ある昼下がりのお茶会
ある大きな大陸の
ある小さな国の話。
空は晴天。
雲ひとつない鮮やかな青がひろがる空は、まさにお茶会日和。
「まあ! いらっしゃい」
天をも味方につけたその女性は、ゆったりと微笑をうかべるのだった。
-------獲物を逃がすものかと、瞳を鋭く光らせて。
* * * * * * * * * *
今日は、待ちに待ったお茶会。
もちろん、ただのお茶会ではない。
じっくりとこの日のために練られた計画を実行、そしてリリーシェルの好感度を上げよう! という、崇高な目的があるのだった。
「改めて。新しくあなたの姉になるルクレティア・シュテンベルクですわ。
こちらが、わたしの教育係であり護衛をつとめているアーネスト・ダーウィン」
さて、そんな大切なお茶会によばれたのが……
「リ、リリーシェルと申しますっ。このような会に、お、お招きいただき……」
もちろん、このお茶会の目的であるリリーシェル。
今日は、淡い黄のドレス。
ふわりとしたイメージのドレスは、リリーシェルの雰囲気に良く合う。
なぜか震えている様子といい、まるで鳥の雛のようだ。
そして----
(あら? 誰かしら?)
茶髪の男性。
年齢は二十歳前後。
髪は襟首にかからない長さの、日にあたると所々、金にひかる茶色。
瞳も茶色だが、どちらかというと髪の色より濃い。
背は180cmぐらいだろうか。アーネストと変わらないか、指一本分低いか。
精悍な顔立ちだが、“頼り甲斐がある”というより“やんちゃな青年”という印象をうける。
その茶髪の男性はリリーシェルの一歩後ろにたたずんでいた。
制服のデザインからして騎士だろう。腰には剣をさしており、警戒しているのか剣の柄に手を添えている。
「そちらの方は?」
「あっ! この人は、あたしの……」
「護衛をつとめるライラック・フローディンだ」
リリーシェルが言い終わらないうちに、その茶髪の男性----ライラックは前に出た。
リリーシェルをかばうかのように。
(侍女より護衛をつけた、のね。王そっくりでも、いきなりぱっとでてきた“王の隠し子”ですもの。
後見人は王だし、男ではなかったから最悪の場合まではいないけど、よからぬことを企むひともいるからねぇ。王の溺愛っぷりが分かるわ……)
その“よからぬことを企むひと”として真っ先にあがる人物が“黒薔薇の姫”だということは、ルクレティアは知るよしもない。
「さあ、さあ。お座りなさいな」
「は、はい」
テーブルには、この日のために取り寄せた紅茶。
そして中心には精密に作られたバスケット。
その中には、さまざまな種類のクッキーたちがたっぷり入っている。
手作りとは思えないお菓子たちは、目を楽しませるのはもちろん、味もよいことをルクレティアは知っている。
その材料が、普通ではないことも。
(今回のお菓子は“普通”のはず。 ……いや、“普通ではない”方がいいのかしら……?)
さて、そのお菓子をつくった者----ネリネは、ここにはいない。
現在、アーネストに押し付けられた仕事(雑用)の処理にいそしんでいるのだ。
“ずるい、ずるいです! アーネスト様だけなんて…!”
そうして、ストレスをためたネリネが同僚に愚痴り、ルクレティアの誤解に(無意識に)加担していくのは、また別の話。
「もう、ここには馴染んだの?」
「は、はい」
「どう? けっこう良いところでしょう?」
「は、はい」
「友だちはできたの?」
「ま、まだ……」
「…………今日は、いい天気ねえ」
「は、はいっ」
「……………………」
「……」
「…………………………」
(か、会話が、続かないわ……!
どうしましょう…!!
一言で終わってしまうわ。
なにか、良い質問は……
------ああ!)
名案を思いついたのか、ルクレティアは一瞬瞳をきらめかせた。
「あなたのこともっと知りたいの。
----おしえてくれる?」
(ああ、笑顔を忘れちゃいけないわ)
ピシリッ
空気が固まった。
いや、正確にいえばリリーシェルとライラックが。
(え!? なにか間違えたかしら!?)
