望みを得たOL
視界の端に、自分の手が映る。細い。だが、筋張っている。服は粗末だが動きやすい作務衣のような装束。腰には――刀?
「おい、あんた。生きてるのか?」
振り向けば、頬のこけた子どもが立っていた。背後には、やせ細った母親らしき女。城門の前には長蛇の列。炊き出しを待つ民衆だろう。
……飢餓。
頭が妙に冴えていた。状況を整理する。
石造都市、城壁、和風装束、腰の刀。忍者……? まさか。
脳裏に浮かんだのは昨夜までプレイしていたゲームのタイトル。
『イケメン忍者お忍びの恋』
馬鹿な。
だが、現実は目の前にある。
城壁には張り紙がある。“凶作につき米の配給制限を行う”と。
私は列の最後尾まで視線を走らせた。非効率だ。並ぶ体力すらない者が多い。分配は感情的、根拠が曖昧。管理も杜撰。
……ああ、なるほど。
ゲーム世界ならイベントだ。主人公が民を救い、好感度が上がる展開だろう。
だが私は攻略対象に媚びる気はない。
やるなら合理的にだ。
「水はどこから引いている?」
私は子どもに尋ねた。
「川だよ。でも上流の村が堰を作っちゃって……」
水利争いか。
ならばまず、収穫量の回復より流通の最適化だ。私は城門の兵士へ近づいた。
「上流の村の代表に会わせろ。あと、余剰労働力の名簿があれば出せ」
兵士は訝しげに私を見る。
「お前は何者だ」
少し考え、私は口角を上げた。
「……忍びだ。雇われた」
嘘ではない。ゲーム的には忍者だ。
三日後。
上流の村と下流の都市の間に仮設水路が完成した。堰は完全撤去ではなく時間制御に変更。
水門の管理は交代制にし、収穫物の一部を共同備蓄に回す契約を結ばせた。
私は数値で説得した。水量、労働時間、収穫見込み。感情論は排除。双方に“得”がある構造を提示する。
「……これで冬は越せる」
村長が呟いた。
同時に、炊き出しの列は半分以下に減った。余剰人員は水路整備へ回り、賃金を得る。貨幣が循環し始める。
ゲームの中で、私はイベントを破壊していた。
本来なら、ここで攻略対象の忍者たちが「すごいな」と微笑むのだろう。
だが、代わりに私の前へ現れたのは――。
「あなたが……あの方ですね?」
澄んだ声。
振り返ると、長い黒髪の女が立っていた。巫女装束。肌は透き通り、瞳は真っ直ぐに私を射抜く。
コイツ……ヒロインだ。
間違いない。立ち絵クオリティが違う。
私はまるでゲーム冒頭でラスボスを目にしたように固まった。
「民を救ったと聞きました。どうか、私の屋敷へ」
来た。
イベントだ。
私は我に返り一歩下がった。
「断る」
即答だった。
「え……?」
「私は合理性に基づいて動いただけだ。礼も好意も不要」
女は目を見開く。
「ですが……あなたは命を削って……」
命? 削っていない。効率的に配置転換しただけだ。
だが彼女は距離を詰めてくる。近い。妙に近い。
「どうしてそんなに冷たいのですか」
冷たいのではない。私はエゴを持たないだけだ。
だが、困る。
彼女の瞳は明らかに“好意”のフラグを立てている。
やめろ。
私は恋愛イベントを進めに来たわけではない。
「私は女だ」
思わず口をついた。
巫女は瞬きをした。
「……はい?」
しまった。
この世界の私は男の姿らしい。声も低い。身体も違う。
だが内面は三十路女だ。
混乱する。
「いや、違う。そういう意味ではなく――」
言葉が詰まる。
彼女は一歩さらに近づき、袖を掴んだ。
「それでも、私はあなたを……」
やめろ。
やめてくれ。
合理的に飢餓を解決するのは容易い。だが、この状況は非合理だ。感情は数値化できない。
私は戦場よりもこの距離感に動揺していた。
「……手を離せ」
低く告げる。
だが彼女は、震えながらも離さない。
「あなたがいなければ、私は……」
その瞬間、城壁の上から鐘が鳴り響いた。
敵襲。
煙が上がる。
私は反射的に巫女の手を振り払い、城門へ走った。
……助かった。
いや、助かっていない。
戦乱は新たな飢餓を生む。物流は止まり、備蓄は奪われる。
合理的解決はまだ途中だ。




