狩り
「アレク、ご飯だよ」
「はあい」
気を練る訓練を終えたオレは、
母の作ってくれた朝食を摂り、
狩に出かける支度をする。
村の皆はオレたちを気にかけ、これまで養ってくれたが、
いつまでも世話になる訳にはいかなかった。
弓を背負い戸口から出ようとすると、
パタパタと小さな足音。
「兄さま、いってらっしゃい」
妹のフィオナだ。
豊穣の儀でその身と命を捧げた父が、
オレたちに残した最後の宝物だった。
「いって来るよ。いい子にしてろよ。」
「うん」
フィオナはこくりとうなづいた。
少し短くなってしまった袖から、
寒さで赤くなった手がのぞいている。
母と、フィオナを守る。
それがオレの決意だ。
あの時。
『ミツケタゾ』『マッテイロ』。
かつて夢の中で見た〝敵〟が、
むき出しの敵意をオレにぶつけながら宣言したことが、常に気にかかる。
オレが日々トレーニングをかかさないのも、
なんとかして敵から家族と自分自身を守るためだった。
しかし、こんな程度で敵を退けられるのだろうか?
不安は尽きない。
それに、日々食わなければならない。
いつか来る敵も気になるが、
差し迫った問題としてはそちらの方が大きいのだった。
家を出たオレは、森へ向かう。
谷川が小さな滝を作っているところに来ると、
古い石段が右手の崖に見える。
この先を登ることは禁じられている。
唯一許されるのが、豊穣の儀で火口の聖地に向かう場合だけなのだった。
オレはかつて白衣でここを登っていった父の背中を思い出し、
その胸中を想像した。
滝を直進し、緩やかな斜面を下って行くと、
湿った土と落ち葉の匂いが鼻をついた。
まだ朝の冷気が残り、白い息が木々の間を漂う。
藪の陰で足を止め、耳を澄ます。
身体を周囲の環境に同調させる。
呼吸は深く、ゆっくりにする。
脈拍を大幅に遅くする。
体温は周りの気温にまで下げた。
今のオレは、その辺に立つ木々と同じような状態だ。
自分と森の境界が朧になり、広がってゆく。
風が吹き寄せ、そのまま身体を通り抜けていくようだ。
来た。
ノウサギだ。
100メートル先に、かすかな気配がチラリと揺らぐ。
同心円状に広げた意識の端で、小さな生き物の鼓動が、遠い波紋のように感じ取れた。
弓を静かに構え、弦を引く。
藪の奥、灰色がかった白毛の小さな影が、
湿った落ち葉を鼻で探りながら進んでくる。
息を殺し、ゆっくりと狙いを定める。
指先から弦が離れると、
矢は細い風を切り裂いて飛び、
藪を抜ける音もなく背後に食い込んだ。
ウサギは一瞬跳ね上がり、痙攣するように二三度もがいて、ピタリと止まった。
近づき、獲物を拾い上げる。
まだ温かい体が、手の中でわずかに震えている。
矢は心臓近くを射抜いていた。
血の滴る傷口から、赤黒い血が土に落ちる前に、
すぐに対応する。
喉元に石刃を当て、素早く一閃。
動脈を切断すると、心臓の鼓動に合わせて鮮血が勢いよく噴き出す。
土に受け皿のように穴を掘り、
その血をすべて流し込んだ。
ウサギの丸い目から生気が抜けていく。
ごめんな。
血抜きが終わると、ウサギは急に軽くなった。
肩に弓をかけ、ウサギを逆さにして腰に括り付けると、
谷川のせせらぎを背に家路についた。
家に着くと、早速皮剥ぎだ。
後ろ足の間にナイフを入れ、皮膚を慎重に切り開く。
春の毛並みはまだ厚く、
灰白の冬毛が抜けかけている。
指を皮の下に差し込み、ゆっくりと引き剥がす。
ウサギの毛皮にはさまざまな用途がある。
内臓を露わにすると、
温かい肺と心臓がまだ湯気を立てている。
指を温かな腹腔に差し入れ、
腸・胃・肝臓をまとめて引き抜く。
ぐぼっという湿った音がする。
心臓と肝臓は調理用に残し、
残りの内臓は土に埋めることにする。
残ったのは、骨格に張り付いた赤い肉塊。
小さな体からは、1キロほどの食肉が得られる。
意外と少ないものだが、
この時期のウサギは肉の乗りが良くうまい。
骨はスープの出汁に使う。
ウサギを解体していると、フィオナが嬉しそうに近寄って来た。
手には香草が数種類握られている。
肉の匂いを消して旨みを増す香草だ。
「沢で摘んで来たの。今日はウサギのお鍋だね。」
「あぁ。早く食いたいな。」
母が嬉しそうにオレたちを見守っていた。