そして、その空気を察知したルクレティアも。
ルクレティアは今だちゃんと分かっていない。
いや、知っているが理解してないのだ。
自身の行動が相手にどう見えているのか。
そしてその結果が今に至る。
紅い果実のような唇からこぼれる甘く囁くような声が、リリーシェルとライラックの身体をふるわせた。
ルクレティアに免疫がない二人にとってこれだけでも重症となるのに、極めつけはあの微笑。
“黒薔薇の姫”の由来のひとつでもある整いすぎた冷たい美貌に浮かぶ笑みは、親しみやすい印象をあたえ相手をリラックスさせる(本人はそれをねらっているのだが)どころかさらに増す迫力に相手はおもわず固まってしまう。
まあ、“見惚れて”ということもあるのだが、どうやら今回の場合は前者らしい。
その証拠に、リリーシェルの様子はまさに“へびににらまれたカエル”。
目も見開いたまま、瞬き一つしない。
そして、それを察したルクレティア。
ここで「あら、どうしたの?」なんて心配して聞いた瞬間、相手は失神することは分かっている。
というか、二、三度(本人が自覚がしてなかっただけで実は十数回ほど)あったので、そこから学んだのだが。
しかし、他に問いかけをするにも相手の硬直状態をみれば、しゃべるどころか思考さえはたらいていなそうなのだから無駄に終わるだろう。
考え、考え、考えぬいたルクレティア。
「------この紅茶はとってもおいしいのよ」
ルクレティアはこの国の名物でもある人気の紅茶をすすめた。
少しでもリリーシェルにリラックスしてもらうためである。
そして、自分も一息ついて落ち着かせるためでもあった。
「どうぞ」
アーネストが冷えた紅茶を新しく注いだものに代える。
ティーカップを置くときも一切音を立てず、その流れるような優雅な動作は、執事顔負けだ。
……実際は、ルクレティアの教育係兼護衛なのだが。
それをやる必要も、もちろんないのだが。
そんな疑問も周りの者は“黒薔薇の姫”だから、と納得されてしまう。
そして、それは“アーネストが勝手(強引ともいう)にやっている”ことなのに、“ルクレティアが命じている”に脳内変換されている。
その認識に、ルクレティアが大きなため息をつかざるをえない。
まあ、ルクレティア自身も、もう何年も続いてもはや“習慣”となったものを今さらかえる気はさらさらないが。
アーネストが入れる紅茶は誰よりもおいしいのだ。
たとえ、入れている者の正体が、猫を100匹かぶり、お腹が真黒でひねくれた一癖あるどころではすまされない者でも。
そんなアーネストの正体(ルクレティアいわく)を知らず、
緊張していたリリーシェルもアーネストに見惚れているのが、わかる。
そして、リリーシェルの護衛----ライラックが、それを見て唇をかみしめていることも。
しかし、幸か不幸かルクレティアは見ていなかった。
もちろん、アーネストがリリーシェルに紅茶を置いたとき、リリーシェルが真青になって固まったことも。
----アーネストが、彼女へ何か囁いたことも。
「いい香り」
(やっぱりこの香りよね)
そうのんきに思っている始末。
「気に入ってくれるとうれしいわ」
ルクレティアがリリーシェルに言った瞬間。
ガシャンッ!
「ご、ごめんなさいっ…!」
リリーシェルが反射的に立ち上がり、蒼白になって謝罪した。
そう、リリーシェルがティーカップを倒してしまったのだ。
「お怪我は?」
アーネストが素早く動き、汚れたテーブルクロス、空になったティーカップをみごと一瞬のうちに処理。
その一連の行動は無駄がない。
リリーシェルを気遣うことも忘れないあたりも、すべて抜かりなし。
「おい、大丈夫か!?」
アーネストに先をこされたことに舌打ちしながらも、ライラックもリリ-シェルに安否をたずねた。
「あ、あたしは大丈夫だけどっ……」
「いいわよ。そんなに気にしなくて」
「でも、でもっ……!」
リリーシェルは、すっかり恐縮してしまった。
ゆっくりお互いのことを話すどころか、椅子に座りそうもない。
(うーん……。
これは次回に持ち越しかしら。
無理やり座らせてもこんなに恐縮しちゃったら……)
黙り込んだルクレティアをどう思ったのか、リリーシェルは頭を下げてさらに謝罪した。
「ルクレティア様のお茶会でこんな粗相をしてしまい……!」
「お、おい!」
位はたしかにルクレティアの方が上だが、第二王女が頭を下げることにさすがにライラックが止めにはいる。
----が、リリーシェルは頭を上げる様子はない。
一方、ルクレティアは……
(ルクレティア様、ですって! 名前呼びよ! 名前呼び!
