違和感
その中で、ひときわ強い視線。
巫女…。
彼女は少し離れた場所で、じっとこちらを見ている。
独占欲とも、嫉妬ともつかぬ感情を滲ませながら。
……面倒だ。
私は頭を押さえた。
民の困窮は計算できる。
戦術も、流通も、交渉も。
だが、女心だけは計算式が存在しない。
夜、屋敷の屋根に座り、星を見上げる。
せめて男子に生まれ変われたなら――
そう願ったはずなのに。
なぜだ。
今の私は、確かに“男”の姿だ。
それなのに、女に言い寄られて困惑している。
何の皮肉だ。
その時、背後で足音がした。
「やはり、ここに」
振り向かなくても分かる。
巫女だ。
「少し、話がしたいのです」
私は深く息を吐いた。
逃げ場は、まだあるだろうか。
それとも――
この世界は、まだ私を手放す気がないのか。
「少し、話がしたいのです」
夜風に揺れる声は、昼間よりも静かだった。
私は屋根の端に腰掛けたまま、視線を空へ固定する。
「合理的な内容なら聞こう」
「……合理的、ですか」
巫女は小さく笑った。瓦の上を歩く音が近づく。軽い。鍛えてはいないが、体幹は強いらしい。
「あなたはいつもそうですね。民の命も、戦も、数字のように扱う」
「扱っているのではない。構造として理解しているだけだ」
「では……私の気持ちも、構造で説明できますか?」
来た。
私は沈黙する。
できるか? 恋慕とは何か。依存か。自己保存本能の変形か。生存戦略の一部か。
理屈はいくらでも並べられる。
だが。
「……説明は可能だ」
私はゆっくりと答える。
「人は不安定な環境下で“強い個体”に惹かれる。保護欲求と帰属欲求が結びつく。今の状況では私がそれに該当する。それだけだ」
言い切った。
完璧な回答だ。
巫女は、しばらく黙っていた。
やがて、私の隣に腰を下ろす。
距離が近い。
「違います」
即答だった。
「私は、守られたいから側にいるのではありません」
「では何だ」
「あなたが一人で立ちすぎているからです」
……意味が分からない。
「あなたは、誰にも寄りかからない。誰の好意も受け取らない。けれど……それでは、あなたが壊れてしまう」
壊れる?
私は笑いそうになる。
「私は壊れない。常に最適解を選ぶ」
「最適解を選び続ける人ほど、限界を自覚しません」
言葉が、静かに胸に落ちた。
私は黙る。
その隙を突くように、彼女の指が私の袖を掴む。
「私は、あなたを支えたい」
やめろ。
私は衝動的に立ち上がった。
「私は支援を必要としない」
声が、わずかに強い。
「支援は非効率だ。依存は判断を鈍らせる」
「では、私が勝手に隣にいるのは?」
……それは。
計算式にない。
「それは、迷惑だ」
言い切った。
彼女の手が、ゆっくり離れる。
胸が、妙に重い。
だが、これでいい。感情は排除すべきだ。
その瞬間――
遠くで再び鐘が鳴った。
私は城壁の方を見る。
違う。今度は敵襲ではない。
市場の方角だ。
煙。
嫌な予感が走る。
屋根を飛び降り、市場へ向かう。人だかり。倒れた商人。倉庫の一角が崩れている。
「水路の支柱が一本折れた!」
「流れが不安定だ!」
……内部崩壊。
敵は外からではなく、中にいる。
私は状況を把握する。支柱は老朽化。急造の補強が足りなかった。私の設計ミスか。
いや、計算上は持つはずだった。
「材料を集めろ! 丸太を三本、縄を五束! 余剰労働者は南岸へ!」
怒号が飛び交う中、私は川へ走る。
だが背後から、あの声。
「待って!」
振り向くと、巫女が追ってくる。
「来るな!」
「あなた一人では無理です!」
「これは構造上の問題だ! 感情は不要だ!」
「でも私は、あなたの構造に組み込まれたい!」
……何だその告白は。
足が一瞬止まる。
その隙に、川岸の地面が崩れた。




