食べないんじゃない?」
早苗の言葉に納得した彼らは、私とは逆方面の電車に乗っていった。
「こっちの電車、あー言っちゃったばっかだね」
早苗が頭上の掲示板を見上げると同時に、私はあることに気がついた。
「携帯忘れたかも」
晩御飯は食べて帰ると母に連絡して、そのまま稽古場に置き忘れてしまったようだ。
「ちょっと取りに行ってくるから先帰ってて」
「もう遅いし道も暗いから一緒に行くよ」
私たちは一度入った改札を出た。
レッスン場までの道を引き返す道中、話はやはり自然と絵里の話題になった。早苗が確かめるように私の顔を覗き込む。
「どうだったリアル絵里は。早速仲良くなってたじゃん。」
「うん、良い子だし話も途切れないし楽しい。みんながあの子のこと好きな理由がわかる。」
「でしょ。」
やっとわかってもらえたと言わんばかりに早苗は満足そうに頷いた。
「でも絵里ってなんとなく他人に一歩踏み込ませないような感じがするんだよね。ずっとにこにこしてるからかな。壁作ってる感じ。わりと自分のこと話さないし。」
そうなのか。確かにいつもにこにこはしているがレッスンの時は真剣な顔を見せるし、さっきだって東京で遊びたいなんて地方の高校生らしい願望をぶつけていた。早苗が言うほど壁は感じない。
そういえば、絵里はどうしてさなじゃなくて私を誘ったのだろう。さっきは東京観光が母親にバレなように言わなさそうな私を選んだんじゃないかと捻くれていたが、よく考えたら彼女はそんなことを考える性格ではないだろう。早苗との方が知り合ってから長いし今日会ったばかりの私に頼むよりは何倍も声をかけやすいと思うのだが。
ふと沸いた疑問に首を捻っているといつの間にか早苗が隣にいなくなっていた。立ち止まって振り返ると、訝しげな顔で前をまっすぐ見ている。
視線の先には地下のレッスン場から上がってきた絵里絵里がいた。彼女も忘れ物をしたのだろうか。
「絵里ー…」
手を挙げながら近づこうとしたときだった。絵里の後から先生も出てきたのだ。早苗に腕を引っ張られ、自動販売機の影に隠れる。
「え、何。なんで隠れるの。」
「しっ。」
キッと睨まれ大人しく黙った。閑静な住宅街で先生と絵里の声だけが聞こえる。
「先生、レッスンありがとうございました。 」
「気をつけて帰ってね。」
「はい。失礼します。」
お辞儀をした彼女はウィークリーマンションがあるであろう方向に帰っていった。
「なにあれ。個人レッスン?」
早苗の言葉に思わずギョッとした。今まで聞いたこともないひどく冷たい声だったからだ。
「そんなものあるの?先生に頼めばやってくれるとか?」
個人レッスンなんてバレエスタジオのホームページに記載は無かったはずだが。
「やっぱりほんとだったんだ。先生が贔屓してる生徒には個人レッスンするって。それってずるくない?」
「でも、絵里は一週間しかこっちにいないわけだしプラスでレッスンしてあげるのはよくない?」
「だったら堂々とすればいいのに。全体のレッスンが始まる前とかさ、こんな夜遅くじゃなくて。みんなが帰った後にこそこそとするんじゃなくて。絵里も晩ごはんに誘ったとき荷物の片付けがー言い訳しないで言えばいいのに。まだ練習するからとか言えばよかったのに。嘘つかれた。」
さっきまで絵里を好意的に見ていた早苗の変わりっぷりに嫌な感じがした。
帰り道、早苗は別れ際のばいばい以外、一言も話さなかった。
七
土曜日の午前109時。私は原宿駅の竹下口で絵里が来るのを待っていた。昨日のレッスン後、スマホを持っていないという彼女に
「原宿駅竹下口」
と書いたメモを渡し、もし迷ったら駅員さんに見せなさいと伝えた。異国の地というわけでもないのだからちゃんと到着できるはずだが。待ち合わせ時間になっても絵里は姿を現さない。やっぱりスマホ無しでの原宿集合は難しかったか。足元に目をやっていると急に人が覗き込んできてきゃぁと小さな悲鳴をあげてしまった。
「ごめん出口迷っちゃって遅れた。でも真里のメモのおかげで来れたよ!」
「びっっっくりした。急に現れないでよ。」
「だって俯いて待ってたんだもん。怒ってるのかと思って。てか原宿初めて!早く行こう!」
絵里は私のワンピースのベルトを今度は前から引っ張り、竹下通りへと突き進んでいった。
八
「めっちゃ楽しい。ほんと東京うらやましー。」
原宿でチョコバナナクレープとブラックティータピオカを飲んだ後に表参道でパンケーキを食べはち切れそうなお腹でプリクラを撮り、今は渋谷のスタバでお茶をしながらレッスンの時間までおしゃべりをしている。
一体誰だ。絵里が体型管理のために高カロリーなものは食べないって言ったのは。
「楽しめたみたいでよかった。プリクラ後で送る…そうだスマホ持ってないのか。」
「そうなの…買ってって頼んでるんだけど大学生になってからねって言われてるんだよね。」
「どこか劇団のオーディションは受けないの?そのためにレッスンしてるんじゃ?」
「それだけやるわけにはいかないしね。大学受験と並行してるよ。」
それは知らなかった。
「大学は、沖縄からだから関西の?」
「ううん東京の。前までは関西って思ってたんだけど、ちょっと、考え変えた」
もしかしたら絵里が東京に住むかもしれない。放課後待ち合わせしてご飯を食べに行く未来が頭をよぎって心臓がとんっと跳ねた。
「真里ももしオーディションだめだったら大学行くの?」