きゃー!!!)
悶えていた。
もし、今のルクレティアをネリネが見たらこう言っただろう。
“興奮して淡く朱に染まったすべらかな頬! 喜びのあまり潤ませる黒曜石のような瞳! 名前を呼ばれただけでこのはしゃぎよう! もう食べちゃいたいくらいかわいらしいです!!”
…………無表情にしか見えないが。
リリーシェルの方も頭を下げてしまった以上、ルクレティアからの許しがでないのに勝手に頭を上げることは失礼にあたる。
たとえ頭を下げたことも、頭を上げないことも、リリーシェルが無意識にやっていることでも。
「王女」
アーネストの呼びかけでようやくそのことに気づいたルクレティア。
スッ
椅子から立ち上がり、リリーシェルをうながす。
「許します。頭をあげてちょうだい」
その言葉に、リリーシェルはようやくそろそろと頭を上げる。
恐怖でか、涙目になっているくりっとした緑眼。身長差で自然となる上目使い。
ねらっていないところがさらによい。
かわいいもの、とくに小動物好きにはたまらない……
そう、すべてがルクレティアのツボにはいった。
その結果。
(か、かわいい~わぁぁ! 抱きしめていいかしら! いや、その前に手をにぎる?)
また悶えた。
無表情で。
しかも恐ろしいことに、おもわずつっこみたくなるような思考がネリネに似てきていることに本人は気づいていない。
「王女」
穏やかに、アーネストの声が再度かかる。
しかし、ルクレティアには分かった。
この麗しい微笑にカバーされているが、艶やかなテノールのなかに棘がふくまれていることが。
“なににやけているんですか。これ以上意識トリップさせたら強制終了させますよ” と。
「あ、ああ。そうね、天気も悪くなってきそうだし、そろそろお開きにしましょう」
いまも空は雲ひとつない快晴だが。
(名前を呼んでくれたという収穫もあることだし。
少ししかお茶会ができたかったけどまだまだ機会はあるわ…!
ああ、そういえば。“あれ”のタイミングはいましかないわよね)
「アーネスト、“あれ”を」
「かしこまりました」
サッ
どこに隠し持っていたのか、アーネストはすぐさまルクレティアに箱を差し出した。
箱の形は、底が手のひら二つ分くらい、高さが人差し指の長さくらいの長方形。
淡いピンクを地に、白金で細かい模様が描かれている。
その箱だけでも、相当の値打ちはするだろう。
「はじめてのお茶会の記念に」
「……! ありがとうございます! あたし、何も持ってきてないのに……」
「いいのよ。わたしが勝手にやったことですもの。それより、箱を開けてみて?」
リリーシェルは、ゆっくりと受け取った箱を開けた。
「あなたのためだけに特注で取り寄せたのよ」
(あのアーネストが能力を認めるネリネが調べた品ですもの。絶対よろこんでくれ----)
「------……っ!!!」
声にならない悲鳴が聞こえた。
「----?」
その悲鳴の出所は、足にまとまりつくであろうドレスなど気にもせずに、走り去っていくリリーシェルであった。
その目じりには涙がたまっていたのは見間違いではないだろう。
「----え?」
リリーシェルの予想外の行動に思考がついていけず、ぽかんとするルクレティア。
呆けているのに表情ひとつ動かない不器用さは、ここまでくると、いっそ器用である。
「リリーシェルっ! くそっ、お前たち今度会うときおぼえていろよ!」
どこぞの三流悪役のような捨て台詞を残して、リリーシェルの後を追っていくライラック。
----只今、この場所に残っているのは……
受け取り主においてかれ、無残にも地面に落ちたリリーシェルへのプレゼント。
「教育がなっていませんねえ。いろいろとあらが目立ちますし。あれで護衛が勤まるのでしょうかねえ」
心地よい日差しに目を細めながら、のんびりしゃべるアーネスト。
「----え?」
そして、未だに状況が把握できていないルクレティア。
いや、たしかに会話ははずんでなかったけど。
いや、もしかしたらあまりにも嬉しすぎて……
いや、でも泣いていたわよね?
いや、実はうれし涙を見られたくなくて……
いや、…………
「なんでぇぇえ!?」
「うるさいですよ」
空は晴天。
雲ひとつない空は、己が味方についたはずの女性の叫びなどいざ知らず、ただ鮮やかな青をひろげるばかりであった。
「今から緊急会議よ!!」
次話もよろしくおねがいします。