第85話
投稿者:係長のわし 2027年6月25日
やったぜ。
……嘘じゃ。全然やったぜじゃない。
心臓が一ミリの予告もなく「緊急・超高速旋回モード」に突入しとる。わしの主機(心臓)がおかしい。現場監督のポンプが現場で暴走しとる。完全なる内部崩壊(労災)じゃ。
順を追って、この異常事態を報告する。
2027年6月下旬。梅雨の晴れ間という名の「一ミリの猶予もない・超高熱工期」が岡山に着工した。
気温32度。湿度80%。わしの80kgの肉体が、岡山の夏という名のサウナに強制養生されとる。
そんな地獄のボイラー室のような現場で、わしがおっさん達に「今日も安全第一でハツりなさい!」と号令をブチかましていた時のことじゃ。
元請けのハイエースが現場に横付けされ、助手席のドアが開いた。
降りてきたのは、一人の女性じゃった。
白濁したような瞳。作業服の上からでも一ミリの誤魔化しもない、完璧な「筋肉の装甲」。
ヘルメットを被っとるのに、なぜか全体的に「安全」の雰囲気が一ミリも存在しない。
……あいつじゃ。以前ドッグランで、重戦車のようなピットブルを片手でホールド(片手持ち)しとった、あのピットブル女じゃ!
わしは固まった。80kgのフレームが、一ミリも動かなくなった。
「……あなたが、この工区の責任者(係長)ですか」
ピットブル女が、図面という名の「宣戦布告書」を片手に、わしの163cm 80kgの機体を上から下まで一ミリの狂いもなくスキャンしおった。
その視線が、でーれー鋭い! コンクリートの内部クラック(ひび割れ)までハツり見抜くような、高圧洗浄機のバイブスじゃ。わしの作業着の繊維の奥まで透過しとる。レントゲンか。お前は超音波検査機か。
わしは80kgのトルクを全開にして、喉の奥底から返答(打設)した。
「そうじゃ。わしが係長のわしじゃ。一ミリの不備もない現場じゃ、好きにスキャンしなさい」
ピットブル女の口元が、一ミリだけ吊り上がった。
「ほう……言うじゃないですか」
言うとる。言っとるが、内側では主機(心臓)がマッハの高速旋回をキメとる。
外側は「一ミリの動揺もない鉄人係長」。内側は「一ミリの余裕もない55歳」。
現場の後方では、既に大規模な通信障害(大混乱)が発生しとった。
おっさん(62歳)が、ヘルメットを被ったまま小走りで近寄ってきて、耳元で囁きおった。
「係長。あの女、女子レーサー渡邉より鋭いターンをキメとるっす。あのスキャン、インコースからの『差し』っすよ」
現場で競艇の話をするな。62歳の主機が完全に競艇化(ギャンブル脳)しとる。
金髪(25歳)はもっとひどかった。作業手袋を握りしめながら、
「係長! あの筋肉と盛り合うんすか! やったぜ!」
と、一ミリも空気を読まないバキューム音量で咆哮しおった。黙れ。
そして、最大の問題資材が発生した。
最近主機がパグ化しているハゲ(元課長・現ハツリ工)が、白濁したような瞳でピットブル女にゆっくりと歩み寄り始めたんじゃ。
嫌な予感は一ミリの狂いもなく当たった。ハゲが正面に立ち、両手で何かを差し出した。
「……三郎さんのヨダレ、いりますか」
あの、ハゲがずっと磨き続けていた、三郎のヨダレ染み込みタオルじゃった。
ピットブル女が固まり、わしも固まり、現場という名の時空が一ミリも動かなくなった。
わしは0.5秒で判断し、ハゲの頭(反射材)をホールドして、一気に後方へパージ(不法投棄)した。
「すまん。こいつは主機がパグのチップに入れ替わっとる。気にしないでくれ」
ピットブル女は三秒ほど沈黙してから言った。
「……パグ、好きなんですか」
「好きというか、汚染(浸食)されとる」
「うちのピットブルも似たようなものです」
初めて、ピットブル女が笑った。一ミリだけじゃったが、確かに竣工(笑顔)された。
点検が始まった。点検は、でーれー細かかった。
足場、安全帯、資材の配置、KY記録。一ミリの見落としもなく、現場を上から下まで解体するような視線でスキャンしていく。
わしは80kgのトルクを全開にして、一ミリの隙もない「安全管理(全力の言い訳)」を喉の奥底からドバーっと叫び続けた。
「足場は昨日増し締めした!」
「記録は朝一で更新した!」
「ハゲは元課長じゃが今はハツリ工じゃ、関係ない!」
「ハゲは関係ないですね」とピットブル女は冷静に言った。
「ない」
「でも現場に犬のヨダレ付きタオルを搬入するのは……」
「……次から厳重に指導する」
筋肉と汗とプライドのハツり合いじゃった。
じりじりと、岡山の太陽が照りつける中、二人の作業着は白濁したような塩をドバーっと吹いとった。互いの汗が、岡山のコンクリートに一気に蒸発していった。
ピットブル女がヘルメットを脱いだ。汗で張り付いた髪を一度かき上げてから、言った。
「……合格です、係長。いい現場を作るじゃないですか」
「知っとる」
「ひとつ聞いていいですか」
「なんじゃ」
「今度、ドッグランじゃなくて、赤ちょうちんで安全衛生協議会(サシ飲み)でもしませんか。ピットブル抜きで」
わしは、一ミリの隙もなく固まった。
逆指名じゃ。163cm 80kg、55歳、土方の係長が、現場で、女性に、逆指名された。
後方でおっさんが「おおっ」と言い、金髪が「やったぜ!!!」と叫び、ハゲが白濁した瞳で「係長、やっぱりヨダレを……」と言いかけたので、もう一回パージした。
わしはピットブル女をホールドするように見据えた。
「……ええわ。一ミリの隙もなくホールドしてやるから、来なさい」
ピットブル女は、にやりと笑った。
「やったぜ」
パクられた。わしの看板(決め台詞)を、一ミリの躊躇もなく持っていきおったわ!
ハイエースが走り去り、わしは現場に立ったまま五秒ほどフリーズした。おっさんが「心臓、大丈夫っすか。顔が赤いっすよ」とスキャンしてくる。うるさい。岡山の太陽のせいじゃ。
帰り道、わしは気づいたらローソンへ走っとった。心臓の高速旋回を冷ますための聖水を三本買った。二本飲んでも、心臓のターンは止まらなかった。
アパートに戻ると、三郎がソファでひっくり返って寝とった。薄目を開けて、ぶひ、と言った。
「三郎。わし、新しい筋肉の資材(女性)を搬入することになったかもしれん」
三郎が起き上がり、わしの顔面を一ミリの隙もなくスキャンした。
ぶひ。
「……『まず鼻の穴を舐めて、生きてるか確認しろ』か」
ぶひぶひ。
「ピットブル相手にそれをやったら、わしが物理的に解体されるわ。お前の技は通用せんぞ」
三郎は一ミリも動じず、そのままわしの膝にマウント(乗車)してきて、また寝た。こいつは全部分かっとる。分かった上で、「知っとる」の顔をしとる。
恋の火花か、ただの火気使用違反か。
岡山の夜、わしの主機(心臓)が、一ミリの狂いもなく熱く竣工されとる。
――やったぜ。