ちなみに私と絵里が受けようとしている劇団は同じだ。
「うん。付属の大学に内部進学するよ。」
「うっわいいなぁ。じゃあもう大学受験は終わってるんだ。真里と同じ大学行けたら絶対楽しいのに。」
飲み物から目を離し絵里の方を見ると、いつもの太陽のような笑顔ではなく、口を閉じて静かに微笑んでいた。レッスンの時とはまた違う初めて見る大人っぽい表情。こんな顔もできるのかと一瞬戸惑った。
「今日も待ち合わせのためにメモまで用意してくれたし。バレエスタジオのみんなは去年うちがスマホ持ってないって言ったら少しめんどくさそうにしてたから。なんとなく誘ったりみんなの輪に入るのが怖くて。」
「絵里でもそう思うことあるんだ」
「あるよー…特に今年はね。ちょっと居心地悪いかもしれない」
思い当たる節があり、私は目を伏せた。あの夜、夜遅くにレッスン場から出てきた絵里と先生を見かけた早苗は、ぱったりと彼女に話しかけなくなった。愛と凛もだ。あの子たち、あれだけ絵里絵里言ってたのにこれかよ、と私は怒りで震えた。
「でも真里は本当に良い人だなって。レッスン中もうちが振りを覚えられなくて困ってたら教えてくれるし、いつもにこにこ話しかけてくれるし。」
急な真面目モードにまた戸惑う。
「それは…絵里がにっこにこしてるから釣られちゃってるだけ」
やけに照れくさくて、噛み跡のついたストローをさらに齧る。それは絵里の笑顔に引っ張られたからだ。絵里が太陽のように私を照らしたから、私も絵里に対して明るくいられた。先生が言ってた通り、この子は太陽で私は月だから。でも絶対に言わない。言ったら崩れてしまうだろうから。
「どうしたの急に。」
「いやー東京でこんなに仲良くなれる子ができて嬉しいってはなし。もうめっちゃ好き!うちが男だったら絶対真里と付き合いたいー。」
「調子いいこと言っちゃって」
軽く絵里の頭を小突く。彼女はへへっと笑った。同性にそこまで言われるのは素直に嬉しい。
「明日は夏期講習の最終日で月曜日には帰るから、次に会えるのはオーディション会場だね。絶対会おうね。」
今生の別れでもないのに熱を込めて言う絵里に、思わず目頭が熱くなった。
私もここまで惹かれる友人に出会ったのは初めてだった。絵里と出会ってから初めての感情づくしの毎日だった。
「私のメアドと携帯電話の番号、渡しとくね。携帯買ったら連絡して。」
「LINEは?」
「LINEはID検索できないように設定してるから。」
「なるほどね。わかった、絶対連絡する。今年の夏期講習は真里のおかげで特に楽しかった。ありがとうね。」
改まった雰囲気になってしまいまたお互いび照れ臭口なる。顔を見合わせて小突きあった。
気づけばもう14時だった。私たちはお店を後にし、レッスンへと向かった。
九
入学式といえば桜、と昔は言われていたがもう桜は卒業式のものだと思う。緑が多くなった桜の木を下から見上げながらそう考えていた。
結局、私は劇団のオーディションに落ち、付属の大学にそのまま入学することとなった。オーディションの会場に絵里はいなかった。あの子が書類で落ちるはずがないと信じていたため、そもそも受けなかったのか、まさかの書類で落ちたか。こちら側は彼女の連絡先を知らないから確認する術がない。絵里には私の連絡先を渡しているのに。
夏休みの浮かれ気分での約束だ。守られないのが普通かもしれない。そう、あれは一夏の夢だったのだ。
もう会うこともない夏の友人のことを思い、入学式が行われる講堂へと足を進めようとしたとき、鞄のポケットに入れていたスマホが小刻みに震えた。知らない番号からだった。普段なら出ずにネットで番号を検索して確認するのだが、この時は何も考えずに親指が応答をタップした。
「はい。」
万が一のため、名前は名乗らずに出る。スマホからすぐに誰のものかわかる、はりのある声が流れてきた。
「もしもし、真里?」
名乗らずともわかる。今さっき、一夏の夢だとか言って終わらせたのに。
「連絡遅くなってごめんね。スマホの設定の仕方に戸惑って。入学式前までには電話したかったんだけど。」
「どんな複雑な設定なの」
呆れて笑える。
「もう、笑わないでってば!こちとら初めての携帯なんだから」
ふと違和感に気づいた。右耳から聞こえるスマホからの声とは別に、左耳からも聞こえる。違和感の正体を突き止めようと後ろを振り返る前に誰かが私のスーツの裾を引っ張った。後にバランスを崩し、誰かとぶつかる。
「ごめん。また引っ張っちゃった。」
振り返ると去年の夏と変わらない笑顔の絵里がいた。驚きで固まっている私に彼女は嬉しそうに言う。
「真里がこの大学に内部進学するって、あのとき言ってたから、勉強頑張っちゃった。真里と同級生になって学校生活を送りたかったの。」
もう会えないと思っていた。まさか彼女から会いにきてくれるなんて。どのように感情を処理すれば良いのかわからず、気づけば私の目は潤んでいた。
「またクレープとタピオカとパンケーキ食べたり色んなところに行こう。あの一週間じゃ話しきれなかったこと、うちいっぱいあるよ。」
初めて会ったとき、絵里が向けてくれた笑顔を今度は私が彼女に見せた。
「私も。言いたいこと沢山あるよ。聞きたいこともね。でももうあのとき行ったクレープもタピオカもパンケーキも、全部潰れてるよ。」
「うっそぉ!」
葉桜の下、私と絵里は2人並んで歩き出した。夏以外の季節を彼女と過ごすのは初めてだ。




